つぶやき

海戦型
 
妄想物語27
 
 教導師の男性はその言葉を聞き、抑揚のない声で返答した。

「君はもう少し効率を貴ぶべきだと私は思うが、確認作業の重要性は認めよう。何が確認したのかね?」
「俺が交わした契約の有効期限について、まずは確認させてもらいます」
「私の認識では試験の合否が決定する夜明けまでが有効期限だと解しているが?」
「試験合格の正式な決定通知はサンテリア機関で行われることです。この砦で行われるのはあくまで試験まで……初日の夕暮れに試験を開始し、翌日は戻らない試験参加者の捜索と合格者の休息、そしてさらに翌日の朝に集合して学び舎に戻る。つまり試験は正確には三日を要する。そして学び舎に着いた後に改めて機関から『交戦資格』を得ることで試験は正式に終了する。ここまではいいですね?」

 確かに二日目である現時点で合否はほぼ決まっているが、正式に呪獣などの敵と戦うことを許可される『交戦資格』――教導師の法衣の左胸部で輝く豹の図柄が刻まれた小さなプレートが配布され、それをもってやっと一連の試験過程が終了することとなっている。

「形式上はそうだ。それで?」
「つまるところ、正式にはまだ試験過程は終了していない訳です」
「それの何が問題だと言うのだ?君の合格は確定していることだ。そして今後、君が命を晒すような過程もドーラット準法師が必要になる場面も存在しないと思うが?」
「いいえ、あります」

 実際にはない。そんな事は分かりきっている。これはギルティーネとの関係が一方的に終わってしまうことを避けるための苦しい主張だ。相手を頷かせる根拠がなければ最悪の場合は今後一切相手にされないだろう。だから俺は、考え付く精いっぱいの『それらしい理由』を用意していた。
 まったく本心では必要だと思っていないことを必要だと言い張るのには神経をすり減らすものだ。それでも俺は、そんな内心の疲弊をおくびに出さずに喋る技能を不本意ながら持ち合わせている。表情には当然の常識を語るように、俺は自分を騙った。

「――『交戦資格』の授与は個人ではなくそれぞれのグループという区切りで行われます。機関長の前にたった一人で立っては、まるで俺が相方を犠牲にした未熟者のようではありませんか。先生には理解し難いかもしれませんが、こういった重要な儀式で頼りない印象を周囲に与えるのは法師の末席を汚す者として矜持が許さないのですよ」

 犬に食わせても構わないちっぽけな矜持を、この一瞬だけ限界まで膨れ上がらせる。
 矜持とは便利な言葉だ。『欠落者』の中では矜持を持たない者も多いが、矜持を極めて重視する者もいる。そしてそんな『欠落者』以上に一般人はこうした場面での自分の扱いに敏感だ。たとえこの発言をしているのが俺でなかったとしても、そういった台詞を吐く輩というのは本当にいる。

 この男は俺のことは知っているだろうが、俺が矜持に拘るかどうかは知らないだろう。
 だから自信満々に、厚顔無恥に、傲慢不遜にそうだとはっきり言いきってしまえばいい。
 一般人ならばこの発言は鼻につくだろうが、俺が散々相手にしてきた『欠落者』ならば――。

「呪法師の矜持と来たか……理解できない話ではない。名門連中やエリート気取りの学者共は特にな」
(ほぅら、通じた……!)

 息をするかのように無償の善言を吐く人間は胡散臭いから疑われるが、私利私欲を隠しもしない発言は嫌われこそすれ疑われることはまずない。善言は耳に心地よすぎるから裏を探ってしまうが、悪言はその内容こそが裏そのものだ。だからこそ疑われにくい。

「しかし、それがドーラット準法師である必要性はないな。それこそ君と共に行動していたメリオライトという女を代役にすればいいではないか」
「ステディ・メリオライトは有名な3人グループですし、彼女が儀式を受けるのは『鉄の都』ですよ。それに当の本人が俺の顔をじゃがいものようなふくれっ面にした張本人と来れば、俺の方から願い下げです。その点ギルティーネさんは従順で素直だ。隣に置くには丁度いい。ここで彼女の管理権を持っていかれるのは困るのですよ」
「罪人である彼女を横につれる方が余程見栄えが悪いと思うが?」
「俺の帰還先である『朱月の都』に彼女が罪人であることを知る者は殆どいない。だから彼女が罪人でも周囲は気付かない。貴方自身もそう考えていたと記憶していますが?」
「…………………」

