渦巻く滄海 紅き空 【上】
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二十九 水面下
前書き
前回の翌日の話となっております。十七話の「駆け引き」同様、二場面同時進行です。
読みにくいかと思いますが、よろしくお願い致します!
太陽の光が川渕の岩に鈍く反射する。天蓋を織り成す樹々の合間から、キラキラと金が覗き見えた。林の中を突っ切り、薄暗い岩場を軽やかに駆けてゆく。
一層狭まる川幅。程無く聞こえてくる、轟々とした低い唸り。激しい水音が近づくにつれ、豁然と開ける視界。ザッと勢いよく地を蹴る。同時に樹々のトンネルが突如途切れた。
跳躍。
真下は白く泡立つ滝壺。崖から真っ逆さまに落下する。視界の端に映るのは、水面上に突き出ている巨大な岩。太陽のもと、金の髪が踊った。
とん、と岩上に飛び乗って、周囲を見渡す。
「まだ来てないのか…」
派手に飛沫を飛び散らせる瀑布。白滝を振り仰いで、彼女は嘆息した。
「まぁ~た、取材かよ~…エロ仙人も懲りねえってば」
大方また小説の取材と称した覗きをしているのだろう。エロ仙人改め自来也に弟子入りした波風ナルは、諦めたようにかぶりを振って、川岸に飛び移った。
柔らかな陽射し。さわさわと揺れる木陰。優雅に泳ぐ水鳥。疎らに聞こえてくる鳥の囀り。
穏やかな静寂の中、ナルの存在は酷く浮いていた。ぽかぽかとした日和には似合わぬ、焦りの色を表情に浮かべる。
先日教わったばかりの【口寄せの術】。本試験までに完成させねば、と修行の続きを始めたのだが、ちっともはかどらないのだ。
「…くそッ、なんでだってばよ」
上がらぬ修行の成果に憤る。何度やっても上手くいかない。歯痒くて仕方が無い。
独りきりの修行故、それは仕方の無いことなのだが、ナルは自分を責めるしかなかった。
彼女はいつも独りで修行していた。独りで努力していた。独りで鍛錬していた。なぜならアドバイスや教えを授けてくれる者など今まで誰もいなかったからだ。
物心ついた時には里中から煙たがられていた。いっそ清々しいほど忌み嫌われ、憎悪の目を向けられた。今やイルカやカカシ、同期の仲間達がいるとは言え、もっとも勉学に励むべきアカデミ―では悲惨であった。
イルカを除いたアカデミー教師は皆、ナルにだけ投げ遣りな態度をとった。他の生徒の前で晒し者にされるのはしょっちゅう。質問しても適当に返され、面倒事を押し付けられる。完全無視という教師までもいた。
アカデミー教師でさえその有様なのだ。生徒もすすんで彼女に近づこうとしなかった。万が一いたとしてもそれはほんの一握りで、逆に迷惑をかけてしまう事もしばしばあった。自分を一度でも庇っただけで爪弾きにされる。大人達から己同様白い目で見られる。
一緒にいたら迷惑がかかる。それなら自分から独りになろう。誰も傷つかずにすむように。どうせ最初から独りだったのだ。今更孤独になったところで何も変わらない。
故に自ら孤独の殻に引き籠った。その時こそ、ナルの典型的な孤独時代だった。
だからだろうか。頼るという事自体がとてつもなく悪い事だと彼女は思っていた。頼るのは甘えであり、甘えは人を弱くする。自分は強くなりたいのだ。力が欲しいのだ。だから頼ってはいけないのだ。
誰かに頼る、といった手段を知らない彼女はただひたすら印を結び続ける。たとえ思い込みであっても、それを間違いだと指摘する者さえナルにはいなかった。
どれくらい経っただろうか。
ひたむきに修行に打ち込んでいた彼女の耳に、男達の声が入ってきた。
「ここらは釣りの穴場なんだぜ」
「ほんとかよ」
談笑しながらこちらに歩いてきた里の男達は、ナルの姿を目にした途端、動きを止めた。露骨に顔を歪める。
「げえっ」
「おいおい…アイツがいるぞ」
「最悪。今回は諦めようぜ」
あからさまにナルを避けて、彼らは再び元来た道を辿る。己がいることで釣りを諦めた男達の背中に、ナルは何も言えなかった。輝く水面に彼女の寂しそうな横顔が映り込む。
いつ自分は認められるのか。どうしたら波風ナルという存在を受け入れてもらえるのか。いつになったら……。
数羽の白い水鳥達がナルの顔に波紋を残して通り過ぎていく。波紋は水面を歪ませ、彼女の心象を水鏡に描く。ゆっくり消えてゆく泣き顔。残ったのは、小さなさざ波。
「…よっし!続き、続き」
