空を見上げる白き蓮 別事象『幽州√』
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第一話 友を得る白馬
公孫賛に連れられて着いたのは、豪華な佇まいの如何にもな高級料理店だった。
その店の名は娘娘。
ふと、脳内にはトライアングルな人間関係に悩みながら宇宙でドンパチする男が思い浮かんだ。
――確かに俺の気分はデカルチャーだよ。なんせ公孫賛や関靖が女の子の世界なんだからな。
自分の暮らしていた世界の記憶を思い起こして苦笑すると、公孫賛はギクリと肩を引くつかせて、何処か緊張した表情で俺を見つめた。
「い、命を奪う所だったんだ。たらふく食べてくれて構わないぞ」
そんな公孫賛を見る関靖は不安そうな表情をしていた。二人の様子から脳裏に思い浮かぶ事は二つ。財布の中身が少ないか、もしくは俺の身体の大きさからどれくらい食うのか不安な為か。
しかし、別に命を奪われそうだったとしても言えないけれど理由があるのだからそこまで気を使われなくてもいいのだ。そんな状況の場所に俺を出現させた腹黒少女にこそ責任がある。
この世界に落とした張本人への怒りが湧いたが、どうにか抑え込んで公孫賛に断りを入れる事にした。
「公孫賛様、俺はただの庶人ですのでここまでして頂くのは些か申し訳ないかと。堅苦しい雰囲気よりも……そうですね、のんびりとした幽州の空気を味わえるあの団子屋など如何でしょう?」
すっと指を差した先には簡素な団子屋。一瞬、呆気にとられた公孫賛はすぐに俺の方に向き直り、困ったような顔をした。
「その……しかしだな……私はこの地の太守なんだ。だからこれくらいしないと示しがつかない。どうにか呑み込んでくれないだろうか? それに娘娘の料理は絶品だ。きっと気に入ってくれると思う」
「ですがあなたが誘ってくれたのは食事。俺はそれに了承しました。あなたの作ってきた街や民を眺めながらの方が、俺には幽州での最高の食事に思えます」
何故か必死になって高い店を推そうとする公孫賛に対して、自分の考えている事をそのまま言うと困った顔をして口を噤んだ。
確かに太守ともなれば高級な場所へ入って力を示すのも大切だろうけど、どこか無理しているように見えた。太守が団子屋で並んで食事、なんてのはおかしいかもしれないが、こんな可愛い女の子の公孫賛なら許されるんじゃないかと考えたのも一つ。
「白蓮様、城に帰ると沢山の仕事が残ってます。娘娘に入ると全ての料理が揃うまで時間が掛かってまずいです。こう言ってくれてるのですから提案を受けるのもいいと思いますよ?」
関靖の言葉に公孫賛は何やら腕を組んで唸り始めた。きっとその程度ではダメだと思っているんだろう。義理堅い人だ。こんな人がずっと太守でいてくれるならこの地の民は幸せだろうに。
そこで一つの妥協案が頭に浮かぶ。俺には決まった宿も無いし、金はある程度持っている事を確認したが、それでも些か不安が残る。それに彼女達にはこの後仕事があるというのなら時間制限があるということ。
未だにこの世界の情報が少なく、どう行動するかも決まっていない。好きに動いていいとしてもまず情報を集めなければ何も出来ない。それに何をすれば世界が変わるのか皆目見当もつかないが、せめて初めて知り合った人とは親しくしておきたいのもある。
「御心苦しいのでしたら……不足分はこの街や付近の街の情報、というのは如何でしょう?」
「情報?」
「はい。この街は初めて来たので事前情報があった方が見て回りやすいですし、続けて旅をするには付近の情報があった方が身の安全を確保出来ますから」
彼女の裁量に一任すれば納得する妥協点を見極めてくれるだろう。
俺の発言を受けて、公孫賛はじっと関靖を見やる。部下の見解を聞いてみたい、と言った所だろう。
二人が見つめ合う事幾分、関靖は……何故か目を瞑りながら蕩けた表情になり、何やら語り出した。
「ああ……白蓮様が見てくれてます今日一日二人で視察に行っているだけでも幸せの絶頂だったというのに私の事を見つめてくれるなんてどれだけ最高の日なんでしょうきっとこれは天から私へのご褒美ですこんな真っ黒ででかくて邪魔な男がいなければ直ぐにでも胸の内に溢れる愛を伝える事も出来るのにそうですこれから私は白蓮様と密な時間を過ごさなければいけないのですからこんな奴に構っている暇などありません無視するのが一番ですねそうしましょうそうと決まれば迅速な行動こそが求められま――」
唖然。全く聞き取る事が出来ずに、俺はただ関靖を見つめるだけしか出来なかった。
大きくため息を吐いた公孫賛は関靖を放置しつつ申し訳なさそうに俺を見た。
「すまない。こいつは放っておいてくれると助かる」
「え、ええ。変わった子なんですね」
「しょっちゅうこうなるんだ。これさえなければ一番優秀な部下なんだけどなぁ」
確かにさっきも暴走していたし、これの頻度が多いならさぞ気苦労も多い事だろうに。
しょんぼりと肩を落とした公孫賛は俺が少しだけ同情の眼差しを向けると一つ咳払いをして表情を引き締めた。
「では徐晃、私の城に招待させてくれ。城の外に居たって事は宿も決まってないだろうし、仕事が一段落してからになるがこの街について私から話そう。食事もそこでするということで手を打ってくれないか?」
「お心遣い、感謝致します」
「気にしないでくれ。元々が私の部下の無礼なんだから。私の方こそ礼を言わせてくれ。ありがとう」
重ねて礼を返して来る彼女は間違いなく素晴らしい人格者。こんな人が漢の中央で重役を担っていればこの時代の治世はもっと良くなって乱世なんか起こらなかっただろう。
