鋼殻のレギオス IFの物語
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第六話
外で武芸者たちが戦っている中、シェルター内は静かだった。
地下シェルター内には会議室や医務室など一通りの施設がある。それらを繋ぐ通路をレイフォンたち三人は歩いていた。
ぶっちゃけると暇だったのだ。
雰囲気は陰鬱だし取り分けすることがさほどあるわけでもない。暇つぶしに何かしようにも不安げな生徒たちの近くでする気もしない。
そのため中を見てまわろうとなったのだ。
他の生徒達は皆そんな気も起きないのか通路には他の姿は見えない。
証明で照らされた無機質な道が続き、所々に曲がり角や扉などがある。
気分のままにクラリーベルは適当に道を進み扉を開けたりしていく。
「色々あるなあ」
シェルターはそこまで手狭な空間ではない。上の都市とは比べ物にはならないが、それでも人の居住空間としての広さがある。
階層建てになっており、小さな地下都市の様にも思えた。
其処此処に伸びた通路は閉鎖感こそあるが、意識せねば窮屈さを感じぬ程度には幅と高さがある。
閉鎖感のある場所ばかりでなく、中には扉を開けた先には開けた空間がある時もある。
手すりの先に地面はなく、見下ろすと広い空間がそこには開いていた。
貯水槽や養殖用の生簀、その水の緊急時の確保先だろうか。
周囲が壁などで覆われていることには変わりないがる天井は高く、広い。
所々に太い支柱があり、非常灯の明かりが奥にまで長く続いている。
見下ろしていると背中の荷物が動いた気がして改めて背負い直す。
「余り覗き込むと落ちるよ」
「宜しくないですねそれは。それはそうと下降りれば戦えそうですね」
「ね、じゃないよ。しないからそんなこと」
呆れたようにレイフォンは言う。
「取り付く島もありませんね。ほら、柱がいい障害物に」
「逃げるよあんまり言うなら。それに柱が壊れるよここ」
「ここからなら二人がよく見えると思う」
「うん、やる前提の会話はやめようか」
通路に戻る。
まだ歩いていない道、通っていない経路、登っていない階段を優先的に選び進んでいく。
通っていいのかわからない場所まで通っていく。
「階段結構ありますね。えっと、今大体三……いや、降りたりしたから二階? いえ、地下三階?」
「……一応聞きますけど、今どこにいるか分かってよね?」
「練り歩いていればいずれは全て既知の道となりますから。それにこれ」
通路に時たまある案内の標識をクラリーベルは叩く。
だがそれは遠まわしに分かっていないということじゃないのだろうか。
隣を歩くアイシャが言う。
「レイフォン、大丈夫。来た道は覚えているから平気」
それなら良かったとレイフォンは安堵する。
「気が楽になったよ。そう言えば聞いてなかったけど何でジャージ?」
「時間がなかったから。これ最近の寝巻き。バイトで色々あって、汚れてシャワー浴びてたらサイレンが」
随分と動きやすそうな格好のアイシャが答える。
「学生服が水浸しでしたよね。そう言えば何があったんですか」
「簡単に言うと……バイト先で事件があって、その犯人を追ったら池に落ちた」
「短絡されすぎてよくわかりませんが色々あったんですね。というか楽しそうですねそれ」
三人が適当な会話をしていると、ふとそこに別の声が入ってくる。
『随分楽しそうですが、何をやっているんですかあなたたちは』
声の方を向くと小さな花びらが舞っていた。
正確には花片の形をした念威端子だ。
聞こえてくる声も前に聞いたことのある人物のものだ。
「分かりませんか。探検ですよフェリ」
『それはまた、随分と気楽なことで』
感情を探るのが難しい平坦な声では無かった。
それにはどこか疲れと呆れ、そして僅かだが焦燥が混じっていた。
「で、わざわざ来たってことは何かあったんですか?」
『……戦況が思わしくありません。既に多数の重軽傷者が出ています。私が見ている範囲でも、ちぎれた腕や足が幾つも転がっています』
「そんな、ありえません」
誇張でないことはフェリの声で分かった。
ついレイフォンは言葉を漏らしてしまう。
クラリーベルがレイフォンの肩を軽く叩き終わりを告げ、フェリに問う。
「すみませんが、今の戦況をもう少し聞いてもいいですか」
『汚染獣……幼生体は未だ千体以上残っています。小隊を中心とした迎撃部隊が外縁部に展開していますが、時間とともに損傷は増大。現状まだ外縁部で抑えられていますが時間の問題かと』
「原因は経験不足でしょうか」
『それに加え単純に物量の差かと。ある程度は数を減らせましたが疲労と損傷は蓄積し続けますので』
仮に半数を撃てていたとして、こっちの損傷も半数では割に合わない。
それまでと同じ労力を要求されるのに五割の力しかないのでは力押しで潰されるだけだ。
『小隊が受け持った区域で損傷が低いのは一番隊、五番隊、七番隊、十七番隊の三隊です。それ以外は既に迎撃といえる体ではなく、戦線の維持をしていると言ったほうが正しい状態です』
「随分と目の届いた報告をどうも。よくわかりました」
持ち主の動揺を表すように端子が小さく宙で揺れる。
「私たちの思っていたより頼りないのですね。仕方のないことですが。それで、ここへは生徒会長にでも?」
『いえ……ただ少し気になったもので』
「深く聞くつもりはないので結構。それと、ここへはどのように」
『空調といいますか、空気の入れ替えのために僅かですが隙間が。ですがその道は端子でもなければ通れませんし、出ても都市の上ではなく真横近くです』
クラリーベルは思考を巡らすように虚空を見る。
「アイシャさん。一番近い出口がどこだか分かりますか」
「角を二つ戻った所。けど、近くに人の姿もあった。それに機械の操作もある」
「ですよねぇ。それに中にも人は必要ですし」
「それ、私がやってもいいよ」
「それはどうも。ですが最後の手段で」
レイフォン置いてけぼりで会話が進んでいく。
「フェリ、私たちが通れそうな道ってありますか。無論正規の道でなく」
『通常の道はありません。ダクトなども途中で行き止まりになっています。そもそも外部からの侵攻を守るための場所です。臭いを感知されないためにも密封された空間ですので』
最もな話である。そうほいほい通れる道があったらシェルターの意味がない。
『ですが幾つか工具があれば可能かもしれません。少し調べましたが、空気循環用のダクトで十分な広さの場所が。幾つかボルトや溶接された箇所を壊せば出られそうです。案内しましょうか?』
「お願いします。工具は専門のものですよね。点検用にどこかに置いてあれば……」
「私が探してくる」
アイシャが走っていく。恐らくだが場所の予測がついているのだろう。
レイフォンは現状確認のためクラリーベルに聞く。
「外に出るってことでいいの?」
「ええ。結構まずいみたいなので私たちで汚染獣の迎撃をします。外までの道はフェリに案内して貰います」
「普通に出るわけには……」
「その場合、私たちの事情を話す必要があります。一般教養科の生徒を言われるまま出さないでしょう」
当然のように――敢えてぶっきらぼうにクラリーベルが言う。
「出てさえしまえば誤魔化せますが……ま、これを最後にツェルニを去るというのでしたらお好きにどうぞ」
仮に出口付近にいる彼らを気絶させたとして、出口の開閉は他の場所にいる人にも感知される。
気づかれる前に出られても締める人間も必要となる。
アイシャがそれを受けるといったがそうすれば今度はそちらに矛先が行くだろう。
変に正体が知られたとして、女王の命令を守るには他都市へ行くしかないだろう。
もしもの時には自分で判断していいと言われたが「もしもの時」が終わった後どうするかは別だ。
その時は知り合いがいるこの都市を捨てろとクラリーベルは言う。
「フェリに頼みたいことがあるのですが」
クラリーベルがフェリに頼み事をする。
「……僕からも一ついいですか」
思い出したことをレイフォンもフェリに伝える。
二つの頼み事をフェリは了承する。
「そういえばそれありましたね」
「うん。一応考えておいたほうがいいかなって」
少ししてアイシャが工具箱を持って戻ってきた。
フェリの案内で入口となる通気口がある天井の下まで歩いていく。
周囲を見回し、クラリーベルはジャンプすると壁を蹴って天井の出っ張りにぶら下がる。そのまま通気口の入口を外すとするりと中に入る。
「私も――」
「アイシャはここまでだよ。剄を使えない人がいても足手まといだと思うから」
工具を自分のバックに移しながらレイフォンが言う。
同じように壁を蹴って上がろうとしていたアイシャがその足を止める。
汚染獣がいる場所に一般人がいていい事などない。錬金鋼技師なら後方待機も出来るがそういうわけでもないのだ。
「馬鹿にするわけじゃないんだ。けどそういう人たちを守るのが僕たちの役目で……同じ孤児院の人間なら、僕にとっては特にそうだから」
孤児院での在籍期間はレイフォンにとってそこまで絶対の違いではない。
無論、相手の印象としての大小はある。
在籍して直ぐにどこかへ消えた者、他の場所に移った者、体が保たなかった者。
レイフォンは色々な相手を見てきた。
孤児として確かな支えがないからこそ、互の支え合いが大事な場所だった。
同じ境遇の相手へのシンパシーもあったのかもしれない。
共にいた時間ではなく「そこに居た」という事実が、レイフォンにとっては大きな要因の一つだった。
