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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第十一章 追憶の二重奏
  第五話 手がかり 氷の女帝

 
前書き
 更新遅れてすみません。

 実は引越しがあるかもしれませんので、またも次の更新がおくれてしまう可能性があります。
 もしそうなったら、すみませんm(__)m。
 

 
「……っ……っ……っくそ、本当にしつこすぎるぞ」

 本塔にある図書館。
 何千、いや、何万もの本が詰まっているだろう三十メイルもの高さを持つ巨大な本棚が、森に生える木々のように乱立する中、そこに衛宮士郎の姿があった。本棚の影に身を潜め、息を殺し辺りを伺っている。ギーシュたち|嫉妬に狂い狂戦士(バーサーカー)となった水精霊騎士隊《ウンディーネ》から逃げ出したのはいいが、どうやって連絡を取ったのか、学院に逃げ込んだ士郎の前には大勢の嫉妬の炎を瞳に宿した男―――否、漢達が待ち構えていた。漢達の中には学院の生徒だけではなく、教師の姿もあった。漢達は立ち尽くし顔を引きつらせる士郎に気付くと、それぞれ意味不明な奇声を発しながら魔法を放ち追い掛けだした。漢達の執念と嫉妬は士郎の想像を超え激しく。その追跡は苛烈を極めた。
 漢たちは時に空から降り、時に土の中から生え、時に池の中から浮上し、士郎に迫る。
 何処へ逃げようとも何処ぞのストーカーの如く姿を現す。
 そして今、士郎は何とか、本当に何とか漢たち(嫉妬の狂戦士)の追跡を振り切り、この図書館で数時間ぶりに身体を休めていた。
 
「まさか、あそこで壁を壊して襲いかかってくるとは、しかも、囮が最後に自爆するなど……」

 本棚に寄りかかり、士郎は顔を横に傾ける。視界の隅に映った高い位置に設置された窓の向こうには、闇の中に浮かぶ星の光が見えた。
 時刻は既に夜となっていた。ギーシュたちの訓練が終わったのが昼ごろであったことから、つまり士郎はほぼ半日嫉妬に狂った漢たちから逃げ続けていたということである。その事に気付いた士郎は、顔を手で覆い深く大きな溜め息を一つ着いた。
 
「予定が全部狂ってしまった。だが、まあ不幸中の幸いか、少しは探すことが出来そうだな」

 今日の予定のうち、大部分は実行不可能になってしまったが、最大の目的を少しは出来そうであることを知った士郎は、膝に力を込め一気に立ち上がる。

「さて、この量から手がかりなく探し出すのは苦労では済まされんな」

 上が霞んで見えそうな程の高さを誇る本棚を見上げ、士郎は疲れた声を零す。
 気を取り直すように左右に顔を軽く振ると、本棚にぎっしりと詰め込まれた本に向かって手を伸ばした。一冊一冊引き出し、表紙に書かれているアルファベットが崩れたようなハルケギニアの文字の題名を指先でなぞり、自分が探しているものの手がかりになるような本を探す。本棚の一列を確認し終えるだけでも、軽く三十分は掛かっていた。三十メイルの高さの本棚を見上げ、そして図書館内に無数にある同じ大きさの本棚を見回した士郎は、棚に手を着き崩れ落ちそうになる身体を支える。

「……いや、流石に無理だろこれは、手がかりもなしにこの量から探し出すのは」
「―――何を?」

 誰に言うでもない独り言に返事が返って来たことに、

「ん? いや、ちょっとな」

 しかし、士郎は驚かなかった。
 顔を上げ、横を向く。やや下に下がった視線の先にいたのは、ルイズよりも小さな身体のタバサであった。タバサは右手に自身よりも大きな杖を、左手に本を抱えている。士郎はこの図書館に逃げ込んで直ぐにタバサがいることには気付いていた。そして、つい先程自分に気付いたタバサが近づいてくることにも気付いていた。しかし、別に嫉妬戦士(バーサーカー)たちを連れてきている訳でもなく、また、タバサが基本的に一人が好きだということを知っていたため、士郎は特に反応はしなかったのである。
 
「本?」
「いや、まあ、本といえば本なんだが、正確に言えば本ではなく」
「……調べたい事がある?」
「ん、ああ、そうだな。ちょっと調べたい事があってな。それについて書かれている本がないかと」

 士郎が辺りを見渡す。周りには一つに万はあるだろう本が詰まっている本棚が無数に並んでいる。続く言葉を態度で示す士郎に、タバサは左手に持つ本を近くの本棚の収めると、空いた手を士郎に向かって差し出した。

