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相棒は妹

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志乃「機材買おうか」

 二〇時頃にカラオケ店で五十嵐と別れ、のんびり家に帰ると家族が皆リビングに集結していた。いつもは各々好きな通りに動いているのに、これは一体何事だ?

 そう思ってリビングに近づいてみると、そこから会話が聞こえてきた。

 「まさか伊月が女の子とカラオケに行くなんて……明日はきっと雪が降るわね」

 「あいつも、成長したんだな。良い事じゃないか」

 「私にゃ、からおけちゅーものよりカラーボックスの方が人のため世の中のためになると思ったんだけどねぇ」

 「とりあえず、兄貴を一度押入れの中に放り込む件について、賛成の人は手を挙げて」

 「おい待てあんたら何の話してんの!?」

 思わず首を突っ込んでしまった。いや、ここは話に加わるべきところだ。勝手に押入れに担ぎ込まれたりするよりはマシだ。

 そんな中、俺が悲鳴にも似た声を上げた事で、家族は俺を見て驚いた顔をしていた。まさか、俺が玄関で「ただいま~」を言った事に、そして俺が近くで話をちょっとだけ聞いていたことにすら気付いてなかったの?どんだけ集中してたんだよ。


 「兄貴、いつからそこにいたの。いつから話を聞いてたの」

 「母さんが明日雪が降るだとか言ってた辺りから」

 「なら安心ね」

 「なんにも安心じゃねぇ!俺が返ってくる間に何話してたんだよ!」

 やべえ、今更になって家族が怖くなってきた。この人達、俺を置き去りにして密かに結託してやがった!家族の定義を知らねえのか、この人達は。

 「今俺達は、伊月のこの先について話していたんだよ。お前がこうして平和に学校生活を楽しんでいて……」

 「いや絶対違ぇだろ」

 「私達はね、伊月に彼氏がいるのかなー、っていう話をしてたのよ」

 「いたらこっちがビックリするわ!」

 「私にゃ、伊月の存在よりもカラーボックスの方が人間の生きる糧になると思ったんだけどねぇ」

 「さらっとひでぇ事言われた!」

 というか、人間の生きる糧にカラーボックスも必要ねぇよ。

 「兄貴、明日カラオケ行こ」

 「お、あぁ、んじゃ行くか。……じゃない!話逸らすな」

 ああもう、楽しいひと時を過ごした後にこれか。しかも、今度の相手は面倒な妹を含めた家族全員だ。正直手に負えるかすら分からない。

 とにかく、こいつらが何を話していたのかははっきりしておこう。どうせ、志乃が事の発端なんだろうけどさ。


 「で、皆してここで何を話してたんだ。俺の事だってのは分かってるから、変態親父素直に話せ」

 「な、何で俺を指名するんだ。……まぁいい。志乃、話していいか?」

 「……使えない」

 なんか、家族の格差社会を見た気がする。やっぱりこの家族って、女性が権力握ってるんだな。

 「その、あれだ。志乃からお前が同じクラスの女の子とデートするって聞いてな。緊急会議を開いたんだよ」

 は?デート?おいおい、俺はそんなつもりで五十嵐とカラオケに行ったわけじゃないぞ。志乃の奴、ガセネタ話しやがって。あいつが俺達と一緒に来なかったのはこれが理由か?

 だとしたら、これ、俺に対する嫌がらせ以外何も無いじゃん。

 「まさか恋愛経験イコールこれまでの生涯だった伊月が、この時期に彼女を作るわけが無いって私は言ったんだけどね。志乃が『それは無い。兄貴はモテる』って言い張って」

 母親よ、あんたは俺の事よく分かってる。マジで嬉しい。冒頭の部分は少し悲しいけど。にしても、志乃め、どこまで俺をいたぶるつもりだ……?

 「私にゃ、そんなミミズのうんこ同然な出来事にカラーボックス研究の時間を邪魔されたくなかったんだけどねぇ」

 ……あんた、実の孫に向かってすげぇ事言うな。怒りや悲しみを通り越して呆れるわ。
 で、問題の志乃は、

 「私は包み隠さず事実だけを話した」

 「お前が全部を拗らせたんだよクソ野郎!」

 かくして、俺が全てを偽り無く話し、志乃が嘘を吐いていた事をはっきりさせて、この問題は幕を下ろす事になった。全く、あいつの突発的な嫌がらせにも程があるっての。つか、妹からバカにされる兄ってどうよ。俺、志乃の弟じゃなくて本当に良かった。