レイフォンの言葉を聞いたアイシャは小さく頷き、バックからタオルを取り出す。
「レイフォンがそういうなら分かった。これ、持って行って」
「なにこれ」
「多分だけど、使うと思う。クラリーベルにも渡しておいて」
取り敢えずレイフォンは受け取りバッグの中にねじ込む。
通気口からクラリーベルが顔を出す。
「そう言えばゲームはレイフォンの負けですよ」
「……」
「視線そらしても無しにはなりませんよ。アイシャさんと私で一個ずつ何か罰ゲーム出しますから」
口角を上げるクラリーベルが一体何を要求してくるのかレイフォンには少し怖かった。
『ゲームってなんのことですか?』
「暇だから三人でしりとりしてたんですよ。単語じゃなくて会話で」
『……本当に暇だったんですねあなたたち』
呆れた声でフェリが言う。
壁を蹴って点検口の穴に捕まり、体を小さく揺らしたかと思うとそのまま中に入っていく。
アイシャに軽く手を振りレイフォンは通気口を締めた。
二人が点検口の中に消えて行って暫く。
閉じた蓋から視線をそらさずアイシャは見つめ続けていた。
どれだけ経っただろうか。
見回りの生徒がアイシャを見つけ、それに気づき駆け足で近寄る。
「おい、大丈夫か」
上を向いていた視線が声の方を向く。
頬を伝っていたそれが流れを変え、雫となり足元へと落ちていく。
朱い斑点がポツリポツリと数を増やしていく。
「目を何かにぶつけたのか」
血はアイシャの右眼から流れていた。
額から頬へ眼を割るように薄らと走った疵と眼から滲み出て筋を作っていた。
ジャージの裾がそれを吸い、黒い染みができている。
反応がないアイシャの傷を見るべく生徒は手を伸ばす。だがその手は眼を覆う髪に触れる前に叩き落される。
不躾だったかと生徒は手を引っ込める。
「血が出ているから止めたほうがいい」
「……こんなの、直ぐに止まる」
事実、足元に出来る斑は数を減らしていた。
ハンカチを出し乱暴にアイシャは頬を拭う。
「そ、そうか。だが医務室に行ったほうが良いと思うぞ。案内して――」
「分かるからいいよ。一人で行く」
踵を返しアイシャは生徒の横を通る。
その背に疑問の声が飛び足が止まる。
「何かにぶつけたのなら教えて貰えると助かる。故障箇所でもあるなら直さないといけないんだ」
故障箇所は今からできる。
だが、それをいう必要はない。
「ぶつけたわけじゃない。古傷みたいなものだから」
「ならいい。それと何故、こんな場所に居たんだ」
「散歩」
首を捻りアイシャが見ていた場所を生徒は眺める。
改めて背を向けアイシャは歩き出す。
医務室はそれなりの繁盛をしていた。
緊急事態によるストレスや都震の際に怪我をした者たちだろう。並べられたベッドも半分近くが埋まっている。
その内の一つに知った顔を見つけアイシャは近づいていく。
「どうしたのミィ」
「アイちゃんか。私は付き添いだよ」
ベッド横の椅子に座るミィフィが答える。
カーテンを少し開け覗き込むとベッドには二人の共通の友人である少女が眠っていた。
頭まで布団を被っている。
「倒れたの?」
「うん。異常事態と、後は人が多かったからそれもかな。ストレスだってさ」
生来の気の弱さと、不運な事柄が原因で少女は偶にこういう風に倒れる。稀にあるいつものことだ。
普段ならばナルキもいるのだが彼女は武芸者だ。ミィフィがずっと付き添っていたのだろう。
「アイちゃんはどうして……ああ」
アイシャの目元を見てミィフィは納得する。
それも稀にあるいつもの事だった。
「古傷だっけ。また開いたんだ」
「うん。でももう止まったから平気」
「原因とかわからないけど大変だね。服も汚れちゃってるし。というか何故ジャージ」
既に血は止まっていた。何度もあったことだ。理由も分かっている。
アイシャは傷をわざわざ医療科の生徒に見せる気はなかった。あの場で追求されるのが面倒だったから来たに過ぎない。
することもなくベッドで眠る友人の姿をアイシャは眺める。
「メイは倒れちゃうし、ナッキは戦ってるし、アイちゃんも怪我が開くし」
心配げな瞳をミィフィはアイシャに向ける。
「……倒れないでよ」
「いつものことだから慣れてる。鍛えてるし大丈夫だよ」
「確かに足速いよねアイちゃん。って、それは関係ないか」
ミィフィが立ち上がり伸びをする。
いつも元気なミィフィも流石に堪えているのだろう。浮かべる笑顔にもどこか疲れが浮かんでいた。
「付き添い変わるよ」
「んー、じゃあお願い。まあ眠っちゃったし、好きに戻っていいからね」
ミィフィが医務室から出ていく。
アイシャはミィフィが座っていた椅子に腰を下ろす。
確かにすることなどないのだろう。邪魔にならぬようベッドの頭側に椅子を動かし、アイシャはバッグから本を取り出す。
警報が鳴ってアパートを出る際、テーブルの上に置いてあった読みかけの小説だ。
偶々目に付いたから入れておいたが暇潰しにはなる。
元々残りは少ない。
本が終盤に差し掛かった頃、アイシャを呼ぶ声が横から届いた。
「何読んでるの?」
起きた友人がカーテンの隙間からアイシャを見ていた。
隙間を少しだけ大きくしアイシャはカバーを取って本の背を見せる。
「……『肉の胎動』? えっと、面白いのアイちゃん」
「面白いよ。頭を使わないで読める」
布団から出した顔を近づけ、少女は背表紙のあらすじを視線で追う。
「起こした? それと体はどう」
「何となく起きちゃっただけだから気にしないで。それとまだ少し、辛いかな。ごめんね」
「気にしてない。寝てたほうがいいよメイ」
本の続きをアイシャは読み進める。
今度は布団から顔を出し、少女は仰向けにベッドになる。丸まっていた体が伸び、豊かな双丘が布団越しに主張する。
少女の視線は横にいるアイシャを向いている。
「どんなお話なのか聞いていい?」
「よくあるミステリー。人が死んだり、強盗が起こったりしてそれを解決する話。探偵とその部下が主役」
解決パートまでは基本、定番の流れだ。
事件に巻き込まれた主人公二人組が容疑者たちと話し、証拠を探していく。
その間にも被害者は増えていき、いずれ二人は事件を推理する真相にたどり着く。
最初に部下が推理を披露し、そのあらを探偵が指摘し本当のトリックと真犯人を暴く、という流れだ。
「難しそうなお話だね」
「ううん。探偵が筋肉信奉者で、事件のトリックを力技で解決する。頭は使わない」
理解できていない少女にその部分を見せる。
首吊り死体のトリックを暴く部分だ。一人では無理だからとテコの原理を部下が解説し、その次のページで探偵が盛り上がった筋肉を晒し太い腕で人を高くまで括り上げていた。
基本的に部下が理詰めの推理をし、探偵が筋肉で全てを説明する流れだ。
犯人も探偵側の人間であり、隠した筋肉を探偵の眼力とシンパシーで看破するのだ。
「……推理もの、なんだよね」
「推理物だよ」
頭を使わないミステリーという矛盾だが、そこそこ人気があるのだ。
おっとりとした雰囲気を与えるタレ目と眉で精一杯の怪訝な表情を浮かべ、少女は改めてベッドに横たわる。
そのまま暫しの沈黙が流れ。
最後の項にアイシャの指がかかり、それをめくる音が響く。
「ナッキ、大丈夫かな」
ポツリと、少女が言う。
彼女たちの中で唯一武芸者であるその友人は今も外で汚染獣と戦っている。
それが少女には心配なのだ。
「その本、探偵さんが悪い人を捕まえるんだよね」
「そうなる」
「最後には皆が助かって、続くんだよね」
怖いのだろう。
物語の中では主人公が勝ち、悪役は負ける。
だが今直面しているそれは善悪があるそれではなく、単なる生存競争だ。
現実の世界では、どちからが勝つことを約束されていることなどない。
戦っている友人が死ぬかもしれない。
シェルターに押し入られ、喰われるかもしれない。
その不安が少女には恐ろしいのだ。
都市民を守る武芸者を正義側に。ならば敵は悪側に。
善悪に別れ正義が勝ち悪が負ける。そんな物語の世界を夢見たいのだ。
「大丈夫だよ」
最後の文字に目を通して顔を上げ、アイシャは少女を見る。
安心させるように告げる。
正義の味方は勝つのだと。
そう告げ、アイシャは本を閉じた。
点検口の先は明かりが届かず酷く暗かった。
フェリの念威端子が発する僅かな光に映されたのは周囲を無数の配管が走る空間だ。
稼働中の配管が伝える小さな振動の唸り声。澱んだ空気に伝わる配管の熱。
蒸し暑い中をフェリに先導されてレイフォンたちは進んだ。
縦へと伸びた空間を登り壁を開け奥へ進み、入りくねった道を歩きダクトの中を這った。
そして今、レイフォン達は通気口の中にいた。
前にいるクラリーベルはスパナを持ち、行き止まりの蓋を閉めているボルトを外しにかかっている。
酷く蒸し暑かった。
稼働している機械の熱と、密閉空間にいる人間の熱。じわりと汗が出てくる。
蓋を止めるボルトは特殊な形で難儀しているようだ。
「ンー」
カチャリカチャリと音が響く。
暗闇の中に浮かぶクラリーベルの顔には汗が浮かび、暑さにほんのりと赤らんでいた。
通気口の中は一人ずつなら入れる程度の大きさで長く続く急勾配だ。レイフォンとクラリーベルは両足で側面を押し体を支えている。
首を傾けるのに疲れ、レイフォンはクラリーベルの手元から視線を下ろす。
足を掛けている反対に背を預け頭を後ろに付ける。
そのまま虚空を眺め、暗闇に浮かんできた色の違う所に視線を止めながら取り留めのない思考をする。
外はどうなっているのか。今はどの辺りなのか。
