剣の丘に花は咲く
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第十二章 妖精達の休日
第三話 お友達
前書き
死にかけた。
皆さんも熱中症―――脱水には気をつけましょう。
ちと遅れましたが投稿です。
「餓鬼共が。遊びじゃないことを教えてやる」
肩や首を回しながら前へと進み出たギーシュたちを見て、空中装甲騎士団の中から一際大柄な騎士が一歩前に進み出ると、杖を振りかぶり一息に振り下ろした。
「本物の騎士と言うものを教えてやれ!」
騎士団長と思われる男が、面頬の隙間から見える横に伸びたカイゼル髭を大きく揺らし、唾を飛ばしながら声を張り上げると、背後の騎士団から一斉に魔法が飛んだ。氷の矢や炎の玉が音を立てながらギーシュたちに向かう。迫り来る脅威を前に、ギーシュはニヤリと大きく笑みを浮かべると、取り出した薔薇の造花を軽く振るった。
薔薇の花弁が五枚空に浮かび、そのまま地面に落ちていき、地に触れた瞬間、鼓膜を震わす爆発音が響き、土煙が辺りを覆う。
空中装甲騎士団の隊長が片手を上げ、騎士団の動きを止めると、様子を伺うように目を細めた。
「ふんっ。後悔するには遅すぎ―――ごべぇっ?!」
顔に掛かった土煙を鼻息で吹き散らした騎士団長が、口の端を歪め笑ったと同時に、騎士団の眼前に漂う土煙から飛び出して来たナニカが騎士団長を吹き飛ばした。
甲冑と合わせれば優に百キロは超えるだろう重量の騎士団長の身体が、まるでボールのように跳ね飛ばされ背後に控えていた騎士団の中に突っ込んでいき、数人の団員を巻き込み新たな土煙を巻き上げた。
「―――っな?!」
「な、何が起こった!?」
空中装甲騎士団の団員たちが慌てて辺りを見渡すが、未だ晴れない土煙のせいで周囲を確かめる事が出来ずにいた。一人の騎士が慌てて杖を振って起こした風が土煙を吹き飛ばし、視界が晴れていく。
視界が回復する中、現れたのは一人の男。
先程まで騎士団長が立っていた場所に、拳を突き出した格好で男が一人立っていた。
「な―――貴さ―――ごへぇ!?」
姿を現した男の姿に驚愕の声を上げながらも、厳しい訓練による反射的な動作で杖を向けた騎士であったが、杖を男に向けた時には既にそこに男の姿はなく―――眼前に拳の姿があった。
空中装甲騎士団の騎士を殴り飛ばした男。
それは曰く魔法学院一タフな男―――マリコルヌであった。
マリコルヌは一撃で仲間が吹き飛ばされるのを見て混乱している空中装甲騎士団に不敵な笑みを向けると、おもむろに髪をかき上げ。
「ふっ。ぼくは風―――そう“風上”のマリコルヌとはぼくのことだ!」
そうキメ顔で言い放った。
「っ―――ふっざけんじゃっね―――ぶあっ?!」
一瞬呆然となる空中装甲騎士団であったが、直ぐに気を取り直し、杖を未だキメ顔でポーズを取るマリコルヌに向けようとする。しかし、一人の騎士が、横合いから覆いかぶさるように襲いかかってきた影に轟音と共に地面に叩きつけられた事で再度動きを止めてしまう。
鉄板を金槌で叩きつけたかのような鈍い金属音に、一瞬身体を竦ませた騎士たちが、慌てて顔を向けると、そこには背の高い男の姿があった。
「っふ~~……おいマリコルヌ。油断しすぎだぞ」
両腕を大きく伸ばし、伸ばした先の手の平を開いたギムリが、腰を落としながら未だキメ顔でポーズを取っているマリコルヌに苦笑を向けた。
「もう一人―――っ、まさか」
マリコルヌとギムリが無事な様子に、騎士たちが先程自分たちが魔法を放った先に顔を向けると、そこには横一列に並んで盾を構える五体の青銅の戦乙女の姿があった。五体の戦乙女は、身の丈程ある巨大な盾を騎士団に向けて構えている。戦乙女が持つ盾は、縦横だけでなくその厚みもまた並ではなく、自重により盾が地面に深くめり込んでいることからも、その盾の重量と頑強さが生半可なものではない事が伺いしれた。
機動性は絶望的であるが、防御の面では並外れた力を見せる戦乙女の背後には、ギムリやマリコルヌと同様に無傷の腕組みをしたギーシュとレイナールがいた。
「全く皆先走りし過ぎだよ。もう少し作戦とか立てないと―――ねっ!!」
やれやれと頭を掻きながら戦乙女の前に進み出たレイナールは、メガネのブリッジを指先で押し上げ位置を正し、軽く首を回すと一直線に騎士団に向かって走り出した。
「―――ッ! な、こいつっ!?」
慌てて杖をレイナールに向け魔法を放つ騎士たち。だが、魔法が放たれる直前に地面を蹴ったレイナールの身体は既に宙にあり、騎士たちの放った魔法は一つも当たる事なく足元を通りすぎていった。魔法を用いず純粋な体術を持って跳躍したレイナールは、そのまま騎士たちの眼前へと降り立った。
「この―――」
再度レイナールに杖を向け、魔法を放とうとする騎士たちだったが、それよりも早くレイナールは杖を振り炎を生み出す。眼前に現れた炎に、騎士たちが身体を強ばらせた。刹那生まれた隙を見逃さず、レイナールはファイアー・ボールを騎士たちに向けて放つ。炎の球が弾け、二人の騎士が炎と共に吹き飛ばされる。
「餓鬼がっ!! いい気になるなっ!」
間近にいた騎士の一人が、手甲で覆われた手を振りかぶり、レイナールの頭めがけて振り下ろした。
「―――っふ」
頭上から襲い来る金槌のような拳。しかし、レイナールは慌てることなく小さく鋭く息を吐き出すと、腰を落とし右腕を大きく円を描くように動かした。レイナールの手と騎士の手甲が接触する。騎士はレイナールの右手ごと叩きつけようと力を込めるが、円を描く軌跡に導かれるように大きく体勢を崩してしまう。つんのめるように前へ出た騎士に向かって、レイナールは軽く開いた左手の掌を突き出した。
甲冑で覆われた腹に拳を打ち込もうとするレイナールの姿を目の端に収めた騎士の目元が、馬鹿にしたように歪む。
