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やはり俺がワイルドな交友関係を結ぶなんてまちがっている。

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実は、里中千枝は気が使える。

「ね、今からちょっと話していこうよ、比企谷先輩」

小西が去った後、唐突にジャージ少女もとい里中がそう提案した。
軽くデジャヴ。何その誘い方、流行ってんの?

「悪いが、俺は帰らにゃならん」

「いいじゃん、ビフテキ奢るよ。花村が」

「おい里中、ちゃっかり何言っちゃってんの!?」

「DVD」

「ぐっ…………」

一言で花村を黙らせた里中だったが、次にはけろっとした顔で前言撤回した。

「まぁ、それは嘘だけど……お礼したいってのはホントだからさ」

「いや…………だから俺は何もしてねぇだろ」

本当に何もしていないから困っているのである。
たまたま腐った眼が活躍した、ただそれだけ。こんなんでお礼などされたら、悪くも無いのに罪悪感で一杯になってしまう。

「むー…………よし。もし来てくれなかったらこれからも先輩に付きまとう。これでどう!?」

いや、これでどう!? じゃねえよ。

そこで、考え込んでいる風だった花村が突然手を合わせてきた。

「先輩、やっぱ俺奢るんで、お願いします!」

「……いきなりどうした」

里中は置くとして、俺がコイツに奢られる理由がない。なら、何か目的があるはず。何だ、それは。

花村は軽く目をそらした。

「ちょっと、聞きたいことあるんで……」

直ぐに小西の事だろうと分かった。ただ、詳しくは予想がつかない。
俺と小西との関係を問いただしたいのか、それとも…………

「……五時までならな」

普段小町が夕飯の準備を始めるのが六時過ぎ。まだ堂島宅に慣れていないことも含めて考えると、今日はもう少し早いだろう。
ジュネスからなら三十分もあれば家まで帰れるから、それが妥当な時間だ。

恵まれるのではなく交換条件として奢られるのなら、それを断る理由はなかった。



「花村! ビフテキじゃないじゃん、コレ!」

テーブルにタコ焼きのパックが二つ置かれた時の里中の一言である。
さっきのビフテキ宣言は冗談のつもりじゃなかったんですね。

「いや、二人に奢るなら流石に肉は無理だっつーの」

「いやだー、ビーフーテーキー! 肉ーっ!」

その後も肉コールを叫び続ける里中に花村が飽きれた視線を送る。
つーか、肉肉連発するって女子としてどうなの?

「そもそもジュネスにビフテキないって」

「いや、そうだけどさぁ。そこは気分じゃん」

「どんな気分だよ……。まあ、装備する予定はあるけどな」

「それホント!? 花村のコネで安くなったりしない?」

里中の言葉に花村が渋い顔になる。

「そういうのは無理だっての……」

「そっか」

そんな花村の変化を知ってか知らずか、里中は明後日の方向を向いて呟いた。

「ホント、ジュネスって便利だよね……商店街とか、行かなくなっちゃった」

「……里中、今度ビフテキ奢るから、マジでそういう話やめて」

「あ…………ゴメン」

冗談めかして言おうとして失敗した花村を見て、里中が俯いた。

「………………」

何、何でこないだからこんな重苦しい雰囲気が蔓延してんの?
田舎ってもっとのどかなもんだろ。そうじゃないの、ねえ。
それともあれか。これは俺が来たせいなのか? 比企谷菌が散布されちゃったからなの? だとすれば稲羽市は街中に空気清浄機を設置するべき。

