つぶやき

海戦型
 
瞬間に込められたエネルギーの話
私と言えばどうでもいい話、どうでもいい話と言えば私。今日もどうでもいい事をつらつら書き連ねようと思います。明日早いのでいつもと違って短くできたらいいな。


これはごく一部の吸血鬼作品好き界隈の話なのですが、『月姫』に登場するシエルと『HELLSING』に登場するアンデルセン神父はどっちが強いのかという不毛すぎる議論が存在します。
二人とも色々と違いはあれど設定や戦闘スタイルに似ている所があるんですが、設定的な能力ではぶっちゃけシエルに軍配が上がっています。しかし、それでも争いは続いている……というか、アンデルセンならその不利もひっくり返せるんじゃないかという思いを抱いてしまう人が負けを認めません。

私はHELLSING大好きなのでアンデルセンの方が好きだったりしますが、設定を見ると確かにこりゃ理論上は負けるな、と思っています。しかし、それでも反論する人たちの気持ちが分からないかと言うとそうでもありません。

それは何故かと言うと、実際に漫画やアニメで見たアンデルセンという男の猛烈な存在感がそう思わせるからです。キャラの強さとは設定に宿るものではなく、実際にそれを見聞きした人が「こいつ、強い!」と確信できるインパクトがあるかどうかでまるっきり見方が変わってきます。
その意味で、アンデルセンという男が「AMEN」と唱えた瞬間のシーンから吸血鬼と戦う姿、言動の一つ一つに膨大なまでの「こいつは強い」と思わせるエネルギーが込められていたから、アンデルセンが勝てると人に思わせるのです。

シチュエーション的な格好良さ、台詞の決まり具合、キャラの表情に込められた情念……そこには設定で語る事の出来ない「ここ」というエネルギーが凝縮されています。その瞬間に込められたエネルギーの量が、強キャラの格を決めているのかもしれません。
この格が足りないとなんとなーく強いやつでも「頑張れば倒せそうじゃね?」と思ってしまう。多分その辺は小説も同じです。だから強いヤツを書きたいなら、こいつは強いという根拠だけぺらぺら並べるのではなくて、瞬間に「強さ」を込めなければいけないと私は勝手に考えています。


私もなるだけ「ここを凄くしたい」と思った文章にはありったけエネルギーを込めているつもりですが、果たしてちゃんと籠っているのやら……。


余談ですけど、漫画の「うしおととら」に登場するキャラの表情はまさにこのエネルギーが半端ないと思います。あんなに顔面に情念を凝縮出来る藤田和日郎さんってすげぇ。 
海戦型
 
表現いろいろ、漫画もいろいろ
いつも劇画調な人だと必ずしも当てはまりませんが、そいういこともあると思います。メリハリですね。

これまた余談ですが、金色のガッシュで清麿があまりにキレ過ぎてヤバすぎる人外顔になっていたシーンを見たときは雷句誠さん天才だなと思いました。あのシリアスの流れでギャグをぶっこみつつ本当に清麿キレてるんだなーと思わせるあの激情は流石としか……。 
Y.T
 
確かに、アレは濃いからな・・・・
設定だけでは語れない深み?が感じられますよね、自分も或いはと思うぐらい。

余談だがそれって劇画調だと伝わり易い事みたいな・・・いや藤田氏の作品はいまどき少なくなった熱い作品だが。