つぶやき

海戦型
 
妄想物語26
 
 ドレッドは、今になって思えば変わった男だった。
 普通の「欠落持ち」は始めこそ友好的な態度をとるが、会話をすればするほどにその熱は冷めていく。俺の持つ普通の人間特有のしぐさや態度が彼らをそうさせるらしい。しかし結局ドレッドは最後まで俺に友好的な態度を崩さなかった。それは彼が特別だったのか、或いはそのように振る舞う欠落というだけで内心は違ったのか、真相はわからない。おそらく本人が生きていたところで、そのように内心を表に出さない欠落があるのなら絶対的に隠し通すだろう。

 ドレッドは死んだ。彼に陶酔していたステディが涙を流しながらああ言ったのだ。ドレッドは死んだのだろう。しかし、当の彼の死という事実に対して決定的に現実感が欠如していた。少し前まであれほど恐れていた筈なのに、頭の中に転がる死という言葉の重みが試験中と今とではまるで違う。

 俺にとって、ドレッドの会話はついさっきの出来事のようにしか感じられない。
 ふと自分はまだ夢を見ているのではないかと思った。しかし、腫れあがった顔面のひりつくような痛みが先ほどの生々しい暴力の真実味を訴えかけている。

「………なんで死んだのか、確かめないと」

 自分でもどうしてそんなことを思ったのかわからない。
 ただ、自分が試験に合格した実感が沸かず、何一つとして自分の脳裏をよぎる疑問たちに答えが出せないままでいる現状をどうにか打開するために情報を求めたのだと思う。俺は両足に力を込め、未だ倦怠感のある体を無理やり動かして部屋の外に出た。

 廊下には誰もいない。まるで生物そのものが存在しないような不気味さを覚えるが、実際には別の部屋の中からは人のしゃべり声が聞こえる。おそらく兵士か、別の試験合格者の会話だろう。盗み聞きする気も起きないまま廊下をまっすぐ進み、階段から降りる。自分が砦のどこにいるかがわからなかったため、とりあえず砦の入り口を探すことにした。

 しばらく道に沿って探索すると、廊下を歩いている呪法師を見つけた。法衣が砦の兵士と少し違うと思ってよく見ると、それは俺にギルティーネの鍵を預けた教導師だった。あちらは俺の顔を見るなり驚き、そしてあきれたような表情になる。

「なんだそのひどい顔は。じゃがいものように腫れあがっているぞ」
「え……あっ」

 言われて、思い出す。ステディに幾度となく拳で殴られた俺の顔は、自身の想像を超えてひどいことになっていたらしい。鏡がないので確認できないが、取りあえず治癒のために『流』の呪法を顔全体に展開する。

「癒せ、『活性化(アクティバシオン)』」

 『流』の呪法は基本的に治癒に使われる。他人に行使するのは難しいが、自分の体ならば血流を触媒に顔を治癒することなど容易だった。とはいえ、俺の使った呪法は基礎中の基礎の術であるためにそれほど強力なものではないので完全に腫れを癒し切れてはいないだろう。
 使ってから視界が開ける。腫れで想像以上に瞼が圧迫されていたらしい。

「これで大分ましになりましたか、先生?」
「本当に器用な奴だ。五行式すべてを扱えるのは嘘ではないようだな」

 教導師の男性はかすかに驚いたかのように目を細めたが、すぐに元の態度に戻った。

「誰と喧嘩をしたのかは知らないが、まぁ私にとってはどうでもいいことだ。それより手紙は読んだかね?」
「試験合格の手紙、でしたっけ……」
「もう一つの内容だ。それが理由で外に出ていたのではないのか?」

 もう一つの内容――とっさにポケットに乱暴に詰め込んでいた手紙を引っ張り出す。あの時はステディの介入で流し読み程度しか出来なかったが、それほど長い手紙でもないから改めて目を通す。合格通知の後に、新設学科に関しての誘いが書いてある。彼の言っているのはこの返事だろう。

 しかし、トレックは今更になってその手紙に小さく、しかし個人的には大きな事実が書き込まれていることに気付いた。

「『もちろん今度は罪人ではなく、新たなパートナーを付けようと思う』………とは?」
「ああ。元々今回の試験は君の素質を確かめる意味と、君に預けたあの罪人がきちんと使えるのかを試したものでもあったからな。……護衛対象を無事に連れて帰ったまではよかったが、戻った際の君の有様を考えるとやはり『あれ』は安定しない。君にはもっと安定性の高いパートナーを用意するよ」
「つまり、ギルティーネさんとのパートナー契約はこれで終了………?彼女はこれからどうなるんですか?」
「さん付けと来たか。いや、いい。彼女は次の機会があるまで牢屋に逆戻りだ。もう君の手を煩わせることもないだろうし、改めて教育し直しても暴走するならもう使わない。それだけだ。君にはもう関係のない話だから考えなくともいいぞ」