ただ、そんなものはないわけで。なら人間がその代わりをするしかない。

「……んで花村、話って? 俺は愛する妹の為に一刻も早く家に帰りたいんだが」

持って行った先の話が話だが、得意の自虐は相手がある程度俺のことを知っていないと使えないので仕方ない。

と、里中が少し予想外な反応を返した。

「…………確か、昨日も妹が理由で断ってたよね」

「……先輩、俺はいいと思うっすよ、シスコンキャラ」

「いやまて、俺はシスコンじゃない。某千葉のディープな方の兄妹とは違う。あくまで家族として妹を愛しているだけだ」

「そんなことを臆面もなく言える時点でシスコンじゃん」

「つかディープな方って…………」

正直予期しなかったオチがついたが、空気は払拭されたから結果オーライである。
このオチで良いのか、俺。

気を取り直した花村が佇まいを直した。

「…………小西先輩って、クラスで何かあったりするんすか? 」

やはり小西がらみか。

「何でそう思った?」

「なんか、元気なかったんで……」

「……俺の見る限りクラスメイトとは上手くやってるみたいだったが」

とりあえずぼかしたが、むしろ間接的な原因は花村にあるのではないだろうか。本人にそのつもりがなくとも、花村の存在が小西を縛っているように俺には見えた。
が、さすがに、原因はお前だー、とは言えない。そもそも確証がない。

まあ、多分花村がそう感じた理由はそれだけでは無いのだろう。元気がないからだけで、わざわざ知り合ったばかりの先輩を引き留めやしない。
なら、クラスで何かがあったと思わせるような下敷き、もしくは小西に行動の異常があったはずなのだ。

花村が続けた。

「……小西先輩、あれで結構ガード堅いっすから……男と二人きりになんて、そうそうならないんすよ」

「そうなの? 意外」

これには里中が反応した。

俺としても意外としか言いようがなかった。ここ二日で見てきた小西のイメージとは結びつかない。
俺の拒否をガン無視で迫ってくる彼女は、むしろノーガードで殴りまくってくるタイプだと思っていた。

「だから比企谷先輩が小西先輩と二人でいたって気づいたときは、正直ギョッとして……なんかあったのかな、って」

ああ、あの警戒の目線にはそういう意味も含まれていたのね。

だが、彼の話を真に受けるのなら、今日小西の方から二人きりの状況をつくってきたのはおかしい。

おそらく、といっても本当に主観的な話になってしまうが、きっと花村は小西のことを良く見てきたのだろう。
そんな彼が持っている小西像と、俺の見た小西のイメージとのズレ。

考えられるのは。

まず、俺が他の人間の持たないものを持っていた場合。
ぼっち、違う。腐った眼、無いな。転校生…………転校生か。
とはいえ、転校生だからなんだというのだ。
こちらの可能性は排除だ。

となると…………ああ、これだな多分。
二つめ、俺が男として見られていなかった説。これ採用。

また、つまらぬ解を出してしまった。

「……比企谷先輩、ホントに何か知らないっすか?」

「……すまんな」

ここで小西の元気のなさの原因をぶっちゃけてしまうのは簡単だ。
だがそれはあくまで俺の勝手な予想であり、確かなものでない。
それに加えて、きっとこれは、知り合って間もない俺が軽々しく立ち入っていい問題ではない。

人間関係は脆い。去年の奉仕部崩壊における最後の一押しが生徒会選挙の一件だったように、何らかの外的要因で簡単に崩れてしまう。

もし俺の不用意な発言が彼らの関係を壊してしまったら。
その責任をとる覚悟は、俺にはない。

「…………あ!」

停滞した会話のなか、里中が何かを気づいたように顔をあげた。

「先輩、小西先輩と同じクラスってことは、二人ともモロ組じゃん? モロキンに絡まれてるとかは?」

「あー…………どうなんだ?」

正直、諸岡の正常運転がどの程度かわからないから判別がつかない。小西も今日は休んでいたし。
知らなかったんだけどね。

答えたのは花村だった。

「それは無いと思う。小西先輩、モロキンにはむしろ気に入られてるから」

「マジで!? いいなぁー、あたし一年のときめっちゃ説教くらったよ……」

「まあ、確かにありゃウザいな」

「あ、比企谷先輩もくらったの?」

「まあな」

「あれかな、八高生が全員通る関門、みたいな?」

里中がそう言いつつ、考えている風の花村の方へちらりと視線を送る。

「………………」

「……花村、ちょっと気にしすぎなんじゃないの? 小西先輩、たまたま疲れてただけかもしれないじゃん」

「そうかもしんないけどさ……」

花村は視線を彷徨わせる。

「…………そうだ」

その様子を見て、里中が軽く息をつきつつ身を乗り出してきた。

「ねぇ、迷える花村に良いコト教えたげる」

本当、お疲れ様です。そう思いました、まる。

「……マヨナカテレビって、知ってる?」

「マヨナカテレビ……?」

なんかこう、B級都市伝説的なにおい漂うネーミングセンスだな。

「……雨の日の午前零時に消えてるテレビを一人で見るんだって。画面に映る自分の顔を見つめてると、別の人間が映るってヤツ」

あー、その先は何か予想つく。

「……で、そこに映った人が運命の人なんだってさ」

安易だね。安易すぎて安易だ。
あれ、このコメントも安易?