暫く男達の後ろ姿を見送っていたナルは、気を取り直したように顔を上げた。わざと明るい声を出す。再び印を結ぼうと手を組み直した刹那、目の前で水鳥達が一斉に飛び立った。
だしぬけに羽ばたいた鳥の群れ。白い翼を広げ、空高く舞い上がってゆく。視界を白に覆われ、「わっ」とナルは思わず目を瞑った。
「こんにちは」
突然、何の前触れも無く声がした。どこかで聞いたことのある澄んだ声。不思議と、懐かしいといった感情がナルの心に一瞬過った。
そっと目を開ける。前方に、天使が見えた。
宙からゆっくり降りてくる白い羽根。風に乗ってたゆたうそれらは、太陽の光を透かして琥珀色に染まる。視線の先に、琥珀の両翼を広げた天使をナルは見出した。
真っ先に目に入ったのは自分と同じ金の髪。自身より濃い青の瞳に、翼と見間違えたのであろう白き羽織。今にも天へと翔けてゆきそうな錯覚。空に溶けてしまいそうな透明感。
その両方を兼ね合わせる、どこか幻想的な光景に彼女は見惚れ、そして立ち尽くした。
だがその天使の顔はなぜか自分に瓜二つである。その事実が彼女を正気に戻した。ぱちぱちと瞳を瞬かせる。
「また会ったね」
羽根向こう、ナルとよく似た少年――うずまきナルトが笑みを浮かべて立っていた。
「まさか、こんなところで会うとはの…」
頭上に渦巻く灰色の雲。どんよりと濁っているにも拘らず妙に明るく、また一向に振り出す気配はない。曇天を仰いでいた彼は、前方からかけられた声に、ひょいと視線を滑らせた。
視線の先。厳かに佇む男の姿が目に入る。大柄なその身からは、警戒と共に呆れ返ったといった風情がヒシヒシと伝わってくる。だが自身を見据えるその眼光は三忍と呼ばれるに相応しい。ひゅうっと口笛を吹く。
「あんたに知ってもらっているとは光栄だ」
「なぜ此処にいる?」
賞讃の言葉すら聞く耳持たぬと睨みつけられる。わざとらしく肩を竦めると、更に鋭い視線を投げつけられた。
穏やかな口調とは裏腹に、全身から滲み出る威圧感。それを一身に受け、彼はゾクリとした戦慄を覚えた。
思わず下唇を舐める。乾き切っていた。
「お主は死んだはずじゃなかったかのう」
包帯の下で行われたその行為には気づかなかったのだろう。気に留めた素振りもなく、言葉を続ける。
「……―――桃地再不斬」
静かに己の名を告げる三忍の一人―――自来也。生きる伝説に鋭い視線で射抜かれながら、再不斬は、にやり、と笑ってみせた。
「カカシから死んだと聞いていたがの」
「奴の早とちりだろうよ。現に俺は此処にいる」
軽い調子での会話。だが決して平和な会談で済まないというのは、二人の傍を流れる空気が物語っていた。
冬でもないのに鳥肌が立ちそうなほどの冷気。二人が対峙するこのなだらかな丘陵だけ、ひんやりとした空気が流れている。対照的に、丘向こうに横たわる里はのどかであたたかい活気に満ち溢れていた。
「……そう。そこが聞きたい」
表面上平和だった会話を断ち切ったのは自来也だった。目を細める。
「『霧隠れの鬼人』であり抜け忍であるお主が、なぜ、木ノ葉の里にいる?」
一言一句強めて言い放つ。静かだがその分凄みが感じられる自来也の視線を、再不斬は出来る限りの余裕を持って受け止めた。わざと面倒臭そうに、ふうと嘆息する。
「俺が観光に来たら何かマズイか?」
「観光?ふん。もう少しマシな嘘をつくんだな――――わしに用があるんだろう?だからそのままの姿で目の前を横切った」
自来也が再不斬を見かけたのは本当に偶然だった。ナルの許へ向かおうとした矢先に見つけ、後をつける。指名手配されている者が素顔を晒す。その意味を正確に理解した自来也はあえて再不斬を尾行した。彼の誘いに乗ったのである。
「目的はわしの命かのう。そう易々ととれる代物じゃないぞ。特にひよっこにはな」
挑発。背筋がぞっとするほどの低い声音で自来也は嘲笑う。再不斬のような男は基本短気である、と自来也は経験上知っていた。皮肉たっぷりの笑みを零す。
「まさか。あんたにゃ敵わねえよ」
だが意外にも再不斬は自来也の揶揄を軽く受け流した。予想外だったのか、おや、と瞳を瞬かせる自来也。思案げに再不斬を眺め、ややあって顎をぐいっと突き出す。
「まぁ、よい。用件を言え。話はそれからだ」
「――――それで波の国の人達は助かったんだってばよ!」
意気揚々と語る。楽しそうに話す彼女を、彼は微笑ましそうに見た。