ふと、レイフォンの耳元で声がした。
『ゴミが』
新たに一つ入ってきたのだろう。フェリの端子があった。
再度、レイフォンの耳に増量された小さな罵倒が届く。
『ゴミクズが』
「え……」
『体勢と状況を考えなさい』
言われるまま罵倒された理由をレイフォンは考える。
前には未だガンガンやっているクラリーベルがいる。レイフォンはその後ろでクラリーベルと同じように足で体を支えている。
手空きで虚空を眺めながら考え事を……
(……)
再度、状況を整理する。
レイフォンの前にはクラリーベルがいる。四方を囲まれた空間の急斜面だ。
体を支えるにはレイフォンがしているように左右の壁に踵をかけるのが楽である。
そして今、レイフォンは頭を後ろに付けたせいで視線は虚空を、斜め上を向いているのである。
問・色の違う場所はなぜ色が違うのか。
答えが出るまでの間、視線はそこにとどまる。
意識が向かったことで視覚が無意識に活剄で強化され、ぼやけた藍色のそれとその周囲が鮮明に映る。
藍色の左右から伸びているのは二本の脚ではないか。
ならばぴっちりフィットしている藍色のアレはスが付くあれではないのか。
そこから浮かび上がるラインはパの付くアレではないのか。
腕を上げる姿勢のせいで裾が上がったアレはブラウスで、裾が上がったせいで下からだと隙間が云々。
雷鳴の如き閃きが神降りし、レイフォンは自分の状況を劇的に理解する。
答・暗闇ではなくスの付く布だからである。
黙ってレイフォンは視線を逸らす。
『ゴミクズが』
大事なことだから三回言いました。
冷たい声に何も言い返せず黙る。気まずさから目を閉じる。
「ぅん、ぁ……ンん。……っ、ン」
酷く手古摺っているらしく時折悩む声が漏れる。
クラリーベル自身態と出しているのではない。閉じた口の奥、喉元で小さくくぐもらせているだけで本来なら聞こえるはずもない音だ。
だが、そのせいで変に艶を感じさせる声になっていた。
他に音もない暗闇の中だ。更に視界を閉じたことで鋭敏になっていたレイフォンの聴覚ははっきりとその声を拾ってしまう。
無性にレイフォンは更に居心地が悪くなる。
端的に言うとエロかった。
目を閉じたことで先ほど見てしまった光景が脳裏に浮かんでくる。
こんな時ばかり記憶能力はオーバークロック。そこに声も合わさり要らぬ想像がフルブースト。
目を開けるべきか否か。
活剄を切ればいいだけなのに葛藤する。
ふと、レイフォンはクラリーベルが息を吸う音を聞いた。
「フンッ!!」
金属がへし折れる音が響く。
堪えを切らしたクラリーベルが力技で蓋を開けたのだ。
クラリーベルの動く気配に合わせそそくさとレイフォンも続き蓋から出る。
あらぬ方を向いてクラリーベルから視線を逸らす。
「……何か向こうが一瞬明るくなりませんでした」
「非常灯でも光ったんじゃないですか」
『引っかかる反応は有りませんよ。適当なこと言っても忘れませんので』
正直、話題を変えたいだけでなんとなくそんな風に見えた、という程度でしかなかった。
釘を刺されレイフォンは黙る。
すると、少し声色を変えたフェリが言った。
『すみませんが事情が変わりました。防衛ラインを突破され、数匹汚染獣が市街部へ抜けたようです』
事実ならば緊急事態だった。
聞けば既に何度か防衛ラインを超えられてはいたらしい。
一度目は何とか止め、二度目は質量兵器を使用。
だが幼生体の体当たりを受け質量兵器の装置が損壊。そのまま抜けられたという。
「マズイですね」
『はい。それに人員も足りません。少し強引に近道をします』
端子が進み、通路の途中で止まる。
『ここの壁を二枚ほどぶち破って下さい。そうすれば直ぐに機関部に出られます』
「いいんですかそれ」
『時間がありませんので。ここが一番薄く壊しやすいかと』
クラリーベルがレイフォンを振り返る。
「レイフォンがぶっ壊してください。単純な破壊ならそっちの方が楽かと」
「分かった。すぐに壊すから下がってて」
動いていたほうが気が紛れるとレイフォンは請け負う。
余計な破壊をせぬよう気を沈め神経を集中し、一点に集めた衝剄を壁にぶつける。
鈍い音と共に壁に大きな亀裂が入る。
そこを穿つのは活剄とパッションで強化した渾身の蹴りである。ついでに一緒に衝剄もぶつけてみる。
そうすると耐久を超えた衝撃に壁には十分な大きさの穴が空き、反対側の通路が顔を覗かせる。
同じようにもう一枚も破壊する。
『……薄いといっても結構厚かったんですけどね』
ぼそりとフェリが呟く。
機関部に入りフェリの念威端子が数枚合流する。
無人の機関部には非常灯が薄暗く点っていた。
僅かな明かりの中、縦横無尽に配管が走っている光景が薄らと浮かび上がる。
まるで血管のようだと気味の悪ささえ感じてしまう。血の流れる先には都市を動かす心臓があるのだろう。遥か昔の錬金術師が作った再現不可能なブラックボックスが。
最も、今考えることではないが。
レイフォンたちはフェリの先導を受け機関部を抜け外へ出る。
『幼生体が来るのは前方の角を右……いえ、左に抜けた方です』
「どうしたのクラリーベル。何かある?」
辺りを見回すクラリーベルにレイフォンが言う。
「いえ別に……レイフォンは錬金鋼を取りに行ってください。私は他の用を済ませます」
「中に入った幼生体はどうする?」
「それも私が。行く途中で見つけた場合はそちらで。それとバッグは置いといたほうがいいかと」
それもそうだとバッグを近くに置きレイフォンはアパートの方へ向かった。
レイフォンが走っていくのを見てクラリーベルも動く。
『都市内部に侵入した汚染獣は真っ直ぐにシェルターの入口の方へ向かっています』
告げられた方向はレイフォンが向かったのとは逆だ。
示された方へ走ろうとしたときフェリからの報告が入る。
『一つ目の頼みが終わりました。中継します』
同時、済ました声が端子から聞こえてきた。
『用は何かなロンスマイア君。今は非常に忙しいのだが』
「でしょうね知ってます」
カリアンに対し端子越しにクラリーベルは答える。
フェリに頼んでいたことの一つは生徒会長であるカリアンとの一対一の通話だ。
クラリーベルは口角を上げ酷く嫌味ったらしい言葉を選んで会話を続ける。
「既存の戦力じゃ足りずに都市内への侵入を許したとか。マズイんじゃないですかねこれは」
『フェリか。何をしていると思ったらそんなことを』
「初めてのシェルターを楽しんでいたのですが……ツェルニの武芸者じゃシェルターが意味を成しそうに無いとは怖い話です。あなたは戦争に勝つために生徒会長になったのですよね。武芸の質がこれでは何か成せた事があるんですか?」
『生憎だが見え透いた煽りを受ける気もないし無意味な会話は好かない』
さっさと本題を話せと催促される。
無駄なことを話している時間がないのは事実だ。クラリーベルとしてもそれは理解している
「では簡潔に――戦力は要りませんか?」
『対価を、ということかい』
「話が早い。嫌なら別にいいですよ」
『払うのは吝かではない。こちらとしても君たちを探していたところだ。だが現状では君たちは戦わざるを得ないと思うが』
「最終的には、ですよそれは。妥協点を探るのもいいですがそこまで一体何人が餌になるでしょう」
血で臭いを隠し悲鳴で足音を消し騒乱に気配を紛れさせる。
正体の隠蔽に力を入れるなら何人が喰われ混乱を待ってからの方が楽だ。
クラリーベルの言葉を補足するようにフェリから連絡が入る。
『二つ目の頼みの結果が出ました。雄生体と思わしき汚染獣が数匹ツェルニに向かっています』
『ッ、その情報はどういうことかな』
「幼生体の討伐に時間をかけるとこうなることがあるんですよ。子への栄養が第一だがそれが困難ならば種の繁栄を、という本能でもあるのでしょうか」
追い討ちをかけるようにクラリーベルは言う。
「雄性体は飛べますよ。死者が増えますねぇ」
一呼吸ほどの時間、カリアンの声が止まる。
カリアンの性格を考えるに最初から返答は決まっていたはずだ。ならばクラリーベルの意図に思考を飛ばした時間だろう。
そしてその時間さえ惜しく無意味。それゆえのひと呼吸。
『受けよう。対価は何を』
「正規の報酬を。数が多いのでその分追加で」
『当然それは払わせて貰うよ』
「それと錬金鋼の所持許可を。武芸科以外の帯剣は許可されていませんので。整備の機材か技師の都合も」
禁止事項だからだろう。それとも法科に所属する都市の長だからか。
カリアンは即答しなかった。
『十七小隊の技師とは知り合いだろう? そっちは自由にしたまえ。所持自体も禁止されていない。だが規則違反の承認は無理だ。……無理だが、生憎私は目が悪くてね。眼鏡の度も強い。君たちの行いが「偶々」目に入らない事があっても仕方がないことだ』
白々しくカリアンが言う。
それで十分だとクラリーベルは思う。この会話はフェリに頼んで録音して貰っている。本来は明言させるのが好ましかったが妥協点だろう。表に出せばカリアンへの攻撃材料になる。
仮に兄を思ったフェリにデータを破棄されてもこの事実さえクラリーベルの中にあれば良い。
情を蹴り他都市に行く上での理由になる。
規則違反を盾に口出しされる可能性を潰したかったクラリーベルとしては十分だ。
「そうだ、ついでに休みください。働いた分の休暇ってことで」
『元々被害規模に応じて休学期間を設ける予定だよ。それよりすぐに動いてくれ。シェルターも開けさせる』
「それはいいです。言ってませんでしたがもう外にいるので」