まあでも、女子の好きそうな類かなぁ、何て思っていると、花村が意外な反応を返した。

「……ああそれ、俺やったことあるわ」

「……え。マジで?」

やべえ、思わず言葉が口をついて出ちまったよ。
ていうか、え、花村くん、意外とピュアですね。

「ねえねえ花村、何か映ったの?」

里中が興味しんしんなふうにたずねる。

ここでもし"小西先輩"とか答えられたら、どこの不思議系ラブコメだって話だが、まあ、里中の期待するような展開はないだろうな。

「いや、それがさ…………何か、山野アナが映ったんだよ」

は、映ったの?

って一瞬でも本気で反応しそうになった自分が恥ずかしい。冗談に決まってるじゃんか。
ほら、よくあるだろ? クラスメイトに"蹴るぞ"って言われて、ビビってたら"冗談だって〜(笑)"なんて。でも結局蹴られるんだよね。
何それ冗談じゃないじゃん。以上、最近の若者の言葉の乱れを本気で心配する高3生でした。

「いや、信じらんねーかもしんないけど、マジなんだって」

え、もしかしなくてもイタい系の人だったの、花村くん。
真剣な顔で言われても、僕信じないよ。

「それって不倫でニュースになってる人だよね…………花村、あたしは信じるよ」

おーい、里中さん? この話は花村の注意を逸らすための、ほんのジョークだったんじゃないのー?

里中は続ける。

「ほら、何か映ったって話自体は結構聴くし……何より、あたしも見たんだよね、山野アナ」

そんな"みんなやってるよ"的な言葉に、俺は騙されたりしない。そういう類の話は一度許してしまったら以降も流されるしかなくなるのだ。

「でもそれだとおかしくないか? 二人の運命の相手が同じ人って」

何故そんな与太話が実在している方向で話が進んでいるのだろうか。

…………ん、待てよ?

