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秋雨の下で

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第七章


第七章

 無死満塁である。スクイズも有り得る場面である。だが江夏はこの時スクイズは有り得ないと確信していた。
(西本さんは力で攻めるのを好む)
 まずは一塁ベンチにいる西本に目をやった。全身にその燃え盛る様な闘志をみなぎらせたこの男は積極的な攻撃をその身上とする。それにより優勝してきたのだ。
(そしてこの男や)
 次にバッターボックスにいる佐々木を見る。彼もまた攻撃的な性格である。西本を崇拝する彼はその野球を全て身に着けようとしていたのだ。
 その佐々木がバントをしてくるとは到底考えられなかった。絶対に振ってくる、そして江夏を打ち崩そうとしている、そういう確信があった。 
 江夏はここまでは見抜いていた。では次は投球だ。
 佐々木の身体を見る。全身で力を爆発させようとしている。
 まず大事なのは一球目である。これで攻め方が大体決まる。
 しかし下手なボールを投げては打たれる。ましてや相手は首位打者も獲得したことのある男である。いい加減な投球は許されない。
 ではどうするか。江夏はその灰色の脳細胞を働かせた。
(カーブや)
 江夏は結論を下した。彼の持ち球の中でも最も独特な所謂スラーブである。
 それを内角低めに投げた。だがそれはボールとなった。
「カーブか」
 それを見た佐々木は呟いた。彼はカーブが来るとは思わなかったのである。少し意外そうな顔をした。
 江夏の武器は速球や変化球、勘の他にもあった。それはコントロールである。
 よく左投手はコントロールが悪い者が多いと言われる。代表としてヤクルトからメジャーに進んだ石井一久である。彼はその荒れ球が最大の武器であった。
 だが江夏は違った。デビュー当時からコントロールが良かった。その為に頭脳的な投球が可能になったのである。
 中でも外角低めのストレートは絶品であった。そこに一五〇を超える速球を投げ込まれては誰も打てはしなかった。
 この時は速球派ではなかった。しかしそのコースへのストレートで数多くのバッターを倒してきたのだ。
 江夏は持っている球種もあまり多くはない。そのスラーブと称されるカーブとシュート、フォーク、そしてストレートだけである。だがその勘と頭脳が江夏を絶対的なストッパーにしていたのである。
 佐々木は意外に思ったが打つ気を殺がれたわけではなかった。相変わらず強い光で江夏を見ている。
(見事なもんやな。この状況でこれだけの気迫を出してるなんて)
 江夏は彼の目を見ながら思った。流石は西本の一番弟子だと感じた。
 江夏は投球モーションに入った。その間も佐々木から目を離さない。彼は常にバッターを見ていた。そしてボールを離すその瞬間までその心理を見抜こうとした。
 外角低めのストレートだった。少しシュート回転していた。
「!」
 佐々木は動けなかった。そしてそのボールを見送ってしまった。
「な・・・・・・」
 それを見た西本は一瞬呆然とした。
「あれを何で振らんのや・・・・・・」
 佐々木も驚いていた。彼はますで金縛りにあったように動けなかったのだ。
 時として動けない時がある。その時の彼がまさにそれであった。佐々木は一球目のカーブのあとで少し迷いが生じていたのだろうか。
 だが佐々木も名の知られた男である。すぐに気をとりなおしバットを握りなおした。
(今の見逃しはかなり効いた筈や)
 しかし心の奥底にある僅かな迷いを江夏は見抜いていた。そして次はあえて甘い球を投げることにした。そう、佐々木なら絶対に打てるものを。しかしそのボールには罠があった。
 真ん中高目へのカーブ。それを見た佐々木の目が光った。
 振った。打球はそのまま一直線に飛ぶ。高い。三塁線の上スレスレを飛ぶ。
「まずい!」
 古葉は顔が凍りついた。
「いったか!?」
 西本も思わず身を乗り出した。皆その打球から目を離さなかった。
 サード三村敏之が思いきり跳んだ。そして打球を捕ろうとする。
「いかせるかい!」
 だが届かなかった。僅かではあるが打球の方が高かった。
「クッ!」
 三村は歯噛みした。打球はそのまま上を飛んでいく。打球はグラブの端を掠めたか。三村はそれを感じた時一瞬その顔を蒼白にさせた。
 だが一人冷静な男がいた。投げた江夏本人である。
「大丈夫や」 
 彼はそう言わんばかりの目でその打球を見ていた。
 打球は落ちた。それを見た審判はファウルを宣告した。
「エッ!?」
 胸を撫で下ろす者といきり立つ者がいた。前者は広島であり後者は近鉄であった。
「あれは入っとるやろうが!」
 西本はベンチから出ようとした。だが行くことは出来なかった。
 それは何故か。どういうことか三塁ベースコーチである仰木彬が全く動こうとしないのだ。
「ファウルなんか!?もしかして」
 西本はいぶかしんだが思いなおした。そしてここはベンチにいることにした。
 
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