渦巻く滄海 紅き空 【上】
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六十六 暗雲
ジジ…と炎が爆ぜた。
陰気で重苦しい空気が澱む、薄暗い部屋。蝋燭の淡い光が仄かに漂う室内。
何処からか紛れ込んできた一匹の蛾が炎と戯れていた。陰鬱な空間を占める圧倒的な静寂。
突如、バシンッとけたたましい音が轟いた。
静寂を破った代償か、無残な姿に変わり果てる。はらはらと、磔となった壁から命と共に散りゆく翅と鱗粉。
「……おのれ…」
死んだ蛾など目もくれず、苦痛に喘ぐ。薄闇の中、ほとんど聞き取れないほど微かな呻きが響き渡った。喉奥から絞り出したような掠れた声。
人影が蛾の死骸を覆い尽くす。影は蛇の如く壁沿いを這い、やがて忌々しげに唸った。
「…おのれ…猿飛め…」
「まぁ、そう簡単ではありませんよ。何せ相手にしたのは五大国最強と謳われる火影なのですから…」
怒りで肩を震わせる男――大蛇丸を宥めるように、そっと声を掛ける。言葉の端々から同情が感じ取れて、大蛇丸は眉を吊り上げた。
剣呑な瞳に怯んだカブトが思わず生唾を飲み込む。それでも彼は己を奮い立たせ「それに、」と付け加えた。
「うちはサスケには貴方の首輪がつけられた…。上出来ですよ」
「この腕と、私の全ての術と引き換えにねぇ…」
皮肉げに歪んだ唇から紡がれた声はぞっとするほど冷たい。寒気を覚えるカブトを冷然と眺めてから、大蛇丸は一息ついた。目を伏せる。
「そもそもあのうちはイタチを手に入れる事が出来れば、問題は無かった…しかしそれはもはや叶わぬ夢」
伏せ目がちに語られた話を聞き咎め、カブトは「意外…ですね」と口を挟んだ。
「僕はてっきり…貴方はナルトくんの身体が欲しいとばかり…」
「ふふ…それこそ夢のまた夢よ…。イタチ以上に強いあの子を手に入れるなんて…」
両腕の激痛に耐え、汗の玉を額に浮かばせながら大蛇丸はくくっと喉で笑った。
ホルマリン漬けの蛇の瓶に映る横顔。歪んだ口許がゆるゆると口角を吊り上げる。
「口にするのもおこがましい」
どれほど闇が深くとも光を満たす太陽。どれだけ手を伸ばしても届かぬ月。
輝きに目を奪われ、求めたところで、届けられぬ願い。
掴んでも振り払われる。握っても指の合間からすり抜ける。容赦なく拒まれ、それでも手を伸ばさずにはいられない。
決して手に入れられぬモノと知っていて猶、焦れずにはいられない存在。
たった一言で、カブトは直感した。
どんなに大蛇丸がうずまきナルトを欲しているのか。如何にその力に魅了されているのか。
そして同時に思う。
うずまきナルトを手にしたその瞬間に、大蛇丸は満足してしまうのだろう。
何故ならば、彼は独りで完璧な存在。
超然たる様でこの世を見据える、孤高の人。
もはや、神そのもの。
故に大蛇丸は、予てよりずっと抱いているのだ。
叶わぬ夢だからこそ、追い求めざるを得ない、切なる願いを。
その望みは太陽に焦れ、海に堕ちゆくイカロスの翼を彷彿させる。
先ほど身を焦がす羽目になっても炎に寄らずにはいられなかった蛾と同様に。
「でも…そうね。仮にあの子を器として手に入れられるなら…この状況を甘んじて受け入れていたでしょうね」
独り言のように呟いて、それきり大蛇丸は口を閉ざした。カブトもまた、直立不動のまま大蛇丸の言葉を待っていた。
一時の沈黙。
瓶詰めの蛇の傍らで、蝋燭の蝋がぼとりと融けゆく。ちょろちょろと蛇の舌先のように裂けた炎が宙を舐めた。
「出掛けるわよ、カブト」
寸前までの憂苦が嘘だったように、冷厳な態度で大蛇丸は腰を上げた。突然の宣言に目を瞬かせたカブトだが、彼の「古い馴染みに会いに行くわ」の一言ですぐさま察する。