「……与太話、俺も経験してる?」

そう、昨日の夜、確か……

「あれ、もしかして比企谷先輩も山野アナが映ったり?」

「いや、それとは違うんだが……」

まあ、話すだけならタダか。




「アハッ、アハハハッハハハハッ!」

「……いや、そんなに笑わなくても」

笑い転げる二人。周囲の視線が痛い。

「あははっ……い、いや、だってさぁ」

「テレビに引きずり込まれそうになったって……流石にそれは……ははっ」

いやそれ、そんなに面白いか? 普通に寝落ち乙で流すとこだろ。

「まさか比企谷先輩からそんな話が聞けるとは思って無かったっすから」

「そうそう、テレビがちっちゃくて引きずり込まれずに済んだってとこなんか、微妙にリアリティあって面白いし」

「……そりゃ良かったな」

クソ、自分でも与太話だと分かっているが、やはり目の前で笑われると気分が悪い。

「いやすんません、あんまし面白かったんで……」

「いやー、ゴメンゴメン……そうだ花村! ジュネスならあるんじゃないの? 人ひとり入れくらい、おっきいテレビ」

「ああ、あるぜ。うん、今から見にいくか?」

お前ら、絶対すまないと思って無いだろ。いや、もういいけどさ。

話がひと段落つき、暗い空気も払拭されたところで。
ポツリ、と何かが額に落ちて来た。

「…………あ、雨」

「……とりあえず中に入るか」

「そっすね」

見上げた空に、黒ずんだ雲が流れ込んできていた。



「……んで、何で来たの?」

「いや……ノリで?」

ところ変わってジュネスの家電製品売り場である。まあ、テレビを売っている。

何、さっきの与太話を間に受けた訳? ……いや、無いだろ。

「いいじゃん、モノは試しだって。……ほら、やってみるよ、花村」

「おう。……じゃ、せーのっ」

二人して、売り場中央のひときわ大きなテレビの画面に、ピタリと触れる。

「…………」

当然、何も起きない。

「………まぁ、そりゃそっか」

「だよな」

いや、そんな顔でこっち見られても。寝ぼけててすんませんっした、としか言いようがない。

里中が、切り替えたように辺りを見渡す。

「そういえばウチ、丁度テレビ買い替えようと思ってるんだよね。花村、何か安いの無い?」

「ん? ああ、安いのならこっちの方だな」

遠ざかっていく二人を尻目に、俺は未だテレビの前に立っていた。
妙に引っかかっていたのだ。
昨日の出来事。夢にしては、やけにハッキリと記憶に残っている。

「これとかはどうでしょう、里中さん」

「高っ! ゼロ一杯ついてんじゃん」

「……いや、お前んちの高いがどれ位か教えてくれなけりゃ、判断のしようがねぇよ」

「………………」




その時、俺は何を考えていたのだろうか。
多分、何も考えていなかったのだろう。でなけりゃ、あんな馬鹿らしい行動しやしない。
だが、どれだけ馬鹿らしくても、それが引き金になったことは確かだ。
この時、この瞬間より、比企谷八幡の常識は大きな変貌を遂げていくこととなる。




「…………おいっ、里中、アレ! アレ!」

「どしたの、花む……うわぁっ!? 手が刺さってる!?」

二人の悲鳴ともつかない叫びで、俺の思考は回復した。
次いで、現実逃避の原因となった事象を再確認。

俺の右手が、テレビに刺さっていた。

「………………」

ともかく、左手で頬をつねってみる。痛い。

ふむ、夢ではない……のか?

「何あれ花村、どんな新機能!?」

「しらねーよ! つーか新機能な訳ねーだろ!」

ぎゃーぎゃー言いながら二人が駆け寄ってくる。

その時。

『だれクマっ!』

テレビの奥から聞こえた妙な声。

同時、手を掴まれる感覚。次の瞬間、ぐい、と腕が引っ張られる。

引きずり込まれる!?

とっさに隣の花村をつかんだが、彼のつかんだ里中も一緒に、あえなく全員でテレビの中へ落ちてしまった。






「ーーーー痛っ」

「ぐっ…………」

着地に失敗した。
硬い地面にしこたま尻を打つ。

「……くそっ、ケツが割れた」

「もともとだ、花村」

同じく尻を打ったらしい花村が立ち上がる。頭を打たなかったのは奇跡に近い。

「……どこ、ここ」

里中が辺りを見渡し、俺達もそれに倣う。

「……なんも見えねぇ」

辺りは深い霧に包まれていた。それは視界を大きく制限してくるのに加え、じめじめと質量をもってのしかかってくるようだった。

「どこだと思う、先輩」

……ふむ。

「全員揃って夢見てるんじゃなけりゃ、流れ的にテレビの中ってことだろ」

「だよねー……って、それは流石にないでしょ!?」

この状況でノリツッコミとは余裕だな、里中。まあ、可能性は実際に一番高いんだが。

「うー……この際、もうどこでもいいや。とりあえずここから出ようよ…………っ!?」

肩を縮こまらせている彼女の斜め後ろから、ぬっと花村が現れた。

「花村っ、いきなり後ろに来ないでよ! ビックリすんじゃん」

「悪ぃ悪ぃ。今、ぱっとその辺を見てきたんだけどな。……アレだ。出口が分からない」

「え」

花村は頭をかいて続ける。

「いやさ、道自体は何本か見つけたんだけどな。当然の事ながら、どれを進めば良いのか分からないんだよ」

「ああ……って、どうすんのそれ!?」

「知るか! 俺に聞くなっての!」

「知るかじゃないって! どうしよう!?
カンで探し回ってみる!?」

「そうだな、とりあえず各自出口を探す方向でっ……」

「お前ら、落ち着け」

どんどんと先走って行こうとする二人にストップをかける。

「ここで全員がバラバラになるのは良くない。下手すりゃ合流できなくなっちまう」

「あ、ああ」

「うん……わかった」

ある程度はクールダウンした様で何よりだ。
非常時に必要なのは、第一に冷静さだ。それを欠けば普段ならまず見落とさないものでさえ見落としてしまう。
それに加えて、自分の置かれた状況を迅速かつ正確に把握し、順序だてて物事に対処する能力が必要になる。