 *****

 次の日。四月も中旬に入り、春の陽気が増すこの時期は、花粉がピークを迎えている。俺は目の消毒やコンタクトで何とか花粉症の被害を最小限に抑えている。しかし、一回だけ目の痒みに耐え切れず、思いきり目を掻いてしまった事があった。そうしたら、次の日に目あにで目が開かなくなるという異常事態に飲み込まれ、俺のトラウマ認定第七号となった。以後、俺は何が何でも目を掻かないようにしている。

 そんな、俺にとっては天敵とも言える存在が襲来している春に、俺はいつものようにコンタクトとマスクを付けて外出している。昨日志乃に言われた通り、カラオケをしに行くのだ。

 最初、志乃は冗談交じりに言ったのか、「めんどくさい」と言って拒否していたのだが、俺が課題曲を聴いてほしいと言ったら無言で承諾してくれた。そういう真面目な話はふざけないのだ。

 俺は前の経験を生かしてジャージを着る事は止めたのだが、志乃の体操服普段着状態はいまだに改善されない。本人は「これこそが私の個性」だとか訳の分からん事を言っている。簡単に言えば私服が好きじゃないのだろう。女子なのに変わってるよな。

 いつも通りと言えばいつも通りの変わった組み合わせだが、俺達はそれにとっくに慣れてしまっているため、こういう時は周りの視線が気にならない。むしろ制服着て歩いてる時の方が気になるかもしれない。主に、知人方面で。

 「そういや、動画作りってどうやるんだ?」

 「逆に、兄貴そんな事も知らないで気合い入れてたの?」

 「わりい、とにかく曲覚えるので必死で」

 志乃のジト目から逃れるように目を背け、俺は素直に謝りつつ言い訳をしておく。動画作りのいろはなど、ネットで検索する事すらしていない。

 「機材はネットで注文する。値段が張るから、私と割り勘ね」

 「どんぐらいするの?」

 「私が知ってるのは二五〇〇〇円ぐらいのスターターセット。家電量販店とかにも見られるけど、あれは安いわりに性能良くないからね」

 マジか。俺、なんとなくビックカメラとかヨドバシで買うのかと思ってた。ネット、つまり通販か。経験した事ないな。

 「通販には私が登録してあるから、注文は私名義でやる」

 「おお、それなら安心出来る」

 とにかく、俺は投稿出来るぐらいまでに完璧にしないと。今日は五回ぐらい時間空けて歌おう。

 会話が弾んでいたら、いつの間にか馴染みのカラオケ店に辿り着いていた。事件から一週間もしないうちに営業再開出来るなんて全然思わなかった。普通、ああいう場合って閉店になりそうなものだけど。

 俺は昨日と同じように店員とのやり取りを済ませ、指定された部屋に移動する。カラオケ機器で歌う状態を俺好みに変えたりして、準備を終わらせる。志乃は自分一人でジュースを取りに行ってしまった。

 にしても、ホント室内最高。午後のポカポカした心地良い暖かさは最高なのだが、花粉症というデメリットが俺に負荷を与えてくる。結果、こういう室内空間が一番落ち着くのだ。ありがたき現代。昔の人々の知恵に感謝だ。

 少しして志乃が帰って来たので、次に俺がジュースを取りに部屋を出る。サイダーをグラスに注いで部屋に戻ると、志乃はすでにジュースを飲み干しており、俺とすれ違いでまた部屋を出て行った。そんなに喉渇いてたのかよ。昼飯食ったばっかりじゃん。

 そして、志乃が帰って来ないうちに適当な曲を入力して、マスクを取って歌い始める。序盤は声出しに使うので、採点はしない。俺は声の準備が整うまでに三曲ぐらいで済むので、その先は全国採点を利用して自分の実力を確かめる。

 志乃が途中から部屋に戻ってきて、俺が歌う様子を見ているのかは知らないがずっと沈黙している。最初は少し居心地が悪かったが、今ではこれも慣れていた。

 だが、今日はなんとなくで『普段』をぶっ壊してみる事にした。

 「なぁ、俺が課題曲を九三点以上出したら、志乃が歌うってのはどうだ?」

 そう聞いてみると、これまで地蔵の如く固まっていた志乃は、一気にものすごい露骨に嫌な顔をする。え、そんなに嫌なの?

