三年目の花
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10部分:第十章
第十章
「投げるべき人が投げる」
既にヤクルトの守備になっていた。マウンドでは岡林が伸び上がる様なフォームから投げている。
「それで勝てるんや。簡単やろ」
先程のコーチに対して問うた。
「は、はあ」
彼はまだ野村がこんなことを言うのが不思議で仕方なかった。何処か普段の彼とは違う気がしてならなかった。
「けれどな」
ここで彼はいつものシニカルな笑みを作った。
「それがむつかしいんや」
「おや」
彼はそれを聞き普段の野村に戻った、と思った。
「なんでやろな。口で言うのは本当に簡単なことや。せやけどいざやるとなったらむつかしい」
「はい、はい」
彼は笑顔で頷いた。ようやく本来の野村になってくれたと思った。
「けれどな」
彼はまた言った。
「そやからこそ面白いんやな、野球ちゅうもんは」
野村は完全に普段の野村であった。
「面白い試合は明日もしたいな」
そして彼はベンチから姿を消した。次の試合はもうはじまっていた。
翌日ヤクルトの先発は伊東、阪神は中込だった。序盤は阪神が先制した。
三回表にオマリーのヒットで一点が入った。阪神にとっては幸先良い先制点であった。
「まずは一点やな」
中村はそれを見て呟いた。
「こっからコツコツいくで」
「はい」
彼の言葉通り阪神は焦ることはなかった。着実に点を入れていく作戦にでた。
五回に阪神はまた攻勢に出た。まずは先頭打者の和田が流し打ちで出塁する。
亀山が倒れた後でオマリーが打った。打球は右に飛ぶ長打となった。
「よっしゃ、よう打った!」
三塁側から歓声が飛ぶ。オマリーはその愛嬌のある人柄からファンに愛されていたのだ。
まだピンチは続く。打席には四番のパチョレックが入る。故障から帰ってきていたのだ。
「まずいで、これは」
野村はそれを見てすぐに動いた。そして主審に告げた。
「ピッチャー交代」
マウンドには乱橋幸仁があがる。だが彼も打たれてしまった。
これで三点差。次の八木にも打たれるが何とか一死をとった。
ここでまた交代する。金沢次男だ。小刻みな継投策に切り替えた。
そして阪神の攻撃を凌いだ。次の回からは小坂勝仁、そして西村龍次を投入し試合が動くのを待った。五回裏にパリデス、角富士夫の連打で一点を返したがまだ二点差。今の中込から二点を奪うのは難しいかと思われた。
「ここは我慢や」
野村は言った。
「絶対チャンスが来るからな」
「絶対ですか」
昨日のコーチはまた彼に尋ねた。
「そうや、この試合、このまま終わらへんで」
彼には確信があった。だが試合は阪神有利のまま進んでいく。
九回裏になった。あと三人で阪神の勝ちだ。中込はゆっくりとマウンドに登った。
「落ち着いていけよ」
キャッチャーは若い山田からベテラン木戸克彦に替わっていた。あの優勝の時の正捕手である。
「任せて下さい」
気の強い男である。少し疲れながらもニンマリと笑って応えた。
「勝ちましょう。そうしたら盛り返せますよ」
「ああ」
木戸は中込のその心臓に賭けた。それはベンチにいる中村も同じであった。
「今日はいけるな」
「はい」
コーチの一人がそれに頷いた。
「けれど九回ですし」
それが問題であった。
「まあその時の為に備えも用意しとるし」
チラリ、とブルペンの方を見た。
「あいつやったら大丈夫や」
「そうですか」
中村は勝利を確信していた。中込と今ブルペンにいる男、その二人に対して絶対の自信があるからだ。
ヤクルトの打順は四番のハウエルからだ。絶好の打順である。
「打て、ハウエル!」
「今のピンチを救ってくれ!」
彼は今までチームの危機を救う一打を何度も放っている。こうした時最も頼りになる男である。
だがこの時は中込が勝った。彼はあえなくショートゴロに倒れた。
「ああ・・・・・・」
「やっぱり今日の中込は無理か」
一塁側を溜息が支配する。やはり無理かと思われた。
「あと二人!あと二人!」
甲子園名物である筈のあと何人コールが木霊する。流石に阪神ファンはこうした時の熱い声援を忘れない。
だが中込の疲れは彼自身が思っていたより溜まっていた。それは特にコントロールにあらわれた。
次のバッター広沢を歩かせてしまう。そして打席にはズバ抜けた長打力を持つ池山が入る。
「池山、ホームランだ!」
「バックスクリーンで待ってるぞ!」
彼のホームランは特徴があった。一直線にバックスクリーンに突き刺さる豪快なものだったのだ。ショートとは思えぬ大振りであり三振も非常に多かったがその破壊力はファンに愛されていた。
その池山が打った。センターに飛ぶ。だがそれは幸いにしてホームランではなかった。センター前ヒットであった。
「・・・・・・・・・」
中村はそれを見て暫し考え込んだ。
「どう思う」
そして傍らにいるコーチに問うた。
「そうですね」
彼も中村が何を問うているかよくわかっていた。
「そろそろ潮時かと。中込は今までよくやってくれました」
「よし」
中村はそれを受けて動いた。マウンドに向かった。
「交代や」
そして中込からボールを受け取る。
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