走り続けて建物の屋根の上から体を宙に舞わせて下に降りる。その背後には今は閉じているシェルターへの入口がある。
汚染獣が通るはずの広い道の上でクラリーベルは待ち構える。
「最初から幼生体は倒すつもりです。要求を拒否されても動くつもりでしたので」
『つまり、ありもしない仮定で脅したのか』
「都市民の命を賭け金にするわけないでしょう。武芸者としてシェルターの人間への害は全力で排除します。あなたが優柔不断でなくて助かりました」
最も、本来都市民を守るはずの武芸者たちの命は優先度が別だけれど。
クラリーベルは心の中でつぶやく。
それはそうと、カリアンからは一体どれだけ利己的でがめつい人間だと思われていたのか。
視界の先、道の角に幼生体が姿を現す。真っ直ぐにクラリーベルの方へと向かってくる。
数匹の幼生体とともに幾つかの念威端子の姿も見える。
「あー、そりゃそうですよね。忘れてました」
このままでは普通に念威端子越しにバレてしまう。シェルターをこっそり出た意味がない。
何かないかと考え、ふと服の中に突っ込んでおいたタオルの存在を思い出す。
引き出してよくよく見てみれば顔に巻けるだけの長さがあった。
「……配慮が行き届いてますねえ」
タオルを顔に巻いてクラリーベルは目だけ出した状態にする。
『間抜けな強盗みたいですね』
「黙りなさい。会長は周辺の武芸者の撤退と、雄生体の存在の隠蔽を」
『了解した。また後で連絡しよう。それと、先に言っておくが一部には隠しきれない』
君たちの存在も。そんな含みのある言葉を最後にカリアンの声が切れる。
全てをカリアン一人で動かせるとは思っていない。それに、どこまで話すかでカリアンへの信頼の目安にもなる。
クラリーベルは近づく幼生体を改めて視界に収める。
衝剄を放ちそれが着弾すると同時、腰元に隠していた錬金鋼を抜き、復元を意味する言葉で己が武器をその手に喚ぶ。
そして、地を蹴った。
念威越しにその姿を一瞬だけ見る事が出来た者達は理解が出来なかっただろう。
化物の進路を塞ぐように立つ小さな存在。サイズも数も違う道端の石ころ程の障害物。
踏み潰され生きたまま食われ死ぬと予測した彼らの記録は、けれど突然化物たちの殻に大きな罅が入ったところでジャミングを受けて終わる。
ジャミングが終わったのはそれから三分後のこと。
映されたのは砕かれた殻と切り刻まれたその中身。誰もいないシェルターの入口前で死に絶えた汚染獣たちの姿だけが残されていた。
その直後、都市内に入った汚染獣への部隊派遣の撤退命令が下された。
だから、最後まで彼らはそこで何があったのは知る事は出来なかった。
「頼んでおいたことはどうなりましたか」
都市内に入った幼生体を一掃したクラリーベルはカリアンに告げる。
『都市外戦闘服は用意させたよ。錬金鋼の方もハーレイ君を一人テントに残すように言った。服もそこに届けさせる』
「それはどうも。雄生体と……そう言えば雌性体の方は」
ハーレイがいる場所へ向かいながらクラリーベルは聞く。
幼生体を生んだ巣の主である雌性体。生んだ傷で恐らくいずれ死ぬだろうが早く殺さなければ雄生体を呼び続けてしまう。
『雌性体の情報は先ほど上がって来た。大凡の場所も特定できて共有している。雄生体は私と会議室にいる各部の長だけしか知らないよ』
「まあ妥協点はその辺でしょうね」
『雌性体の件はこちらで隊を組んで処理しよう。君たちは雄生体と外縁部の幼生体の方を』
「幼生体は全部ですか?」
『可能ならそこまで頼みたいが、ある程度減らして貰う程度でいい。内部に入り込んだ方もそうだが、質量兵器というか『汚染獣用の秘密特殊兵器』を使用したということにするのでね』
それでどう誤魔化せるのかは知らないが、その仕事はカリアン側に丸投げで良いかとクラリーベルは考える。
「秘密兵器って良い響きですよね。何も言わなくていいあたり。良いと思います」
『全くだね。理由に使う以上、商業科と錬金科の長に君たちのこともある程度話さざるを得なかったよ』
同意させてからの後出しに嫌らしさを感じてしまうのは考えすぎだろうか。
「一つ、追加で頼んでいいですか? テントに届けて欲しいのですが」
『必要なものなら用意させてもらうよ』
嫌われてしまうだろうか。
そう思ったが、クラリーベルは構わずに言った。
「雄生体用に念威操者を。出来る限り有能な人で」
カリアンが直ぐに答える。
『フェリでは駄目だと? 理由があるんだね』
「はい」
『分かった。直ぐに』
簡潔で短な応答。カリアンも応じたそれは横槍を想定してのことだ。
『どういうことか聞いてもよろしいでしょうか』
後方支援の技師たちがいるテントに到着する。
周囲を伺いながら気配が一つだけなのを確認してクラリーベルは言われていたテントの中に入る。
中にいたのはハーレイだけだ。色々な機材が置いてあり、タオルを取ったクラリーベルに気づきハーレイは軽く手を上げる。
「フェリ、ここまでありがとうございました。フェリ自身も汚染獣との戦闘をしたくないのでしょう」
『……そうですね。ですが、事情を知る人間を増やしたくなかったのでは?』
「フェリは信用してますけど、それより大事なことがありますから」
クラリーベルは戦闘用の都市外装備を手に取る。
長い間使われていなかったのか服には埃がついていた。グレンダンの物よりも大きくゴテゴテとしているように感じられる。
穴でも空いているんじゃないか。そう心配になり確認しながら服を着ていく。
「命は大事ですので。都市の中、外縁部などならいいのですが外での戦闘ですから」
『それは私では無理だと』
シェルター内に始まり都市内部に侵入した幼生体への案内までしてきたのだ。フェリとしては自分に頼まれると思っていたのだろう。
汚染獣との戦闘に関わるのを嫌うフェリがそれを断るにせよ、当然の流れとしてそれがあるのだと。
だからこそ、端から相手にされていなかった事に思うことがあるのだ。
何故なのだと。
食い下がるフェリに、クラリーベルは嘆息してそれを言う。
「フェリ、あなた一体どこにいます?」
『どこ、とは』
「外縁部の仲間の補佐もせず一体どこに逃げてるのかって話ですよ」
フェリの言葉が止まる。
「私たちが外に出たとき道を間違えかけましたよね。あれ、端子で見たんじゃなく目視出来る場所にいたんじゃないですか。街中に何故居たんですか」
念威操者は戦闘要員ではなく最前線に出る必要はない。
だが、だからといって外縁部から遠く離れた街中にいるのは話が違う。
最初からおかしかったのだ。自分の担当区域以外の場所の情報も伝聞でなく実際に見たような口調だった。兄である会長が実力者で小隊員のフェリが何をしているのか掴めていなかったのもおかしな話だ。
念威操者としての人生を押し付けられるのが嫌だと言っていたフェリは、その思いのままに行動したのだ。
それでも思うところがあったのか、最低限の体裁を保つためかはわからない。
嫌った同類への助力をし、隠れた先から戦況を覗き見していたのだろう。
「雄性体は幼生体と比べずっと危険です。治療が望める外縁部と一撃さえ受けてはならない外では危険度がまるで違う。実力的には問題ありませんが、不安要素があるなら削いでおきたい」
シェルターを目視出来るほど近くにいたのはその中に居たかったという思いからだろう。そしてシェルターの中に端子を向かわせたのも、自分に叶わなかった道にいる二人が羨ましかったから。
シェルターの外に出る案内を買ったのも、幼生体迎撃の補佐をしたのもそれに似た理由から。
自分の願いとは違うが、なし崩し的にそうなるなら――そうせざるを得ないなら。
仕方がないことだ。頼まれるなら引き受けようか。
そんな受身な考えが、彼女なりのある種のルールがあったのかもしれない。
嫌った相手だがそれでも、と。そんな擦り寄りだったのかもしれない。
だが。
「勘違いするな、私たちはあなたの理由になるつもりはない。そんなものに命はちょっと預けられませんね」
『ッ、勝手な理由を言うならあなただって錬金鋼を』
「それは今関係ありませんよ」
クラリーベルは言い放つ。
「戦場で足がすくむ人も、震えて涙を流す人もいます。今外縁部にいる人たちだって怖いでしょう。どうせならその端子でご覧なさいな。怪我をして何人か死んでいるかもしれません」
服を着終わりメット被る。隙間が出来ぬよう服の部分と連結させる。
「それでもその人たちは今も武器を手にその場所で戦っているんです。逃げた人と震えながらでもずっと戦っている人、どっちの方が背中を預けられるかって話ですよ」
信用と信頼は違う。
土壇場で逃げられてかなわない。そう告げる。
都市外装備の着心地はさほど悪くはなかった。少しばかりの動きづらさというか、違和感はあるがすぐに慣れるだろう。
これでタオルで顔を隠さずに済むとクラリーベルは思う。
そう言えば返事がない。気づけばフェリの端子はいなくなっていた。
言いすぎたか。そう思いかけるが別にいいかとすぐに流す。
「簡単な点検はしといたけどその服どう?」
「動く分には問題ないです」
ハーレイと話しているとレイフォンが入ってくる。
クラリーベルと同じようにタオルを顔に巻いている。
「街中で見たら即通報しますねこれ」
「これから強盗しますって全身で表現してるよね」
「流石に酷くない二人共」
レイフォンは刃引きを外す必要がある錬金鋼をハーレイに渡して都市外装備を着ていく。
