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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百二十八話 新秩序



宇宙歴 796年 6月 20日  ハイネセン  最高評議会ビル ジョアン・レベロ



「首脳会談だが同盟市民からの反応も良いようだ。一安心だな」
ターレル副議長の発言に皆が頷いた。
「国債もそうだがイゼルローン要塞が軍事要塞ではなくなる、帝国の防衛線がイゼルローン回廊の帝国側まで下がるというのが市民にとっては嬉しいらしい」
「フェザーンが帝国から独立したという事もね」
トレルとマクワイヤーが後に続いた。皆も満足そうだ。最高評議会の空気は極めて明るい。

捕虜交換、首脳会談が終了した。捕虜交換と晩餐会で一日、首脳会談で三日、三日のうち討議は二日間、残り一日は共同声明の作成と発表に費やされた。共同声明ではフェザーンの独立、イゼルローン要塞の平和利用、国債の償還、株の返還などの事が発表された。そして同盟と帝国は人類の繁栄と宇宙の平和について協力して行く事が確認された。事実上和平は成立した、そう言って良いだろう。

「国債の償還は九兆帝国マルクか、十二兆丸々とは行かなかったようだな」
ボローンが私に問い掛けた。
「なに、償還が実行されるだけでも大したものさ、そうだろう?」
「まあそれはそうだがね」
ボローンが笑いながら頷いた。元々フェザーンの物なのだ、払ってもらえるだけましだ。最初は誰も払って貰えるとは思っていなかった

「私はイゼルローン方面に要塞を建設出来る事が嬉しいですよ。しっかりとした防衛ラインが設定出来ますし戦争が起きる可能性はかなり低くなりました」
ネグロポンティが満足そうに言った。
「どうするのかね、一気に二つ造るのかな?」
リウが問い掛けるとネグロポンティが首を横に振った。

「いえ、順に造ります。何と言っても同盟はこの手の要塞を造るのは初めてです。一つ造ってその経験を二つ目に生かしたいと考えています」
嘘では無い、しかし理由は他にも二つ有る。一つは国防費の突出を抑えたいと国防委員会は考えている。和平が来たのに何故国防費が多いのかと責められるのを避けたいのだ。

そしてもう一つは軍需産業からの懇願だ。戦争が無くなる以上彼らは軍需から民需へ事業の比重を重くしなければならない。しかしその転換には時間がかかると見ている。出来るだけ軍需で食い繋ぎたいのだ。つまり太く短くではなく細く長くを望んでいる。国防委員会も彼らが潰れる事は望んでいない。受け入れざるを得ない。

「さて我々も仕事にかかろう。首脳会談が成功した以上同盟議会に外交委員会と通商委員会の設立法案を提出し承認を求めたい。トリューニヒト議長からも自分が戻る前に成立させて欲しいと連絡が有った」
ターレルの言葉に皆が頷いた。

「同盟市民も今回の首脳会談には満足している。特に問題は無いだろう」
「そうだな、委員長ポストが二つ増えるのだ。議会も嫌とは言わんさ」
ラウドとボローンの遣り取りに皆が笑い声を上げた。外交委員会も通商委員会もこれからは何かとスポットライトを浴びるポストだ、新設のポストに抜擢される可能性が出てきたとなれば議員達も嬉しいだろう。

「問題は法案の成立よりも委員長の人選と委員会の立ち上げだな」
「庁舎は大丈夫なのかな?」
「外交委員会と通商委員会は合同庁舎になる。出来上がるのには三年はかかるだろうな。それまでは外交委員会は国防委員会、通商委員会は財政委員会、経済開発委員会の所で下宿生活になる」
マクワイヤーとラウドの問いにターレルが答えた。

「人選は? 委員長もそうだが委員会のメンバー、職員は?」
「シャロン委員長、主にだが外交委員会は国防委員会、軍から人を出す事になるだろう。通商委員会は財政委員会、経済開発委員会からだ。だから一緒にさせた」
ターレルが答えると皆が頷いた。

「となると後は委員長の人選か。難しいな、特に外交委員長だ。帝国との交渉役だからな、硬軟を使い分けられる人物でないといかん。それに帝国の事情に詳しい事が必要だが……」
ボローンの首を傾げながらの呟きに彼方此方から唸り声が起きた。気持ちは分かる、帝国の内情に詳しい人物など皆無に等しい。

