碁神

Mituru：……ありません。
Si-Na：ありがとうございました。

Mituruの投了で対局が終了した。
思わず詰めていた息を深く吐き出す。
中押し勝ち、つまりは大勝なのだが、決して余裕の勝利では無かった。
何故だか知らないが、今日のMituruの碁は非常に攻撃的で多少の愚形も気にせず、兎に角俺の陣地に切り込んできたのだ。

攻め一点の気魄を持って地を荒らされるのは怖かったが、俺との対局で愚形という大きな隙をそのままにするのは自殺行為。
この中押し勝ちは俺がきっちり守ってきっちり攻めた結果だ。

とは言え、決してMituruが雑な打ち方をしたというわけでは無い。　むしろいつもより長考が多かったくらいで、俺の大石を執拗に殺そうとしてくるのでヒヤヒヤした回数なら今回が一番多かったかもしれない。

俺が白石で、持ち時間は1時間という条件を提示された時に、「今日はずいぶんガチだなー」という感想は持ったが、リアルで何かあったのだろうか？

まぁ元々、攻守どちらも好きな俺と違ってMituruは『攻撃は最大の防御なり！』を地でいく程の攻め好きだ。　新しい打ち方への挑戦を始めただけかもしれない。
ともあれ、こんな攻め方をされたのは初めてでとても楽しめた。

Mituru：さすがだな。　全力で攻め込んだつもりだが結局守りきられてしまった。

お、チャットタイム突入か。
プロがどうのとか言い出さなければむしろ歓迎するんだけどなぁ。

Si-Na：いや、今回は俺も結構きつかったよ。　まさか序盤から定石無視で攻め込まれるとは思わなかったｗ
Mituru：一度本気で攻めてみたくてな。　一番の敗因は中盤の打ち込みか。
Si-Na：確かにあの打ち込みは軽率だったな。　攻めるにしても最低限の守りは固めてから攻めないとただの悪手だ。
Mituru：あとは序盤の大桂馬、結果的には悪手になったな。　あそこは定石通りで良かった。
Si-Na：いや、大桂馬自体は悪くなかったと思うぞ？　あの後カカられたのを受けなかったせいで後々悪手になったんだから、手順ミスじゃないか？
Mituru：いや、しかしあの時は――

チャットしなかったせいで、こういう検討が出来る相手はMituruだけだ。
同じ趣味の奴と好きなことをこうして言い合えるのって幸せだよなぁ。
青春時代を囲碁の勉強に捧げたせいで友達少ないしな……。
他の人ともチャットしとけば良かった。
今となってはミステリアスな謎の人物っていう風にみられてるから、気軽に話しかけ辛い。

検討がひと段落ついたところで、Mituruが話題を変えた。

Mituru：ところで、今日はSi-Naに謝りたいことがあるんだ。
Si-Na：ん？　……何かされたっけ？
Mituru：ここ連日、リアルの情報聞き出そうとしてしまったのはマナー違反だった。　不快な思いをさせてしまってすまなかった。

おお！　分かってくれたのか。　Mituruを信頼してないわけじゃないんだけどネットでリアル情報晒すって怖いし、結構困ってたから良かった。　別に俺は女子高生とかじゃないんだし、Mituruならいつかは教えても良いかもしれないが、リアル情報の質問攻めは正直怖かった。

Si-Na：あー、分かってくれたなら良いよ。　Mituruならいつかは教えても良いと思うし。
Mituru：…………いつかか……。

おう。　年齢制限でプロ試験受けられなくなったら教えてやろう。

Mituru：あと、プロ棋士になる話だけど、Si-Naの都合も考えずに俺の勝手な希望を押し付けてしまったのも悪かった。
Si-Na：お、おう……。 どうしたMituru、どこかに頭でもぶつけたのか？　……明日は雪が降るな。　自転車事故ったらどうしよう。
Mituru：自分なりに少し反省したんだ。　初めて会ったときから将来の夢は教師って言っていたしな。　そういえば聞いていなかったが、もう教師にはなれたのか？

うーん。　これもリアル情報なんだけど、まぁ反省してるみたいだし、職種くらい別に良いか。

Si-Na：公立中学で念願の教師になれたよ。
Mituru：へぇ、何の先生なんだ？
Si-Na：国語。　昔から本読むの好きでさ、好きこそものの上手なれで国語の成績だけは良かったんだ。
Mituru：なるほど。　でも一番好きなのは囲碁だろう？
Si-Na：それはそうだけど。　でもプロ棋士にはならんぞ！
Mituru：頑なだな。　しかし国語教師ではネット碁以外で碁と触れる機会無いんじゃないか？
Si-Na：いや、囲碁部があるからね。　俺が作ったんだけど、結構人数も集まってそれなりに大きい部なんだ。　団体戦はまだまだだけど個人戦では去年関東大会で一人良い所までいったしな。　今年はもっと上も狙えるはず！
Mituru：そうなのか。　Si-Naに教えて貰えるとは贅沢な部活だな。　関東ってことはまだ埼玉に住んでるのか？
Si-Na：おー俺は昔からずっと埼玉県民だよ。　Mituruは東京だっけ？
Mituru：ああ、何かと便利だからな。　東京は。

ふと、今までに無いくらいリアル情報をペラペラ晒してしまってることに気づいた。
ま、まぁこれくらいの情報なら公開してる人たくさんいるし、大丈夫、だよな？
とりあえずこれ以上余計なことをしゃべらないようにチャットを切り上げることにする。

Si-Na：それじゃあ、対局の順番待ってる人いるからそろそろ終わるな。
Mituru：充実してるのは分かったが、やっぱりSi-Naは棋士が向いてると思うぞ。

タイミング悪く同時に文章が書き込まれた。

Si-Na：ん？
Mituru：ああ、結構時間とらせてしまったな。　俺もそろそろ落ちるよ。
Si-Na：おー。　それじゃ、またな。
Mituru：またな＾＾

《　announce：Mituruさんが退室しました。　》

……おい。　Mituruが顔文字使ってるの初めてみたぞ……。
何か凄く嫌な予感がする……。　多分考えすぎだと思うが……。
そう、Mituruだって顔文字を使いたくなることくらいあるだろう。
深い意味は無いはずだ。

その後、何人かと短い持ち時間で対局をするうちにその時感じた嫌な予感のことはすっかり忘れてしまった。
しかし、その嫌な予感は一ヵ月後に思わぬ形で当たってしまうことになる。