そんな事を考えて、俺の口から――
「あなたのような人に仕えられたらいいなぁ」
無意識にポロリと本音が零れてしまった。
――しまった。無礼な発言しちまった。
何か言い訳を紡ごうと頭を回すも答えは出ず。そんな中、茫然と俺を見つめる公孫賛はなんとも言えない表情に変わって……ふいと顔を逸らした。
「……よ、良かったら……その、しばらく滞在していかないか? 私の元には何人かの客分がいるし、その者達と話もしてみたらいいと思う」
ポリポリと頬を指で掻きながら、チラとこちらを期待の眼差しで見つめる彼女は、駆け引きのようなモノがあまり得意ではないようだった。
俺が旅人と言った事で気遣ってくれているのもあるだろう。その甘さ……いや、優しさと言うべきモノは俺の心にジワリと浸透していく。
「ま、まあとりあえず城に向かおう! ほら、街中でこんな話もなんだし! 牡丹もそろそろ正気に戻れ!」
「やん、ダメです白蓮様……さすがに――はっ! ……白蓮様が服を着てます」
「バカか! あたり前だろう!?」
「そんなぁ、夢だったなんて……」
両頬に手を当て、顔を赤らめていやいやと首を振っていた関靖は公孫賛に背中を叩かれ、ハッとして首を回して状況を確認し、どうやら妄想の世界から抜け出す事に成功したようだった。
俺は苦笑を一つ零し、背筋を伸ばして歩き始めた公孫賛の後に着いて行った。
他にいる客分とはどんな人かと思いを馳せながら。
†††
白蓮は少し後悔していた。
本当の所、直ぐにでもその男に自分の元で働かないかと言いたかったのだ。部下の牡丹を相手取っても問題の無い武、少しだけ話した事で分かる回りの悪くない頭脳、人への気遣いも十分、何より……自分に仕えられたら……等と言われるとは夢にも思わなくて。
武も智も何も見せていない状態、仕えたいと言われたのが人柄のみでしか判断のしようが無い状況であった為に、白蓮の心には嬉しさが込み上げていた。
だからこそ……他の者と話させる事を勧めた。
現在彼女の元にいる客分達の内、一人以外は残ってくれそうもなく、その一人でさえその者達に着いて行くかもしれないと薄々感じている。
親と親交の深かった部下達からも普通だと言われ続けて生きた白蓮にとって、もしかしたらこいつも……と感じてしまうのも詮無きことであった。
優秀な部下が一人でも多く欲しいのは間違いない。しかし白蓮は他人の自由を自身のわがままで束縛する事をしたくなかった。
否、それさえもわがままを隠すため、上辺だけ自身を納得させる理由であるとも気付いている。心の底の深い部分には他者からの承認欲求が強く居座っており、有能な人材の方から自分に仕えたいと言ってほしい、と彼女は自身の本心を理解していた。
自身の浅はかな欲を見つながら城の廊下を進むこと幾分、彼女達の目に一人の客分が壁に身体を預けているのが見えた。
「おやおや、伯珪殿が男連れとは珍しい。しかも牡丹が一緒に居るにも関わらずとは……明日は嵐が来るやもしれませぬ」
青い艶やかな髪、蝶の飛ぶ白い服を着たその美女は、くつくつと喉を鳴らして妖艶な流し目を送った。まるで彼の事を見定めるかのように。
秋斗はそれを受けてすっと目を細めた。相手を計ろうかというような視線を送ってくるのなら、自分も相手を見極めようと。
「外でちょっと訳あってな、此処に客として招待したんだ。それと夜に食事を馳走するつもりだ」
「ふむ……牡丹が粗相をした、といった所か」
不甲斐無さにギリと歯を鳴らしたのは牡丹。美女は三人の状態を見ただけで、何があったかある程度の予測を立てていた。
感嘆の息を一つ漏らした秋斗は一歩二歩と前へ進み、その美女に近付いて出来る限り友好的に微笑んだ。
「俺は徐晃、徐公明といいます。根無し草の旅人です」
自然体ながら少しの警戒を行いつつ、秋斗の簡単な自己紹介を聞いた美女は不敵に笑う。
「私は趙雲、趙子龍と申します。伯珪殿の元で客将をしている。まあ、人が足りないので簡易な書類仕事も任されていますが」
白蓮は自分達の仕事を客将にまで回してしまっている事に申し訳ない気持ちになり、ほんの少し俯く。
対して秋斗はその名乗りを聞いて、頭を抱えたくなっていた。
――なんてこった。この世界は有名な人物が女になった三国志で間違いないのかよ。
自分の居た世界の常識が全く通用し無さそうだと考えて、心中を悟られないように秋斗も不敵に笑い返した。
ただ、趙雲がこれから言う発言は予想出来なかった。
「身体運びを見ておりましたが……徐晃殿は武人とお見受け致す。伯珪殿の仕事が終わるまで暇があるのでしたら、私も今日の仕事は終わっていますし……どうですかな?」
すっと立てかけてあった槍を手に持って獰猛な笑みに変わった趙雲。その身から発される圧力に秋斗は些か腰が引けた。
無意識の内に彼の身体運びは現代に生きていた頃と変わっていたのだが、腹黒少女の与えた力から自分の身体の使い方が変わった事には気付いておらず、そこを趙雲に見て取られた。
牡丹と戦った時とは違い、三国志で大きく名を馳せていた武人と戦う事は秋斗にとって恐怖だった。更には牡丹との戦闘は突然にして短いモノであり、自分の実力を正確に把握する時間が足りていない。そんな中で趙雲と戦うなど、出来るはずも無かった。
「申し訳ないのですが今日はご勘弁を。長旅で疲れていましてね。うたた寝をしてしまったくらいに」
チラと牡丹を見やる。秋斗がどのような理由で此処に来たのかをよく分かっている牡丹は憎らしげに顔を歪めて彼を睨んだ。助け舟を出せと強要されたと感じて。しかし勘違いしてしまったのは彼女なので何も言えず、趙雲を厳しく見据えて口を開いた。