 冷たく突き放すようで、本当は何も感情がこもっていない空っぽの言葉が俺の頭に響いた。
 暴走――暴走とは何のことだろうかと思い、はっとする。彼女が俺の命を助けるために行ったのであろう疾走のことを言っているのだろう。確かにあれのおかげで砦にたどり着いた頃には俺は疲労でぼろぼろだった。
 しかし、道中のギルティーネは細かい部分は別としてしっかり人のいうことを聞いていた。鎧の呪獣の際も彼女は完全に言われた通りに役割を全うしたのに、その決断は早計に過ぎるのではないか。

 あんな暗い場所で髪の手入れもできずに閉じ込められていた女の子にその判断は、あまりに酷すぎる。俺は思わずその言葉に反論しようとした。

「で、でもあれは俺を助けるために仕方なくやったことでしょう。暴走とは――」
「仕方なくだろうと何だろうと、自分の主を息絶え絶えにさせるような行動を取っている時点で安定性が低いとみなすのは自然なことだ。3度目の正直となるかと思ったが、潰しても潰しても人間という生き物は問題が出てくるな。まるで欠陥品の集合体だ」
「……チームプレーも果たしていました。欠陥と断言するには早計でしょう!」
「君たちと直前まで高度を共にしていた3人一組のチームは1名死亡、1名行方不明だ。君の命の確保を優先するあまり周囲に無駄な被害を振りまいた可能性も否めない。それほどデリケートな行動をお求められていないがらこなせなかったというのが事実ではないかね?何を憤っているのか知らないが、声を荒げる必要はないな」
(こいつ………つらつらと、人を道具みたいに……)

 心の奥から熱がこみ上げるのを抑え、俺は唐突にこの男との会話に腹が立つ原因を理解した。

 この男は、俺の話を聞いているが理解していない。

 俺がギルティーネを庇うようなことを言っているというニュアンスを理解せず、ただ言葉として耳に届いた情報に自分の言葉をすり合わせて会話を形式ばったものにしているだけだ。彼にとって俺の意見はどうでもよく、ただ問われたことを機械的に返しているだけだ。恐らく、そういった『欠落』なのだろう。

 視界は開けているのに、意識だけが肉体から離れるかのように遠ざかる。

 俺の戦いは、ギルティーネの戦いでもあった筈だ。俺が試験をどう潜り抜けるかは彼女にかかっていて、俺が彼女をうまく使いこなせなければ彼女に未来はない。そんな状態で、俺は最後の最後に間違ったのだろうか。彼女を牢屋に戻すまいと思ったはずなのに、叶わなかったのだろうか。

 脳裏によぎる、あの人がいてはいけないほどに暗い牢屋。鉄仮面と拘束衣は見ているだけで息苦しくなるほどに窮屈で、まるで女であることを無理やり捨てさせられたようだった。男のベルトには一度俺に預けられた鍵束が収まっている。彼女はまた、あそこに閉じ込められているのだ。

 失われた命。
 失われたパートナー。
 失われた誓い。
 残った、自分だけが得をする道筋。

(ふざけんなよ………なんだよこれ………何一つとして納得できることがないじゃないか!!)

 憤怒にも似たもどかしい感情が胸中で激しくうねる。このままでは自分は何も出来ないままただ単に都に戻るだけで終わってしまう。それに、髪を梳かしてくれたギルティーネの暖かな指先や、最後のチャンスであることを伝えられた時の手の震えが『欠陥』というたった二文字の不要物にカテゴライズされるという事実が、どうしようもなく受け入れがたい。

 無表情で、喋れなくて、謎だらけで、優しいのか狂暴なのか全然理解できなくて、なのに不思議と目が離せない黒髪の少女の顔が脳裏をよぎり、俺は生唾を飲み込んで手に拳を作った。

 どうしてそこまで彼女の立場に自分が拘泥しているのかわからない。
 わからないけれど、心のどこかで「このままでは駄目だ」と叫んでいる自分がいる。
 そしてあの少女の未来を変革出来る可能性があるのは、自分しかいない。

「さて、無駄話はここまでにしてそろそろ手紙の件の返答を――」
「その前にいくつか確認したことがありますので、返答はのちほどに」

 まだ終わっていない。精一杯に知識を絞り、一滴の答えをひねり出せ――トレック・レトリック。
 
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ベルセルクのアニメが始まりました。ストーリーは大筋はあってるけど細かい展開が原作と違う気がします。作画は……悪いとは言わないけれど、よくもないですね。