さあ、考えろ。
制限された視界、皆無な方向感、分からぬ出口。
その上で、この状況から脱出するために最善の選択肢は。

「……よし、ともかく携帯だ。花村、ここから連絡が取れないか試してくれ」

「あ、はい! ……そっすよね、ケータイあったんすよね」

そう、軽くパニック状態になっていたからすぐに気づけなかったが、俺達には携帯電話という文明の利器があったのだ。

花村が携帯を取り出し、耳にあてる。

実のところ、すんなりと連絡がつくとは思っていなかった。
別に予感とか予知とかではない。単純に、俺という人間が疑いからしか思考を開始できないからだ。
ここでもし携帯電話で連絡がつくのなら、それが最良だ。
だがそんなに物事がうまくいくとは限らない。なら一つの解を導き出した程度で思考を止めている暇などないだろう。

花村が携帯を耳から離した。どうやら結果が出たらしい。

「先輩、連絡ダメでーーー」

「ーーーねえ、アレ!!」

突然、里中が霧の中の何かを指した。
その大声に反射的にそちらに目をやる。

にょっこりと立っていたのは、丸っこい物体。いや、動作があることを勘定すると生物と言うべきか。

立ち込める霧のせいで細部までは見えないが、胴体らしきタマゴ型から、人間でいう手と足が生えている。
それをにょこにょこ動かしながら、少しづつ近づいてくる。

人ではない……何だ?

隣で、誰かが唾を呑む音が聞こえた。
位置関係でそれが里中だったか花村だったか判別できなかったあたり、俺も相当余裕がないのだろう。

だから。

「ーーキミ達……」

なんて人間の言葉を発しながら、ソイツがことさら大きく踏み込んできたとき。

「花村、里中!」

「う、うっす!」

「う、うわああああああっ!」

俺達は全速力でその場から逃げ出していた。

冷静さ? はっ、そんなもん知らないね。






「ぜぇ、ぜぇ……」

「し、しんどっ……」

三人揃って肩で息をする。あの物体は何とか巻くことができた。
それは良いのだが。

「…………マズいな」

「どっから来たか、分からなくなっちゃいましたね……」

せめてさっきの場所が分かればいいのだが、なにしろ半オートパイロット状態で走ってきたから、どこをどう走ったかなんて全く覚えていなかった。

「…………何この部屋、気持ち悪い……」

里中が呟き、俺もようやく辺りを見渡す余裕ができた。

俺達が駆け込んできた場所は、確かに部屋のようになっていた。
板張りの床と天井。そして四方を囲む壁。
異様さはその壁からきていた。
壁一面に貼りまくられた無数のポスター。一様に和服を着た女性の写ったそれは、馬鹿丁寧に、一枚一枚女性の首のところで掻き切られていた。
そして、塗りたくられた真紅のペンキ。どろどろと流れてくるように錯覚さえするそれは、まるで血糊だ。
その様は、軽くスプラッタ。

確かにこれは、気分が悪くなってくる。

「おい……あれ」

なんだよ、まだ何か見つけるのかよ。本格的に辟易としつつも、花村の指し示す先へ目を向ける。

「…………あの椅子と紐の位置、なんともあからさまな……」

「……やっぱりそうっすよね」

「……何でそういうの見つけるかなぁ」

部屋の片隅、天井から吊り下げられた輪っか付きロープとその真下に位置する椅子。
まああれだ、そっとしておこう。

「……あれって、絶対首吊……」

「わぁぁぁぁっ! 言うな花村っ!!」

空気を読まない花村を里中が制す。ナイス仕事。

「……とりあえず、この部屋から出よう」

「そだね、行き止まりみたいだし……」

そう言い合って踵を返し、そして気づく。部屋の入り口に立っているもの。さっき見た丸っこい生物の正体。

「キ……キミ達、誰クマ!?」

………………クマ?