「星、今日じゃなくてもいいでしょう? 幾日か滞在していくようなのでまだまだ機会はあります。今は私達も残していた仕事があるので、代わりに話相手をして貰えたら助かります」
「おお、そうして貰えると私も嬉しい。食事までは城の酒を幾つか出すように言っておくけど……どうだ?」
「ほう、武人なれど刃では無く言葉を先に交わせという事ですな? 語る為の酒まで出して頂けるのなら……コレはまた後日という事で」
「ありがとうございます」
槍を下げた星を見て、ほっと息を付いて礼を零した秋斗に、牡丹は苦々しげにジト目で睨みつけた。
「あの時は悪かったです」
「貸し借り無しだからもう謝らないでいい。近辺の情報と幾日か分の宿も食事も手に入るなら俺としては万々歳だからさ」
重ねて謝罪を行われて、苦笑気味に秋斗が言うと、牡丹はすぐさま切り替わった。
「ふん、なら部屋の用意をさせておきますから星――趙雲の部屋に行っておいてください」
「こら牡丹――」
「では徐晃殿、二人は仕事で忙しいらしいので私の部屋へ参りましょう」
ツンケンした牡丹の言葉を聞いて、白蓮が少し不機嫌になり咎めようとしたが、星の割り込みによって止められた。
――目障りだから早く行けってか。当たり前だが、どうやら関靖の俺に対する心象は下がってしまったらしい。元から高くなりそうも無いけど、これで貸しは減ったからいい。
自分が行った手段を思い返して少しばかり心が重くなるも、勘違いからの貸しを減らせたので心の中で一人ごちた。
「公孫賛様、また後程。此度のお心遣い、感謝いたします」
「徐晃も気を使いすぎなくていいぞ。ここではゆったりと気を落ち着けてくれ。じゃあ時間が来たら使いをやるから、また後でな」
振り返り、促されるままに星の後を着いて行く秋斗を見送って、その背が見えなくなってから白蓮は牡丹の頭を軽く叩いた。
「痛っ……」
「バカ! お前はもうちょっと気を使え! もしかしたらウチに所属してくれるかもしれないんだぞ?」
「確かにあの男は私よりも強いですけど……なんかむかつくんです」
「むかつくからって態度に出すな。結構いいやつだと思うけどな。ほら、仕事に向かうぞ」
ゆっくりと歩みを進め始める白蓮に、ててっと駆けて後ろを着いて行く牡丹は小さく鼻を鳴らして……聞こえないようにボソリと呟いた。
「……だって星みたいに幾分か仲良くなってからここを出て行くなら、白蓮様が哀しむじゃないですか」
†††
何を話すでもなく趙雲の部屋に付いて直ぐ、客人なのですから座ってくれと言われて椅子に腰かけると、遅れて訪れた侍女が部屋の机の上に次々と酒を置いていった。
並べ立てられた酒はどれも俺が呑み慣れたモノでは無い。
とりあえず始めはビールできゅっと一杯、と行きたい所なのだがこんな時代にあるはずも無く、どれから飲もうかと思案し始める。
「ささっ、まずは一献」
「あ、ありがとうございます」
すっと酒瓶を差し出され、思わず自分の前に置いてくれた杯を手に取って注いで貰った。色から察するに老酒だろう。
なみなみと注ぎ終わると同時に、
「クク、徐晃殿……酒の席なのですからその堅苦しい話し方を直して頂けると私も嬉しい」
酒を飲むというのに変わらない俺の話し方に苦笑を漏らした。
正直な所、俺も敬語を使い続ける事に何処か肩が凝っていた為に、ありがたく彼女の申し出を受ける事にした。
「ならお言葉に甘えよう。おっと、趙雲殿もどうぞ」
「かたじけない。酒はお強い方ですかな?」
「まあ……普通、くらいだろうよ。ってか趙雲殿も話し方を――」
「お心遣い感謝致す。しかしお構いなく」
「了解。じゃあ、とりあえず美人さんとの酒宴に」
彼女の分も注ぎ終わり、すっと杯を掲げた俺に、趙雲はにやりと笑って己が杯を合わせた。
「中々お目が高い。では、新たな出会いに」
ゆっくりと、されども一息で俺達は一杯目を飲み干した。
きつい酒が喉を焼き、一寸だけ眉を顰めるも大きく、ほうと熱い息を吐く。うん、美味い。
いきなり知らない世界に落とされて、右も左も分からない状態ではあったが運良く有名な人物達と出会えた事が嬉しくて、そして酒はどの時代でも変わらないモノだから、俺の心は少しばかり安堵していた。
――趙雲といえば三国志の武将の中でもビッグネームだ。仲良くなっておいて損は無いだろう。
とくとくと二人で酒を注ぎ合って二杯目。杯を少し傾けて、趙雲は俺をじっと見やる。
見れば見る程に美しい女性に見つめられ、胸は大きく鼓動を叩き始めた。そのままふいと視線を逸らし、恥ずかしさを誤魔化そうと二杯目を一気に流し込んだ。
そんな俺の様子を見てか、趙雲は楽しそうにまた喉を鳴らし同じように二杯目を飲み干した。
「趙雲殿は何時からここに?」
「半月ほど前になります。その前はあなたと同じように根無し草の身で、路銀が尽きたので客将として働こうかと思いまして」
「客将ねぇ。賊討伐とか、兵の調練とかそういうのが仕事なのか?」
「街の警邏をして民を守る事も含まれます。幸い、此処は伯珪殿のおかげか治安は良いので、昼間も安心して酒を嗜めるのが嬉しい所」
「……まあ、しっかりしてそうな趙雲殿の事だ。唇を濡らす程度なら問題は無いんだろうな」
自分の世界なら、酒を飲んで仕事をするなど考えられないが、とはさすがに言わない。酔っぱらわなければ酒を引っ掛ける程度、許される時代もあったのだから。時代の流儀に合わせて順応するのが俺にとっては先決だ。
返した言葉に、趙雲は嬉しそうに俺と自分の杯に次を注いだ。
「徐晃殿はどこぞの女子と違って中々話が分かるようだ。仕事の無い日は街で付き合って頂こう。それでは、こちらからも質問をよろしいか?」
