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伊予の秋桜

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第二章


第二章

 その年の秋だった。吉太郎は遂に床に伏した。もう長くはないことは誰の目にも明らかだった。彼はその死の床でまた言うのだった。
「桜の下に行きたいのう」
「桜の下にですか」
「駄目か?」
 看病をする家族に問うた。
「最後に」
「いえ」
「それでは」
 皆それを拒みはしなかった。笑顔で応える。
「桜の下にお連れします」
 跡継ぎでもある長男が述べてきた。
「それで。宜しいのですね」
「うむ」
 吉太郎も笑顔で応える。
「済まぬな。我儘を言って」
「いえ、これ位は」
「そうでございます」
 他の家族も長男に続くようにして吉太郎に声をかけてきた。
「お爺様は今までずっと桜を愛してこられましたから」
「だからこそ」
「だからこそか」
 家族の者達の心が伝わる。それで彼も心からの笑顔になったのであった。
「重ね重ね済まぬ」
「さあ皆」
 長男が家族の音頭を取る。
「お爺様をあの桜の下に」
「はい」
 皆で吉太郎を担ぐ。かつては天を衝かんばかりの大男だった彼が今では痩せこけて今にも折れそうな状態であった。その彼が桜の下に皆に担がれて運ばれるのだった。
 吉太郎は桜の下に運ばれると横たえられたまま桜を見上げていた。秋の桜は当然ながら花を咲かせはしない。ただそこに緑の葉を見せているだけだった。
「折角の桜ですが」
「いや、構わぬ」
 そう家族に返す。
「わしにとって桜が咲いている咲いていないは問題ではないのだ」
「左様ですか」
「そうじゃ。そこに桜があれば満足なのじゃ」
 目を細めさせて桜を見上げながら述べる。
「それだけでな」
「それでも咲いているのが一番ですよね」
 周りにいる孫娘の一人が彼に言ってきた。幼い娘だった。
「やっぱり」
「それは確かにな」
 それについては彼も認めた。
「じゃが。今は秋じゃ」
「それはまあ仕方ありませんわ」
 長男の嫁が彼に答えた。
「やはりそれは」
「それならばいいのじゃ」
 それもよしとした。
「言っても仕方がない」
「ではこのままで宜しいのですね」
 孫息子の一人が述べてきた。
「秋の桜のままで」
「適わぬことを言うつもりはない」
 その言葉は潔くさえあった。
「別にな。ではな」
「はい・・・・・・いや」
「あっ」
 ここで皆異変に気付いた。
「お爺様、何か」
「これは」
「これは・・・・・・何と」
 吉太郎も家族の者達も突如として起こったことに我が目を疑った。目を丸くさせて上を見るのだった。
 それまで緑だった葉が消えてそこには桜の花びら達があった。まるで春のそれのように満開の桜達がそこに咲き誇っていたのである。それは春の景色そのものであった。
「桜が咲いている」
「そんな馬鹿な。夢では」
「いや、夢ではない」
 吉太郎は驚く家族の者達に笑顔で述べた。
「これはまことのことじゃ」
「まことの」
「では本当に桜が」
「うむ。咲いておる」
 目を細めさせての言葉だった。
「まさかな。こんなことが」
「桜からの最後の贈り物なのかも」
 あの幼い孫娘がまた言ってきた。
「最後の?」
「だって。お爺様の最後だから」
 他の家族にも吉太郎にもそう述べた。
「だから桜が」
「そうなのか」
「それで」
 皆娘のその言葉に頷いた。
「咲き誇っているのか」
「だとしたら。何と有り難いことじゃ」
 吉太郎はそのことにあらためて心を奮わせた。そうしてその目に涙をたたえながら言うのだった。
「最後に満開の桜を見られるとは。桜よかたじけない」
 桜は彼の言葉には何も答えない。相変わらず咲き誇っているだけであった。
「これで。心地よく旅立てるわい」
「ではお爺様」
「うむ」
 消え入りそうな声で周りの者達に言う。
「ではな。行って来るぞ」
「ええ、これで」
「皆も桜も。かたじけない」
 そう言い残してゆっくりと目を閉じた。桜花びらはそのまま咲き誇っていた。それから吉太郎の命日には毎年秋だというのに咲き誇った。人々はこれを伊予の秋桜と呼んだ。


伊予の秋桜   完



                2007・9・10
 
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