「? 何だ?」
「教えて。何が知りたいの?」

 静かな湖面のように波立たない青い瞳に見上げられる士郎は、腕を組み思考する。
 士郎は最初、ハルケギニアの文字の読み書きは出来なかった。日本語の辞書があるわけもなく、さてどうやって読み書きを覚えようかと頭を悩ませていた士郎に教師を申し出たのが、タバサであった。丁度その頃、士郎の料理を口にする機会がタバサは、勉強代の代わりに朝ご飯を要求。士郎はそれを快諾した。
 さて覚えるまで何日掛かるかと戦々恐々していた士郎だったが、蓋を開ければ予想外の結果に終わった。たった一日。正確には半日程度である程度の読み書きは可能となっていた。元々色々な過去の経験から、語学等といった分野に対する実力があった士郎なのだが、この結果には流石に異様を感じていた。普通なら必要な単語を覚えるまでに数日かかるところが、タバサが一度説明するだけで、まるで昔から知っていたように記憶してしまう。いや、正確には文字を読もうとした際、まるで頭の中に高性能な翻訳機があるかのように一瞬でその文字の意味が分かるのだ。そのお陰で、一時間で分厚本一冊を一人で読めるまでになっていた。ただ、読みは直ぐに覚えられたが、書きの方は少しばかり時間がかかってしまっていた。しかし、そうは言っても合計で半日程度で読み書きがある一定のレベルで出来るようになっていた。原因については、多分ルイズの虚無。正確には召喚魔法によるものではないかと士郎は考えてはいるが、予想は予想でしかない。その本当の所は分かってはいかなった。
 とは言え、士郎のハルケギニア文字の読み書きは今は関係なく。
 タバサが士郎の探している言葉が載っている本を知っているかが問題なのだ。
 思考の海から浮上した士郎が目を薄く開けると、最初からの姿勢のまま、じっとタバサは士郎を見つめていた。何時もなら、いや、先程まで静謐な湖を思わせていた青い瞳の中に、一瞬『かまって』オーラが浮かんだような気がした士郎だったが、いや、流石にそれは……まあ、さっきの件もあるし、疲れているんだろう。
 と浮かんだ考えを頭を振って散らしていると、

「何を探してるの」

 再度タバサが聞いてくる。
 その真摯な声と態度に、士郎は一つ頬を指先で掻くと、小さく頭を下げた。

「それでは、少し聞くが、『抑止力』というものを知っているか?」
「『ヨクシリョク』……『よくしりょく』」

 士郎に向けて伸ばしていた手を引き戻し顎に当てると、タバサは小さく俯く。

 流石に知っている筈はないか……。

 目線を下げ、考え込むタバサを見下ろす士郎は頭の上に手を当て苦笑を浮かべる。
 
「タバ―――」
「―――『抑止力』」

 無理しないでいい―――そう告げようと口を開いた士郎だったが、

「……一つだけ、心当たりがある」
「何だって?」

 違う言葉がその口から漏れる。

「付いてきて」

 伏せていた顔を上げ、士郎を見上げたタバサが身体を回す。士郎に背中を向けたタバサは、スタスタと軽い足取りで図書館の奥へと向かう。前を行く小さな背中を追いかける士郎。広い図書館の中、その一番奥。誰の姿もない、図書館の端。普段から誰も来ないのか、埃がうっすらと積もっているようなそんな場所で、タバサの足が止まる。

「ここに?」

 士郎の言葉に応えるように、タバサは一つの本棚の前に立つ。右手に持った杖を本棚に立てかけ、しゃがみ込んだタバサは、三十メイルはある巨大な本棚の一番下の一番端に収められた一冊の本に向かって手を伸ばす。
 本棚から取り出した本を両手で抱え、上に積もった埃を払う。うっすらと積もった埃が宙を舞い、天窓から差し込む月明かりを反射しキラキラとした輝きを見せる。

「それが……」
「『欠片(ピース)』」

 タバサは手に持った本を士郎に差し出す。差し出された本は、タバサの小さな手では掴みきれない程の分厚さであり、それを見た士郎は、本というよりも鈍器と言った方が正確だなと感じた。タバサのその細い腕の力でそれを持つにはやはりきついのか、ぷるぷると小刻みに震えている。直ぐにタバサの手から本を受け取った士郎は、月明かりでその表紙を照らす。

「『欠片(ピース)』……か」

 タバサの口にしたものは、差し出された本の題名であった。飾り気も何もない機械的な黒い文字で書かれたそれを確認した士郎は、横に視線を向けタバサを見る。

「この中に?」
「『欠片』は、その題名通り様々な本の欠片が記載された本。焼失、規制、水没……何らかの理由でその大部分を失ってしまった本の一部(欠片)が集められている。何時、何処で、誰の手によって書かれたか一切不明。集められたものに区別はなく、伝承や何かの記録、物語から誰かの日記まで多岐に渡っている。同じものからは多くても三ページ、少ないのは一ページにも満たない。でも、その分集められたものは二千を超えている」
「『抑止力』についても……」
「開いて」