「レイフォンは幼生体と雄生体どっちが好きですか?」
「え? ああ、二手に分かれるってことか。空飛んでくるだろうから雄生体は僕の方がいいと思う。弓使えるし」
「じゃあそれで」
服を着終わったレイフォンが動作を確かめるように体を動かす。
ハーレイが錬金鋼を持ってレイフォンに近づく。
「……勝てる、よね。僕たちさ」
ハーレイがレイフォンを見ていう。
長く続く戦闘への不安とストレスは後方待機の人間にも辛いのだろう。ハーレイの顔には疲れと不安が見えていた。
戦況が良くないことも一層それに拍車をかけている。
「大丈夫ですよ。外縁部にいる武芸者と僕たちが何とかします。きっと勝ちます」
「雄生体……幼生体が育った汚染獣だっけ。それもいるんだね。時間が経つごとに実感が沸いてくる。知っている人が死ぬと思うと怖いよ。ニーナたちが今戦っているのに、僕は後ろで待つしかできない」
出された錬金鋼をレイフォンは受け取り剣帯に差す。
疲れたように椅子に座るハーレイにクラリーベルは言う。
「レイフォンが言ったように大丈夫ですから気にしないで下さい」
「きっと君たちなら問題はないんだろうね。ごめん、勝手なお願いだけど頼むよ」
「はい。それにちゃんとここにいてくれるだけで充分です。謝る必要も気に必要もありません」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。……ただ、フェリのことは責めすぎないであげて欲しいかな。僕にとっては小隊の仲間だし、多少は理解できるから」
あくまでお願いなのだろう。困ったようにハーレイが言う。
「善処します。それとさっきの雄性体の件、私たちが処理するのであまり口外しないようお願いします」
わかっているとばかりにハーレイは軽く手を上げる。
「……あ、そうだ。レイフォン、試作の錬金鋼持ってきてるけど使う?」
「結構です」
準備が整ったのを見計らったようにテントの外から小さな声が聞こえた。
『あの、会長さんからの要請はここでよろしいでしょうか……』
恐る恐るといった風に念威端子が入ってくる。
フェリの端子が花の花片ならこれは鳥の羽毛だろう。
端子を通し空気を伝わって来るのは柔らかな女性の声だ。
『第七小隊のリント・フィオナと言います。よろしくお願いしますね』
外縁部に入る少し手前にある建物の上。
武芸者たちと幼生体との戦いが見える位置にレイフォンはいた。
既に錬金鋼は展開している。装備も不足なく、このまま都市の外に出られる状態だ。
『外縁部を突っ切る時、適当に幼生体を切りながら行って下さい』
「どのくらい切ったほうがいい?」
『進路上にいる分は好きなだけ。残った分は私が受け持ちますので』
接続された端子から外縁部の情報が送られ図が示される。
現状位置から見て進路は第一小隊と第五小隊が受け持つ区画を斜めに横切る。
遠くから特大の剄を『秘密で特殊な質量兵器』と題して幼生体の中にぶち込み、その間に駆け抜ける手順だ。
『タイミングを見て一部の照明と念威端子の邪魔をするので欲張って下さい。ゴルネオ・ルッケンスと会長経由で武芸科長には話しましたので』
つまりはバレないように好き放題して後処理は放り投げればいいということ。
負傷者の関係で小隊の受け持ち箇所微妙に変わっていた幸運故の手抜きだ。
『じゃあそういうことで』
クラリーベルとの中継が途切れる。バレないように武芸者たちに混じりつつ幼生体を減らすのが向こうの役割だ。
どんなルートで通っていこうかとレイフォンは図を見る。
聞いた情報では幼生体はまだ六七割残っているらしい。百くらいは切って行ったほうが良いだろう。だが大回りしたら見つかる可能性がある。
錬金鋼に剄を込めながらあーでもないこーでもないと考えていると図にルートが示される。
『これでどうでしょうか』
端子の持ち主によって二三のルートを示される。
それに加え、該当区の武芸者の位置を表した点が図に加えられる。
幾つか言葉を交わしレイフォンは大まかなルートを決める。
それを見ながらレイフォンは剄脈に静かに火を入れていく。十分なだけの量の剄を全身と錬金鋼に、それでいて気づかれぬように外に出さずに巡らせていく。
視界の端にカウントが出される。
レイフォンは立ち上がり、このために用意された武器を静かに持ち上げる。
それや鎗だ。白味を帯びたそれは白金錬金鋼で出来ていることを示している。
剄の収束率が高い錬金鋼だが、それでもなお処理しきれぬ過剰な剄が集中し穂先から赤く変色していく。
錬金鋼の許容量を見極め、探るように、耐えなく剄が流れ込んでいく。
足を大きく開き腰を引き、足を大地に根付かせ、上体を僅かに捻り反らせる。
柄を握る手を頭の後ろに下げ、鎗を構える。
灼熱を通り越した穂先が発光し融解を始めかける寸前。
カウントがゼロとなるのと同時に踏み込み、足型の罅を刻む。歯を食いしばらせレイフォンはそれを投擲する。
鎗は光の矢となり幼生体の群れの中へと到達。
外縁部の地面に触れた瞬間、爆ぜる。
さながら榴弾を撃ち込んだ様だった。
錬金鋼が崩壊し爆発。抑える殻を失った剄が周囲に破壊の渦を撒き散らす。
巻き込まれた幼生体の躰がバラバラに千切ていく。
その結果を確認するより早く。
鎗を投擲した時には既に、レイフォンは走り出していた。
足元に置いていた剣を拾い、地面へ罅を増やし、その場からレイフォンの姿が消える。
――内力系活剄変化・旋剄
明かりが落ちた暗闇の中を疾風のごとく駆ける。
誰一人として気づかれることなくレイフォンは武芸者たちの隙間を抜け先頭集団に到達。そこにいたゴルネオの姿を横目で確認しながら対敵していた幼生体の横を駆け抜ける。
瞬間、その幼生体の体に線が入りその動きが止まる。
それを疑問に思った武芸者たちの前で静かにその線は大きくなり体液が漏れていく。
不審に思った一人が放った衝剄は真っ直ぐにぶつかり――幼生体の体が上下にズレ、落ちた。
誰も気づかぬうちに幼生体は死んでいた。
ツェルニの武芸者たちが苦戦した甲殻が砂糖細工のように中身ごと砕かれ、両断されその死体を晒していた。
それが一刀の元に成されたと気づいた者はいなかっただろう。
レイフォンは駆ける。
幼生体の群れの中を背を低くして駆け、すれ違うそれらに剣を走らせ個体に線を刻み時を止めていく。
振るう剣は水面を走らせるようにスラリと幼生体の殻に刃を通し肉を断ち、放つ剄は脆いガラスを打つように砕いていく。
剣が、剄の刃が、戦場を走っていく。
進路を塞ぐようにいる幼生体の手前で進路を変えるべく地を蹴り体を廻す。
旋回に合わせ剣が舞い、刃の先から剄が周囲へ放たれる。
――クライン流・刃濤朧火
レイフォンを中心に空間に衝剄が波紋となって円状に広がり、周囲の幼生体へと伝わっていく。
不定で揺らぐ剄の焔は進路上にある幼生体の躰へ染み入り、中で刃となり切り裂く。伝播した剄は通り抜けてその先へも広がっていく。
その結果を見ることもせず、レイフォンは一時も止まらずに幼生体の群れの中を駆けていく。
真っ直ぐに、時にジグザグに、時に幼生体の殻を足場として蹴り。
刃の通り道を骸道としながらレイフォンは外縁部の終へとたどり着く。
勢いのままにレイフォンは飛び出し、都市の脚部へと跳ぶ。
僅かに弧を描く脚部の側面を地として蹴り、走り瞬く間にレイフォンは都市表面の下へ。
それを確認してからレイフォンは手の内にある黒鋼錬金鋼の剣を見る。刃は赤く熱を帯びていた。少しでも多く切ろうと剄を思った以上に込めすぎたようだ。
黒鋼錬金鋼を待機状態に戻し剣帯に差し、青石錬金鋼を手に取る。一際強く地を蹴り呟く。
「レストレーション02」
現れたのは刃のない柄だけの剣だ。
否、正しくは刃がないのではない。そう錯覚するほどに細く分裂し鋼糸の群れへと姿を変えたのだ。
鋼糸を都市の脚などに絡ませ擬似的な足場とし落ちていく体を制御する。
レイフォンは大地へと駆け下りていった。
剄の発光が薄らと目に焼きついている。
だが、それが剄によるものだと何人気づいただろう。
殆どの者は新種の榴弾か、或いは電磁砲か。そのあたりの質量兵器だと思っただろう。
纏う光も摩擦による発光か電気によるものだと思ったはずだ。
何せ、そんなことが成せるほどの剄を知らないのだから。
(化物が)
ゴルネオは心中で吐き捨てる。
相対していた個体を含め、風が吹いたと思ったら第五小隊の受け持ち区画の幼生体の多くが死んでいた。
まるで風が殺したかのように、その骸はほぼ一直線上に築かれていた。
(化物共が)
その惨状を見て再度、ゴルネオは吐き捨てる。
ゴルネオの目の前にある個体には様々な傷があった。何度も攻撃を重ね殻を破り肉を抉っていたのだから当然だろう。
それをあざ笑うかのような大きな痕が刻まれ、それが目の前の個体を殺していた。
あわや両断寸前というそれが剣による傷だとゴルネオだけは知っている。
それもたった一太刀による有様なのだと。
事前に連絡を受け、存在を知っていなければゴルネオも気づかなかっただろう。それほどに一瞬で気配も微弱だった。
念威操者から情報が伝達される。
彼ら自身、何が起こったのか分からないのだろう。築かれた骸は外縁部の端まで及び、百近くにまで上ることが呆けた声で伝えられる。
余りの場違いさにゴルネオは奥歯が砕けそうなほど噛み締める。
今に至るまで何人もの武芸者が血を流し命を賭けて戦った。腕を失った者も意識が戻らない者もいる。
それをたった一人が。ほんの僅かな間に。