 「兄貴は私に死んでほしいの?」

 いや、そこまで深刻な話はしていないぞ。俺はただ、お前と賭けみたいな事をしようって言っただけなのに。そんな悲壮感丸出しの顔すんなよ。俺が虐めてるみたいじゃん。

 「たった一度のミスが大きなダメージをもたらす可能性を考えなよ」

 なんかマジな顔して妹が俺に訴えてくる。と、その次には顔を俯け、押し黙ってしまう。何か思うところがあるんだろうか。……俺は今の志乃の発言に少し心当たりがあるわけだが、あえてそれには口を出さない。確かに、今のは失言だったかも。

 「なあ、そんなにヤバい事言った?ま、志乃が嫌なら良いんだけどさ」

 俺が気を取り直して志乃にそう伝えると、志乃は少しだけ顔を上げ、最後には何かを決意したような目を俺に向けてきた。そしてはっきりとした声で宣言する。

 「いいよ、その賭けに乗ってあげる」

 その声を聞いてちょっと楽しくなってきた俺も、調子に乗って言葉を返す。

 「へぇ、いきなりやる気出したな。これまでお前の歌声聞いた事無かったから楽しみだ」

 「でも、その前にハンデ」

 「ハンデ?」

 「兄貴は課題曲を本気で練習してる。だから、もっと到達点を上げてほしい」

 なるほど。俺が提示した点数だと不安なのか。だから九三点じゃなくてちょっと点数を引き上げろと。志乃の奴、何気に俺を褒めているって事に気付いてないの?俺はだいぶ嬉しいよ。言葉に出したら言葉の暴力で返されるから言わないけど。

 「じゃあ、九四点でどう?」

 「もう一声」

 「九四.五点」

 「もういっちょ」

 まるで商品を値切るお客とそれに対応する店員のように、俺と志乃の取引は牛のよだれの如く行われていく。

 「じゃあ、思い切って九六はどうだよ」

 「さすが兄貴、モヤシ野郎だけど太っ腹」

 「イラッ」

 「軽いジョーク」

 こうして俺達の間に協定が生まれ、決戦の火蓋は正式な形で切られる事となった。

 ぶっちゃけた話をすると、昨日八九点を弾き出した俺が九六点なんて出せるわけが無い。そこまでの高得点を出すにはそれなりの時間と練習が必要だし、何より俺自身カラオケの中での最高得点は九五点。ここで自己ベストを出せたらすごいカッコいいが、俺にそんな余裕は無かったりする。

 後ろから感じるプレッシャーに心臓が勝手にバクバク言い始めるが、そんな事で気圧されないように深呼吸をする。これが意外に効果を発揮し、何故かリラックス状態になった。

 曲の前奏が始まり、俺は曲の歌詞に合わせて歌い出した。

 *****

 数分後。

 「何で、何でこんな事……」

 今にも泣きそうな俺に対し、志乃は上から目線のまま下卑た笑みを浮かべている。もはやゲームでよくあるテンプレなボスキャラと同じだった。

 「まだまだみたいだね」

 くっそぉ……あと三点、あと三点だったんだ。それでもやっと九〇点代に乗り込んだ俺を誰か褒めてくれ。

 「兄貴はそのまま腕立て伏せのままでいれば良いだけ。そんなの簡単でしょ」

 「簡単じゃねぇ!お前もやれば分かる!」

 「私は運動嫌いだから」

 それ以外は何も言わせないとばかりに、志乃は俺を睨んでくる。まさかカラオケの室内でこんな事をする日が来ようと誰が予想しただろうか。否。予想する筈も無い。

 「ああもう、針のむしろに据わるような感じだよ」

 「本当だよね」

 「お前は何も辛くねえだろが」

 課題曲を歌い上げた結果、九三点を出した俺は、罰として志乃から腕立て伏せをするような形で十分間耐えるという命令が下った。これは体幹を鍛えるトレーニングとして運動部でやられているものなのだが、久しぶりにやると本当に辛い。今にも腰骨が折れてしまいそうだ。

 俺の呻きと志乃の含み笑いと曲の注文を受けていないテレビ画面から小音で聞こえる宣伝だけで満たされた異質な空間。こんなの、カラオケじゃない。

 その時、突然クスクス笑うのを止めた志乃が、俺に聞こえるぐらいの大きさで呟いた。

 「でも、兄貴それなりに歌えるじゃん」

 「まぁ、な。耳が腐るぐらい聴いてたんだしな」

 「じゃあ、機材買おうか」

 「え?」

 前置きなど無く、単刀直入に本題を持ってきた志乃に、俺は汗を滲ませながら志乃の顔を見る。

 そこには、再び上から目線で俺をバカにしている志乃の姿があったわけだが――口から紡がれる言葉にふざけた色は含まれていなかった。

 「機材。動画作りには必須なアイテム。兄貴はその間にもっと曲の練習をして」

 「分かってるって」

 「なに、その生意気な態度」

 「すんません」

 それから十分が経過し、額から噴きだした汗を腕で拭い、俺は再びマイクを手に取った。

 なんかライブで汗かきながら歌ってるプロみたいな感じだな。

 まぁ、汗の原因はライブじゃなくて腕立て伏せなんだけど。

 ちなみに、志乃が俺の誘いに嫌がっていた理由については聞きはぐった。どうせ、カラオケに慣れてないとかいうテンプレなオチだろうけどさ。 
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