 タバサの言葉に従い本を開く。開かれた本に向かって手を伸ばし、タバサはページを捲る。暫らくページを捲る音だけが響き―――止まる。

「……ここ」
「……これ、は……?」

 タバサが指し示す先に視線を落とした士郎が戸惑った声を上げる。
 指し示された先、本に書かれているそれ。
 一ページにも満たないそれは、一般的に、

「日誌―――か?」

 日誌と呼ばれるものであった。
 ほんの数行程度の文章を読む士郎。
 その中には、確かに探していたものが記載されていた。 

「―――『抑止力』……に『門』、か」
「どう?」
「ああ……どうやら当たりのようだ」

 タバサに頷き、士郎は改めて本に目を落とす。
 士郎が求めていたものが書かれた文章は完璧なものではなく、所々虫食い状態であった。





『――――――前から突然姿を現した―――たちは、たった―――日で三つの国を滅ぼし。このままでは、遠からず全ての国が滅ぼされてしまうだろう。影響範囲、威力ともに、ぼくの使う『変わった系統』よりも弱い筈なのに、奴らの振るう力はあまりにも―――であり、たとえ一人を相手にしたとしても勝算は薄いと思われる。事実、先日エルフの戦士団がたった一人の長い槍を手にした―――に全滅させられた。それもエルフの強大な魔法でさえ一つの怪我を負わせることも出来ず。
 


 不思議な―――と出会った。
 最初は奴らの仲間かと思ったが、噂の槍の―――と戦っていたため、違うとわかったが、彼の力は―――と良く似ていた。
 だから、駄目元で奴らについて聞いてみると―――った。
 驚いた。
 まさか知っているとは思わなかった。
 ぼくらが必死になって探っても分からなかった奴らのことを、彼は知っていたのだ。彼が言うには、奴らは『抑止力』と呼ばれるも―――。
  
 
   
 ―――ああ、何て事だ。
 もし、彼が言った事が本当なのだとしたら、ぼくは何て事をしてしまったのだ。族長として、少しでも皆の力になればと思い、この『変わった系統』の力を使った結果が、こんな事になるなんて。

 

 ―――早く―――早くしなければ。
 早く『門』を閉じなければ、このままではこちらの世界も、あちらの世界も滅びてしまう。
 だけど、『門』から流れ込む魔力のせいで、開いた場所まで行かなければ閉じることが出来ない。たどり着くには、奴らが何時、何処で現れるか分からない中を進まなければいけない。
 たどり着いたとしても―――』


 

 
 二、三度と読み返した士郎は、書かれていた文章を何度も頭の中で咀嚼する。

 『門』に『抑止力』……か……。
 これだけで確実に当たりだとは断定はできないが……。
 しかし、これを書いたのは一体誰だ?
 『変わった系統』?
 いや、それよりも問題はこの日記を書いた者に『抑止力』のことを教えた者の方か。
 
 士郎が思考の渦に飲み込まれている中、タバサはその隣で何処かから持ち出してきた本を開いて読んでいた。時折、隣の士郎を何度もチラチラと見ていたタバサの身体が、次第に士郎に近づき始める。
 考え込んでいる士郎はそれに気付かない。
 士郎とタバサの身体の距離が、後ほんの数センチの距離まで詰まる。
 ―――瞬間

「―――ッ?!」
「―――っひぅ?!」

 タバサは横抱きにされ、宙を飛んだ。覚悟やら意識の外から受けた衝撃に、タバサの口から思わず奇妙な声が漏れてしまう。その声は士郎の耳に確実に届いてはいたが、士郎の意識は全く別のところに取られていた。それは士郎が自信が先程まで立っていた位置に人影。その人影は魔法の明かりが届かない部屋の中、天窓から差し込む星明りによりぼんやりと浮かび上がっている。

「―――っな、何だコレ(・・)は?」

 士郎は目の前に転がる(・・・)ボロボロの姿の人影に、動揺した声を上げる。
 顔は明かりから外れているため分からないが、顔から下はいたるところが焼け焦げ、肌にはミミズ腫れのような跡も見える。ぱっと見……どころか何処からどう見ても死んでいるようにしか見えないが、時折微かに指先が震えていることから生きてはいるのだろう。

「……これ、は、大丈夫なのか?」
「……ん、生きてはいる」

 士郎の手から離れたタバサは、じっと感情の見えない視線で屍の如く転がる人影を見下ろしポツリと呟く。
 確かにタバサの言う通り生きてはいる。だが、だからと言って大丈夫だというわけではない。
 肉体的には大丈夫であったとしても、精神的には大丈夫ではないことがままあるのだ。