うん、迷ったら人に聞いてみよう。

「……なあ里中、どう思う?」

「うーん、そうじゃんね。パンダかアザラシ?」

「いやそれは……とりあえずクマではないな」

「ヒ、ヒドい!? キミ達シドいクマ!?」

俺たち三人の会話にいささかオーバー気味に反応したソイツは、端的に言えば着ぐるみだった。
毛皮が割とふさふさ、目玉が動くという点において本格的な作りをしている。多分それはこの場における共通の認識だ。
評価が分かれるのはここからで、それは何かと聞かれれば、この着ぐるみのモチーフだった。
語尾を聞く限り、本人はクマを自称しているようだが、果たしてその外見を見てクマと断ずることのできる人間が何人いるだろうか。
球に近いその体型は明らかにクマのものではないし、色も赤青黄色とおよそクマらしくない。唯一クマらしさを残しているのは、半円状の耳くらいか。
まあ、良いんだけどね。どっかの誰か風に、我を見た目で断ずるな、とも言うし。きっと本人の心の持ちようなのだ。彼はあれほどまでにクマらしくない体を与えられ、それでも主人の言いつけ通りにクマを演じようとしているのだ。何と健気なことか。
まだ見ぬクマ(仮)の中の人に、乾杯。

「な……何でそんな目でクマを見てるクマ?」

「いや……あれだ。たとえ世界中の人間全てに馬鹿にされたとしても、俺だけはお前の味方だからな」

「いきなりどうしたの比企谷先輩!?」

おっと、俺的に言ってみたいセリフベスト14が出てしまった。なにそれ微妙な順位。

まあ、追ってきたのが人間でよかった。この霧の中、こんなふざけた格好をしているくらいだ。この辺りの地理にも詳しいのだろう。

「……とにかく、キミ達は早くあっちに帰るクマ」

そう、その言葉を待っていた! のだが。

「あっちってのは何なんだ? と言うか、そもそもここは何処なんだ?」

「ここはここクマ。クマがずっと住んでるところクマよ」

「答えになってねぇ……」

俺の呟きは安定のスルー。着ぐるみはキッとした目をつくると言葉を続けた。

「最近、誰かがココに人を放り込むからクマ迷惑してるクマよ! 誰の仕業か知らんけどあっちの人も少しは考えて欲しいクマよ!」

「意味わかんねぇよ! カッコといい何といいふざけてんのか!?」

「ムッキー! ふざけて何かないクマよ!」

花村との怒鳴りあいを聞くうちに、ふと思い出した。

「その声……どこかで聞いたような気が」

「あ、あたしもそう。確か…………そうだ! テレビに引きずり込まれる前じゃんよ!」

「マジかよ!?」

花村が着ぐるみを睨みつけると、

「むっ……ということは、キミ達がココに手を突っ込んでた人らクマね!」

と、ビシリとこちらに指を突きつけてきたのだが。

「てめぇが俺たちをココに引っ張りこんだのか!!!」

「ヒ、ヒィっ」

花村がにじり寄ると、途端に手のひらを返した。

「く、クマはただ向こうでイタズラしてるのが誰か知りたかっただけクマ。べ、別にキミ達に危害を加えようとか思って無いクマ。だから…………お助けーっ!」

「問答無用っ!」

飛びかかった花村に押し倒される。

「…………弱ぇ」

花村と着ぐるみが組んず解れつしているのを眺めていると、着ぐるみの頭が取れた。

どうでもいいけど、組んず解れつって海老菜さんが好きそうなワードだよな。腐女子って着ぐるみも守備範囲なんだろうか。

いや、いまは本当にそんなことどうでも良いや。最近現実逃避の回数が増えすぎて困る。もっと平和な日常を俺は強く望む。

「…………中身が、無い……!?」

そう、そうなのである。なんと着ぐるみには中身が無かったのである。

なんだよ、何? どっかから遠隔操作でもしてるの? の割には、着ぐるみのなかは完璧な空洞で、そんな装置どこにもついていない。
マジで生き物な訳? こいつ。

混乱気味な俺たちに、二つに別れた着ぐるみの、胴体の方から声がした。

「…………起こして」

弱い事に変わりはないようだった。

相変わらずのヘタレっぷりに呆れつつ、ともかく言うとおりにしてやろうと、近くにあった頭の方に近づいたときだった。

「この気配……っ!?」

花村が起こそうとしている胴体の方から緊迫した声がした。
何か起きたのかとそちらを向く。
見ると、花村と里中が俺の後ろを指差しながら、アワアワやっていた。

「やっぱり……シャドウが来たクマ!!」

「ひ、比企谷先輩!」

「後ろ、後ろ!」

うわ、見たくねえ。これはあれだろ? 振り向いたら、アホが見〜る〜、とか言われるやつだろ? そうなんだろう?

