死んだふり
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第六章
第六章
「この二人のことならわしは全部知っとる」
米田もであった。彼は西本以前からいたがここまでの大投手にしたのは西本であった。
「次の試合はヨネや。そして」
彼は山田を見た。
「最後はこいつや。こうなったら絶対引くわけにはいかん」
闘将の闘志に火が点いた。それがチーム全体を包み込むのにさほど時間はかからなかった。
次の試合阪急のマウンドには米田が上がった。
「やっぱそうきたか」
野村は彼の姿を見て言った。
「今日は捨て試合かもな」
彼は覚悟した。まだ一敗できる、そういう計算もあった。
やはりこの試合阪急は勝った。米田は南海打線を佐野嘉幸のホームラン一本で捻じ伏せた。対する阪急打線は南海投手陣を打ち崩し十三点をもぎ取った。これで勝負はふりだしに戻った。
「これで互角や」
試合終了後西本は腕を組みながら言った。
「互角になったらこっちのもんや」
ここまでくると戦力がものをいう。西本はそれがわかっていた。
「一気に叩き潰したる」
そう言って監督室に消えた。
対する野村は案外サバサバした顔であった。特に肩を落とすことなく帰りのバスに向かった。
「明日やな」
そして記者達に対して言った。
「決まるのは」
「え、ええ」
そのあまりにもあっさりとした態度に記者たちの方が困惑した。
「まあ見ていてくれや」
野村はニヤリと笑って言った。
「明日全てが決まるで」
それだけ言うと彼はバスの中に消えていった。
「野村さん今日の負けでヤケクソになったか!?」
記者の一人が首を傾げながら言った。
「かもな。あれじゃあ何もできんわ」
他の記者が相槌をうつ。
「阪急と南海じゃあ戦力差がありすぎる」
それはプレーオフの開始前から言われていたことであった。
「結局この差をどうにもできないまま終わるんだろうな」
「そうだろうな。結局頭では阪急のパワーには勝てんわ。やっぱり野球は頭だけでどうにでもなるもんとちゃう」
彼等は口々に言う。
「明日は西本さんの胴上げや」
そしてその言葉で終わった。彼等も取材を終え会社へ戻って行った。
野村はバスの中で一人考え込んでいた。
「明日は山田が出て来る」
阪急が誇る若きエースである。西本が育て上げた最高の投手の一人だ。
「おいそれと打てる奴やない。この前は打てたがな」
負けたとはいえ打てた。だがそれに心理的余裕は感じなかった。
今日の練習を覗き見たが山田の調子はいい。あれでは容易に打てそうもない。
「何もかも超一流や。まるでスギみたいな奴や」
彼は自分が受けた中で最も凄いと確信する男の名を呟いた。
「球威もコントロールもズバ抜けとる。しかも頭もある」
彼は考えを巡らし続けた。
「おまけに気まで強いか。ホンマに難儀なやっちゃで」
ここで彼は以前彼と雑談した時のことを思い出した。
「野村と話はするな」
よくこう言う者がいた。オールスターでも南海以外の投手達は彼とバッテリーを組むことを嫌がった。それは何故か。
盗まれるのである。野村はそのピッチャーの球を投げさせ受ける。その時彼はボールから目を離さない。
「野村さんはセリーグと戦っているんじゃないんだよ」
ある他球団のピッチャーが言った。
「俺達と戦っているんだ。そしてボールから色々調べるのさ。そしてそれを後半や次のシーズンに使ってくる。全く食えない人だよ」
そういう男であった。優勝チームの旅行にも追いかけるようにして行った。
「何でこの時期に行くんですか?」
誰かが尋ねた。
「決まっとるやろが」
ここで彼はニンマリと笑った。
「王や長嶋から巨人のサインのことや戦略を盗み聞きする為や。そでなかったら寒いヨーロッパなんか行くかい」
この時の旅行はフランスの航空会社の招待でヨーロッパ旅行であった。当然行くのは巨人である。
彼等の作戦等を仕入れそれをシリーズに使う為だ。これが野村であった。
ペナントにおいてもそうであった。とにかく山田を打てない。
「凄いやっちゃで」
そう言いながらノートをつける。そこには山田のデータがびっしりと書き込まれていた。
「どういう時に何を投げるか」
野村はそれを細かいところまで観察していたのだ。
西本の采配も見ていた。これは案外わかりやすかった。
「やっぱセオリーに忠実なお人やな。間違ったことはせん」
西本の戦術はオーソドックスである。強気な采配であるが基本からははみ出ない。
「やっぱりあのスクイズは異色やな」
昭和三五年の日本シリーズでのことを言っているのである。これがあのシリーズのターニングポイントとなった。
「まああれが間違っとるとは思わんがな」
野村は自分でもああしたかも知れない、と思った。野村もその采配は実はオーソドックスなのである。だが彼は細かいところが西本と違う。
西本は奇襲を好まないところがあった。あくまで正面からぶつかる。しかし野村は時として奇襲を使う。
「あいつの奇襲はホンマに思いもよらんところでやりおるわ」
ある時西本は苦笑してこう言った。彼も野村のその巧みな采配に苦しめられていたのだ。
「監督の仇は俺がとりますよ」
山田は不敵な笑みを浮かべてこう言った。
「南海は」
彼は野村に対して言った。
「面白いですね、知恵比べと力比べ両方できるんですから」
「何でや」
野村はそこで聞いた。
「野村さんとは知恵比べ、門田とは知恵比べ。近鉄の鈴木さんとやる時とはまた違った意味で面白いです」
彼はここで近鉄にいるライバルの名を出した。
「鈴木とは投げ合いやしな」
野村はここであえて表情を殺して言った。
「ええ。投げ合いもいいですがバッターとの勝負もいいです」
彼はあくまで勝負を楽しむタイプであった。
「力で勝った時も知恵で勝った時も嬉しい」
「わしや門田にとっちゃあ負けたから嬉しくないわい」
ここで嫌味を入れる。
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