「しかし、こいつは一た―――っ!!」

 人影に一歩近づき立ち位置を変えた時、士郎の目に天窓から差し込む明かりに照らされた倒れ込んだ人影の顔が飛び込んだ。その顔を見た瞬間、士郎の口から驚愕の声が上がる。

「ッ!!? ぎ、ギーシュッ?!」

 倒れ伏すそれが、ギーシュであることに気付き、近寄ろうとした瞬間、士郎の背筋を氷の刃が貫いた。

「―――ッ!!?」

 声も上げることも出来なほど冷たい狂気にも似た殺意を感じ、士郎の全身が萎縮したように縮こまり固まる。
 常人なら卒倒してしまいそうになる空気。
 しかし、士郎は不幸にもそれを良く知っていた。

「やばい―――ッ!! タバサっ、直ぐにここを離れ―――」
「―――ふふ……ふ。し~ろう。み~つけた」

 まるで地獄の最下層(コキュートス)から響いたかのように、重く冷たい声に、タバサの手を掴み逃げ出そうとしていた士郎の足が氷着いたように固まる。
 士郎の背後。森の木々のように立ち並ぶ本棚の奥。天窓や壁際に設置された魔法の明かりが届かない闇に中に、ナニカがいた。
 それは、まるで天敵を目の前にし、動けなくなったカエルを飲み込まんとする蛇のように、ゆっくりと、静かに近付いていく。士郎は背後から近づく足音の正体を知るため、石像のように硬くなってしまった首を必死に曲げる。
 何とか首を回した士郎の目には、予想通りの姿があった。
 天窓から差し込む冷たく清浄な気配を持つ光が照らし出したのは、

「……ルイズ」

 ダラリと垂れ下げた右手に杖を、左手に鞭を持ったルイズだった。

「―――あはっ」

 士郎の声に、ルイズはまるで幼子のような笑みを浮かべた。
 嬉し気に、無邪気に、楽しそうに……。
 まるで赤子が初めて捕まえた虫を弄ぶ前に浮かべる顔のように―――。

「……ギーシュは」

 確信を持ちながらも問いかける声にルイズは、

「だって、みんなシロウをやっつけようと探してたから……シロウはわたしがお仕置きしないといけないんだもん。だから、道を聞くついでにみんな(・・・)には大人しくなってもらったの」
「っ、待て、みんな(・・・)、だと?」

 聞き捨てならない言葉に、士郎は『待て』と手を前に出す。
 
「そうよ。シロウを探してたみんな」
「……軽く百人以上はいた筈だが」
「凄いでしょ」

 確かに凄い。
 と言うかありえない。
 百人以上のメイジの集団を、たった一人で行動不能にする等普通はありえない。
 だが、目の前の存在はそれを成し遂げたと言う。

 ……あなたはどこぞの英雄ですか?
 
 士郎が現実から逃避を始めた頃、ルイズが左手に持った鞭を軽く振り、床にその先端を叩きつける。ピシリと軽く鋭い音が静まり返った図書館の中に響く。

「さて、と。早速シロウにお仕置きをと思ってたんだけど……その前に聞きたい事が出来ちゃった」

 淡く桃色に染めた頬を笑みの形に曲げ、『てへ』、と頭に手を当て小首を傾げる様子は一見してとても可愛らしいものではある。しかし、士郎はルイズの目が全く笑っていないことに気付いていた。
 士郎の背筋が泡立つ。

「……何で俺がお仕置きされなければならないかも聞きたいんだが?」
「何でタバサがそこにいるの?」

 士郎の声を華麗に無視し、ルイズが杖の切っ先を士郎の横に寄り添うように立つタバサに向けた。

「……タバサには調べものを手伝ってもらっていたんだ」
「調べもの?」

 こてりと小首を傾げるルイズ。小鳥のようなその仕草は愛らしいと言えるだろう。しかし今、その動作が士郎の目には殊更恐ろしく映っていた。

「……ああ」
「何でわたしに聞かないの?」
「いや、最初は一人で探そうとしていたんだが、タバサが手伝ってくれると言ってくれてな」
「へぇ……そう」

 小さく、吐息のような声がルイズから漏れる。
 空気が一段と硬くなり、体感温度も一度以上下がったように士郎は感じた。口の中が乾き、ひりつく喉を空気だけが塊となって飲み下る。
 無意識に下がりそうになる足を必死に押し止めた士郎は、震えそうになる声を必死に押さえながらルイズに問いかけた。

