つぶやき

海戦型
 
費用対効果の話
あけおめ(今更)。
いつものことながら(と言っても久しぶりだけど)誰も待っていない小説の持論を語りましょう。
何だか前に話したことがあるような気もするんですが、自分の呟きを網羅してはいないので……。

費用対効果とは、つまりコストパフォーマンス。「割に合うかどうか」という話です。
小説にも費用対効果があると私は考えています。ただ、それは「どんなジャンルの小説をかけばウケがいいか」とか「ギャグとシリアスのどっちがウケるか」とかそういう統計的な話ではなく、文章の構成の話になります。

すなわち、「いらない描写は書く価値なし」ということ。

中身がスッカラカンな小説は勿論論外です。タチが悪いのが、この中身スッカラカンを誤魔化すように必要もなければ面白くもない描写を申し訳程度に追加している小説です。


現代日本が舞台の時に滅茶苦茶あるのが、まず朝に目が覚めてからご飯を食べて学校へ行くまでの過程を書く人。絶望的に必要ありません。アニメや漫画ではここに家族との会話ややり取り、あるいは人物の独白なんかが入り、そこが話の導入部――起承転結の起の部分となります。

ところが、この導入部の役割を理解せずに書くと……ただ人物が起きて、飯食って、家を出ただけです。面白くもおかしくもありません。限りなく必要ない、見ていて面白くもない、存在する価値のない文章です。労力をかけても面白くならないからカットしましょう。一日の最初から最後までを事細かに描きたいのかもしれませんが、読者にとっては退屈を強いられるだけで有難迷惑です。

同じ理由で家に帰って寝るまでを申し訳程度に書いている人がいます。言うまでもありませんね。別に伝えることがない場合、いらないのです。書いても労力に見合った対価はありません。やめましょう。

また、主人公が一人暮らしでどんなご飯をどのように作って食べたのかを書く人がいます。いりません。よほど食べ物にこだわりのある人やギャグをやりたい人なら話は別ですが、そうでないなら労力の無駄なので一切合財いりません。何をどう作ったかとか取ってつけた様な料理のうんちくや経験談などいりません。何故かって、別にそれを知ったから作品が面白くなるわけではないからです。

また、キャラクター同士の会話なんかがありますが、恐ろしい事に何の中身も詰まっていない上にクスリとも笑えない会話を無駄にさせる人がいます。労力の無駄です。会話とは小説内では人間関係、周囲の状況、感情のぶつかり合いなどの様々な要素を抱えた重要なファクターなんです。だから後に何も繋がらない会話は重要なファクターを無駄遣いしています。やめましょう。

キャラ設定。はい、いらないとは言いませんが簡潔に書きましょう。キャラ設定なんぞ長々と書いても実は何の得もありません。小説のキャラは物語内で明かされる物です。そこで改めて説明する必要は正直殆どありません。設定にだけ書いている話なんて存在しないのと同じことです。よって、書くなら態々1話分の枠など取らずに極めて簡潔に書きましょう。

キャラのレベルとかステータスとか。存在する意味が分かりません。それを描いたから何なんですか?あってもなくても物語は滞りなく進みます。数字で説明しなくて小説内で強くなったことや新しい何かを覚えたことを書けばいいのです。はっきり言いますが、能力値だのステータスだのそんなものは「あれば見る」だけであって「なくたってちゃんと描写すれば困ることはない」のです。態々スクロールバーの無駄遣いをして書いても労力に見合った面白さはありません。


小説にとって、あってもなくてもいい部分――転じて「なくても困らないもの」は基本的に全部蛇足です。それをわざわざ書くと言うのは、無駄なものを追加しているだけです。書いてる時間と文字数が勿体無いので別の所に回しましょう。私も可能な限りいらないものは削いでいます。たぶん全部は削げていませんが、ここで重要なのは「削ぐところは削ぐ」という意識を持つことだと思っています。

費用対効果の悪い文章は書かない。
面白く書くのではなく、面白くならない部分を書かない。
とりあえず今回言いたかったことはそれだけです。

最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。 
海戦型
 
コメントありがとうございますmk-Ⅱ
正直に言うと本当に無駄なことと無駄ではなく意味があることの区別って完璧につけるのは無理だと思います。でもこれだけは断言していい。何の意図もせずにとりあえず書いただけの文章は、読者から見透かされます……。

