秋雨の下で
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第二章
第二章
はじめてのキャンプで彼はハヤシライスというものをはじめて食べた。そして多いに驚いた。
「美味い」
彼はそんなもの食べたことがなかった。貧しかった。食べることだけで精一杯だったのである。
「どうや美味いか、プロはこんなものが腹一杯食べられるんやぞ」
それを見た鶴岡は彼に対して笑顔でそう言った。
「ほんまでっか!?」
野村は思わずそう尋ねた。
「嘘なんか言うか。ええか、グラウンドには銭が落ちとるんや」
これは鶴岡の持論であった。彼は関西球界の首領として長い間大きな発言力を持っていたがその言葉には独特の重みがあった。
「銭がですか」
「そうや。活躍せい、そうしたらもっと銭が貰えて美味いもんが食えるぞ」
「はい!」
野村はそのハヤイシライスを三杯食べた。涙すら流していた。そして何かあった時はいつもそのハヤシライスを食べて初心を思い出していた。
「野村はほんまはええ奴なんや」
今一塁ベンチで羽田を送り出した西本もよくそう言った。彼は選手として、監督としての野村と十年以上に渡って戦ってきたが野村を嫌いではなかった。
それは彼が如何に苦労を重ねてきて裏方に甘んじてきたかを知っていたからだ。
野村は一度は解雇されかけた。だが何とかそこで踏み止まり頭角を現わした。まずはバッティングで。そして相手のチームの投手やバッターを研究していくうちにリードも覚えた。彼は次第に南海の柱となっていった。
だが評価は上がらなかった。当時の南海は鶴岡が率いる強豪チームであった。鶴岡は法政大学から鳴り物入りで南海に入団した男であり最初から幹部候補生として期待されていた。
戦争中は陸軍将校であった。そしてそこでもその絶大な指導力を発揮した。
先に関西球界の首領と書いた。彼の力は南海だけには留まらず関西球界全体に影響を及ぼしていた。一説には裏の世界の住人ですら逆らえなかった程怖ろしかったという。
こう書くと鶴岡がとんでもない人物に見えるがそれは違う。当時では選手の獲得や球団の運営にそうした筋の人間が関わるのはよくあった話である。当時大監督と言われた三原脩や水原茂もそうであった。彼等は裏の世界の者達をも黙らせる迫力を備えていただけである。そうでなくてはこの時代は監督なぞ務まらなかった。
そして鶴岡には人徳もあった。没収試合の処分の際にもこれについて言及された位である。
だが彼はエリートを好むところがあった。彼自身がそうであったように彼はエリート選手を愛する傾向があった。
『見出しの男』と呼ばれた岡本伊三美もそうであった。そして誰よりも鶴岡に愛された人物がいた。
杉浦忠。立教大学エースであったこの男は長嶋と共に鶴岡が何としても獲得を欲した男である。
アンダースローから繰り出される速球。変化球はカーブとシュートしかなかったがそのどちらも怖ろしく鋭かった。華麗な投球フォームであり、またスタミナ、コントロール、安定感も群を抜いていた。
彼の外見は物静かな黒縁眼鏡の美男子であった。性格も静かで素直だった。そして誰からも好かれた。鶴岡は彼と長嶋を南海の看板にと考えていた。だが長嶋は巨人に獲られた。その時鶴岡は思わず杉浦に対してこう詰め寄ったという。
「長嶋は裏切ったぞ!杉浦君、君はどうなんや!」
関西球界の首領がこう言ったということがどれだけ怖ろしいことか。
これを聞いて長嶋は一時期心底怯えたという。野球ができなくなる、と真っ青になり鶴岡に謝ったこともある。裏の筋も何をするかわからない。相手は鶴岡である。本当に命の危険すら考えられた。
これをあちこちに頭を下げてことを収めたのが二人の大学の先輩大沢啓二であった。以後長嶋は彼に頭が上がらない状況だという。
話を戻そう。杉浦はそれに臆することなくこう言った。
「鶴岡さん、シゲのことは関係ありません。僕は男です、南海に行きます!」
鶴岡を前にしてこう啖呵を切ったのである。その整った顔立ちからは予想もできない程肝も座っていた。
鶴岡は彼に惚れ込んだ。そして彼を一年目から南海の看板とした。
杉浦はそれに応えた。抜群の安定感でもってチームに貢献した。
とりわけ二年目は驚異的な活躍をした。三八勝四敗。防御率一・四〇。シリーズでも四連投四連勝であった。文句なしの活躍であった。
「今は一人で泣きたい」
だが彼は静かにこう言った。そうした杉浦を世間は余計に褒め称えた。
そのボールを受けたのが野村である。だが彼に注目が集まることは少なかった。
「スギが、スギが」
鶴岡は杉浦ばかり可愛がった。チームの四番であり正捕手である野村にはことあるごとにつらく当たった。
「スギは素直で繊細なやっちゃ。けれどノムはちゃう。あいつはふてぶてしいところがある」
それが鶴岡の言葉であった。だがそれは違っていた。
「皆ノムについてどう思う?」
西本は阪急の監督をしていた時記者達についてこう尋ねたことがある。
「どうと言われましても」
丁度南海とのカードであった。向こうのベンチでは野村はいつもの通り何やらブツブツ言いながら試合の準備をしていた。
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