業は消えて
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第一章
第一章
業は消えて
好き勝手やってきた。それが彼だった。
生まれてからずっとワルで有名でそれこそ何でもしてきた。彼流大三郎は常にそうやって生きてきた。
仕事は表の世界のものではない。はっきりと言えばヤクザである。彼は学校も碌に行かずすぐにその世界に入った。そこで好き勝手やってきたのだ。
出入りにピンハネにポン引き。ありとあらゆることをしてきた。そうして金を腐る程集め舎弟も多く持った。女にも不自由したことがない。
「俺はな」
そのガラの悪い顔でドスを効かせていつも言うのだった。
「何でも好き勝手にやって生きるんだよ」
「それが兄貴ですね」
「おうよ。この世に生まれて好きなことしないと駄目だろうがよ」
舎弟達にもこう語っていた。
「こうして金に女にな。何でも欲しいものは手に入れるんだよ」
「シマも地位もですね」
「そうよ。いいか」
そしてまた言うのだった。得意げな顔で。
「今度の出入りでは島方組の奴等全員バラせ」
「へい」
「それであそこの賭場は俺達のものだ」
「わかりやした。それじゃあ」
殺しも散々やってきた。ヤクザの世界でも有名なワルになっていた。とにかく欲しいものは何でも手に入れてきた。妾にしろ何人もいた。酒も好きなだけ飲んだ。
そうやって長い間生きてきた。自分の手で何人も殺したりもしてきた。それは若くして組長となってからも変わらず己の組を日本でも屈指の組にしてもだった。相変わらず好き勝手に生きていた。
「サツには実弾撃ち込め」
これはつまり賄賂ということだった。
「それで覚醒剤もさばけ、いいな」
当然ながら麻薬の密売もやった。売れるものは何でもうりやれることは何でもやった。こうして彼は日本の裏世界の顔役の一人にまでなった。ところがだった。
還暦を過ぎて暫く経った頃のことだった。自身の豪邸で急に倒れてしまったのだ。
倒れた原因は脳梗塞だった。日々の不摂生な暮らしも影響していた。何しろ長い間美食と美酒、それに女に囲まれていたのだ。それで何もない筈がなかった。
倒れてから彼は急に弱っていった。何とか退院できたが身体の動きは不自由になり満足に日常の生活を送ることさえできなくなってしまっていたのだ。
「組長もああなったらな」
「ああ、終わりだな」
「そうだな」
それまで彼の周りにいた側近達は次々に離れていった。気付けば日本でも有数の組織だったのが見る影もなくなっていた。愛人達もいなくなり屋敷に残っているのは僅かだった。
「そうか。女房もか」
「いなくなりました」
気付けば正妻もいなくなっていた。僅かに残っている家の者が答えるのだった。
「奥様は実家にです。これを置いていって」
「そうか。それか」
見ればそれは離婚届だった。それを置いてということの意味するものは一つであった。
「長い間好き勝手やって顧み見なかった奴だがな」
「御子息も娘さん達も」
「もう誰も残っていないのだな」
「皆さんおやっさんの仕事を嫌っていましたから」
その手段を選ばないやり方は子供達からも嫌われていたのだ。元々ヤクザという仕事そのものが彼等に嫌われていたのである。
「ですから」
「そうか。誰もか」
彼はそれを聞いてあらためて思うのだった。
「いなくなったんだな」
「組はもうありません」
このことも告げられた。
「全部若頭なりが独立して持って行きました」
「残ったのは何もないか」
彼は言った。
「何一つとしてか」
「金位はありますが」
男が言ってきた。
「あとこの屋敷も」
「残ったのはその二つだけか」
言葉は何故か澄んでいた。周りには誰もおらずがらんとしたものだった。残っているのは彼と僅かな者達だけなのであった。
「そうか」
「どうします?これから」
「御前達も他の場所に行け」
彼は告げた。
「いいな。他の場所にだ」
「他のといいますと」
「金はやる。他の場所で生きるんだな」
「じゃあおやっさんは」
「俺のことは気にするな」
彼はこうも言うのだった。
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