受け持ちの数が減ったことでヴァンゼから他の区画への援護要請がゴルネオに伝えられる。
残った幼生体の数と現状の被害。それを見てゴルネオは端子を通し指示を下す。
「第一から第五までの部隊は引き続きここを受け持つ。それ以外は指定された区画へ迎え」
振り分けは念威操者に任せゴルネオは未だ残る幼生体に向かう。
シャンテと呼吸を合わせ接近。槍から放たれた剄と刃が脚を吹き飛ばし、その隙にゴルネオは頭部に拳をあて剄を撃ち込み殻を砕く。
数を繰り返したことで動作は洗練され最初に比べれば手際は良くなっていた。甲殻を砕くのも早くなっている。
だが、その程度だ。
致命打には遠く、幾度も撃ち込まねば殺せない現状は変わっていない。
敵の数を考えれば酷く楽にはなっていた。
嬉しさはある。感謝の気持ちはある。
だがそれと同時に苛立ちもあった。
――脆すぎてつまらないからだよ
それら全てを上回る、しょうがないのだという、ずっと昔から抱く諦観の念も。
比べる方が愚かなのだ。
それを知っている。
――外力系衝剄の化錬変化・蛇流
だから、何一つ普段と変わらずゴルネオは拳を振るう。
先の一撃で幼生体に付けた剄の糸。それを通し拳の衝撃を撃ち込む。
突如の一撃に頭の肉を揺らされた相手に接近し、割れた殻から覗く肉へ真っ直ぐに手刀を打つ。
ドロリとした肉を脇入りその手は脳にまで届く。
届き、剄を内側から爆ぜさせ腸までかき回す。潰れた脳を掴み、引きずり出すように拳を抜く。
そうして、目の前の化物を殺す。
最後の足掻きと向かう脚の爪を躱し、握ったそれをその場に放り捨て大きく後ろに下がる。
ふと痛みを覚え見れば、腕に甲殻の破片が刺さっていた。
舌打ちをしてゴルネオはそれを抜く。
この程度のキズは既に全身にある。幼生体の体液を何度も被り、既にどこから血が流れているのかさえ分からない。
それでもゴルネオは未だ動ける。
度合いでいえば殆ど無傷とさえ言える。
四肢は健在。指も手足で二十。意識も良好。
敵である化物は未だ多数。
それがこの場におけるゴルネオの状況で、惨状だ。
(化物共が)
行き先のない言葉を再度、ゴルネオは呟いた。
(……バレてないよね)
大地を走りながらレイフォンは心の中で呟く。
レイフォンは鋼糸が使えるということをクラリーベルに教えていない。見せたことも無い。ツェルニでも訓練はしているがバレないよう基本部屋の中でしかしていない。
サヴァリスのこともあり、知られて得になることがないだろうからだ。
レイフォンの鋼糸の腕はそれなりだが未だまともな実戦で使ったことはない。
使えたならば幼生体も多く減らせたかもしれないが、近くに武芸者たちが多数いた状況で信頼の置ききれない凶器を使うわけには行かない。
腕に刻まれた傷跡と、下手をすれば大怪我をさせていたニーナの事がレイフォンの記憶には残っている。
先ほどの結果のデータが送られてくる。大凡目論見どおりの数を倒せたようだ。
『妨害は上手くいったと思います。他の念威操者の方には多分気づかれなかったと……その、多分でごめんなさい』
「そんな気にしないでください。変なこと頼んだのはこっちですから」
聞こえてきた申し訳なさそうな声にレイフォンは返す。
念威操者にしては感情がとてもわかり易い相手だなとなんとなく思う。
下まで降りきりレイフォンは鋼糸を回収して荒野を走り出す。
雄性体の位置情報が表示される。一直線にツェルニへ向かっている様だ。
このまま二十分も走ればぶつかるだろう。
『時間もあるので良ければ暫く話し相手になりますよ』
視界に映るのはひどく殺風景な風景だ。荒野からは地面と岩石が顔を並べ、見える山々は荒れた山肌を晒している。
そんな場所を走っているだけでは暇だという心遣いといったところか。
「じゃあクラリー……あー、向こうはどうなってますか」
そう言えば名前を言っていいのだろうかとレイフォンは言い換える。顔は見られているので今更でしかないが。
そんな心情が分かったのだろう。小さく笑ったリントの声が聞こえた。
『会長から詮索するなと言われてるので都合良く忘れますね。向こうの彼女は君が外に出ると同時に動きました。私も頑張って他の念威操者の方々の邪魔をしています。繋ぎましょうか?』
「結構です。それと出来ればですけど、さっきの鋼糸のことは秘密にしてくれませんか。色々ありまして」
『色々あるのなら仕方ありませんね。私も実は秘密が色々あるので分かりました』
ノリのいい御仁である。
『さっきのは鋼糸って言うんですね。君もですが、二人共強いね。何故ツェルニへ? 君たちの故郷は強い人ばかりなんですか? それと……ああ、ごめんなさい。詮索するな、でしたね。汚染獣を簡単に倒すから気になって。凄く強くて羨ましくてつい』
「それはどうも。でもフィオナ先輩も優秀だと思いますよ」
本人から聞いた話ではリントは第七小隊に所属する念威操者だ。
念威操者にしては感情豊かに話すリントが雄生体迎撃の補佐役に選ばれたのは優秀だからだろう。
幼生体や雄生体の位置情報の詳細な探索。それに加え他の念威操者へのジャミング。フルフェイスのメット越しに見える調整された視界もクリアで周辺の地理状況も映し出されている。聞けば雌性体を発見したのもリントだとか。
明らかに学生のレベルを超えた力量だ。
『……ありがとうございます』
少し間が空きリントが礼を言う。
『君の故郷はどんな所か聞いてもいいですか? 好きな光景はありますか』
「よく喋りますね」
『好奇心旺盛だとよく言われます。皆が見ているのはどんな世界なのか興味があるんです』
まあそれくらいならいいかとレイフォンは思う。
さっきの今だ、ぼやかしても文句はないだろう。
「都市の中心に大きな建物があってそこからの景色が結構印象的でした。レギオスの中と外が全然違って。それと……好きといえば違うんですけど、道場がもう一度見たいです」
『道場ですか。武芸者の皆さんはそういった場所で武芸を習ったのでしょうね』
「僕が覚えてる故郷の景色って歩く範囲ぐらいで、結構古臭い建物が並んでたなくらいしか。そういう目で見たことが少なくて。念威操者の方が景色とかは色々詳しいんじゃないですか。レギオスの中も外も好きにその目で見れて」
サヴァリスによる命懸けの鬼ごっこで色んな場所に追い立てられたがそれでも一部だ。王宮を挟んだ反対側になど行ったことはない。
だが念威操者ならその場にいるまま端子を通して好きな場所を見ることができる。汚染物質が充満するエアフィルターの外の大地も機械の眼で好きに探索できる。
端子越しなら静止画や動画のデータとしての記録も出来る。拡大縮小や解析などもだ。
そういった点では少し羨ましくも感じる。
『その目で、ですか……確かにそうなのでしょうね』
もうそろそろ半分ほど過ぎただろう。振り返れば視界に映るツェルニはとても小さくなっていた。
外縁部の戦闘がどうなっているのだろう。クラリーベルが好きに動いているのだろう。念威操者でないレイフォンにそれを見る術はない。
何箇所も何十箇所も同時に見れるというのは一体どんな世界なのだろう。
『私の故郷は都市の名前になるほど水に恵まれ、水路が張り巡らされています。水が染み出た人目につかない空間がありまして、私はそこが好きですね。薄らと光る花がたくさん咲いていて……帰れたら、見たいなあ』
「都市によって色々違うんですね」
ツェルニに来るまでに見た都市の話などを適当に話しながら時間を潰す。
暫くしてレイフォンは足を止める。
視線を上げた先、未だ点ほどの大きさでしかないが空を飛んでいる汚染獣の姿が見えた。
事前の情報と同じで数は四。このまま待っていれば直ぐに距離は詰まるだろう。
レイフォンは腰に下げていた袋を破り中身を風に乗せる。人の血などが混ざっており汚染獣を誘導する為のものだ。
最も、効果が有るかといえば必ずしもそうではないが。
(進路が明らかにツェルニに向けて真っ直ぐだ。餌の数的にもこっちは無視されるな)
まずは撃ち落とさなければ戦いづらくてしょうがない。
レイフォンは剣帯から青石錬金鋼を取り出す。
取り出す際、別の錬金鋼に手が当たる。
(そう言えばこれどうしよう)
ハーレイから渡された錬金鋼を見てレイフォンは思う。
要らないといったのだが押し付けられたのだ。
以前にテスターをしたことがあるので使う分には問題無いがどうしたものか。
「レストレーション…………04」
間を置いて呟かれた言葉に呼応し錬金鋼が弓の形で復元される。
合っていて良かったとレイフォンは内心思う。青石錬金鋼には幾つもの形状が登録されているのだが、基本的にレイフォンは剣と鋼糸くらいしか使わない。
そのため02以降のどの番号がどれだかうろ覚えだった。他人が見ているところで間違えなくてよかったとレイフォンの心に安堵が走る。
ちゃんと覚えておかないと。
そう思うのを最後に、レイフォンは呼吸と同時に心を切り替える。
復元された弓には矢がなかった。
金属質で無骨なその大弓をレイフォンは構え、そのまま空を飛ぶ汚染獣に向け弦を引く。
武芸者が引く弓に矢はない。矢を持たないと言ったほうが正しいだろう。
銃と同じで武芸者自身の剄が矢となり放たれるのだ。
それゆえ熟練者であるほど矢に置く剄の比重が高く、弦を弾く馬手に回す剄は低くなる。
己の肉体の力だけでその強弓を引けるようになるまで何度となく弦が肉を裂き骨に掛かる。指を落とす者もいる。
最も、レイフォンは剣士であり弓は専門ではない。