「構わんぞ。なんなりと聞いてくれ」
答えられる範囲で。さすがに何処を旅していたかと聞かれたらはぐらかすが。
少し思案した趙雲は再度俺を見つめて……すっと目を細めた。
「疲れている、というわけではないのでしょう。牡丹を使ってまで試合を断った理由をお聞かせ願いたい」
鋭い視線を向けられて身が凍る思いだった。関靖から当てられたモノよりも大きな殺気が突き刺さる。
しかし、俺の思考は不思議な事に少しばかり冷静だった。先ほどのやり取りで何が彼女の琴線に触れたのか思い当たり、俺が返すべき解に至る。
「……確かにあの逃げ方は卑怯だったな。そうさな、関靖との貸し借りを減らすいい機会だから利用させて貰った、というのが一つ。勘違いで俺を殺し掛けた心の負担は減らしてやるべきだろう? 公孫賛殿の分も含めてな」
「伯珪殿も、ですか?」
「ああ、優しい人みたいだけど、何処か気を張ってるように見える。太守ってのは気苦労が絶え無いだろうし、たかが俺程度に心を使って欲しくないんだ」
「怯えからとは違ったわけですか……では、他の理由は?」
一寸だけ、険の取れた雰囲気に変わった趙雲は俺を見据えたまま、自身の杯をクイと傾けた。
「いいや、俺は趙雲殿が見立てた通り臆病なんでね。人を殺した事も無いし、戦うのは怖い。趙雲殿は間違いなく強いだろうから、純粋に怖かったのも一つだよ」
「……あなたは武人としての血が騒がないのか?」
「騒がないね。怖いもんは怖い。俺は簡単に死ぬし、死にたくない。そして出来るなら誰も殺したくないし、死なせたくない」
一度死んでいる身で死んだらどうなるのか、なんて事は考えたくも無いし、何よりこの世界を巻き添えにするなんてのもしたくない。俺が死んだら世界を変えられなくなるんだ。自分のせいで誰かが苦しんで死ぬなんてまっぴらごめんだ。
だから、多くを殺さないために、きっとこの先で人を殺さないといけないだろう。怖いし嫌だがやるしかないんだ。
彼女が殺気を込めてまで言ってきた理由は予想がついている。彼女は――
「ただ、あなたの武という誇りを貶めた事は謝らせてくれ。すまなかった」
きっとそういう事。武人というモノは自身の磨き上げた武に誇りを持つモノ。誇りとは、矜持であり、自身の拠って立つモノ。自分の存在全てをそれに傾けているなら、自分が戦ってみたいと認めたモノが卑怯な手段で他人を利用して逃げるのは許せるはずが無い。
俺が平和な暮らしに浸っていた現代人だからしてしまった過ちだった。誰かの矜持を穢す事は、その人物を否定しているという事。だから……俺は彼女に頭を下げた。
「頭を上げてくだされ」
声と共に彼女の顔を見ると、何やら不思議な色を携えていた。多分、それは疑問。
「……この荒れた時代で旅をしていたというのに、あなたは本当に人を殺したことが無い、と? 武の腕は牡丹を退ける程だというのに」
「……無い」
「ならその武は……ただ自分を守る為に鍛え上げたモノで、襲ってきたモノからも逃げるだけだったと言うのか」
「あなたとは違い己が武に誇りは無い。必要だから持っている。ついでに言えば戦いすらほぼ経験が無い。ただの自己流だから師も無く、心構えも何も無い」
言うと趙雲は呆れたようにため息を一つ。
俺の胸はチクリと痛んだ。マガイモノの力ほど下らないモノは無い。何かを為そうと鍛え上げたモノならばよかった。しかし俺のこれは……この世界を変える為に与えられたペテンだ。
これからずっとこの世界を変える為に嘘をつき続ける事になる。でも、それで世界が壊れないなら嘘つきを遣り切るしかないか。
「我欲の為に武を振るう、というわけでは無いようですが……些か腑に落ちませんな」
なんとも煮え切らない、というような彼女の苦い表情を見て、俺は一つの名案が浮かんだ。
誇りが無いなら作ればいい。少しでも彼女に近付けば、それだけで幾分かはマシになるだろう。なんせ、今の俺は徐晃なんだから。
世界を変えるために以前の俺としての全てを捨てて、俺なりの徐公明を演じきってやろう。その為なら、彼女達のようなモノを目指す事が第一だ。
「ならさ、此処にいる間は趙雲殿が武人としての師になってくれないか? あ、特別何かを教えて欲しいってわけじゃないんだ。戦ったり、練兵したり、民を守ったりしている所を見せてくれるだけでいい」
キョトンと目を丸くした彼女は、しばしの間を置いて吹き出し、腹を抱えて大笑いしだした。
「クク、あはは! あはははは!」
「な、なんか変な事言ったか?」
「ははは! いえっ……クク、自身の武に誇りが無いからと言って私に教えを請うとは……あなたは本当に武人では無かったようだ」
「ダメか?」
「私もまだ若輩者。誰かの師になる等出来ませぬ。まあ、見るだけなら構いませんが……ただの参考程度に留めておいてくだされ」
ああ、そういうことかと納得がいった。ただでさえマガイモノなのに、究極の理不尽を強いる想いさえ偽物では……極悪人どころの話では無くなる。
「それは……人を殺す上での心の在り方の話だな?」
「左様。自身から捻り出てくる想いでなければ人殺し等もってのほか。しかし誇りを持ちたいと願うということは、徐晃殿は出来るなら人を助けたい善人なのでしょうな」
言い終わると趙雲の表情は急に昏く、重いモノに変わった。自身が何をしているのか、理解した上で他人に押し付ける事がどれほどのモノなのか、彼女は俺に言い聞かせるように紡いでいく。
「あなたはきっと運が良かったのだ。目の前で非道の輩の手によって死に追い遣られる誰かを自分ならば救える、そういう事態に出くわさなかったのでしょう。もし、か弱い少女が暴漢達に非道の限りを尽くされていて、救うには相手を幾人か殺すしかないとすれば……如何致しますかな?」