「ぶっ―――ほ」
しかしそれは、波のように身体に広がる衝撃が体内に駆け巡ることで苦悶による歪みへと取って代わられた。
踏ん張ることも出来ず地面へと転がり倒れた騎士は、悲鳴も上げれない様子で打たれた腹を両手で抑えながらゴロゴロと辺りを転げまわり始める。一体何が起きたか理解出来ず呆然と目を見張る騎士たち。そして、そんな隙を見逃す程ギーシュたちは甘くはなかった。
マリコルヌがその体格からは考えられない速度で一直線に進み、その終点に立っていた騎士を弾き飛ばす。
ギムリが両腕を風車のように回しながら騎士たちを地面に叩きつけ、吹き飛ばしていく。
レイナールが殴りかかってくる者を受け流しては投げ飛ばし、突き倒してまわる。
ギーシュは騎士たちから散発的に放たれる魔法を五体の戦乙女の盾により防がせ、自身は錬金を使って、騎士たちの足元を泥濘に変えたり等してその動きを鈍らせていた。
互いの距離を一定に保ちながらも互いの隙を補いながら連携して戦うギーシュたちは、明らかに素人のそれではなく、次第に空中装甲騎士団の顔色に焦りの色が浮かび始める。
四対二十と当初圧倒的されて終わりだろうと思われた戦いは、観衆たちの予想を大きく覆してギーシュたちが優勢に傾き始めていく。
確かに放たれる魔法の量や質からして正規の騎士団である空中装甲騎士団に大きく劣っているが、見たこともない奇妙な動きやそこから繰り出される突きや蹴りに対処する事が出来ず、騎士たちは次第にその確実に数を減らしていた。また、空中装甲騎士団は竜騎士であるゆえに、その力を十全に出すには竜に跨ってあればこそである。だが、騎士たちは学生のにわか騎士相手に竜を使えるか、という理由から誰一人として竜を呼ぶことなく戦い始めた。その結果、竜に乗らなければ重石でしかない鎧を着た上で、更には不慣れな地上戦の接近戦を戦う事になった団員たちは、士郎による鬼のシゴキにより徹底的に近接格闘を叩き込まれたギーシュたち相手に苦戦を強いられることになった。
予想外のギーシュたちの健闘に、観客の生徒たちから声援が上がり始める。
ギーシュたちへの声援が上がり、ますますその動きが鋭く速くなり空中装甲騎士団を押し始めていく。
黄色い歓声や野太い怒声やらが響き渡る中、戦場の中心から少し外れた位置でそれを眺めていた士郎の横に、セイバーが進み出た。
「彼らが使っている技はシロウが教えたのですか?」
「ああ。全員に一応八極拳を教えている」
「それにしては、皆使う技が違うようですが」
隣に立ったセイバーが、顔を士郎に向けないまま、戦うギーシュたちに視線を向けたまま尋ねる。士郎は小さく頷くと、視線をマリコルヌ、ギムリ、レイナールと順に向けていく。
「まあ、ある程度教えた後は、それぞれ得意な一つの事を集中して鍛えたからな。マリコルヌ、あの丸っこい奴だが、あいつはそう器用じゃなくてな、突きばかり鍛えさせた。あそこ、今、騎士を地面に叩きつけた大柄な奴だが、ギムリには最近では劈掛拳を教えている。あっちの眼鏡を掛けているあいつ、レイナールには八卦掌だな」
「ヒカケン? にハッケショウ? ですか……それはハッキョクケンとやらの技かナニカなのですか?」
「いや、別物……とは言い難いか、劈掛拳は八極拳の兄弟みたいなものだし、八卦掌は八極拳を学ぶ上で必須なものの一つだしな……」
士郎が顎に手を当てどう説明するかと頭を悩ませていると、生徒たちの間から苦悶のような声が上がった。士郎が顔を上げると、そこにはギーシュたち一人一人を、四、五人の騎士たちが取り囲む姿があった。
当初はギーシュたちの見たこともない攻撃手段により混乱に陥っていた空中装甲騎士団の団員たちであったが、だてにハルケギニア最強と呼ばれるだけあって、時間が経つにつれ冷静さを取り戻すと、数の有利を利用し始めた。一対一での近接戦ならば、例え正式な騎士であっても勝つことが出来る実力を身に着けたギーシュたちであっても、流石に複数の完全武装した騎士を相手にするのは厳しく。次第に状況は硬直していった。
「あれは、そろそろ不味いのでは」
「ああならないよう動いていたんだが。そう簡単にやられる相手ではなかったか。まあ、ああなってもそう簡単に潰されるようなやわな鍛え方はしていないつもりだ。暫くは持つだろうが……しかし、それも時間の問題か」
取り囲まれ、遠距離から魔法による攻撃を受けるギーシュたち。戦乙女の盾で防ぎ、素早い動きで躱しているが、次第にその動きが鈍くなっていくのが傍から見ても分かる。
「まあ、空中装甲騎士団の方も、そろそろ魔力切れの様子から見て、このまま押しつぶされる事はないだろうな」
士郎の言の通り、ギーシュたちを取り囲む空中装甲騎士団の団員たちの中には、魔法を放つことなく肩で息をしながら忌々しげにギーシュたちを睨み付ける団員の姿があった。魔力が切れれば、近接戦に特化したギーシュたちの有利となる。数や装備の面では未だかなりの差があるが、体力だけで言うならば、ギーシュたちのそれは、日頃の訓練により正規の騎士を遥かに超えるものが有り。長期戦となれば、ギーシュたちの有利となる。
「このままいけるか?」
士郎がそう呟いた時、視界の端に数名の空中装甲騎士団の団員が走り去る姿を捕らえた。
「―――ん?」
何やら胸騒ぎを覚えた士郎が立ち去る団員たちの後を視線で追ったが、既にその姿は観衆たちの向こうへと消えていた。
「逃げた? いや、しかしそれは……」
仮にも空中装甲騎士団の団員が、学生のにわか騎士を相手に背を向けるとは考えにくい。いくら当初接近戦で散々にやらたとしても、数の有利は絶対だ。魔力が切れたとしても、一気に襲いかかれば、まだ未熟なギーシュたちの武術の腕だ、捌ききれず潰せる可能性は大きい。それぐらい経験豊富な騎士団の団員が分からない筈がない。
にも関わらず逃げた?