「それが、どうかしたか?」
「あら? どうかした? ……どうかしたか、ですって?」

 ルイズの背後に湧き上がる殺意と言う名の炎が燃え上がるのを士郎は幻視した。姿なき炎の勢いは、士郎の必死に押し止めようとしていた足を後ずさりさせるだけの力があった。

「ええ。とっくにどうかしてるわね。知らないうちにちいねえさまは手篭めにされているわ、シロウを追いかけていた男どもを尋問すれば、最近シロウが学院の女子の間で人気が出ているなんて聞くわ、苦労して見つけたと思ったらタバサと抱き合っているわ……ええ、本当にどうにかなってしまってるわね」
「い、いや、それは色々と誤解が―――」
「あら? じゃあちいねえさまとは何でもないの?」
「…………」
「―――死になさい」
「ちょ―――」

 両手を前に突き出し『待て』と訴える士郎に、笑みを浮かべながら杖の切っ先を向けるルイズ。
 そこに、

「ねえタバサ。そこを退いてくれない? シロウを殺せないじゃない」
「駄目」

 杖を手に持つタバサが立ちふさがる。
 ルイズは士郎の前に立つタバサに杖を突きつけながら、にこやかに語りかけるが、タバサはそれを軽く一蹴した。
 一瞬ルイズの顔が固まったのを士郎は気付く。
 同時に、ルイズの全く笑っていない目と視線が合った。

「―――っ」
「本当にシロウは手が早いわね」
「っ、まてっ! ルイズ誤解だッ!!」

 突き出した両手と顔を物凄い勢いで横に振る士郎に、ルイズは空いた手を頬に当て小さく溜め息を吐いた。

「はぁ……誤解、ねぇ」

 チラリと自分に杖を向けたまま微動だにしないタバサを見る。

「ねえタバサ。何で駄目なの?」
「この人は傷付けさせない」
 
 ルイズの問いにタバサは表情一つ変えることなくクールに言い放つ。
 そんなタバサにルイズは矢継ぎ早に問いかける。
 
「だからそれは何で?」
「……助けてくれた」
「わたしも助けに行ったわよね?」
「……それ、は」

 戸惑うように言い淀むタバサに、ルイズはすっと、細めた目を向ける。 

「シロウが好きなの?」
「…………そん―――」
「うん、分かったわ」
 
 
 白い雪のように真白な頬を赤く染め上げ、唇を微かに震わせるタバサ。
 その姿を目にしたルイズは、タバサが言い切る前に『うん』と一つ深く頷いた。
 そして、まるで友好を示す握手を望むように自然と伸ばされる手。
 その手には短い杖があり。
 
「何が誤解よッ! この万年発情男ッ!!」

 士郎に向けた杖を一気に振り下ろすルイズ。
 反射的に前に立つタバサを胸元に抱き寄せ、盾になるように自分の身体で包み込む。

「―――ッ!」
「っぅ――?!」
 
 胸元でタバサが空気が抜けたような声を上げるが、士郎は数瞬後に訪れるだろう衝撃と痛みに意識が割かれていたため気付かない。歯を噛み締め、タバサに被害が及ばないようにその小さな身体を強く抱きしめる。
 ルイズの怒気はかなりのもの。
 そのため襲い来る痛みも相当なものだろうと覚悟する士郎だったが、

「……?」

 何時までたっても何も起こらないことを不思議に思い、顔を上げてみると、

「あれ?」

 そこには杖を目の前に持ち上げ小首を傾げるルイズの姿があった。
 ぶつぶつと呟き杖を軽く振っては小首を傾げるルイズの姿に、士郎は千載一遇のチャンスと先程からピクリとも動かないタバサを抱き抱え、そろそろと逃げ出そうとする。
 ―――が、

「―――かはッ?!」

 突然首に何かが巻き付いてきた。
 それがルイズが持っていた鞭だと気づいた時には既に手遅れであった。

「……はぁ、仕方ないか。何でか知らないけど、魔法が使えないみたいだし」
「ま、待てルイズ。話し合おう。暴力では何の解決にもならない!」

 顔面蒼白、汗を滝のように流しながら士郎は訴える。
 ルイズは鞭を握る手に力を込めると、ふわりと優しい笑みを浮かべた。
 


「―――わたしの気分は晴れるわ」










 トリステインの王宮の応接間。
 今、その中には二人の人物が向かいあって座っていた。
 一人は女性。
 このトリステインの女王であり、この王宮の主であるアンリエッタである。
 その向かいに座るのは、濃い紫色の神官服を身に纏い、高い円筒状の帽子を被った男であり、その姿から一目見て高位の神官だと分かる。
 そう。その通り男は高位の神官であった。上に誰もいない程の。つまり、アンリエッタの目の前に座る男が、このハルケギニア中の神官達の頂点であるロマリアの教皇であった。その証拠に、上座に座っているのは、この王宮の主であるアンリエッタではなくロマリアの教皇である男の方であった。
 アンリエッタは目の前に座る男を改めて見直す。