みなさんやっぱり分かるみたいで、「今回ちょっと書くのダルかったな」って思った話は大体評価が低いです。そしてその話を見直すと必ずそれなりの無駄があります。面白くない文章にあんだけ時間と労力を取られたと思うと、それに気付けなかった自分が怖くなります。 
水音
 
お、おう……
今まさに無駄な文章書き連ねてる駄作者です(萎縮)

費用対効果の計算は現実世界の金策でしか機能しない、しかもその機能もだいぶポンコツな私には無理な案件ですね。自分が好きな3人称神視点が無駄なものを入れやすいので苦労するのもやむなし、ですけど。

SS書いてた頃の自分はどこに行ったのやら……(白目)
 
海戦型
 
コメントありがとうございます
「小説の濃さ」ですか。確かに費用対効果を煮詰めていくとそこに辿り着きますね。私の場合、自分の本当に書きたい部分に気合を入れるためにその他の部分をなるだけ簡潔にしようという意識が根底にあります。
書いていて気付いたんですが、この書き方が一番楽で一番楽しい。自分で書きにくいなぁと思いながら書いている部分は、大体の場合が費用対効果も比例して悪い部分でした。

圧縮する部分が貧相な小説というのは、「これがしたい」という完成形のイメージが希薄なのだと思います。だからなんとなくで書いて全部が希薄になってしまう。もっと面白さを追求すれば内容は自然と濃くなる筈なのです。

キャラ設定を書くのが上手い人は、私は未だに出会ってません。私自身も何度かキャラ設定を書いたことがあるんですが、小説を書く前から設定を決めちゃうとなんだか調子が出ないのでやめました。大雑把な構想は頭の中で、小説が完結したら出せばいいやと思っています。
そして……この界隈ではキャラ設定を出し始めるのは素人と失踪予備軍が圧倒的に多いです。だから潜在的にそう言う苦手意識があるのかもしれません 
Cor Leonis
 
み、耳が痛い……
 仰ること、まったくそのとおりだと思います。私も、以前は本筋と全く関係のない街や人の描写に文字数を割きすぎては、その度に下手すると数千文字の文章を消していた記憶がありますね。何時間もかけてひねり出した文章を、たったワンクリックで綺麗サッパリ消し去るときの空しさといったら、そりゃもう……(溜息)

 若干話がそれかけましたが、私はこの問題というのは、「小説の濃さ」を間違って捉えている人が多い、また「小説を濃くするために文字数を増やす」という、間違ったアドバイスがまかり通っているせいではないかと思っています。
 新人さんと思しき作者さんの感想欄を覗いていると、「文章が薄い。文字数を多くするべき」とか、「地の文を増やしたほうがいい」という感想が書き込まれていることがよくあります。……確かにそういう作品というのは、キャラや描写、説明分等全てがお粗末で、かつ文字数が異常なほど少ない確率が非常に高いのですが、そこじゃあないだろうと。あってもなくても関係ないシーンをただ適当に放り込むのではなく、重要な場面場面を強調し、そうでない場面は簡潔に流す。必要な部分を取捨選択し、可能な限り圧縮して書く。そんな、海戦型さんの仰る費用対効果を煮詰めた結果生まれるのが「小説の濃さ」ではないかと思うのですが……。誰がどういう経緯で言い始めたのかは不明ですが、小説を濃くする――言い換えれば面白くするためには、文字数を増やすのではなく、むしろ削るべきなのだとより多くの作者さんに気付いてほしいものです。
 ……まあ、そもそも圧縮するべき必要な部分すらろくに描かれていない小説も結構あるんですけど(爆)



 後はキャラ設定ですが、個人的にはこれ好きなんですよね。まあ本来本文内で説明するべきことをそちらに丸投げしていることも多いですが、上手い作者さんの書くキャラ紹介や設定集は本当に面白い。本文に描くほどでもなかった過去のエピソードとか、武器や装備の詳細設定とか。そういう、いわば裏設定と呼ばれるものって、結構人を惹きつけるものがあるような気がします。もう一つ付け加えると、ほんの少しながら執筆というものをかじった人間として、あまり表には出てこないキャラや世界観の裏側までがきっちり考えられていることに対して純粋に尊敬の念が湧いてきます。