「…………っ!!」

そこにいたのはこれ正真正銘化け物だった。
クマの着ぐるみなんて目じゃない。一目見て異質と分かるその姿。

「ソイツらはシャドウクマ! 暴れ出すと手がつけられない、この世界に蠢く影クマ!!」

空飛ぶボールに舌が生えた。簡単に表すならそれで済む。
だが、現実に奴らと相対すれば分かるだろう。奴らの存在する辺りの空間だけ、空気が重い。
ズシリと、肩と腹の奥に何かがのしかかってくるようだった。

「う、うわ…………っ」

花村達の元へ走ろうとして、足がもつれた。深い霧のせいで足下がよく見えなかったからだ。

慌てて尻餅をついたような態勢になって、後ずさる。
三体いるボールどもがうねうねと宙を舞い、こちらへ寄ってくる。

「くっ………………ん?」

頭に重さを感じる。
本能的に少しでも身を守ろうとしたのか、俺はいつの間にか着ぐるみの頭の方を被っていた。
その辺、人間上手く出来ていると言うべきか、溺れる者は藁をも掴むというべきか。
まあいい。問題は、視界が急に良好になったという事だ。
具体的に言うと、霧が晴れて見える。
着ぐるみの頭の恩恵か。

これならいける、か?
駿足で態勢を立て直し、花村らの元へ走れば。視界が良好な分、そこから先へも逃げやすい。

「……いや、無理だろ」

状況はもうそんな段階ではなかった。
目先数センチ。
その位置に、既に化け物の舌があった。

食われる、のか?
そうなのかもしれないし、舌でくすぐられて笑い転げて死ぬのかもしれない。
あ、その死に方いやだな。何か世界の面白い死に方100選とかにのりそう。
まあ、どんな死に方しようと実質俺には関係ないんだけどね。
死んだら死んだ。そこで終わりだ。
その後世界で自分の死がどう扱われようとも俺には関係ない。
ほら、某死神も言ってただろ。死する先は、等しく無だ。
俺が死んだら、葬式には誰が来てくれるだろうか。
まあまず、小町は来てくれるだろう。というか、来てほしい。身内すら来てくれない葬式とか悲惨すぎる。
あとは……あいつらは、来てくれるだろうか。正直わからない。

そこまで考えて、自分がやけに冷静なことに気づく。
死を目前にした覚醒状態、というやつだろうか。
いや、違う!?





「…………それで、その被り物は一体何でしょうか」

唐突に景色が変わっていた。
そこは、いつぞやの青い部屋。

前回と同じく中央に座る長っ鼻が、少し呆れたような目で見ていて、そして俺は自分の頭の上に乗っかる物のことを思い出す。

い、いやこれは自分の身を守るために必要な物というか……そう、ヘルメット! ヘルメットみたいなものだ!

「その耳の形、少しかわい…………いえ、なんでもありませんわ」

マーガレットさんの心の声はスルー。
数瞬前まで自分の置かれていた状況を思い出し、少し真面目な表情を作る。

さっきの……あれは何だ?

何故か、保障などないのに答えが返ってくると思った。
そして、予想通り長っ鼻が口を開く。

「ご自分でも分かっているのでは? 貴方様は、非日常へ足を踏み入れたのでぎざいます」

…………非日常。

「今まさに貴方の運命は節目の時にあり、ともすれば未来は閉ざされてしまうやもしれません」

ああ、死ぬのな。

「そんな身も蓋もない…………何の為にぼかしたのやら」

長っ鼻が軽くため息をついた。

「まあ、良いでしょう。……貴方には権利がある。生か死か。それを選ぶ権利が」

…………はぁ?

「言葉通りです。貴方が望めば、貴方はまだ生きていられる。逆に、望まなければ死を選ぶこともできますな」

生きていられる? あの状況でかよ。

「正確には、生きていられるよう私どもがお手伝いすると言いましょうか…………して、どうなさいますか」

んなもん、生きたいに決まってるだろ。

「…………ほう。少々意外な答えです。貴方の過去を考えれば……いえ、これは無粋でした」

うっせえ。あんたまで俺をディスるのか。
誰だって死ぬのは嫌だろが。
つーか、小町を一人残して死ねと?