言われて想像を膨らませてみた。今の俺の力で誰かを救えるとしたら……俺は……
「多分、相手を殺すだろう。断罪者気取りで」
冷たい輝きを宿した瞳は俺を再び射抜いた。ゾクリと肌が泡立つ。きっと彼女はそれを既に何度も経験していて、俺の甘さをも見抜いている。
「例え獣に落ちたモノであろうと、人を殺して誰かを救いたいと願うなら……この先、旅を続けるとしても、何処かへ士官するとしても、自分が未経験の事態に陥るやもしれない事は頭に入れておいてくだされ。人を殺す、口で言うのは簡単だが、現実は凍土のように冷たく厳しいモノだ」
無意識の内に生唾を呑み込んだ。テレビで不幸な出来事として、教科書で歴史の中で……俺はそんなモノでしかその行いを知らない。
その時に何が起こるのか、自分がどういった感情を持つのか、想像も出来なかった。
じっと杯の中で揺れる液体を眺めて考えても、自分の心に答えは浮かばなかった。
突然、趙雲はふっと優しい息を付いた。
「武人の血が騒ぐ事も無いとすれば、力あるモノだからとて禁忌を行う事もありますまい。ただ、武のある無しに関わらず、自分が何を為したいかを忘れなければ、それが自ずと芯となって支えてくれるのは万事に於いて言える事。手を紅色に染め上げても為さんとするモノがあるのかどうかが武人としての心の在り方、と私の場合は言えますな」
グイと杯を傾けて彼女は熱い息を漏らした。俺も同じように杯を空け、彼女と自分のモノに酒を満たしていく。
「……ありがとう。すまないな」
「いえいえ。私も自分の欲を押し付けたゆえ。申し訳ない」
彼女の人となりが少しだけ見えた気がした。
何度も何度も、悩んで、悔やんで、重責を乗り越えてきたんだろう。自分が誰かを救いたいからと。同じような力を持った他人にも、誰かを救ってくれと求めてしまう程に。
心の高さ、とでも言うんだろうか。自分というモノをしっかり持ってる彼女は、俺にとって凄く羨ましいと感じた。
気付けば彼女の事をじっと見つめていた。趙雲は酒を飲みながらにやりと意地悪く笑った。
「おや? その熱い視線……私も罪な女の仲間入りが出来そうだ」
一瞬呆気にとられる。だが、彼女が言外に伝えている事が理解出来て、俺も意地悪く笑い返した。
「クク、直ぐ戦いたがるお転婆娘になんざ惚れる事はねーよ」
「はっ、逃げ腰だった方が言ってくれる。まあ、あなたの臆病さに免じて、これで勝負を付けても構いませぬが?」
俺が言うと鼻で笑った趙雲は酒瓶をトントンと軽く叩いた。
彼女が軽くおどけてみせたのは、昏い話は止めて今は酒宴を楽しもうと伝えていたのだ。だから俺が貶して見せると、案の条同じように貶し返してきた。
こんな関係は居心地がいい。
酒呑みでは負けるつもりなど毛頭無いが、さすがに出会った初日に酔っぱらったまま公孫賛と相対するのは気が引ける。
「したいのは山々なんだがな……義を通してくれた人に礼を失するのはしたくないからさ。机の上の酒を全部開けちまうのはあの人が来てからでいいだろう」
「ふむ、伯珪殿ならば立会人として最適か。最近気疲れしているようですし、心浮かせる余興としても十分」
指を一つ口に当てて思考を巡らせ始める趙雲は俺の提案を呑んでくれたようだった。
さらには、彼女も公孫賛に対して思う所があるようで、それを聞いた俺にいい案が思い浮かんだ。
「余興ってのは幾つあってもいいもんだ。趙雲殿、よかったら俺と楽しい悪戯をしないか? 来たばっかの俺じゃ出来ない事だから」
にやりと笑って言う。彼女は俺を訝しげに見つめた。
「あのな、公孫賛殿に――」
説明すると、彼女は意地悪く笑い返して俺の悪戯に乗ってくれた。
さて、気に入ってもらえるとありがたいんだがな。
†††
早めに切り上げたとは言っても、仕事が終わったのはやはり暗くなってからだった。
使いを出す暇も無かったので、急いで牡丹と並んで子龍の部屋に向かう。もしかしたら酒好きのあいつにやられて潰れてしまっているかもしれない、と考えながら。
「子龍と二人で酒宴をして、徐晃は潰れてないかな?」
「あれから八刻ほど掛かってますから危ういかもしれません」
「だよなぁ……」
勧めてから失敗したと思った。子龍は部屋に幾つも酒を持っているから、例え徐晃が酒に強かったとしても、渡した酒が切れたら飲み続けているだろう。
でも、心のどこかでは期待していた。あいつの誘いを断って、私と食事する事を待っていてくれてるんじゃないだろうかと。
不安と期待が綯い交ぜになった胸を押さえたまま歩き続けること幾分、漸く子龍の部屋に辿り着いた。
中からは何やら楽しげな笑い声が聞こえてきて、潰れていない事と二人が仲良くなった事を教えてくれる。
ほっと胸を撫で下ろし、扉を開けようとすると……向こうから扉を開けてきた。
「……私が来たと分かったのか?」
「あの方のおかげで全く酔っておりませんからな。待ちくたびれましたぞ。ささ、中へどうぞ」
少しばかり意地の悪い笑みを浮かべた星が出迎えてくれて、中へと促され牡丹を引き連れて素直に入り……私達は驚愕する事になった。
「な、なんだこれ」
数多の蝋燭で照らされた机の上には見た事の無い料理が幾つも並んでいた。
こんな料理、城に作れる奴はいない。
「酒の席にはつまむモノが必要でしょうし、公孫賛様は夕食もまだかと思いまして。厨房の使用許可は趙雲殿に依頼しました。……あ、食材等は俺が買いましたので」
「これらは徐晃が料理したのか!?」