 というわけでCor Leonisでした。特に考え付かなかったのでオチはなし() 
海戦型
 
遊び心は必要、というのは全面的に同意します
というか、書いてて楽しくない物語なんて他人に読ませても楽しくないに決まってますからね……。
いらない部分を全省き、というのは確かに言い方としては極端に思えます。という訳でちょっと言い方を変えてみます。

一見して意味のなさ気な会話であっても、それが物語の合間の息抜きやちょっとした雰囲気の転換としての役割を持っているのなら、それは不要な物ではありません。また、ふと思いついたクスッと笑えるものを書き足す。これも「ここに書いて笑わせよう」という意図があるんなら、やっぱり不要な物ではありません。
その部分が小説としての良さに繋がっているなら費用対効果は釣り合っています。

「遊び」は人間で言うと体脂肪、多すぎても小さすぎてもよくないので「必要なもの」です。ないと困ります。反面、上で例に挙げたのはあってもなくてもいいもの……無くても困らないもの……転じて、何の役割もないものは違います。役割のないものをわざわざ必要だと思い込んで書いてしまうと、作者側は書くのが面倒だし読者側は読んでも面白くは思わないし……と互いに失う物しかありません。

小説の良さに繋がらない。費用対効果が釣り合いません。イコール、いらない子です。悲しい事にこいつらはどう料理しても美味しくはなりません。つまり、書かない方がいい。残念、合掌。……書きたいのなら役割をちゃんと与えれば費用対効果が釣り合います。

うーん、理屈抜きで感情的な言い方にすると「書くのが面倒な割に面白さに繋がらない部分なんて全部捨ててしまえ。切っても困らないものは切ってしまえ。そうすれば本当に書きたい部分に労力を回せていいことだらけだ!」みたいな話でした。

最近執筆も細々となってますが、応援を力に続けていきます。ありがとうございます。 
黒猫大ちゃん
 
ほぼ同意見ですよ。
 かなり厳しい意見ですけどね。
 特に、起床(異性が起こしに来るパターン) ⇒ 朝食 ⇒ 登校 
 この流れが多いですよね。

 まぁ、擁護する訳ではないのですが、これはキャラ設定や説明の延長線上にあるとは思いますけどね。
 起こしに来る相手の説明(容姿や人間関係など)。朝食のシーンは家族構成や主人公の置かれている立場の説明。登校中なら、街の情景描写やそこで出会う人物の説明など。
 それが出来ているのなら、あまり問題はない、とは思います。
 趣味で書いている範囲内の作品ならばね。

 ……趣味を超えているのなら、其処に某かの伏線を仕込んでいないのなら無駄だと思いますが。
 伏線までは行かなくとも、少なくとも引きぐらいは必要かな、と思いますね。

 キャラのレベルやステータスに関しては……。
 それが表示されている文章は読みません。それは小説ではなく、ゲームのリプレイの類です。
 小説なら、そのレベルやステータスを文章として表現する。それが小説って物でしょう、と考えていますから。

 あっと、最後の部分は少し意見が違うかな。
 なくても困らないものをすべて省いて仕舞うと、非常に簡潔な箇条書きの如き文章が出来上がりますよ。それでは流石に味気ないでしょう。
 矢張り、多少の遊び心は必要かな、と思いますし。
 所詮は趣味の延長線。文字数がどうの、とか、他人から見て面白いか、どうかではなく、自分が書いて居て楽しいかどうか、だと思いますから。

 物語を創ると言う事は楽しい事ばかりじゃありませんからね。
 ……と文字数ばかりが嵩んで、ちっとも物語が進まない辺境作者の自己弁護。

 まぁ、何が面白いかは、その人間の感性です。
 例えば、私は最近のお笑いのほとんどが面白くない、……と感じて居ますが、テレビなどを見ていると、どうもそう言う訳では無さそうだ、と感じさせられる事が結構あります。
 落語などのマクラ ⇒ 本題 ⇒ 落ち この話の流れが我慢出来ない人が多くなったと……。
 おっと、これは個人的な意見だ。これこそ意味がない蛇足だ。

 こんな感じですかね。
 それでは執筆、頑張って下さいね。