士郎の脳裏に、なにかざらついた嫌な感覚が残る。
「シロウ」
考えに耽る士郎の意識を、セイバーの声が浮かび上がらせる。視線を隣に向けると、セイバーが視線を先程空中装甲騎士団の団員が駆けていった方向に向けていた。
「次は私が出ます」
「セイバー?」
一瞬セイバーの言うことが分からず、疑問を浮かべた士郎だったが、再度空中装甲騎士団の団員たちが駆けていった方向に顔を向けた時、頭の中で何かが繋がる感覚を得た。
「―――っ!? そうか!」
ギーシュたちと空中装甲騎士団の戦況。
団員たちが向かう方向。
セイバーの言葉。
それが示すのは、
「―――竜」
竜騎士が竜騎士たる所以。
騎獣である風竜である。
団員たちが向かった先にあるのは魔法学院の正門。その向こうには、彼ら空中装甲騎士団の拠点だ。そしてそこには彼らが乗る騎獣である風竜がいる。
団員たちは自分たちの騎獣を取りにいったのだ。
士郎がそう確信した時、正解とでも言うかのように、頭上から竜の咆哮が響いた。
突然の竜の咆哮に、ギーシュたちだけでなく観衆の生徒たちの動きも止まった。一斉に頭上を仰ぎ見るギーシュたちの目に、羽ばたきながら地面へと着地する風竜の姿が映る。
その数三。
背に騎士を乗せた鎧を身に纏った竜が三体、空からギーシュたちの前へと降り立った。
―――ッギャアアアォォッ!!
竜が吠え、ビリビリと周囲の大気が震える。
圧倒的な力の存在を前にして、ギーシュたちの身体が本能からピタリと動きを止めた。風竜の上に跨る騎士の面貌から覗く口元が、意地悪く歪む。風竜の翼が大きく翻る。振るわれる先にはギーシュたちの姿が。当たればただでは済まない。反射的に身構えるギーシュたちであるが、そんなもので竜の攻撃は防げない。来るだろう痛みに耐えるよう、ギーシュたちが奥歯を噛み締めた瞬間―――一陣の風が吹いた。
不意に生まれた頬を叩く風に、風の名を持つ竜は何を感じたのか、動きを止め風が吹く方向へと顔を向けた。
竜の細まった瞳孔に映ったのは、一人の騎士が駆ける姿。
見えないナニカを肩越しに振りかぶり、竜へと向かい駆ける騎士は、竜の視線を感じたように顔を上げた。
竜の視線と騎士の視線が合わさり。
騎士の手に力が込もる。
同時―――騎士が吠えた。
「風王鉄槌ッ!!」
騎士が咆哮と共に見えぬナニカを振り下ろし、風が吹き荒れた。姿なき鉄槌の正体は風。大気を押しつぶしながら進む風の鉄槌は、狙い違わず三体の風竜へと向かう。見えぬ風の鉄槌に気付いた風竜であったが、空の上ならともかく大地の上ではその機動性は格段に落ちる。結果、避けることは叶わず馬車程の大きさのある三体の竜が、まるで人形のように吹き飛ばされてしまう。
「「「―――なッ?!」」」
騎士団、観衆から驚愕の声が上がる。
生徒たちや騎士団の中には、風による攻撃だと気付く者はいたが、その威力は想像の外にあった。彼らが予想した魔法の名はウインド。しかし、それはせいぜいが風を吹かすだけの魔法である。馬車程の大きさはある風竜を三体も薙ぎ倒すだけの威力はない筈であった。
あまりの想像外の光景を前に、驚き固まる皆の中、吹き飛ばされた風竜が頭を振りながらも立ち上がると、翼をはためかせ始めた。本能的に危険を感じ取った風竜たちが、安全地帯である空へと逃げようとしているのだ。
一体、二体と空へと風竜が飛び上がる中、最後の風竜が飛び上がるため足に力を込めた時、横合いから一つの影が飛びかかってきた。
「ハアッ!」
「―――なっ―――ぶッ?!」
ぞくりと背筋に走った怖気に、風竜に跨った騎士が顔を横に向けると、そこには視界いっぱいに広がる具足に包まれた足の姿が。