「まあ簡単なモノですが。ハンバーグ、卵焼き、ポテトサラダ、塩焼きそば、焼き串盛り合わせ……あー、他に気になったモノは紹介しますね」
聞いたことの無い料理の名前に疑問が浮かぶも、徐晃が旅人であったからそこで教わったモノなのだろうと納得が行った。
牡丹は私の横で口をあんぐりと開けていた。歓待する側が歓待されるなど、私達の予測を超えていたのだから仕方ないか。
しかし、こちらに非があったからと食事に誘ったのに、これでは何も返す事が出来ないので意味が無い。
「少し冷めてしまいましたが味は私が保障致します」
「はぁ、趙雲殿はつまみ食いしすぎだ。せっかく綺麗に並べて見た目も良くしておいたのに」
「ふふ、出来立てが一番おいしいのは料理の常でしょう? 対価として街まで食材を買いに行かされるとは思いませなんだが」
「そこはごめんな。でもこれで酒も進むし、驚く顔も見られた。クク、中々楽しかったろう? 此処からは酒があるからもっと楽しいだろうよ」
「違いない。ああ、勝負は忘れてないでしょうな?」
「当たり前だ。誰かさんが明日二日酔いになっても俺は知らんがな」
「おや、始める前から負けを認めるとは殊勝なお方だ」
「本格的に酒を飲む前から酔ってるのか昇龍殿は」
私達が何も言えずにいたら子龍と徐晃は楽しそうに笑いあっていた。
少し、羨ましい。今日知り合ったばかりだというのに、心許し合って笑いあう友のような二人が。いや、もう既にお互いの事を分かり合ったのだろう。きっと二人は似通った部分があって心の距離が縮まった、だからこんな状態になっているんだ。
異質な空気に流されそうになるも、フルフルと頭を振って自分の心を引き締めた。私がこの城の主なんだ。それらしい姿でいなくちゃダメだ。
机にゆっくりと近付いて、徐晃の前、子龍の左の席に腰かけた。牡丹も直ぐに私の左の席に座った。
それほど大きくない机を多人数で囲むというのは……昔、家族と食事をしていた頃を私に思い出させて、暖かい気持ちにさせてくれた。
涼しげな笑みに変わった徐晃が私の杯に、嬉しそうに微笑む子龍が牡丹の杯に酒を注いでいく。四人の杯が満たされた所で……じっと、徐晃と子龍が私を見つめてきた。
――あくまでこの酒宴の主催は私、ということか。
一つ目を瞑って了承の意を伝え、私は杯を掲げた。合わせて皆もそれぞれに杯を掲げてくれる。
「まずはありがとう、と二人に伝えたい。手料理を用意してくれるなんて思わなかったから嬉しく思う。そしてすまない。正直な所、先に出来上がってると思ってた」
子龍はそれを聞いて、徐晃と目くばせをしていた。言った通りでしょうというように。
謝った手前、お前は普段から酒を飲み過ぎだ……とは突っ込む事が出来ず、少しの怒りを込めて藪睨みしつつ先を続ける。
「こんなおいしそうなモノを準備してくれて、酒も我慢しててくれたなら……もう固い言葉は抜きとしよう。乾杯っ」
四人で合わせた杯。グイと全員で一息に飲み干した。
きつい酒が身体に沁み入り、思わず熱い吐息が漏れた。
そういえば、ここ最近は酒を飲むなんて事もしてなかった気がする。明日の仕事の事を考えると頭が重いが、少しくらい羽目を外して飲みたいと思ってる自分が居た。
「酒宴を始めて直ぐでなんですが、公孫賛様に一つ尋ねておきたい事があります」
二杯目を注ぎながら、徐晃が私に言葉を掛けた。その瞳はこの部屋に来る前とは違い、何処か意思の強さを感じられるモノだった。
「俺はまだ人を殺した事もありませんが……客将として此処に置いて頂く、というのは出来ますか?」
客将――と聞くと少しばかり気が重くなる。
おいそれと正規で入ってくれる有能なモノはやはり少ない。それは私の魅力が足りないという事。私に仕えられたら、なんて言ってくれたから期待してたけど……結局徐晃も私よりも優秀な他のモノの事を知ったら何処かへと行ってしまうんだろう。
先の事を考えると自然と私の肩は落ちた。自分が不甲斐無くて、周りが羨ましくて、そして……誰かに認められたいと心が痛くて。
「人材登用は私に任されているので個別に意見を言わせて貰います。私達の兵だって人を殺した事が無いモノは多いです。そこを気にしての客将申請だというなら正規として入ったらどうですか? 勿論、私や白蓮様にしばらく着いて回って、ある程度の経験は積んでもらいますけど」
そんな私を見てか、横から牡丹が割って入った。
徐晃がどんな答えを返すのか、私は気になって仕方なくて、顔を上げてじっと見やった。
黒い瞳が私を射抜く。そこには決意と怯えが渦巻いていた。
「俺は今日知り合ったばかりの人に軽々しく仕える事は出来ない。公孫賛殿は確かに優しくて人柄も良く、仕事熱心で真面目な素晴らしい人だ。だけど……人を殺せと命じられるに足る理由が欲しい」
先ほどまでの敬語では無く、子龍に話していたように語りかけてくる徐晃。
無礼ではあっても、その態度の方が私にとってはありがたかった。桃香のように、『私』に対して気持ちを伝えてくれているから。
胸の中にぐっと熱いモノが湧いてきた。
つまり徐晃は私が何を為したいかこれから示せと、そう言っている。私が自分の上に立つのに相応しいのか、どんな命令でも飲み下せるようなモノが私にあるのかとそう問うている。
――いいだろう。認めさせてやる。私がどんな気持ちでこの地を治めているか、どんな想いで平穏を作り出しているか。全てを見た上で私の力になってくれ。
牡丹は少しだけ不機嫌になった。部下としてそれは当然で、でも何も言わないのは……私がどんな気持ちか考えてくれてるからか。