 教導師の男が黙りこくる。その沈黙は反論の余地を探しているのか、或いは俺の演技を疑っているのか。ここで騙しきれなかったら今度こそ話は終了だ。表情と態度を崩さず、俺は余裕たっぷりに「どうしました?」と声をかけた。実際には余裕など微塵もない。それでも、俺は騙り通した。
 やがて黙考した男はゆっくりと顔を上げ、腰に装着していた鍵束を外した。

「予定外の行動は困るのだがな。しかし今回の契約においてどのタイミングで解約が成されるかは明確に決められていない。ならば君が彼女を最後まで利用するためにもう1日彼女を管理することには規則上何の問題もなくなる。………いいだろう、持っていけ」

 ひゅっ、と軽い放物線を描いた鍵束が俺の手に収まる。ギルティーネの枷を解錠する重要な代物だ。どうやら彼は俺のことを「利用できるものはとことん利用する存在」として勘違いしてくれたらしい。俺にとっては理由は何でもいい。今回の試験の結末を納得できるものにするためには彼女の存在が必要不可欠だ。
 それに、上手くいけば彼女の表での立場を確立させることが出来るかもしれない。仮に罪人であったとしても、正式な教育機関で資格を受け取るのだ。彼女に与えられる資格が本当に用意されているのかは判然としない部分があるが、少なくともそうなればギルティーネの牢獄戻りを見直す流れを引っ張れる可能性が高まる。

 何とか急場を乗り切った俺に、準法師の男が踵を返しながら小声で囁いた。

「御し切れるといいな」
「彼女は俺のためにしか動きません」
「………『断罪の鷹』の檻馬車を都に運ぶ手配をしなければならんな」
(……彼女はまたあの馬車の中か)

 遠ざかっていく男の背中を見送って、俺も踵を返す。

 考えなければいけないことが、山ほどある。




 遠ざかっていく気配を感じながら、教導師の男は頭の中で取捨選択する。

 トレックという男は論理的な言葉を口にしてるが、その根拠となる価値観には雑音とも言える微妙なずれが垣間見える。男の予測ではトレックは今日中に「取り決めに違反しない形で」何かをする意志があると感じ取れた。
 それを止めることも考えた。現状で何かしらのアクションを起こすのはまったく非効率的であり、すり減らした精神と疲労を回復するために休養を取る事こそが効率的な行動というものだ。或いは自己鍛錬も度を過ぎなければいいだろう。そしてそのどちらにも、恐らくトレックの行動は当て嵌まらない。

 しかし、男はこうも考える。
 口で止めても動くときは動くのが人間という生物だ。それは欠落者、非欠落者のどちらでも起こりうる事象だ。故に自分が口出しをして制止することも無駄になり、効率を損なう可能性がある。

 ならば、大事の前の小事として捨て置く。
 トレックには多少危険の伴う事であれ好きにやらせ、代わりにギルティーネを傍に置く。こうすれば仮にどちらかに命の危険があったとて、ギルティーネは優先命令に従ってひとまず生きた状態で彼を連れ帰るだろう。結果的には二人とも手元に戻るのだから問題は何もない。
 あまり外に出したくない貴重な存在ではあるが、先も言った通りトレックの言葉自体は合理的だ。合理的論理と合理的論理がぶつかり合ったとき、生まれるものは泥沼の論争でしかない。なら泥沼を回避する為に相手の意見を受け入れるそぶりを見せておけばそれでいい。

「保険はあるが……念には念を入れて、な」

 生きて都に連れ戻りさえすれば、ひとまず男の役割は終わり、願は成る。

 トレックの望みと、この月が照らす世界の誰かの願が重なり、本人の与り知らぬ盤上で回される運命が二人をまた引き合わせる。

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最近、仕事終わって帰ってきたらたとえ小説のネタがあっても面白く書き上げる余力が残ってないです。人はきっとこうして文字書きを卒業していくんでしょうね。