滝の傍に連なる岩。その中でも一際大きい岩場に二人は腰掛けていた。彼らの足先に触れるか触れないかの瀬戸際まで満ちている水は、陽光でキラキラと煌めいている。
和やかな会話。自身の武勇伝を、身振り手振りで語るナル。対照的に穏やかな顔つきで彼女の話に耳を傾けるナルト。水面に映る二人の容姿は本当にそっくりで、まるで鏡が合間に立っているようだ。違う点と言えば髪の長さぐらいだろう。
最初は警戒していたナルも今やすっかり打ち解けている。もっとも話しているのはもっぱらナルのほうで、ナルトは彼女の話に相槌を打っていた。
「すごいね」
「へへ…っ」
褒められ、照れたように頭を掻く。得意満面で話をしていたナルだが、直後顔つきを険しくさせた。拳を握り締める。
「でもまだまだだってばよ。あのネジに勝つためには……」
真剣な顔でそう呟くナルをナルトは静かに見つめた。暫し逡巡する。しかしながらずっと気に掛かっていたことを、彼はとうとう口にした。
「……さっきみたいなこと、よくあるの?」
「ほへ?」
唐突な問い掛けにナルは瞳を瞬かせる。きょとんとしたあどけない顔に、ナルトは苦笑した。彼の言葉の意味に気づき、表情を一変させるナル。
顔を歪める。気まずそうに彼女は視線を落とした。おそるおそる口を開く。
「見てたってば…?」
素直に頷くナルトを見て、目を伏せる。先ほどナルをあからさまに避けた男二人の態度。彼らの事だとはっきり理解し、彼女は足下を満たす青い水に足先をつけた。
両足をばたつかせる。わざと撒き散らした水飛沫がナルトの足にも僅かに掛かった。水面下を泳いでいた魚が驚いてパッと四散する。
暫時無言を貫いていたナルだが、やがて顔を上げた。浮かべたのは、微笑。
「偶にだってばよ。大したことじゃないってば」
その場を誤魔化そうとする。だが彼女の意図をナルトは即座に見抜いた。立て続けに言葉を続ける。
「偶にって事は今回だけじゃないってことだよね」
ぐっと言葉に詰まる。押し黙ってしまったナルを、ナルトは真剣な眼差しで見据えた。
丘から流れてきた雲が彼の顔に影を落とす。翳りの入った顔から覗き見える青い瞳がナルを射抜いた。殊更強い口調で「辛くないの?悔しくないの?」と畳み掛ける。
「――――憎くないの?」
その一言に、ナルは勢いよく顔を上げた。キッとナルトを睨みつける。
「ふざけるなっ!!」
きっぱりと言い切る。その様はいっそ男らしい。彼女の眼に宿るのは、決然たる強い光。
ナルトは暫しまじまじとナルを見つめた。ナルはその目を強く見返した。互いの視線が一つに溶け合う。
やがてナルトはふっと笑みを浮かべた。そして一言、「そうか」と返す。
(お前の居場所は木ノ葉なのか―――)
「君は強いね」
「……き、急になんだってばよ」
詰問していた時とは打って変わって優しげに微笑む。その態度の変わり様に、当初うろたえたナルだが、彼の柔和な面立ちに安らいだのか、落ち着きを取り戻した。そして若干のからかいを含んだ物言いで、「そっちのが断然強いじゃんか」と不平を零す。
「あのゲジマユを倒したんだってばよ?すごいってば!」
「強くなんてないよ」
ナルの言葉を即座に否定し、ナルトは顔を逸らした。その瞳は遙か彼方を見ている。
「本当の強さというのは、大切な何かを守ろうとする、その一瞬だけ発揮されるものなのだから」
思わず零れたその独り言に反応するナル。思い出したように「そういえば、白の兄ちゃんもそんな事言ってたってばよ…」と呟く。
ナルの呟きに内心苦笑したナルトは、改めて姿勢を正した。
当初の目的である真意は聞けた。木ノ葉の里を憎んでいないと彼女がそう言うならば、自分のとる行動は―――。
ナルトは不意に手をナルの双眸に翳した。両眼を覆われた彼女は戸惑って身を強張らせる。だが次第に目の前の光景が陽炎となってゆらゆら揺れ始めた。ゆっくり下りてくる瞼。
ナルトはナルの双眸から手を放し、彼女の様子を窺った。完全に寝入っている。次いで会う直前に張っておいた結界に綻びがないか確認すると、彼は視線をナルのお腹に注いだ。
「突然すまない。話がしたいんだ」
囁く。彼の声に呼応するかの如く、ナルのお腹に施された紋様が服を透かして浮かび上がった。ぼんやりとした赤い光が脈を打つように波動する。
「―――――九喇嘛」
その声にはまるで、懐かしい旧友に会えたかのような響きがあった。
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