赤城と烈風
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
冬の戦争
氷上の襲撃
前書き
改定前
1940年2月に入ると戦車と砲兵部隊は大幅に増強され、ソ連軍の攻撃は激化し森と湖の国は存亡の危機に直面。
旧式なマンネルハイム防衛線は強大なソ連軍を支えきれず、遂に突破されました。
第2防衛線は造成中であり、侵攻軍の波状攻撃に長くは持ち堪える事が出来ません。
フィンランド軍は古都ヴィープリの至近距離、最終防衛線に後退を余儀無くされます。
異常とも思える大寒波が追い討ちを掛け、バルト海が凍り付く異常事態が発生。
3月に入ると更に想定外の事態が生じ、ソ連陸軍の大部隊が海上を徒歩で行軍し始めます。
膨大な予備戦力を誇るソ連軍は防衛線を迂回、フィンランド軍の後方遮断を試みる行動に出たのです。
急造された防衛陣地の存在に拠り、今まで何とか侵攻軍に抵抗が可能であったのですが。
当然ながら凍結した海上に防衛陣地は存在せず、凍結した海面で正面から戦えば勝ち目が無い事は明白です。
陸上国境線の存在する戦闘正面のみならず、占領されたエストニア領からも複数の部隊が海を渡ります。
兵力に隔絶の差が存在する為、フィンランド将兵の尽力も戦局を覆す事は不可能と言わざるを得ません。
最早一刻の猶予も無く、森と湖の国は絶体絶命の危機に立たされました。
3月4日12時零分、フィンランド空軍司令部の電話が鳴り稼動全機に出撃命令が下されました。
他に頼れる者は存在せず陸上部隊は対処不可能、兵力の逐次投入を行えば各個撃破されてしまいます。
フォッカーD21、モラン・ソルニエMS406、フィアットG50≪矢≫、ブリストル・ブレニム双発軽爆撃機。
氷上の襲撃が実施され3羽の鷹、フォッケ・ウルフfw187も参加する事となりました。
とは言えモラン・ソルニエMS406は最大の攻撃力、液冷発動機中心軸装備の20ミリ機銃が凍気により使用出来ません。
1月に30機が到着しますが操縦員達は慣熟訓練の途中であり、機体の癖と飛行特性を充分に把握していませんでした。
コードロンC-713戦闘機50機は競技用飛行機が基で低馬力の為に上昇力が低く、輸送途中で44機が喪われてしまいます。
フィアットG50は素直な操縦性と急降下にも耐え得る頑丈な機体構造を有し、離着陸性能も良好でしたが。
フォッカーD21の後継機と期待された同機は陸路輸送中、ドイツ領内で咎められイタリアへ送り返されました。
急遽海上フェリー輸送に切り換えられ、スウェーデン経由で到着したまでは良かったのですが。
今度は可変ピッチ・プロペラが凍結し、操作不能となってしまいます。
スウェーデンの厚意により応急的な凍結防止装置をが取り付け飛行可能となりますが、慣熟訓練の余裕はありません。
装備機銃はブレダ12.7ミリ機銃2挺ですが、弾頭重量36.5gの弾丸は破壊力に欠けます。
英国から2月に発送されたハリケーン1型12機は、輸送中に1機が墜落。
合州国から発送のブリュースターF2A-1、バッファロー戦闘機44機も間に合いません。
ブリストル・ブレニム双発軽爆撃機12機は間に合いましたが、敵戦闘機に撃墜される危険が多分に存在します。
火力の弱体化したモラン・ソルニエMS406、及び元々機銃2挺のフィアットG50も氷上の襲撃に出撃しますが。
頼りになるのはフォッカーD21とフォッケ・ウルフfw187のみ、と言っても過言ではありませんでした。
20機のフォッカーD21で編成される、第24戦闘機隊。
26機のフィアットG50で編成される、第26戦闘機隊。
30機のモラン・ソルニエMS406で編成される、第28戦闘機隊。
ブリストル・ブレニム双発軽爆撃機12機で編成される、第36戦闘機隊。
3機のフォッケ・ウルフfw187≪ファルケ≫は、第36戦闘機隊に編入されます。
参加部隊の中で唯一、爆撃機が編成する同隊の生還率を上げる為でした。
各飛行隊は劣勢を省みず、100機を超える戦闘機の上空支援を有する海上徒歩侵攻部隊に突撃。
低空からの空対地銃撃は、予想を遙かに超える効果がありました。
打ち下ろしの機銃弾は地球重力の支援を受け、高い貫通力を発揮。
戦車や装甲車も防御の弱い上面を貫通され、炎上する車両が続出しました。
兵士達も頭上から狙撃される恐怖に耐え切れず、大恐慌が生じます。
侵攻部隊は散り散りとなり個別に逃げ惑い、収拾の付かない大混乱となりました。
地上部隊の潰乱を眼にした敵戦闘機の群れは怒りに燃え、撤収に移ったフィンランド機の頭上から襲い掛かります。
不利な体勢に追い込まれる事は想定されていましたが、他に方法はありませんでした。
フィンランド航空隊の各搭乗員達は、各々分散し決死の脱出を図ります。
フォッカーD21、モラン・ソルニエMS406、フィアットG50。
戦闘機達は持ち前の運動性を生かし、敵機を振り切る事に成功しましたが。
最大の問題は、第36戦闘機隊でした。
本来の用法であれば双発の利点を生かし、直進する事で単発の敵戦闘機を振り切り生還出来た筈ですが。
戦闘機に弱い双発軽爆撃機12機を援護する為、双発単座戦闘機は無理を承知で反撃に移ります。
双発軽爆撃機12機の搭乗員、36名の生命を護る為にデンマークの戦士3人は100機を超える戦闘機の群れに突入。
無数の銃火が浴びせられ、全弾を避ける事は到底不可能です。
ウルリッヒ、ラスムッセン、フリジス。
3人の身体を、銃弾が貫きました。
貴重なfw187を持ち帰る為、デンマークの戦士達は気力を振り絞り懸命の努力を重ねます。
基地に戻れば損傷した機体を修理する事も可能であり、2人のクリステンセンが待機しています。
努力の甲斐あって3人は生還、3羽の鷹も帰還に成功しますが。
大損害を受けたにも関わらず、海上徒歩侵攻は繰り返されました。
フィンランド機は侵攻軍の味方を装い、後方から銃爆撃を行う等の工夫を凝らし懸命の努力を重ねます。
3月12日夜、休戦協定が成立。
領土割譲等の屈辱的条件は呑まざるを得ませんでしたが、森と湖の国は併合を免れました。
独立国家フィンランドの存続は、薄氷を踏む瀬戸際で辛うじて護持されたのです。
休戦協定成立の連絡がフィンランド空軍司令部に届いた時、第36戦闘機隊に鷹の姿はありませんでした。
フォッケ・ウルフfw187≪ファルケ≫試作機は、不利な態勢で銃撃を浴びて撃墜されました。
一撃離脱戦法《ヒット・アンド・アウェイ》の有効性を実証した搭乗員も、機上で戦死。
3羽の鷹とデンマークの勇敢なる戦士達は伝説として、森と湖の国に永く語り継がれる事となりました。
ページ上へ戻る