「適任は諮問委員長だが……」
「それは無理だよ、シャロン委員長。諮問委員長という良く分からないシロモノでも結構反発が出た。外交委員長などに就任したら亡命者だから帝国に甘いと必ず非難が出るぞ」
私が反対すると誰かが“そうだな”と相槌を打った。皆も頷いている。シャロン自身も頷いているから本人も難しいと思っていたのだろう。

「委員長の人選についてはトリューニヒト議長が戻ってからでも良いだろう。議長に意中の人が居るかもしれん。我々が先走る事は無い」
ターレルの提案に皆が頷いた。まあ体の良い先送りだな。しかし適任者が直ぐには見つかりそうにないのも事実だ。



宇宙歴 796年 6月 25日  第一艦隊旗艦  アエネアース   マルコム・ワイドボーン  



艦橋にスーツ姿の男が入って来た、ヴァレンシュタインだ。その事に気付いた人間が慌てて姿勢を正してヴァレンシュタインを迎えた。奴は“気にせず仕事をしてください”と言って俺の方に向かってきた。
「如何した?」
「偶にはワイドボーン提督と話をしてはどうかとミハマ大佐に言われました」
思わず失笑が漏れた。ヴァレンシュタインは憮然としている。周囲の人間に少し席を外してくれと頼んだ。ヴァレンシュタインが手近な席に腰を下ろした。

イゼルローン要塞に来る時にはヴァレンシュタインは第三艦隊に乗っていた。だがヤンと激しく口論した。そのためミハマ大佐とグリーンヒル少佐が心配して俺の所に相談に来た。というよりも帰りはヴァレンシュタインを第一艦隊に乗せてくれと頼みに来たというのが本心だった。俺はホアン委員長とも相談して交換してもらった。まあホアン委員長もヤンと話してみたいという思いが有るらしい。交換はスムーズに行った。

「大佐も御守りが大変だよな」
「ヤン提督と話したんですか?」
「話した。ミハマ大佐やグリーンヒル少佐とも話したから何が有ったかは知っている」
“そうですか”と言ってヴァレンシュタインが頷いた。

「ヤンの奴は大分気にしていたぞ、お前さんに理想に酔うと言われた事をな」
「……如何思いますか、ワイドボーン提督は。見当外れだと?」
「酔っているかどうかは分からんが考え過ぎる所は有るだろうな。でもそれはお前さんも同じだろう」
ヴァレンシュタインが首を傾げた。

「考えはしますけどね、あそこまで疑い深くは有りません。ヤン提督は悪い方へ悪い方へと取りますよ。痛くも無い腹を探られるのは面白くありません」
実際面白くなさそうな表情をしている。周囲の人間がこちらをチラチラと見ているのが分かった。俺とヴァレンシュタインの仲を心配しているのかもしれない。艦隊の中ではヴァレンシュタインとヤンが激しい口論をしたという噂が流れているらしい。教えてくれたスールズカリッター少佐を窘めておいたが……。

「不安なんだろう。奴にはお前さんが人間不信になっているように見えるんだ。そしてその原因が自分に有ると思っている。お前さんの影響力が強まるにつれ責任と不安を感じるのさ。もしかすると第二のルドルフになるのではないかとな」
「自分が怪物を生んでしまったと? まるでフランケンシュタインですね。私は彼が生み出した怪物ですか」
ヴァレンシュタインは薄い笑みを浮かべていた。今更何を言っているのか、そんな気持ちが有るのかもしれない。胸が痛んだ。

「そんな言い方をするな。奴はお前さんにルドルフになって欲しくないんだ。お前さんの力量を認めているからな。だから心配している」
「……」
「本当だぞ、今回の首脳会談が上手く行ったのもお前さんの力量によるものだ。ようやく戦争が終わる。ヤンはその事を喜んでいるよ」
納得した様な表情ではない、しかしさっきまで有った笑みは消えていた。多少は効果が有ったようだ。話を変えた方が良いだろう。