こんなあからさまな気遣いにいつも気付かないでいたなんて……牡丹の事を全然見ていなかったな。後々、しっかりと牡丹とも話す必要があるかもしれない。
でも今は、徐晃に答えを返そう。
「徐晃、初めは客将でいい。子龍と同じような扱いをするからそのつもりでいてくれ。
ただ……これだけは知っていて欲しい。この地は私の家だ。私の大切な家族が暮らす、私の大事な宝物だ。だから出来るなら、一緒に守りたいと思ってくれたなら、私の側で守って欲しいんだ」
一から作り上げてきたこの場所を思うと少し泣きそうになる。自分だけの心の底からの想いを分かってほしくて、私は震える声を紡いでから頭を下げた。
「ぱ、白蓮様! そんな軽々しく――」
「今は酒の席なんだ牡丹。だから此処に居るのは公孫賛じゃない。『私』の想いを伝えたいだけだから目を瞑ってくれ」
顔を下げたまま言い切ると牡丹は口を噤んだ。ああ、やっぱり私は今まで牡丹をちゃんと見てなかったみたいだ。
「趙雲殿、俺はこの人の事を見誤っていたらしい」
「奇遇ですな。どうやら私も目が曇っていたようだ」
言いながら、徐晃は俯けた私の顔の前に杯を差し出した。
「なあ、公孫賛殿……いや……あー、伯珪さん。あんたの気持ちは伝わった。顔を上げてくれ」
ゆっくりと顔を上げた。そこには少しの後悔が滲む真剣な眼差しが二つ。
「伯珪さんの想いを低く見てすまなかった。主従、というのはまだ分からないけど、この地に居る限り、伯珪さんの大切な宝物を守る手助けをさせてくれ」
「私もどうやら自分に酔っていたらしい。申し訳ない。あなたの事を見ずに、気持ちすら一寸たりとも理解出来ていなかった。
だから伯珪殿、もしよろしければ星と呼んで頂けませんか?」
驚愕。子龍が真名を許すのはよほど認めた相手でなければしない。
牡丹や桃香達と真名を交換したのは知っていたが……私に対してはまだだったのに。
きっと私がダメなんだと思っていた。でも違ったんだ。私が自分を見せようとしなかったから、彼女は言ってこなかった。
牡丹の事を見ても、子龍の事を見ても、一人よがりだったのは……私だ。だから彼女は悪くない。
「主従関係は私のわがままで待ってもらう事になりますが、あなたの友としてこの地を守りたいのです……如何ですかな?」
「俺も身分の低い身で失礼かもしれないけど、この地が好きで仕方ない伯珪さんと友になりたいな。良かったら秋斗って呼んでくれないか?」
ジワリと瞳が潤んだ。
才能のある二人が、こんな普通な私と友になりたいと言ってくれるなんて思わなかった。
素直に嬉しいと胸が弾む。私は今、どんな顔をしてるんだろう。何故か口から笑いが零れた。今は自然と、思ったまま言葉を返そう。
「ふふ、ははは! ありがとう。じゃあこの私、白蓮と一緒にしばらくこの地を守ってくれ。徐公明と趙子龍が納得したら、公孫伯珪と一緒に戦ってくれ。それでいいか? 星、秋斗」
不思議な感覚だった。ふわふわと心が軽く、何か重たいモノが少なくなった気がしていた。
ゆっくりとそれが理解出来ていく。きっと……『白蓮』が認められたから半分無くなったんだ。
「星も徐晃も……白蓮様の想いを理解したなら正式に仕えればいいのに……」
口を尖らせて不満を漏らす牡丹を見て、どこまで行ってもこいつは私の部下なんだと気付く。ただし、彼女は私の事を一番に想ってくれる……忠臣、なんだろう。
「そう言うな牡丹。それぞれの在り方の問題だからな。ここから公孫賛が二人に示して行けばいいだけさ」
言いながら頭を撫でると、牡丹は顔を真っ赤に染め上げて慌てだした。
「ぱ、ぱぱぱ白蓮様が私の頭をっ! ああ、ダメです夜といってもまだ周りに人がいるんですからそんな急に誘われましてもいつでもばっちこいな私でも悩んでしまいますいえ別に拒否しているわけでは無いのですがなんというか初めてですし二人きりの方がいいといいますかでもでも白蓮様が望むなら人に見られてでもいいというか――」
「っ! あははは! 頭を撫でられただけで何を言っているのだお前は!」
いつもの如く、暴走し出した牡丹。星は内容が聞き取れたのか思いっ切り吹き出して笑い出した。秋斗はくつくつと喉を鳴らして呆れたように苦笑し始める。
私は怒鳴る事無く、今は放置する事にして、秋斗と星を見やり杯を掲げた。
「改めて、二人と友としての酒を酌み交わそうと思うんだけど……どうかな?」
「クク、白蓮殿。聞かずとも私達には断る理由も無いのですが」
「だな、白蓮さんみたいな人と友になれるなら嬉しい限りだ」
嬉しそうに笑った二人もすっと杯を掲げて、私に優しく微笑んだ。
「ふふ、これが私だからさ。……では、新たな友との絆にっ」
カチャリと音を鳴らした三つの杯は直ぐに空になった。喉を通る熱さは胸に来る嬉しさと合わさって私を暖めてくれる。
ああ、こんな関係も悪くない。もし、離れたとしても……二人はずっと友で居てくれる。そんな気がする。
弾む心をそのままに、暴走から帰ってきた牡丹を交えて、私達は酒宴を続けて行く。
私はこの時に、大きな何かが始まった気がしていた。
蛇足 ~龍の友~
白蓮殿は徐晃殿に“さん付け”される事を嫌い、呼び捨てでいいと許した。勿論、牡丹は反対したが無理やり押し切られていた。そんな中――
「秋斗の敬語ってさぁ……今思うとなんか気持ち悪かったよな」
「遅いですな白蓮殿。私は始めっから拒否しましたぞ」
「まあ……なんていうか無理してる感じが凄く出てましたからね。腹黒いくせに敬語使っても誠実さや真面目さなんか出せるわけないんです」
「おいちょっと待て。今日会ったばっかりの人に敬語使っただけで、なんでそこまで言われないとダメなんだよ」
「お前……私に対しては敬語で話してませんでしたよね?」