何かを叫ぼうとした騎士であったが、それが形になる前に顔面を蹴り飛ばされ竜の上から蹴り飛ばされてしまう。騎士を蹴り飛ばした者は、そのまま器用に先程まで竜騎士が跨っていた位置に腰を下ろす。
風竜が主ではないものが自分に跨っていることに気づき、長い首を曲げ、背に乗る無礼者に噛み付こうと歯を剥き出しにする―――が。
「――――――」
背に跨る者の射殺すような眼光を受けると、風竜はびくりと身を震わせそろそろと顔を前へ戻した。
「いけ」
反抗心が無くなった事を確認すると、竜の背に跨った者は、軽く腹を蹴り手綱を引いた。
風竜は逆らうことなく素直に命令に従い、翼をはためかせ空へと飛んでいく。その動きは流れるような淀みのない動きであり、熟練した技が伺い知ることが出来た。
それを見ていた生徒たちの間からは感嘆のため息が漏れ、竜騎士である空中装甲騎士団からは押し殺した悲鳴のような声が漏れる。
「嘘だろ……風竜が命令を聞いた?」
「しかもあの動き……完璧に竜を操ってたぜ」
「今の……一体何者なんだ?」
竜騎士たちの戸惑いの声が上がる中、それに応えるように一人の女子生徒が口を開いた。視線は空へと向かう風竜を駆る者へと向けられている。
「金色の……騎士」
「“金色の騎士”?」
竜騎士の一人が顔を女子生徒へと向ける。
胸の前で祈るように手を組んだ女子生徒は、頬を上気させながら熱のこもった声を上げた。
「見慣れない格好をされていましたけれど、間違いありません。あの方は“金色の騎士”―――アルトリア・ペンドラゴン様です!」
歓声のような女子生徒の声に応じるように、空を駆ける風竜が高らかに咆哮を上げた。
三体の竜が空を踊っている。
その中に、特に目を引く竜が一体。その名の通り風と共に舞うように空を翔け抜ける風竜。緩やかに、踊るように空を行くその風竜の姿を見れば、それを追う残りの二体の風竜の動きはどうにも拙く見えてしまう。人に尋ねれば、誰もが先を行くものが熟練者で後を追うものが初心者だと言うだろう。しかし、事実は違う。舞うように空を飛ぶ風竜を翔る者こそが初心者であり、その後を追う者たちが熟練者であった。だが、その熟練者の操る竜の動きが素人に見える程、先行する騎士が駆る竜の動きは際立っていた。
「―――ッ! 糞ッ!? 何で当たらないっ!! なんで今のが避けれるんだッ!!」
「後ろに目でも付いてんのかあいつはっ!」
驚愕の声と言うよりも、悲鳴の声を上げる竜騎士。
先行する風竜の姿は、竜騎士として長年鍛えてきた自分たちでさえ見たこともない機動を取り、時折放つ風竜のブレスを避けていく。当たると確信した攻撃でさえも、自分たちには無理な、耐えることが不可能な機動で躱してしまう。二人の竜騎士は、自分たちの中の常識が音を立てて崩れていくのを感じると共に、自分たちが追う風竜を駆る者が想像を絶する技量の持ち主であることを強制的に理解させられる
手綱を握る手が汗で濡れ、竜騎士たちは、高度から気温の低下によるものではない寒気に身体を震わせた。
「この―――ちょこまかとッ!!」
「大人しく落ちろッ!」
竜騎士が風竜に命令しブレスを吐かせる。風竜のブレスが先行する風竜を襲う。風竜の進行方向に動きは見られない。このままブレスが当たるとの竜騎士の確信が―――。
「―――そろそろ終わらせましょう」
―――崩された。
前方を進行していた風竜の姿が、竜騎士たちの目から消えた。
「「な―――あっ!?」」
もはや驚愕の声ではなく悲鳴を上げた竜騎士たちが、辺りを見渡すも、狙うべき相手の姿は見当たらない。額に浮かんだ汗が目に流れ込み、滲む視界を慌てて目を強く瞑り回復しようとする。目を瞑り、暗闇に一瞬陥る視界。視界が闇に染まり、他の感覚が鋭敏になる中。竜騎士の過敏となった感覚が一つの音を捉える。
―――この音、は―――ッ!?