「フフ、そうですな。したらば……マーガレット」

「はい」

マーガレットが、青く輝く何かをこちらに寄越してきた。

「ーーペルソナ。それは自らを守る、もう一人の自分でございます」

ペルソナ?

「お客様が自分と向き合い、克服した証とでも言いましょうか」

自分と向き合う、ねぇ。そんなことした覚えがないな。

「ええ。今回は私どものサポートありきの発動ですから」

意味が分からん。

「それで構いません。……ですが、私どもがお力添えしますのはあくまでこの一度だけ。以降はお客様自身の力で己と向き合っていただきます」

へいへい、大した発動条件ですね。

「ええーーせいぜいお気を付けてーーーー」






「ーーー比企谷先輩!?」

その声で我に返った。
同時、異変に気づく。

「この、光……っ」

ボール達が何かを恐れるように後退していた。
原因は、俺の手の中。
青く光輝く一枚のカード。

ふっと、頭にビジョンが浮かんだ。
いや、流れ込んでくると言った方が正しいか。まるで説明書でも読むように、頭の中に次行うべき動作が流れてくる。
ふむ、これがお力添えとやらか?


「………………ペ」

立ち上がる。
着ぐるみの目にあたる、レンズを通して見える光が一層強くなる。

「ル………………」

足下に、青く輝く陣が顕現する。

「ソ………………」

さあ、あと一工程だ。最後の一文字を、唱えろ。

「ナ………………ッ!!」

心臓が、大きく跳ねた。



「何だあれ!?」

「大きな……人間?」

ソレは人の形をとっていた。
半透明なくせに、しっかりとした質量を持ってそこに存在している。
なびく学ランに、煌めく刃。堂々としたその姿は番長という代名詞が相応しい。

これが、ペルソナ…………
もう一人の、俺…………?

俺は壮絶な違和感に襲われていた。
コイツがもう一人の俺? 何かの間違いじゃないのか?

「シャドウが来てるクマよ!!」

着ぐるみの叫びに雑念を振り払う。
今は細かいことはいい!

「…………イザナギッ」

頭に浮かんだソイツの名を唱える。

タイムラグはほぼなかった。
反応したソイツが接近してきたシャドウを己が刃で切り刻む。

「ギシェェェッ!?」

ボンっと弾け飛んだボールに構わず、次の標的へ。

渾身の刺突はにょろりと避けられた。
寄ってくるボールから一端距離をおく。

「ぐっ…………」

頭が締め上げられるような感覚に、思わず膝をつく。
お力添えとやらの副作用か?
流れ込んでくる自分のものでないビジョンに、脳が圧迫されているのかもしれなかった。

「先輩、危ない!」

眼前まで迫っていたボールを危うく回避する。
くそ、待ったなしかよ。

外れかかった着ぐるみの頭を被りなおす。アホらしいがこれがないと視界が狭すぎて戦闘なんて無理だ。

「ギィィィッ」

今度は二体同時に襲いかかってきた。
それでもやることは変わらない。頭に浮かんだビジョンに従うのみ。

「ーーーージオ」

刹那、イザナギの引き起こした雷がボールどもの頭上に落ちる。
ボールの一体がそれをモロにくらい、弾け飛んだ。

襲い来る激しい頭痛に悶絶しながらも、視線はズラさない。まだ一体残っている。
雷撃は上手く躱されたが……

「ーー予想範囲だ」

白刃が、最後のボールを両断した。



「はぁ……はぁ……」

地面に大の字に倒れこむ。

「比企谷先輩!」

「大丈夫っすか!?」

頭痛の残り香がしくしくと痛い。
震える手で着ぐるみの頭を外す。

答える余裕なんて、なかった。
 
 

 
後書き
書きたいシーンとかフレーズはたくさんあるのに、なかなかそこまでたどり着かなくてもどかしい……
今回の戦闘だってもっとカッコよく書けていれば・・・

こんな作品ですが、感想とか下さると嬉しいです。 
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