「それにしても帝国は良くこちらの言い分を受け入れたな」
「負けていませんからね、受け入れやすいんです」
妙な事を言うな、負けていない? 俺が疑問に思っているとヴァレンシュタインがクスッと笑った。

「どういう意味だ、帝国が負けていないとは。あの首脳会談は同盟の負けだとでも?」
「そうじゃありません。同盟も帝国も負けていないんです」
「……敗者は居なかった?」
「いいえ、居ますよ」
「……同盟も帝国も負けていない、敗者は居る……、フェザーンか」
ヴァレンシュタインが頷いた。

「しかしフェザーンは独立しただろう。勝者じゃないのか? 敗者とは言えないはずだ」
ヴァレンシュタインが今度は声を上げて笑った。
「今回の首脳会談は宇宙の、人類の未来を変える会談だったんです。しかしその場にフェザーンのペイワードは居ない。同盟も帝国もフェザーン抜きで未来を決めました、フェザーンを独立させるという事を含めてね。フェザーンは独立を勝ち取ったんじゃない、与えられたんです。それでも勝者ですか?」
思わず唸り声が出た。そういう見方が有ったか。

「それにフェザーンは自治領といっても内実は独立国でした。帝国にとってフェザーンを失う事は致命傷でもなんでも無い」
「……」
元々フェザーンにとって独立は必要不可欠なものでは無かった。自治領で十分だったのだとヴァレンシュタインは話し始めた。

フェザーンが独立を求めたのは同盟軍がフェザーンを占領した後に独立を保障すると声明を出した事、そして帝国に対する反発からだった。帝国の自治領である事に感情面で我慢が出来なくなったのだ。だがそのためにフェザーンは様々な物を失う事になった。自治領に甘んじていれば帝国に対しては損害賠償の請求権、同盟に対しては国債の返還を求める事が出来ただろう。だが独立を望んだが故にそれらは全て放棄させられた……。

「しかしそれで帝国が勝ったと言えるのか? フェザーンからの損害賠償の請求は無くなったが同盟に対しては国債を償還するんだろう。向こうにとっては屈辱だと思うが……」
ヴァレンシュタインがまた声を上げて笑った。

「賠償金じゃありません、国債の償還です。借りたものを返す、当たり前の事ですよ」
「それは分かるが」
「十二兆帝国マルクの内償還するのは九兆帝国マルク、しかも償還には九十年かけます。戦争が無くなれば人口も増加する、当然ですが通貨の供給量も増えますし物価の上昇も有る。九兆帝国マルクの国債とは言いますが実際の貨幣価値はもっと下がるでしょう。それでも屈辱ですか?」

なるほど、そういう事か。同盟は自国の国債を回収し帝国から国債の償還を受け取る。帝国は自国の発行した国債を圧倒的に有利な条件で償還する。そしてフェザーンは国債を全て失った。同盟、帝国が実利を得ているのに対してフェザーンは形ばかりの独立という名を得ただけだ。確かにフェザーンは勝者とは言えない。

「イゼルローン要塞はどうなんだ?」
「戦争が無くなれば軍事要塞の価値は激減します。国際協力都市と利用した方が遥かにメリットが有りますよ。商船が入港するだけで入港料を取れるんですから」
「……」
俺が納得していないと見たのだろう、ヴァレンシュタインが言葉を続けた。

「イゼルローン回廊を全面開放すれば同盟も帝国も目の前に巨大な新市場が現れるんです。企業も商人も積極的にイゼルローン国際協力都市を利用するでしょう。帝国にとっては金の卵を産むニワトリみたいな存在になります」
「なるほど、そしてフェザーンは中間貿易で得ていた利益を独占する事が出来なくなった……」
「ええ」
ここでもフェザーンは敗者になっている。同盟と帝国が新たな市場を獲得したのに対してフェザーンは市場の独占を奪われた。

「イゼルローン国際協力都市が栄えれば栄えるほど帝国にとってその重要性は高まります。そしてその繁栄を維持しようと努めるはずです」
「つまり平和の維持か」
ヴァレンシュタインが首を横に振った。

「それだけでは有りません。もし同盟、帝国間で軍事的な緊張が発生しても帝国はイゼルローン方面での軍事行動は挑発や威嚇でさえも控えるでしょう。おそらくは同盟も同じです」
「……という事は、……フェザーンか!」
ヴァレンシュタインが頷いた。