二人の竜騎士の視線が真下へと向けられる。
そこには竜頭を天へと向け上昇する風竜の姿が。
「まさか―――あの一瞬で下降したとでも言うのかっ!!?」
そう―――あの一瞬。風竜を翔る“金色の騎士”―――セイバーは竜を一瞬で急下降させた。それは零戦の“木の葉落とし”にも似た機動によって成した技であったが。飛行機と竜。
あらゆるものが違う中、セイバーは士郎から聞いた話しだけで竜でもってそれを成したのである。超絶なまでの技量。もはや竜を操ると言うよりも、一つの生き物―――人竜一体とでも言えば良いのか。
驚愕から立ち直れないまま、竜騎士たちはセイバーの接近を許し。
「ッ―――フッ!」
交差する。
空に十字が描かれ。横の線を描いていた一つがその動きを揺らめかせた。
「―――ッ??!! うあああああああああああぁあぁぁぁぁぁ??!」
交差した一瞬。
刹那にも満たないその瞬間。
セイバーは右手に握ったデュランダルを振るい、竜騎士の握る手綱を正確に切り飛ばした。
身体を支える重要な一つが無くなった事により、竜騎士の身体が風竜から離れ空へと舞う。何が起きたか分からず竜騎士は湧き上がる恐怖のまま悲鳴を上げる。竜騎士はパニックになりながらも、何とか残った魔力を振り絞り“フライ”を使い墜落から逃れたが、騎乗していた風竜は逃げるようにその場から飛び去っていき、戦闘に加わることは不可能となった。
一瞬で味方がやられたのを目にした残った竜騎士は、慌てて手綱を引き逃げ始める。
「何―――だよあの女ッ!? 何であんな動きが出来るんだよっ!!」
「―――ただ、貴様の腕が未熟なだけだ」
頭上から涼やかな声が掛けられ、竜騎士が慌てて顔を上へと向ける。面貌から覗く目が大きく見開かれ、噛み締めた歯の隙間からか細い悲鳴が漏れた。
「ひ―――ぃ!?」
そこには風竜を背面飛行させたセイバーが、冷えた瞳で竜騎士を睨みつけていた。
慌てて逃げようと竜騎士が手綱を握る手に力を込めるが、風竜が進行方向を変更するよりもセイバーの動きは疾かった。
デュランダルを握る右手が閃いたと思った時には、既に竜騎士が握る手綱は切断され、竜騎士の身体は単身空を飛んでいた。
「そん―――なっ!?」
ぐるぐると身体が回転し、視界が回る中、竜騎士は“フライ”の呪文を唱えようとするが、魔力が限界であることや混乱する思考により、上手く呪文が唱えられないでいた。回る視界の中、竜騎士の目が自分の風竜の姿を捉えた。咄嗟に自分の騎竜の名を叫び、自分を拾わせようとする。己を呼ぶ主の声に気付いた風竜は、素早く身を翻すと自身の主に向かって行く。
しかし、甲冑によりかなりの重量となっている竜騎士の落下速度は、風竜の下降速度でも追いつくにも難しい程の速度であった。
「ッ―――早くしろっ!」
手を伸ばし、自分に向かっていく飛んでくる風竜へと意識が向けているばかりであることから、竜騎士の思考から自分がどれだけ地上に迫っているかが外れていた。
「よしっ―――!」
そのため、追いついた風竜の背に何とか跨る事が成功した時、やっと下を見て、初めて自分がどれくらいの高度にいるのか気付き。
「―――ぁ」
もう手遅れである事を知った。
呆けた声を漏らした竜騎士の視界に、もやはどうする事も出来ないまでの距離に近づいた地面の姿が映る。滑空するように地面へと落ちていく風竜は、主を背に乗せると同時に急いで羽ばたき速度を落とそうとするが、それも焼け石に水であることは明らかであった。間違いなく着地ではなく墜落となるだろう。風竜が落ちていく先は魔法学院。それも先程までギーシュたちと空中装甲騎士団が戦っていた庭に向かっていた。そこには未だ状況が理解できないのか、落ちてくる風竜を呆然と立ち尽くし見上げる生徒たちの姿がある。更に落下地点の直ぐ傍には、空中装甲騎士団の主たるルクセンホルフ大公国の王女であるベアトリスの姿があった。他の生徒同様、ベアトリスも近づいてくる、自分目掛け落ちてくる風竜の姿を目にしながらも、逃げようとはしないでいた。否、ただ何が起きているのか理解出来ず、動けずにいるのだろう。
避けられない衝突を前に、風竜に跨る竜騎士の顔に絶望が宿る。
地面が視界一杯に広がり―――衝撃が全身を叩く。
一瞬たりとも耐える事も出来ず、身体が反動で風竜から離れる。その時にはもう、風竜が地面を掘り起こし舞い上げた土煙よりも暗いの闇の中に、竜騎士の意識は落ちてしまっていた。
風竜は回転し、地面をガリガリと大きく抉りながら進んでいく。その進行方向にはベアトリスの姿があった。その背後には、十人以上の生徒たちの姿もある。遮るものなど何もなかった。誰もが逃げる素振りを見せるどころか、その場から微動だにしない。ただ目を大きく見開き振動で身体を震わせているだけ。
離れた場所からそれを見ていた生徒たちの目に、数秒後起きるだろう悲劇の様子が生々しく浮かぶ。轟音と振動に混じり、女子生徒の甲高い悲鳴が次々と上がっていく。
どうしようもない。
例え魔法を使ったとしても、もうどうしようも出来ない。
確実に来る未来を前に、逃げるように生徒たちの瞼が固く閉じられる。それはハルケギニア最強の一角である空中装甲騎士団も同様だった。主たるベアトリスの死を目前にしながらも、とうの昔に体力も精神力も限界まで来ていた彼らは、ただ立ち尽くし見ていることだけしか出来ないでいた。いや、例え精神力が残っていたとしても、どんな魔法を使おうと、あれだけの勢いで迫る風竜を止めることが出来たとは思えない。
生徒たちと騎士たちの間に、絶望の声が上がり―――一際大きな音と共に、辺り一面に土砂と共に土煙りが立ち上った。
―――自分が特別な存在だと考えたこともありませんでした。
何時も……生まれてきてからずっと……隠れて生きてきたから……。
自分がエルフと人間のハーフだと知ったのは、物心が着いた頃で、その時にはそれがどんな意味を持つのかなんて何も知らず、ただ無邪気にそうなんだとしか思うだけで。
それが、どれだけ疎まれる存在かだなんて……考えもせず……。
ああ、本当にずっと……逃げてばかりの人生……。
世間から隠れ潜むように、母と共に大きな屋敷で過ごしていたまだ幼かった子供の頃……。
母の存在がバレ、騎士たちに母が殺されウエストウッドの森へと逃げて隠れて過ごしてきた日々……。