 噂には聞いていましたが、本当に美しい人ですね。

 アンリエッタはその立場から、高位の神官とは何人も見てきた。その経験から、アンリエッタは一つの結論に至っていた。つまり、
 神官でも人―――である。
 つまり、神官という人を導き救う尊き存在である筈の彼らが、その実権力や金、女に欲を持つ只人でしかないと言うことだ。
 それは高位になればなるほど顕著であった。
 しかし、今目の前にいる神官達の長である彼はそんな者たちとは一線を画していた。
 トリステイン、否、ハルケギニア中を探しても同じレベルの美貌を持つものがどれだけいるかと言う程の美しい顔には、常に微笑がたたえられ、柔らかく細められた瞳には慈愛が宿っている。
 思わず溜め息をつきそうになるのを堪えると、気持ちを切り替えるように一度ゆっくりと閉じた目を開く。

「教皇聖下。まずは即位式へ出席出来なかったこと、大変失礼をいたしました。遅れながらお詫びいたします」
「そんな。あなたが流行病に掛かり出席出来なかったことは聞いております。謝るようなことではありません。それに、私はあまり堅苦しい行儀は好みません。よろしければヴィットーリオと呼んでいただけませんか」
「そんな。恐れ多いことですわ」

 教皇の名は、ヴィットーリオ・セレヴァレと言った。まだ二十をいくつも超えてはいないこの若者が、聖エイジス三十二世を即位したのが、今から三年前の事である。若いが、ロマリア市民からの人気は歴代の中でも最高と言われていた。それには輝かんばかりの美貌もそうであるが、身に纏う全てを包み込むような雰囲気が理由ではないかとアンリエッタは思う。
 年頃の少女のように恥ずかし気に頬を染め目を伏せる姿を見せながら、内心の冷静な目でアンリエッタは聖エイジス三十二世を改めて見る。

 しかし、本当に何故、ロマリアの教皇がわざわざここへ?

 アンリエッタは思考する。トリステインへの聖エイジス三十二世の行幸が伝えられたのは、今日から丁度二日前の事だ。突然過ぎる大物の来訪に、アンリエッタは驚きよりも疑問が湧き上がっていた。

 何故、と。

 教皇がロマリアから出ることは殆んどない。あるとすれば戴冠式ぐらいであろうが、それも絶対ではない。それ程珍しい教皇の突然の行幸に、アンリエッタは強い違和感を感じていた。引きこもり気味の教皇が、理由もなく外に出ることはない筈。ならば、それ相応の理由がある。教皇が来る前に、それを見つけなければならない。
 しかし結局は、予想すらまともにたてる前に教皇はここへ来てしまった。
 つまりアンリエッタは今、相手の情報が全くないま聖エイジス三十二世と渡り合わなければならないということである。
 
 アンリエッタの瞳の奥、冷たい光が瞬く。

 聖エイジス三十二世は王宮についた後、母后や宰相たちとの会食を終えるや、アンリエッタは人払いをした上での話し合いを求めた。つまり、(自分)以外には誰にも話したくない、又は話せない内容。
 ただ政治的な話で、人払いまでする?
 可能性がないわけではない。
 若輩者、女子供だと侮り自分に都合がいいように、余計な者(マザリーニ)がいない間に丸め込むつもりか。

 もしそんな考えだったのならば―――後悔させてあげましょう。

 アンリエッタは聖エイジス三十二世に改めて向き直る。

「それで、教皇猊下はトリステインに何の御用でこられたのでしょうか?」
「ええ、きちんとご説明いたします、が。その前にこちらも一つお聞きしたいことがあります」

 柔和な微笑みに、悲しみの色を混ぜた聖エイジス三十二世。その様子に気付いたアンリエッタが、口元に浮かべていた笑みを微かに固めた。が、それも一瞬。直ぐに気を取り直したように柔らかくすると、続きを促す。

「それは?」
「先の戦役のことです」
「―――」

 応えに、アンリエッタは息を詰める。
 先の戦役―――今、このトリステインでそれに該当するのは、アルビオンでの戦。主たるアルビオン王家を廃した貴族の連盟―――レコンキスタとトリステイン・ゲルマニア連合軍との戦い。その戦争の結果は、前触れないガリアの参戦により連合軍の勝利で終わった。
 勝利で終わった戦争。
 だが、そのための犠牲は、その勝利に見合うものだったかと聞かれ、是と答えられるかは……。
 正直に言えば思い出したくない。
 だけど、決して忘れてはいけない戦いである。
 伏せたくなる顔を無理矢理引き上げ、聖エイジス三十二世を見る。
 その瞳に、一つ、鋭く、硬い光を秘めて……。

