死んだふり
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第一章
第一章
死んだふり
パリーグはかって前期と後期の二シーズンに分かれてペナントを行っていた。観客動員に悩みそれなら、と考え出した言わば苦肉の策だった。しかしこの苦肉の策には一つの問題があった。
順位も前期と後期に分かれている。よってそれぞれの優勝チームが違う場合が充分に考えられる。その時はその優勝チーム同士でそれぞれプレーオフを行い優勝チームを決定するというものだ。ここに問題があった。
前期優勝したチームは後期には手を抜くようになるのではないか、プレーオフには出られるのだから。そう危惧する声があった。それに両方優勝したら折角のプレーオフの意味がない。お祭りは多い方がいいという考えだがそうなれば意味はない。それに前期と後期の間隔があありすぎる。問題は山程あった。だが試験的に見切り発車となった。それは昭和四八年のことであった。
この時パリーグに覇を唱えていたのは阪急ブレーブスであった。闘将西本幸雄が育て上げたこのチームは攻守走、そして投手陣においても圧倒的な戦力を誇り他のチームを大きく引き離していた。そして彼等を率いる西本自身も名将と謳われていた。
その西本の下にはキラ星の如き人材が集まっていた。ガソリンタンクと呼ばれた大投手米田哲也に若きサブマリンエース山田久志のダブルエースがいた。そして野手陣には韋駄天福本豊からはじまり加藤秀司、長池徳二の左右の主砲、守備の達人大橋譲、脇を固める人材として大熊忠義、住友平、森本潔といた。皆西本が一から育て上げた選手達である。その彼等が闘将西本の下に一致団結していたのだ。
「わしの切り札はこの選手達全員や」
西本は彼等を指差しながら記者達に対して言った。怒鳴り、拳骨をもって育て上げた彼等は西本にとっては我が子のような存在であった。
それに対するのは何処か。と聞かれてもこれといった球団がない。強いて言うならば金田正一率いるロッテであった。だが打線が今一つ頼りなかった。
「それでも投手力は大事やな」
そう主張する男がもう一人いた。南海の監督野村克也である。彼は名門南海の監督に選手権任で就任していたのだ。
彼はよく知将と言われる。その相手の心理や癖を見抜きそこを衝く作戦からそう言われているのである。
囁き戦術というのがある。バッターの側に何やら言い集中力を削がす。時にはかなり嫌味なことも言う。
「ふざけた奴だ」
他の球団の選手達はそれに憤慨する。実際に野村は外見も野暮ったくあまり女性にもてるタイプでもなかった。酒も飲めずキャッチャーということもあり地味な存在であった。
南海の黄金時代には彼は四番であった。だが人気はあまりなかった。華がなかったのだ。
当時の南海はスター選手が揃っていた。その中でもアンダースローのエース杉浦忠は別格であった。
華麗なアンダースローから繰り出されるノビのある速球、キレのあるカーブとシュート。抜群の安定感とコントロールで相手バッターを寄せ付けない。しかも育ちがよく眼鏡の似合う知的な美男子であった。性格も素直で真面目だった。将に天から二物も三物も与えられた男であった。
そんな男が監督の気にいられない筈がない。当時南海だけでなく関西球界にその影響力を誇っていた南海の監督鶴岡一人は彼を溺愛した。野村は四番で正捕手だったがあくまでナンバー2であった。
こういう話がある。昭和四〇年南海はリーグ優勝を果たした。だがシリーズでは王と長嶋を擁する巨人に惨敗した。
鶴岡は責任をとって監督を辞めることになった。次の彼の行く先は大洋か、東映か、と話題になった。だがここで一つ異変が起こった。
何と鶴岡の後任であった蔭山和夫が急死したのだ。野村を信頼していた彼は死ぬ間際にこう言った。
「野村に連絡してくれ」
それを聞いた野村はすぐに動いた。選手を代表して鶴岡に南海の監督に復帰するよう申し出たのだ。だが間が悪かった。野村という男はここぞという時に運命の女神にふられることが多いのだった。
この時鶴岡は帝塚山の自宅にいた。そこで酒を飲んでいたのだ。
「監督、南海の監督に戻ってくれまへんか」
野村は彼に対して言った。
「今何言うた!?」
鶴岡は彼に対して言った。酒も入っていた。しかも急に言われてさしもの彼も動転していた。
「御前三冠王になって少しいい気になっとりゃせんか!?」
このシーズン野村は戦後初の三冠王に輝いていた。そして文句なしの最優秀選手であった。
「えっ、それは・・・・・・」
野村は最初何を言っているのかわからなかった。単に彼に監督になってもらいたいだけなのだった。
「ノム、言っとくがな」
鶴岡は酒に酔った目で野村を睨みつけた。
「三冠王で自惚れるんやないぞ、ホンマの意味でチームの優勝に貢献したのはスギや!御前はスギの引き立て役に過ぎんのや!」
「そんな・・・・・・」
野村は目の前が真っ暗になった。何故ここまで言われるのかわからなかった。
この時杉浦は二度に渡る血行障害で投球制限が課せられていた。だが今でいうストッパー的存在として活躍した。鶴岡はそんな杉浦をあくまで庇っていたのだ。
だがそれを野村に言う必要はなかった。鶴岡は酒と動揺により言ってはならないことを言ってしまった。これで野村と鶴岡の縁は切れた。
外見に似合わず繊細な男である。それに心優しかった。
彼はエリートよりも雑草を愛した。疲れ果て他球団を捨てられた選手と見捨てるような男ではなかった。
「わしのとこに来るか」
戦力外通告を受けた選手にそう声をかけて南海に誘った。そして彼等を見事再生させたのだ。俗に言う野村再生工場である。
「監督は凄くいい人ですよ」
当時南海のエースだった江本猛起は今でもこう言う。江本は東映にテスト生として入った。だがその短気でプライドの高い気性が災いし追い出されている。その彼を拾ったのが野村であった。
「わしがキャッチャーやって御前が投げる。それで十五勝や」
江本はその言葉が嬉しかった。今まで自分をそこまで高く評価してくれた者なぞいなかったのだ。
「高い評価やない。正当な評価や」
野村は照れ臭そうにそう言った。実は恥ずかしがり屋でもあるのだ。
その野村が育て上げた南海はかってのスター集団ではなかった。他のチームから流れ着いた者やまだ若い者の多い野村を核とするチームであった。阪急とは無論比べものにならなかった。
だが前期南海は好スタートをきった。野村がリードする投手力でもってダッシュをかけあっという間に優勝を決めた。まず野村は宙を舞った。
「あとは後期やな」
しかしここで阪急が地力を見せた。
何と七割近い勝率でペナントを制したのだ。やはりチーム力が違った。西本は笑顔で宙を舞った。
「これで優勝やないのが変な気持ちやな」
彼は胴上げのあとでこう言った。
「まあプレーオフで勝てばええだけやな」
自信はあった。相手は南海である。やはり戦力に大きな差があった。
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