逃げて、隠れて……一生このまま隠れて生きていくのだろうと……。
外の世界で暮らすなんて、夢にも思わなくて。
ただ、姉さんが時折連れて帰ってくる子供たちが話す外の世界を想像しながら、永遠に来ないだろう何時かに外の世界へ出る事を夢に想いながら……変わらない閉じた世界で過ごす日々……。
でも、そんな日々にある日変化が生まれました。
わたしに……友達が出来たの。
ウエストウッドの村で共に暮らしてきた子供たちは皆、わたしよりも小さく幼かったから、友達と言うよりも弟や妹で、だから、彼女はわたしに出来た初めてのお友達。
あの日、森の中を散歩していた時に見つけた彼女は、今にも死にそうで、でも、そんな事を一瞬忘れてしまいそうになる程、彼女は綺麗で。
直ぐに気を取り直して、母の形見でもある指輪の力を使って彼女を癒して村まで連れ帰った後、何日も経ってから彼女は目を覚ましました。
目が覚めるまでの閒、世話をしながらずっと想像していました。
彼女は一体どんな声で、表情で、性格で、趣味で……想像の中で彼女と話をして―――直ぐに胸に空いた穴の闇に消えていきました。
例えどんな人であっても、わたしがエルフ―――ハーフエルフだと知れば恐怖に顔を歪め悲鳴を上げて逃げていくだろうと。
森の中に偶然迷い込んできた人がわたしを見て上げた悲鳴が耳に蘇り、もうどれだけ流したか忘れてしまった涙を零した。
だから、目を覚ましてわたしの正体を知っても変わらず接してくれた事が、どれだけ嬉しかったなんて、きっと彼女は分からなかった筈。
彼女はとても綺麗で、そして信じられないほど強かった。
大きな獣も木の棒で倒してしまうし、森の中に迷い込んできた野盗たちも一瞬でやっつけてしまう程に。
その事はとても助かったけど、でも、もの凄くご飯を食べることだけはちょっと……少し……だいぶ、困りました。
でも、それ以上にとても楽しかった。
彼女とは色々とお話をしました。
その殆どは、その日、村で起きたたわいない小さな出来事でした。
彼女は自分から話すということはしなかったから、わたしが話しをして彼女が相槌を打つだけだったけど、わたしはそれで十分楽しかった。
でも、時折、何かの拍子で彼女が話しをしてくれることがありました。
その中に、何度も出てくる人がいました。
初めて彼女の口から彼の話を聞いたのは、何時だったか……。
確か切っ掛けは……。
ああ、そう……思い出した。
あれは確か、わたしが何時か森の外へと出たいという夢を彼女に語った時、でも叶わない夢だと笑うと、彼女が話し始めたんでした。
『世の中には、それこそ夢としか言いようのない夢を叶えようとする人がいる』―――って。
“正義の味方”―――お伽話の騎士のような……そんな絵物語の登場人物になろうとする人がいると……。
彼の事を話す時の彼女は、何時もの凛々しさが嘘のように緩み、幸せそうに笑ってました。
彼女の語る彼の姿は、彼の目指す夢の姿とは程遠く―――弱く、愚直で、不器用な……でも真っ直ぐな少年の姿。
ただ、ただ、誰かの為に身を削り、傷つきながら、それでも笑う少年の話を聞く度に、わたしの胸に小さな火が灯りました。
それが何なのかは分かりません。
ただ、それがとても心地よいものであることは確かでした。
夜、時折見る悪夢に目を覚まし、涙に滲む夜の闇の中、湧き上がる様々な感情で溺れのを、昔のわたしはただ目を閉じ必死に朝が来るのを震えて待つだけでした。でも、彼女から彼の話を聞いてからは、わたしは彼女の話してくれた彼の事を思いだし、胸の奥で灯った小さな明かりを感じると、何時の間にか眠る事が出来ていました。
何故、そんなに意識しているのか自分でも分かりません。
何があろうと、前へと、夢へと向かう彼の姿に憧れたのか……。
倒れても、傷ついても諦めない彼の姿に勇気付けられたからなのか……。
ただ、途方もなく困難であろう“正義の味方”と言う夢を目指す彼の姿に尊敬を抱いたのか……。
……逆に、ただ自分よりも愚かな夢を抱く彼を思い、暗い安堵を抱いただけなのか……。
でも、確かな事が一つだけあります。
それは、わたしがあなたに救われたと言うこと。
決して忘れる事の出来ない過去の悪夢が襲いかかった時、闇からわたしを助け出してくれる明かりをあなたがくれたこと。
そして、彼女と出会ってから暫らく経ち、あなたと出会いました。
彼女と同じように、森の中で瀕死のあなたと出会いました。
あなたは彼女の言う通りの人でした。
ハーフエルフのわたしに対し、普通の女の子のように接してくれて。
あなたはきっと、知らないでしょうね。
わたしが、本当にどれだけ救われたか……。
あなたに、どれだけの勇気をもらったのか……。
どれほど、わたしがあなたを信じているのかなんて。
だから、わたしは前へと進んでいける。
あなたに救われたから。
あなたに勇気をもらったから。
あなたを信じているから。
だから、暗い過去を背に、わたしは勇気を振り絞り―――前へと進んでいける。
―――笑って、いられます。
空から風竜が迫り誰もが動けない中、ただ一人素早い動きで走り出した人影があった。
必死に腕を振り、前へ、前へと進む一人の少女。
金の髪を揺らし、歯を食いしばり迫る脅威を前に立ちすくむ少女の下へ駆け寄る。
誰も彼も、他人の事も、自分の事さえも頭から消えている時、一人少女だけが自分じゃない人の事を思い、その人の為に走っていた。
風竜が地面へと落ち、爆発音と共に地震のような地響きで地面が揺れ、土砂が舞い土煙が辺り一面を覆う。
地面を大きく抉り削りながら風竜が迫り、後を追うように土煙が舞い起こる。
震える地面を蹴り、必死に手を伸ばす。
そして白い指先が、地揺れで地面に腰を落とした少女の身体に―――届いた。
「―――え?」
力なく、腰が抜け地面に尻餅着いたベアトリスが肩に触れた指先の感触に導かれるように顔を横に向けると、そこには必死な形相で自分の肩を掴むティファニアの姿があった。
「あ―――なた?」
「―――ッ!」
ベアトリスが予想外の人物の姿に驚きの声を上げるが、ティファニアはそれに応える事なくベアトリスに抱きついた。
「―――なっえ、あ」
突然の行動に混乱し、形にならない言葉がベアトリスの口から漏れた。
腕?