十分に弦を引き絞っていくと剄が矢の形となって番えられる。その切っ先を空へ向ける。
見据えるのは射程距離にまで入った雄生体だ。
甲虫に似た体躯をしていた幼生体と違い、雄生体はどちらかといえば爬虫類に似た体躯をしている。
老生体のことも考えれば進化や脱皮の過程で通常の生物とは全く異なる成長を遂げているのだろう。
幼生体の数倍の大きさの体躯により頑強になった甲殻。蛇のように裂けた口腔は人を丸呑み出来るほどに広がる。
その背には複数対の翼が並び、幼生体時より飛ぶことに特化している。胴体の左右には鋭い爪を備えた脚が頭から尾まで生えている。
グレンダンにいた時、何度となくレイフォンが戦った相手だ。
改めて見れば雄生体は標準的な大きさだ。どれも雄性二期といったところだろう。
番えた矢を、レイフォンは指が痛みを訴えるよりも先に放つ。
――剛射・燕的
弓の射る訓練をするときまず動かぬものを撃ち、次に動くものを撃つ。
その時身近な目標として鳥を撃てる様になれと言われることが多い。
燕的は弓の基本技である剛射をそれになぞらえ発展させた、弓を使うものなら殆どのものが使える技だ。
レイフォンが放った剄の矢が四つに割れる。
本来標的の逃げ道を塞ぐように弧を描き向かうそれらはそのまま進み、先頭を飛んでいた雄生体の体を穿つ。
流石にこの距離と本職ではない武器では打ち落とす事は出来なかったようだ。だが撃たれた個体は身じろぎし次第に高度が下がって来ている。
レイフォンは連射し残りの個体の高度も落とす。
更に追撃を放ち続けると汚染獣たちは襲撃者を障害だと思ったのだろう。レイフォンの方へと進路が変わる。
レイフォンは青石錬金鋼を左手に持ち変え、右手で剣帯から黒鋼錬金鋼を出す。
「レストレーション02」
青石錬金鋼を弓から鋼糸に変えレイフォンは鋼糸を宙に走らせる。
都市外における鋼糸を使った初めての実戦だ。
どの程度使えるのか被害が出ない状況で試してみたかったが、今は自分ひとりと好条件だ。
自分を喰らうために高度を下げ突進して来る雄性体をレイフォンは見据える。一直線に降下してくるそれは鋭い風切り音さえ聞こえてきそうなほど。
一息に噛み砕かんと深く、人一人など容易く飲み込むほどに開かれた口。岩石を砕き鋼鉄にさえ痕を残す頑強なアギトが見る者を威圧し、刺さる獲物の自重で自然とその肉を切り裂いていくノコギリ状の牙がさめざめと晒される。
真っ直ぐに落ちてくるそれを待ち構え、レイフォンは目の前の地面に向け衝剄を放つ。
舞い上げられた土砂が辺り一面に舞い視界を砂塵が侵す。
突如目の前にいた襲撃者の姿を見失った雄生体たちは混乱する。
後ろにいた雄性体は地面にぶつかる前に体制を崩しながら体を止める。だが先頭にいた一体はその勢いのままに敵対者がいたはずの地面にそのまま頭から衝突する。
「レストレーション01」
それを見ながら強化した脚力で真上に跳んでいたレイフォンは右手の黒鋼錬金鋼を剣に復元する。
未だ土煙は収まらず外の視界は最悪だ。だがリントの補助を受けているレイフォンの視界はクリアに映っている。
地面に埋まっていた頭を抜き羽を羽ばたかせようとしていた個体に接近。空へと持ち上げられていた頭へと剣を撃ち込む。
軽い手応えとともに刺さった刃はそのまま振り抜かれ、頭から体の半ばまで一閃して切り裂き抜ける。
レイフォンは青石錬金鋼を手から離し、地についた足を回し柄を両手で握る。返す刃で藻掻くその体に一文字に刃を走らせ半ばまで両断する。
直後、雄生体の体が一瞬浮いたかと思うと断末魔の叫びが響き渡る。
体液の飛沫を辺り一面に飛ばしながら雄生体の体が裂け目から真っ二つに千切れる。
狙い通り鋼糸が絡んだことをレイフォンは確認する。目の前の個体と同じく土煙の中にいる三体にも鋼糸は絡んでおり、体制を立て直そうと藻掻く三体の力で引かれて千切れたのだ。
飛ぼうと地面から浮かんだ雄生体たちの体が止まる。汚染獣たちの力が拮抗しているのだ。
中心にある青石錬金鋼が宙に浮かぶ。
(流石にまだ鋼糸じゃ切れないか)
鋼糸の先で藻掻いている個体を見据え、レイフォンは剄を巡らせる。
――内力系活剄変化・旋剄
足場にした岩石が崩壊するほどの脚力で蹴り、次の瞬間にはレイフォンはその個体の前に現れ剣を振り抜く。
走り抜けながら振るわれた刃は横からその体にスルリと入り、レイフォンが浮いた体の下を通り抜けると同時に反対側に抜け頭部を切り落とす。
動かなくなったその体が地に落ち、残った二体に引きずられる途中で鈍い音がしてその体が投げ出される。
手を離し剄の供給が消えていたために鋼糸が切られたのだ。
拘束を解かれた二体が羽を羽ばたかせる。
「ちっ」
レイフォンは舌打ちし落ちてきた青石錬金鋼を走りながら回収する。
既に土煙は収まりかけていた。浴びた雄生体の体液で汚れたバイザー部分を雑に拭う。
手に握る剣に剄を込め纏わせ、浮かせていく雄性体の片方へ投擲する。
剣が刺さった体躯が傾いたのを確認しつつレイフォンはもう一体の方へ駆ける。
「レストレーション01」
散っていた鋼糸が収束し、光を青く輝り返す刃を持つ剣が復元される。それを手にレイフォンは雄生体の背に飛び乗る。
矢を受け歪んでいる翼を根元から切り落とし、暴れられるよりも先に無事な翼も一閃。飛び始めていた体を地に落下させる。
もう一体の方は刺さった剣に体を捩らせながらも遅れて空へ向かおうとしていた。レイフォンは落ち始めるよりも早く背を蹴って近づきその個体も同じように地へと叩き落とす。
落ちていく雄生体の背を軽く蹴り体を宙に舞わせ衝撃を殺すように全身を使い着地。すぐそばに落ちてきた相手の胴体を横に切りつける。
雄性体は苦痛の叫びを上げ体を大きくくねらせる。幾つもの爪が動かされ、全身の動きを乗せた尾が鎌首を持ち上げ敵対者に向け振るわれる。
うねりを上げ向かう尾と爪にレイフォンは足元の岩盤を蹴り体を中に浮かせる。
爪は岩盤を抉り孔を空け、叩きつけられた尾の衝撃が分厚いそれを一撃で砕き小さなクレーターが出来る。大量の土砂が尾の動きに合わせ吹きすさぶ。
レイフォンは雄生体の背中に乗る。再度尾が振るわれるよりも早く剣を左手に持ち変え、剄を受け抉れた背に刺さっている黒鋼錬金鋼の剣を右手に握り強化した脚力で背を蹴る。
大きく踏み込むと同時、右手の剣を振り抜く。
頭の先まで裂かれ双頭になった雄生体は大きく一度痙攣し、腸と体液をヒタヒタと零しながら力を失い倒れる。
――外力系衝剄変化・閃断
振り向きざま剄の刃を飛ばす。
刃は地を這い迫っていた最後の一体の右の脚を切り飛ばし、バランスを失った体が倒れる。
黒鋼錬金鋼を待機状態にして剣帯に仕舞おうとし、使っていない錬金鋼のことを思い出す。
青石錬金鋼も共に剣帯に仕舞い、それを抜く。
「レストレーションAD」
起動言語に従い、通常の剣の数倍の重さが手の中に生まれる。
復元されたのは先程まで使っていた剣よりも遥かに大きい大剣だ。
それは普通の剣とは違い、鍔に当たる部位の片側が弧を描くように厚く大きくなっている。この部分にはスリットが複数入り、そのうちの二つにカートリッジ状の錬金鋼が差し込まれていた。
改善案その参、大容量型。その廃案にして新規手法提案型。
名を複合錬金鋼。
従来の手法では別種の錬金鋼を合成した際、通常の錬金鋼が一つ出来るだけだった。それを素材に使う錬金鋼の特性を残したまま合成する事に成功したのがこれだ。
元々の理論はキリクによって作られていたが、通常一つの錬金鋼に一つの復元先が設定されるため複数の錬金鋼を使う状況が極々希であるとお蔵入りになっていた。
そこにレイフォンの話を持ったハーレイが来た事で開発が始まった代物だ。
キリクは理論の実践を。ハーレイは複数錬金鋼によって錬金鋼の剄容量の物理的な向上をそれぞれ狙った。
結果としてハーレイの望みは不発に終わる。
錬金鋼の長所を残した合成には成功したが、欠点として素材にした錬金鋼の重量と基礎密度がそのまま残ったのだ。そのため密度が圧縮され熱がこもりやすくなってしまった。
だが十分な実用品ではあるため開発は続けられ、今現在レイフォンの手の中に完成品がある。
使用する際は触媒の錬金鋼に合成したい錬金鋼を組み込み使う。今入っているのは二つだ。
手に持った大剣に剄を纏わせていく。
――外力系衝剄変化・轟剣
大剣を覆う剄の刃が形成される。その刃は段々と大きく、剄の密度を増していく。
どれだけ剄を受けられるようになっているのか。それを確かめるためにレイフォンは剄を流し込んでいく。
感覚から判断し、限界の手前で剄の供給を止める。
形成された剄の刃は大剣よりもずっと大きな輪郭を描いていた。流し込めた剄の限界量も通常の錬金鋼より多くなっている。
瞬きする間に最後の一体との距離をレイフォンは詰める。
振るう斬線も先程までとは違う。剣を振るうのではなく剣に従う。手の中にある重さに体を追従させ、大気を裂く剛の一刀を叩き込む。
剣の軌跡で大気が揺れる。刃の通過した後、切られたことに気づいたように風がうねる。
袈裟に振るわれた刃は雄生体の頭部を破り、纏った剄の刃が衝剄として放たれる。
正面から激突した剄の刃はその体躯を尾まで抜け両断する。
敵を仕留めたのに剣の力の流れは収まらない。
体を低くしたレイフォンは独楽のように回り、大剣が横に薙ぐ。
放ちきれていなかった衝剄が再び体躯を突き抜け、今度は横に両断される。
更にもう一刀振るい、そして大剣が止まる。