「……聞きたい事、とは」
「いえ。もう十分にわかりました」

 静かに首を横に振る聖エイジス三十二世。

「分かった、とは?」
「あなたが私と同じように、あのような戦争を二度と起こしたくないと考えていると言うことをです。私はあの時、出来るだけ早く、あのような無益な戦を終わらせたかった。ですので、私は義勇軍の参加を決意したのです」
「……無益、ですか」
「何か?」

 アンリエッタの視線の中に何かを感じた聖エイジス三十二世は、口元を笑みの形に曲げる。

「……益のある戦など……あるのでしょうか?」
「その通り。益ある戦。そんなものがあるわけがない。戦が起きる度、私は常に思っておりました。何故、神と始祖ブリミルの敬虔なるしもべたる私たちが、こうも争わなければならないのかと」

 然りと頷く聖エイジス三十二世。
 聖エイジス三十二世から視線を外したアンリエッタは、天井に吊られたステンドグラスを見上げる。

 益のある戦などない。
 そう……確かに、そうなのかもしれません。
 人の、若者の命をかけてまで争う必要がある戦争等ない。特に先の戦は、自分の身勝手な復讐から始まった戦争である。それに益など何処にもない。そんな事、改めて言われなくとも嫌でも分かっている。
 戦争なんて二度としたくはない。
 愛する人がいなくなる。
 そんな悲しみをもう一度感じてしまえば、今度こそ本当に死んでしまうかもしれない。
 そんな悲しみを他の人(国民)にも感じて欲しくない。

 本当に、自分(アンリエッタ)は心の底からそれを望んでいる。 

 ―――しかし―――
 
「―――いいえ、聖下。益のある戦はあります」
「……どう言う、ことでしょうか?」

 アンリエッタが顔を前に戻すと、聖エイジス三十二世は変わらず微笑んだままであったが、その目に秘めた輝きが微かに強くなっていた。

「先程、聖下は先の戦が無益だとおっしゃいましたが、『益』はありました。それは幾つもありますが、最も大きいものは『土地』です。ご存知の通り我が国は決して大きいとは言えません。人口も土地も他の国に劣ります。ですが、先の戦で我が国はアルビオンの土地を多く手にすることが出来ましたし。国庫の損失も、賠償金により数年以内には倍、とは言いませんが元よりも多くなります。このように、我が国は先の戦により『益』を得ることが出来ました」
「では、あなたは先の戦は有益な戦であったと?」

 笑みを消した聖エイジス三十二世が、視線を強くしアンリエッタを見つめる。アンリエッタは動じない。静かに見つめ返す。

「はい。『無益』な戦ではありませんでした………いえ、違いますね」

 ―――スッと目を細め、その青い瞳の中に冷気にも似た冷たい輝きを光らせ。
 
 ―――しかし、自分(女王)は、それでは駄目なのだ。

「『無益』な戦にしてはいけないのです」
「してはならない?」

 小さく頷いたアンリエッタは、膝に乗せた手を強く握る。

「意味のない、無益な戦いだったと、命を散らせた兵士を無駄死にしてはならないのです。彼らのお陰で助かった、幸せになれた、良くなった……そうしなければならないのです」
「それが真実でなくとも、ですか?」
「その通りです。例え本当は何も得ることがなかった戦であっても、死んでいった者たちのため、残された者たちのため、決して無益な戦としてはならない」

 そこまで口にしたアンリエッタは、不意に視線を手元に落とすと、握り締めすぎて真っ白になった手を見つめる。
 
 だから、わたくしは先の戦を『無益な戦』だったと口には出来ない。
 否、してはならない。

「一番は、戦自体が起きないのがよろしいのですが、そんなことは有り得ないともう分かっております。どれだけ努力をしようとも、戦というものは起きる時は起きるものだということは理解しています」

 悲しげな色が混じった笑みを浮かべるアンリエッタに、聖エイジス三十二世は包み込むような笑みを向ける。

「それが出来ると言えば、あなたは信じますか?」
「―――出来るとは」

 聖エイジス三十二世に問いかけるアンリエッタの声は小さく―――硬いものであった。

「戦を起こさせない。起きても直ぐに止めることが出来ると言えば、あなたは信じられますか?」
「……何をするおつもりですか」

 信じる、信じないではなく、何をするつもりだと問いかけるアンリエッタに、聖エイジス三十二世は変わらず笑みを向けたまま。

「何も。ただあるものがあれば、戦を起こさず平和を維持することが出来ると言っているだけです」
「あるもの?」
「力です」

 短いその応えに対し、アンリエッタは微かにも眉を揺らすことはなかった。

「……」

 何も言わず黙って続きを聞く体勢のままのアンリエッタに、聖エイジス三十二世は語りかける。

「争いを起す気力も起こさせない程の圧倒的な力。争い合う両者を一度で黙らせるほどの力……それ程巨大な力があれば平和を維持することが出来ます」
「それだけの力が何処にあると?」
「あなたは既にそれを知っているはずです」