掴まれた?
叩かれる?
痛い?
苦しい?
柔らかい?
暖かい?
―――あ―――れ?
ベアトリスの身体に回ったティファニアの腕に更に力が入り、ベアトリスの脳内に渦巻く混迷に拍車が掛かる。
何故?
どうして?
怖くない?
つい先程まで、いや、今も敵対している相手が自分の身体に腕を回し、抱きついているのに、何で安心しているの?
まるで幼い頃、母親に抱かれている時のように、心地よく、安心している自分が理解出来ないベアトリス。自分を強く抱きしめる腕の力は痛く感じる程なのに、何故恐怖ではなく安堵を感じるのか?
ティファニアの柔らかな身体に顔をうずめながら、ベアトリスは幾度も自問する。
何故?
どうして?
何で?
こうも安心出来るのか?
まるで……まるで……ああ……まるで、幼い頃、雷の音が怖いと泣くわたしを、お母さまが抱きしめてくれた時のように……。
怖い雷の音からわたしを守って……守って……まもって……?
ストンと何かが胸に収まる感覚を得たベアトリスは、自然と顔を上げていた。
顔を上げると漏れる、吐息を感じられる程の近さにティファニアの顔があった。
―――綺麗。
知っていた。
最初から知っていた。
初めて見た時から思っていた。
綺麗だと。
美しいと。
見惚れて。
憧れて。
手が届かないものだと。
だから。
……だから。
―――ああ、本当に何て綺麗なの。
姿形だけじゃない。
その心も美しい。
どうして?
何で?
あなたは―――。
「―――どう、して?」
口から溢れた言葉は小さくかすれて、音にも形にもなってはならず。
だから、彼女の耳に届いたとは思わなかった。
でも、彼女はわたしの声に気付いたように目線を下げ、わたしの目を見て―――安心させるように優しく微笑んで。
―――そして、何十もの爆弾が一気に爆発したかのような音が広場に響き渡った。
土煙が収まらない内に、これまでで最大の土煙が舞い上がった。
発生場所は、ベアトリスが立っていた場所の近く。
遠目で見ていた空中装甲騎士団や生徒たちは、起こってしまった悲劇に声もなくただ目を見開き見つめているしか出来ないでいた。
もうもうと舞い上がる土煙が、まるで苦痛と嘆きの悲鳴のように感じられ、生徒の中には腰を抜かし地面に尻を落とす者が何人もいた。
立ち上った土煙が頂上から落ち始める頃、目を逸らし、泣き出す者が現れる中、幾人かの者が異常に気付き始めた。
「……あれ?」
「届いていない?」
誰かがポツリと声を零した。
届いていない。
そう。
届いていないのだ。
立ち上る土煙の端から姿を現したもの。
それはギーシュと空中装甲騎士団の戦いをベアトリスの背後で見ていた観衆たち。
彼らが土煙の中から無事な姿を見せている。
しかし、それはありえない。
空から落ちてきた風竜が進むルートの上にいた彼らが無事でいられる筈がないのだ。彼らの前にいたベアトリスが先に風竜にぶつかるとは言え、そんなもの盾にもなりはしない。風竜は速度を落とすことなく彼らに向かって突っ込んでいたはずなのだ。
なのに、彼らは無事である。
何故?
どうして?