呼応するように風が渦巻き流れ、舞う土煙がレイフォンの周囲からかき消される。
動くものがいなくなったことを確認しレイフォンは息を吐き残心を解いていく。
『お見事です』
リントが賞賛の言葉を告げる。
その声は臨場感のある映画を見たあとのようにどこかふわふわとしたものだ。
『理解を超えると現実感が乏しくなるのかな。それ以外の言葉が浮かばなくてごめんなさい』
「ありがとうございます」
『こう言ったら失礼かもしれないけど精巧な作り物を……物語の一場面を読んでいるみたいでした。一人で渡り合うなんて武芸者の人が知れば目標としたくなる戦い方だろうね』
余り褒められると気恥ずかしくなってくる。
けれど邪険にするわけにもいかず、レイフォンは取り敢えずと指摘する。
「僕のなんか真似しないほうがいいですよ。複数人で組んで戦うのが正しいやり方です」
『そうなんですか?』
「傷一つ負えば死ぬ場所で補助無しなんて自殺志願者くらいです。僕はたまたま上手くいっているだけです」
端子越しに考え込む気配がした。その先を聞いていいのか悩んでいるのだろう。
だから、レイフォンは待機状態に戻した剣を大げさに剣帯にしまう。
『……それじゃあツェルニへのルートを送るね』
バイザーにツェルニのある方角が示される。
レイフォンは来た道を戻っていった。
ツェルニの脚を下っていった先は土の中にあった。
地面の下にあった脆い空洞は都市の重さですり鉢状に崩壊し、周囲の土砂も巻き込み地盤沈下を引き起こしていた。
周囲の乾いた大地には亀裂が入り、足の周辺は採掘現場のように大きな土塊や岩が混ぜ返したようになっている。
大地に大きく開いた隙間から降りていった先、崩壊を免れた路を幾つもくぐり抜けていった先には開けた空間があった。
ツェルニの脚が動き出せば間違いなく崩れ落ちるだろう。人が問題なく動けるだけの広さがあるそこに都市外装備を着たニーナ達はいた。
上層よりも堅牢に作られ奇跡的に崩落を免れたそこは巣の根幹。幼生体たちが這い出て行った場所であり、その母である雌性体がいる場所だ。
ニーナが視線を向ける先、巣の奥には雌性体がいた。
蜥蜴に似た、幼生体など比ではない大きさをした雌性体は死に瀕していた。
大きく裂けた腹部は幼生体を生んだ名残だ。体液と臓物を地に溢しヌルヌルとした腹腔を晒している。
未熟な幼生体と違い大気や土中に含まれる汚染物質を餌として生きられるはずなのに、それでも持たぬ程に傷が大きいのだろう。近くに餌が、敵がいるというのに雌性体は動こうとしなかった。
ただじっと、ニーナたちの方をその無機質な眼だけが捉え続けていた。
損傷の少なさとニーナの個の戦力を理由に第十七小隊は雌性体の討伐を命じられた。と、なっている。
けれど実際はクラリーベルが一番の理由だ。
クラリーベルは十七小隊の区画の場所にいた。誰にも気づかれぬよう動き、気配を消し、幼生体を狩っていた。
一太刀一太刀と、準備運動でもするかのように秒刻みで幼生体の骸を増やしていく彼女にニーナは頼まれたのだ。
幼生体を受け持つから、雌性体を倒しに行ってくれと。
瞬きの間さえなく、そして次の瞬間にはクラリーベルの気配は消えていた。
向けられた笑顔と余りに掛け離れた場違いな力量にニーナはその事態を理解できなかった。
けれど直ぐさま生徒会長から同じ言葉が告げられ、その任を正式に与えられた。
いないフェリの代わりを宛てがわれ、予備人員としてまだ動ける武芸者を何人か連れ、そうしてニーナたちはここにいる。
書物にいる竜のようだとニーナは雌性体を見て思った。
その佇まいに、存在に、威圧感を感じているのだろう。予備として連れてきた武芸者たちはどこか引け腰だった。
裂かれ、切られ、潰され、喰われ。幼生体の脅威を見た後だ。無理もないことだろう。矜持から下げぬまでもその足は地に縫われたようだ。
不測の事態があるやもしれぬと、彼らの傍で備えておくよう小隊の仲間にニーナは告げる。気楽に上げられた了承の掌を受け一人、ニーナは足を前に出していく。
暑かった。風の通らぬ地の底だ。雌性体の体液は撒き散らされたうえ全身を覆う都市外装備を着ている。服の中は蒸し暑く汗が流れていくのがわかった。
暗かった。厚い地の底だ、日の明かりなど届かずましてや夜の刻で光など無い闇の中だ。
念威操者の助力を受けたバイザー越しの視界には、それなのにはっきりと近づくニーナを見る雌性体の眼があった。
迫るニーナに雌性体は僅かに頭部を揺り動かし、止まれと告げるように静かに口蓋を開き威嚇する。
自分の背丈ほども開かれた口に並ぶ自分の足ほどある大きさの牙。それを向けられてもなお、手に握る武器へ剄を込めながらニーナは前へ進んでいく。
止まらぬ敵に雌性体は叫んでいるようでもあった。なぜ貴様らがいるのだと。
叫び、その理由を獣ながら察して怒りを告げているようだった。
その口先まで辿り付きニーナは鉄鞭を振り上げる。
ただ、疲れていた。
ニーナはただの一度も戦線から引かず戦い続けていた。全身に傷を負いながら、それでも一匹でも多く倒し、一人でも多く助けようと一人で戦い続けていた。
初めての命を賭けた戦闘にニーナの精神はすり減っていた。
全身の筋肉は悲鳴を上げ剄脈も限界を訴えている。本当なら振り上げた手も直ぐに下ろし倒れ込みたかった。
目で見なければ自分の手が本当に錬金鋼を握っているか確信が持てないほどだ。
それでも、自分の役目を果たすために。
自らが思う武芸者で有るために。
いつか夢見た、憧れの場所に手を伸ばすために。
けれどその地平の彼方にいる自分への憤りと不甲斐なさが嫌で、少しでも拭いたくて。
敵の前で、仲間の前で終わらせぬまま倒れるわけにはいかなった。
静かに溜め続けた剄を起爆する撃鉄を心の中で起こし、ニーナは前の敵を見る。
動けず声を出すことも出来ぬまま叫び続ける獣を見つめる。
「悪いな」
撃鉄を叩きニーナは鉄鞭を雌性体の頭へと振り下ろした。
武芸者たちがいる場所から離れた外縁部にレイフォンは戻っていた。
伝えられた情報によれば雌性体はニーナたちが殺し、幼生体も体勢を整え直した武芸者たちによって次第に駆逐されつつあるようだ。
もうじき間もなく全てを殺しきるだろう。それでツェルニの勝ちだ。
じき、シェルターに避難した人達も外に出てくるだろう。
役目を終えたメットを外す。澱んでいた空気が新鮮な風に流されて顔を柔らかく撫でる。
途端、服に付着した汚染獣の体液の臭気が鼻に刺さる。
懐かしさを覚えもする異臭にレイフォンは眉を顰めているとくっついていた端子が外れて浮かぶ。
『会長さんから伝言です。「ご苦労さま。表立ってはできないが都市を代表して礼を言うよ。謝礼に関しては後日」です』
「僕の方からは後のことは頼みますと会長にお願いします」
『はい、了解です。それとせめて私からも君に感謝の言葉を。ありがとう。そしてお疲れ様でした』
クルンと羽を思わせる端子が一度回る。
『私はそろそろ隊の人たちの方へ戻ります。暫く端子は残すから返事は出来ないけど何かあれば』
それを最後に端子からの声が止まる。
レイフォンはメットを手の中で遊ばせる。錬金鋼の刃引きのためにハーレイの所へ戻るべきだろうか。だがハーレイが今現在手空きだとも限らない。
もう一度別の場所に、というのも面倒だろう。これは後日でも構わない事だ。
問題は汚れた服だ。汚染獣の体液だけならカリアンの部屋か執務室に投げ込んでもいいが付着している汚染物質を除去しなければならない。
出来るだけ触れないように脱ぎ、近くの隅に置く。後で回収して貰えばいいだろう。
データを送った事を示すように浮かぶ端子が少しだけ光を強め小さく揺れ動く。
ふと、武芸者たちがいるだろう方へレイフォンは視線を向ける。
まだ幼生体が残っているということはクラリーベルは未だそこにいるのだろう。
待つべきか。或いは手伝うべきか。
少し考えそのどちらも却下する。わざわざ今から手伝う理由もない。
それよりも先に戻って遅い夕食の準備をしようとレイフォンは足をアパートのある方角へ向ける。
「食事の用意をして待ってるってクラリーベルに伝えて置いて下さい」
宙でクルクルと端子が回る。了承したということだろう。
さて、何を作ろうか。
それを考えながらレイフォンは帰途についていった。
それから暫くして汚染獣撃退を告げる報告が告げられた。
シェルターから解放された人々は安堵と喜びに包まれ家に戻っていった。
錬金科や機械科などの生徒は破壊された規模を調べるために動いた。武芸者たちの怪我の治療のために病院は埋まり医療科の人間も総動員された。
疲れてはいたが皆、少しでも早く日常を取り戻すために事後作業を進めていった。
そんな中、生徒会より今回の戦いにおける物的被害が報告され、その復旧に伴う休業期間が告げられた。
そして人的被害の最後にそれは告げられた。
死者数、五十九名。
ツェルニに小さくない疵を与え、汚染獣との戦闘は終わりを告げた。
後書き
一章終わりー。
色々な纏めとか小ネタとか。汚染獣のイメージとか。悩んだところとか。
そう言ったのをつぶやき(割烹)の方で書くので良ければ暇潰し程度に見てください。
今日中に更新しますので。
P.S
オリジナルの流派の名前を変えました。前のなんかダサかったので。
それと一章第二話において単語修正とかしました。
修正箇所は第二話の前書きに書いてあります。
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