 にこやかに笑いかけてくる聖エイジス三十二世に、アンリエッタは目を細め首を傾げる。

「さて、見当がつきません」 

 細めた目。
 弧月に曲げた口元。
 しかし、それは決して笑ってはいない。

「本当ですか?」
「ええ」

 疑問―――疑いが混じった目線に、変わらず笑に形作った(・・・・・・)顔のまま頷く。
 じっと、数秒ほどアンリエッタの顔を見つめていた聖エイジス三十二世は、内心で小さく溜め息を吐くと、その答えを口にしようとする。

「……ではお教えしましょう。その力は伝説に詠われる始祖の力」
「―――『虚無』」

 が、しかし、肝心の答えを口にする前に、アンリエッタが答えを口にした。
 半開きの中途半端な形で口を開いたまま一瞬だけ固まったが、直ぐに笑の形に戻すと、聖エイジス三十二世は頷いた。

「……その通りです」

 そこ声は微かに揺れていた。 

「始祖の力は強大です。その強大な力を四つに分け、始祖ブリミルは秘宝と指輪に託し、自分の力と共に己の子四人にそれを託しました。トリステインに伝わる水のルビー、そして、始祖の祈祷書がそれです」
「何故そのようなことを?」
「力が一点に集中すれば、面倒な事が増えますからね」
「面倒事、ですか」
「ええ。例えば、ですが、誰かにその力を狙われる……など」

 柔和に歪めた目の奥に、鋭い光を光らせる。

「始祖は自分の力を四つに分けた後、こうも告げました。『四の秘宝、四の指輪、四の使い魔、四の担い手……、四つの四が集いし時、我の虚無は目覚めん』と」

 細めた目で聖エイジス三十二世を見つめていたアンリエッタは、ふと視線を外すと、何もない中空を見上げる。

「強大な力は、それだけで人を狂わします。手に入れた力が大きければ大きい程、人はそれを使いたくなってしまう。ただ持っているだけ、それだけでも強すぎる力は人を狂わします」
「ええ、その通りです。ですが、対処法もあります。力の向かう先を用意すればいいのです」
「向かう先……『聖地』ですか」
「はい」

 頷く聖エイジス三十二世を視界の端にとらえると、アンリエッタは強く瞼を閉じる。
 一瞬、膝の上に置いていた手から血の気が引く。
 それらに気付いていないのか、頷いた聖エイジス三十二世は強く、説得するようにアンリエッタに話しかける。

「ご存知の通り、聖地は始祖ブリミルが光臨した土地ですが、それだけではありません。我々の心の拠り所でもあります。心の拠り所があり、初めて真の平和が訪れるのです」
「始祖の力をもって、エルフから奪うと」
「『使う』ことをせずとも、『見せる』だけでも十分です。強大な力は、見せるだけで効果があります」

 戦わなくとも良いと、声を大にして口にする聖エイジス三十二世に、アンリエッタは膝上に置いていた視線を上げ、しっかりと前を向く。

「『交渉』のため、ですね」
「……ええ」

 ゆっくりと、大きく笑みを作り迎え入れるように大きく両手を左右に広げる。

「どうでしょうか? お力をお借りすることは出来ませんか?」
「時間をいただけませんか」
「確かに今すぐお答え出来ないものですね。しかし、それだけの猶予があるかどうか……」
「ガリア……ですか」

 残念そうに首を左右に振る聖エイジス三十二世に、その原因を答えるアンリエッタ。それに強く頷いた聖エイジス三十二世は、笑みを浮かべていた顔を悲しげなものにした。

「ええ。己の欲望のままに力を振るう男が、かの国を支配しています。あの男が何時また牙を向くか分からない今、出来るだけ早く結論を出さなければなりません」
「確かにその通りです」
「ですので、我らは出来るだけ早く四つの『虚無』を一つに集めなければなりません。私は、あなたならば一つに集め、そして守りきることが出来ると信じております」
「……過分なお言葉だと思います」

 苦笑を浮かべ、否定の言を口にするアンリエッタに向かって、聖エイジス三十二世は今まで以上に笑顔を浮かべると、



「……いいえ。私には自信をもって言えます。あなたにはそれだけの力があると、そして、今それを改めて思いました」


 
 自分を見つめるアンリエッタの笑みの形に細めた目の奥に光る、氷の如き冷たい光を前にし、



「―――アンリエッタ女王(氷の女帝)


 
 ―――そう、口にした。





 
 

 
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