誰もがその異常に気づき始めた時、一陣の強風が吹いた。
唐突に起こったその風は、風のメイジの誰かが起こした風であろう。意志を持つように土煙を吹き飛ばすように吹いた風により、土煙が段々と薄まっていく。
「―――赤い……光?」
土煙が消える間際。
一瞬。
観衆の中の数人が土煙の中に赤い光を見た。
それは何処か花の花弁に似ていたような気がしたが、直ぐにそれは見えなくなってしまう。
気のせいか? と彼らが疑問符を浮かべるが、そんなものは土煙が晴れた先に現れたものを見て何処かへと消えてしまった。
「……うそ、だろ」
「……あり、えない」
彼らが目にしたもの。
それは風竜に轢き殺され赤い血溜りと化したベアトリス―――ではなく。
その前。
ティファニアに抱きしめられ蹲るベアトリスの前に立つ男。
男が伸ばした右手の先には、地面を大きく抉った形で蹲る風竜の姿があった。
それはまるで、男が風竜を止めたかのようで。
否。
まるで、ではなく、男は伸ばした右手一本で迫る風竜を止めたのだ。
空中装甲騎士団も生徒たちも誰もが疑いもなくそう信じた。
立っていた男が他の誰かなら別の可能性を考えていただろう。
しかし、その男が今まで幾つもの信じられないほどの武勇伝を作り上げた者ならどうだ。
七万の軍勢をたった一人で破った男だ。
彼ならば風竜の一体ぐらい片手で止めてしまってもおかしくはない。
そんな事さえ考えてしまう。
その男―――。
「エミヤ―――シロウ」
「―――全く無茶をする」
熾天覆う七つの円環を消すと、士郎は肩越しに振り返りベアトリスを抱きしめているティファニアに向かってため息混じりで声を掛けた。
「あ、あはは……つい、勝手に身体が動いていました」
ベアトリスから身体を離し立ち上がったティファニアは、困ったように笑いながら士郎に向かって振り返った。
「でも、きっとシロウさんが助けてくれるって信じていましたから、だから、飛び出せたんだと思います」
「信じてくれるのは嬉しいが、こんな無茶はもうやめてくれよ」
「……善処します」
「……本当に頼むぞ」
目を細めて笑うティファニアに、士郎は苦笑を深めながらも笑い返す。
ティファニアの傍に寄った士郎は、ティファニアの髪に掛かった土埃を軽く払うと、頭に置いた手をゆっくりと動かし始めた。
「……無事で良かった」
「ありがとうございます」
照れたように目を伏せながら小さく感謝の言葉を口にしたティファニアに、士郎は頭を撫でていた手をピタリと止めると、突然力を込めてガシガシと強く撫で始めた。
「あ、あれ? いた?! いたたた、痛いですシロウさんっ」
「痛くしているんだ。ほらっ、もう本当にこんな無茶はやめろよ」
ぽんっ、と最後に頭を軽く叩いてティファニアの頭を解放する士郎。ティファニアは乱れた髪を手櫛で整えながら、少し涙目になった目で士郎を見上げた。
「う~……はい……たぶん」
「ティ・ファ・ニ・ア」
「わっ、わ、う、嘘です、しません、もうしませんっ!」
ぼそりと小さく呟いた最後の言葉を耳にした士郎が迫ると、ティファニアはわたわたと手を振りながら後ろに下がった。
にじり寄る士郎を前に、後ずさりするティファニアの背中に、オドオドとした怯えを含んだ声が掛かった。
「あ、あの」
「え?」
背中から聞こえた声に、ティファニアが振り返る。
振り返った先には、視線をうろうろと泳がしながらも、時折ちらちらとティファニアを見るベアトリスの姿があった。ベアトリスはティファニアが振り返ったのを見ると、強く一度目を瞑り開くと同時に口を開いた。
「み、ミス・ウエストウッド。ど、どうしてわ、わたしを助けようとしたの?」
何が怖いのか、身体を震わせ怯えた様子を見せながら、上目遣いでティファニアを見つめるベアトリス。その姿はまるで、悪戯をしたことがバレてしまい、母親の前に引きずり出された子供のようであった。ぷるぷると身体を震わせるベアトリスの姿を見つめていたティファニアは、細く白い指先をあご先に当てると、小さく小首を傾げて考え込み始める。
目を閉じ眉の間に皺を寄せながらうんうんと低い声で唸っていたティファニアだったが、パチリと目を開くと困ったように笑いながら右手の指で頬をかいた。
「わかりません。気付いていたら飛び出していました」
「―――っ」
ティファニアの答えにベアトリスは息を飲んだ。
胸が苦しくなり、目の奥が熱く潤み始めた。
溢れそうになる何かを歯を噛み締め耐えると、腹の底から絞り出すように声を漏らす。
「……わたしは……あなたを学院から追い出そうと、した、のよ」
「そう、みたいですね」
「なのに、どうしてよ」
「えっと、学院を追い出されれそうになったのは本当に困りました」
ティファニアの視線が、学院に向けられる。
「わたしは、この学院でまだまだしたい事がたくさんありますから」
「したい、こと?」
ティファニアは視線をベアトリスへと戻し、笑った。
「お友達を作るの」
「―――っ、ぁ」
ティファニアの言葉に怯えたようにびくりと身体を震わせたベアトリスは、ティファニアの視線から逃げるように目線を地面へと落とした。
「そ、う」
「ええ、そうなの。だから、ね」
すっと、ベアトリスの視界に白い光が差した。
その正体は、眩しいほど白い手。
びくっと目を見開いたベアトリスが、指先、掌、腕とゆっくりと辿って顔を上げていくと、その先には優しく微笑みかけてくるティファニアの顔があった。
呆うけたようにティファニアの顔を見つめるベアトリスに向かって、ティファニアは笑いかけ、ゆっくりと口を開いていく。
「お友達になりましょ」
「―――あ」
ベアトリスの目から、熱い何かが零れ落ちた。
堰を切ったように溢れ出すそれは、土煙で汚れた頬を洗い流し、顎先から地面へと向かって次々と落ちていく。
「―――っ」
ベアトリスの口はパクパクと動くが、何故かそこからは言葉が形を成して出て来ない。
必死に、顔を真っ赤にさせながら口を動かすベアトリスだが、言葉が出てくることはなかった。
「っ―――ぁ―――っ」
焦り、溺れるように腕をばたつかせながら何かを言おうとするベアトリスの手を、暖かな何かが包む。
はっと顔を上げるベアトリスの目に、ティファニアの優しげな微笑みが映る。
渦を巻く感情がすっと落ち着くのをベアトリスは感じた。
胸の奥が熱くなり、全身が震え、喉が焼け付くように熱い。
それでも、ベアトリスは震える口元を必死に動かし、ティファニアへの返事を返した。
涙でぐしゃぐしゃになった酷い顔で、幼い子供のような笑顔で―――。
「――――――うん」
こくりと、頷いた。
後書き
感想ご指摘お願いします。
次話、覗きの話しをどうしようかな? しようかな? しないで先進めようかな?
ページ上へ戻る