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死んだふり

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第十章


第十章

「話はこれにボールを当てさせんことや。しかしそれは簡単やない」
 高井のパワーと勝負強さは群を抜いている。守備があまりにも下手な為にスタメンでの登場は少ないが代打では異様なまでの力を発揮する。
「しかし今のこいつの頭の中はようわかる」
 高井は江本を見てから明らかに表情を変えた。何かを待っているのだ。
「御前が何をねらっとるのか、わしには丸わかりや」
 いつもならここで囁くところだ。しかしあえてそれはしなかった。
「見とけ、絶対に打てんもんを投げさせたるわ」
 そう言うと構えた。江本が振り被った。高井の全身に気がみなぎる。
 まずはストレートだ。その次も。またその次も。やがて四球目が投げられた。カウントはツーツー。
「まさか三球続けてくるとはな」
 高井は野村が返すボールを見ながら思った。
「しかしまだ待てる」
 彼は江本の変化球を狙っていたのだ。
 彼は変化球にも強い。そして江本は変化球投手だ。それを一気にスタンドへ叩き込むつもりだったのだ。
 だがいずれもボールになうrストレートだった。普段の江本のストレートよりも球威があった。
「しかしあいつは速球派やあらへん」
 高井は決め球は絶対に変化球でくると確信していた。
 今までは全てボールになるストレートだった。変化球と思って振ったがそれはバットから逸れた。
「今度は絶対に来る」
 高井はそう思っていた。
「変化球、しかも」
 マウンドにいる江本を見据える。
「エモボールや。気の強いあいつはこういう時には絶対にあれを投げる」
 江本の最大の武器である独特の落ちる球だ。カーブに似ているがそれよりも打ちにくい。江本の切り札であった。
「それを打ったる、絶対にな」
 彼は代打の切り札である。代打は一回きりの勝負だ。次はない。一球一球に的を絞り相手の球を的確に読まないと勤まるものではない。
 彼にはそれができた。だからこそ代打ホームランの記録を持つことができたのだ。パワーだけでは到底勤まるものではないのである。
 エモボール、彼はそれがくると確信していた。そして江本を見据えた。
 江本はこちらを激しく睨んできている。闘争心の強い土佐の男だ。それがありありとわかる。
「来い」
 だが高井も負けてはいない。彼から目を離さず狙いをすましている。
「エモボールや」
 その軌道は既に頭の中に入っている。あとは打つだけだ。
 江本が振り被った。そして横から投げた。
「来た!」
 高井は全身に気を張り巡らせた。そして全ての力をバットに注ぎ込む。
 振った。それはエモボールの軌跡を完全にとらえていた。
「よし、これはいったで!」
 西本は高井のそのスイングを見て言った。ホームランだ。そう直感した。彼もまたエモボールがくると考えていたのだ。
 だが。だが、である。
 それはエモボールではなかった。ボールになるストレートであった。
「なっ!?」
 高井は愕然としてだがバットはもう止まらない。
 ボールがバットをすり抜けていく。そしてそれは音を立てて野村のミットに収まった。
「よっしゃあ!」
 野村は思わず声をあげた。そして笑顔で立ち上がった。
「優勝や!」
 マウンドにいる江本がガッツポーズをしている。彼のもとに南海ナインが殺到する。
「監督、やりましたよ!」
「エモ、ようやった!」
 二人は抱き締め合った。決して小さくはない野村だが江本の長身に隠れてしまった。
「胴上げや、監督を胴上げするんや!」
 誰かが言った。そして野村は天高く舞い上がった。彼は満面の笑みで宙を舞った。
「してやられたわ、最後まで」
 西本は宙に舞う野村を見てそう呟いた。
「大した奴やで。山田どころか高井の頭の中まで読んどるんやからな」
 少し溜息が混じったような声であった。
「そしてわしの頭の中もな」
 西本はここで一旦口を締めた。
「山田も高井もわしが手塩にかけて育てた連中や。その二人の頭の中を読まれた、ちゅうことは」
 頭の中で呟き続けた。
「わしの頭の中も読まれたということや」
 そこまで思うと踵を返しベンチを去ろうとした。
「まだまだわしも甘いな。だから負けてしもうた」
 六度のリーグ優勝、だが日本一にはまだなっていない。
「その甘さがそうさせとるんかの」
 フッ、と笑った。そしてベンチを出た。
「その甘さをなおさんと日本一にはなれんな。わしもまだまだや」
 そして監督室に消えた。西本の阪急の監督としての最後の試合であった。
 このシリーズに優勝した南海は結局巨人との戦いに敗れる。その時野村は言った。
「死んだふりやない」
「それはどういう意味ですか!?」
 記者達が尋ねた。
「そのまま死んどったんや」
 それがそのシーズンの彼の最後の言葉であった。まことに彼らしい毒とユーモアのある言葉であった。
「あいつらしいな」
 西本はそれを聞いて笑みを浮かべてそう言った。彼はこの時背広で藤井寺に来ていた。
「ここがわしの新たな戦いの場か」
 近鉄バファローズ。関西の弱小球団に過ぎないこの球団の監督になることが正式に決定したのである。
 それから西本の新たな戦いがはじまる。そして近鉄は彼により生まれ変わり真の意味での猛牛となるのであった。


死んだふり  完


           2004・7・16
 
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