「ええ、フェザーンを独立させたことで帝国も同盟も変なしがらみに囚われることなく軍事行動を起こせます。フェザーン回廊で多少の小競り合いを起こしながらイゼルローン国際協力都市で落としどころを探る、そうなるでしょう。幸いイゼルローンには両国の政府機関が有る。様々なレベルで交渉は可能です。そういう意味でもイゼルローン回廊では軍事行動が起こし難くなる」
「なんてこった」

気が付けばイゼルローン回廊は中立が望まれフェザーン回廊が紛争地帯になろうとしている。当然だがフェザーンとフェザーン商人達の負うリスクは高まる事になる。確かにフェザーンは敗者だ。何一つとして利を得ていない。思わず溜息が出た。そんな俺を見てヴァレンシュタインが声を上げて笑った。酷い奴だ。

ヤンが言った事を思い出した。
“宇宙は今混沌の中にある。人類は一から秩序を築き上げる事になるだろう。どんなことでも可能だし、どんなことが起きても不思議じゃない。これまでの常識はもう通用しない……”
奴の言った通りになった。俺の目の前にいる男がその秩序を作り上げた。また溜息が出た。どれだけの人間が宇宙に新秩序が出来たと理解しているだろう?

「ペイワードは失敗したんです」
「そうだな」
「独立を求めるよりも自らのイニシアチブで同盟、帝国、フェザーンの首脳会談をフェザーンで行うべきでした。そして帝国に対して損害賠償請求を取り下げる代わりに同盟に対して共同で対処しようと提案するべきだったんです」

確かにその通りだ。
「株の返還は上手く行ったでしょうね。国債の返還も全額は難しいでしょうが或る程度は戻ってきた可能性は有る。フェザーン回廊を全面開放して同盟、帝国の直接の交易を認めればイゼルローン回廊を軍事用の回廊に留めおく事も出来たでしょう。そうなれば中間貿易で得ていた利益は減少したかもしれませんがフェザーンは交易の中心でいられた筈です。政治的な影響力も多少は維持出来たかもしれない」

「かもしれない。だが難しいだろうな、お前さんがそれを許すはずもない、違うか?」
「そうですね。それに平和が続けばフェザーンの影響力は減少します。いずれは無力な交易都市になったでしょう」
どういう意味だ? 説明を求めるとヴァレンシュタインは“喉が渇きました”と水を求めた。俺も喉が渇いていた。スールズカリッター少佐に水を用意させた。

水を飲むとヴァレンシュタインが話し始めた。
「人口の問題です」
「人口?」
俺が問い掛けるとヴァレンシュタインは頷いた。

「フェザーンには居住可能惑星は一つしか有りません。フェザーンが抱えられる人口は精々百億が限度でしょう」
「そうだろうな。今フェザーンの人口は二十億程度だから後八十億は余裕が有る。何が問題なんだ?」
ヴァレンシュタインがちょっと困ったような表情をした。いかんな、どうやら俺は的を外したらしい。

「同盟と帝国はそれぞれ三千億ぐらいまでは人口を増やす事が出来ます。両国を合わせれば六千億です。それに比べればフェザーンの百億というのは余りにも少な過ぎます。人口というのは国力に直結しやすい。とてもでは有りませんがフェザーンは影響力など発揮出来ないでしょう」
「なるほど、確かにそうだな。平和が続けば人口が増加する。平和が続くほどフェザーンの影響力は小さくなるか……」
ヴァレンシュタインが頷いた。

「フェザーンが同盟、帝国に伍して行けたのは同盟と帝国が戦争状態にあったから、フェザーンの中立が保障されていたからなんです。特殊な状態下でのみ起こり得た状況だった。それが無くなった以上フェザーンの地位が低下するのは已むを得ません。フェザーンはこれからも或る程度は繁栄するでしょうが影響力は徐々に失うはずです」

徒花だな、と思った。フェザーンは人類の混乱の中でのみ人の血を吸って咲き誇った徒花だった。種をまいたのは地球教、最初から豊かな実など付ける事の無い徒花……。人類が混乱から醒めた以上これからのフェザーンは無力な花になるだろう……。



 
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