「初対面で斧向てきたガキ相手に敬語なんざ使ってられるかバーカ」
「お、ま、え、はぁ! なんで私にだけそんな態度なんですか!」
「え? 面白いから」
「あーもう! むかつきます! 一回その脳髄を洗ってやりましょうか!? 白馬のような白さにして――」
「そして綺麗な徐晃殿になる、と。牡丹よ、そんな徐晃殿を想像してみろ」
「……うっわ、気持ち悪いです」
「あはは! 秋斗が誠実で爽やかとか無理だろ!」
「そこまで言うか白蓮……。趙雲殿、後で覚えておけよ?」
「さぁ、なんのことやら」
このように、他愛ない会話を交えつつ酒宴を続け、食事に舌鼓を打ち酒を飲むこと幾分。酒瓶をトントンと指で二回叩くと、彼は大きくため息をついた。忘れた、などと言わせるわけが無い。
「白蓮に頼みがあるんだが」
「なんだ?」
「俺と趙雲殿が酒呑み勝負するから立会人になって貰いたい」
「……お前、正気か? 星の強さは尋常じゃないぞ?」
私が普段飲む量を知っている白蓮殿は心配そうに彼を見つめた。しかし徐晃殿は……にやりと笑って答え返した。
「男にはな、意地があんだよ。相手がどんなモノだろうと、心を決めた時は逃げちゃダメなんだ」
「その心意気は認めますが……無謀ですよ?」
「無謀だろうが無茶だろうが押し通すのが男だ」
牡丹は呆れたようにため息を一つ。白蓮殿は私に目を向けて、手を抜いてやれと言外に伝えていた。しかしそれこそ野暮な事。彼の覚悟を貶める事など、私に出来ようはずもない。
「此処まで言うのですから相当に自信がおありなのでしょう。勝負の形式は如何致す?」
「返杯のし合いでいいだろ。大体同じ量を呑んでるし、この酒宴が終わるまでに潰れた方が負けってのでどうだ? ま、俺は杯じゃなくて瓶で行くが」
「よろしい。ならば――」
「バカ! お前ら勝手に進めるな!」
大きな声を上げて、何故か白蓮殿は私達の頭を叩き、見ると彼女の顔はかなりの怒りに染まっていた。
「この酒宴の主催者は私だ! 楽しい時間に個人間の勝負事を混ぜるなんて許さないからな!」
「余興程度に楽しめばいいでは――」
言い終わる前に、白蓮殿は私と徐晃殿の杯をひったくり、二つともを一気に飲み干す。
驚愕に目を見開くままの彼と私は彼女に睨みつけられた。
「ぱ、白蓮様!? そんなにお酒が強くないのに……」
「うるさいっ! こいつらが勝手に酒で勝負するとかいうなら私だって飲む! どっちが潰れても私は面白くないんだ! そんなに勝負したいなら二人っきりの時にどっかの店でやれ!」
私達を睨みつけるその姿はまるでわがままな子供のようで、よく見ると目が潤んでいる。
「……星もお前も、今は白蓮様の言う事を聞いてください。何時か勝負する時は私が立会人になってあげますから。ほら白蓮様、お水も飲んでください。そんな一気に飲むと楽しい時間もすぐ終わってしまいます……って水が無いじゃないですか! ちょっと取ってきます!」
おろおろする牡丹に止められ、難しそうに眉根を寄せる彼と同じく、私も煮え切らない所はある。
しかし……今日は思いの外収穫が多かったのだから、今回は自分の望みを抑えてもいい。
「徐晃殿、少し興が覚めましたな」
「ああ、主催者に止められちゃあ無理だ。場を乱してすまなかった。許してくれるか、白蓮?」
「……分かればいいんだ。ふふふ、でもさっきのお前らの顔……くくっ、あははは!」
なんとか許してくれたようで、そのまま白蓮殿は身体をくの字に曲げて笑い始めた。
「白蓮は案外寂しがり屋なのかもしれんな」
「ええ、わがままで寂しがり屋で泣き虫かもしれませぬ。徐晃殿……」
苦笑を漏らす彼と内緒の話をして……ふと、彼の名を呼ぶのが億劫になった。
悪戯好きで、意地っ張りで、捻くれているようで何処か真っ直ぐ。ああ、この方は私と似ているのだ。
それなら、武人としてでは無く、友としての付き合いをしていきたい。本当ならこの勝負の後にでも真名を交換しようかと考えていたのだが。
「徐晃殿も私の事は星と呼んでくだされ。これから白蓮殿を支える友でありますし」
「……勝負で勝ってから言うつもりだったんだがなぁ。分かった。俺の事も秋斗って呼んでくれ……星、さん」
同じような事を考えていたと聞いて、やはりどこか似ているのだと理解が深まった。
しかし……やはり星さん等と呼ばれると違和感が凄かった。
「クク、秋斗殿、“さん付け”は怖気が走るのでやめて頂きましょうか」
「まーたそんな事言いやがる。まあいいや。けど星は敬称を無くすつもりもないのかよ?」
「あなたとは違い、誠実にして清廉ゆえ、違和感など無いでしょう?」
「……白蓮、星がなんかほざいてるけどどう思う?」
「ふふ……んー? 秋斗よりは気持ち悪くないからいいと思うぞー。あ、私はどうだー? 星さん、とか、秋斗さん、とか呼んじゃったらどう思うー?」
「……お前、そこまで酒弱いのかよ」
「私はまだ酔ってない!」
他愛ないやり取りがこんなにも楽しいと感じたのはいつ以来だろうか。
緩く口の端が上がっていく。
こんな楽しい時間がもっと欲しい。彼女の作る家に……皆が入れたなら、きっとそんな世界になるだろう。
久方ぶりに心の底から笑い合い、私はその日の酒宴を遅くまで楽しんで行った。
余談だが、牡丹は酔っぱらった白蓮殿の介抱に手間を取られて、全然酒を飲めなかった。
後書き
読んで頂きありがとうございます。
幽州での始まりはこんな感じです。
できる限り月一投稿で進めていこうと思います。
ではまた
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