「綱手様の事なら私も少々存じていますよ。一応、医療班のはしくれでしたからね」
古い馴染み――大蛇丸同様三忍の一人である『綱手』。瞬時にその人だと正しく推測したカブトに、「相変わらず、察しが良いわね」と大蛇丸は苦笑を漏らした。
「しかしながらあの方は苦い程度じゃ済まされませんよ」
「良薬は口に苦し、と言うでしょう?」
小隊は基本四人一組とされる。その中に、医療忍者を一人加える陣立ては、現在では常識だ。今では誰もが知る周知の事実だが、当時は大変画期的だった。
いくら戦闘に長けていても応急医療技術を持たぬ小隊が戦場でどうなるかは火を見るよりも明らか。
そのスタイルを最初に考案した人物が医療スペシャリストとしてその名を馳せた、三忍の一人『綱手』。
彼女に両腕の治療を依頼するのだろうと、大蛇丸の外出理由に納得していたカブトはふと思い当った。思案顔で呟く。
「世界を渡り歩く医者も腕が立つと聞き及んでいますが。……確か名は―――」
「『神農』よ。でも最近、彼の消息がぱったりと途絶えてね。足取りを掴むよう手配しても、芳しい情報は入って来ないわ。生死が解らぬ者より綱手を捜すほうが有意義だと思わない?」
まさかナルトが既に神農と接触しているとは夢にも思わず、大蛇丸は肩を竦めた。
今や【肉体活性の術】の反動で容姿も老人と化している神農。世界中に部下を派遣したとしても、彼を神農だと判別するのは難しい。更には悪意すらナルトにより奪われている為、善人となっているのだ。仮に神農だと気づいても、彼の助力を得る事は叶わないだろう。
以上から、ある筋でも『伝説のカモ』として有名な綱手を捜索する意向に大蛇丸が至ったのは当然の結果と言える。
「…ナルトくんも医療忍術に秀でているのでは?」
不意に告げられたカブトの問いを耳にするや否や、大蛇丸は渋面を作った。ゆるゆると頭を振る。
「彼には借りを作り過ぎたわ…―――それは最後の手段よ」
聊かぞんざいな物言いで、それでいてどこか押し殺した声で大蛇丸は答えた。
そしてサッと身を翻すと、未だ立ち竦むカブトを急かすように「多少手荒な手を使っても構わないわ」と冷笑を浮かべる。
促され、先んじて大蛇丸の前に立ったカブトは恭しく外界への扉に手をやった。重厚な扉が左右に開かれる。外界の光が室内の重苦しさを一瞬で払拭し、涼しげな風が吹き込んだ。
「さっさと用件を済ませましょう」
一歩、前に出る。焼けつく腕の痛みを消す方法を求め、大蛇丸は外の世界へ足を踏み出した。その後方に随い、カブトが扉を厳かに閉める。
外界への道を閉ざされた途端、室内に溢れていたやわらかな光は瞬く間に消え、蝋燭の炎もふっと掻き消える。
瓶に詰められた数多の蛇達が空ろな眼窩で扉を見つめていた。
「あ――…くそ!難しいってばよぉ!!」
地団駄を踏む。
力尽き、バタリと布団の上で大の字になる。彼女の傍らには赤い水風船がおざなりに転がっていた。
「エロ仙人も何かコツでも教えていってくれたらよかったのに…」
いきなり捜し人の弟子だというアマルと出会った自来也は、意気揚々と出掛けて行ってしまったのだ。それもナルと仲良くなったばかりのアマルを引き連れて。
ナルもついて行きたかったが、会得難易度Aランクの超高等忍術【螺旋丸】の修行を自来也に言い渡されたのでそうもいかない。もっともナル自身、術を覚えたいのは山々なので文句は無い。
現に自来也・アマルと別れてから、独りで黙々と修行に打ち込んでいたのだ。
火影を目指す者として、四代目火影が遺した術と聞いては、黙ってはいられない。
だが超高等忍術だけあって修行も三段階あり、水風船割りはまだ序の口の第一段階。
感覚でなんとなく右回りに回転させているが、一向に水風船が割れる気配はない。
一段階もクリア出来ない今の状況を打破しようにも、どうしようもない現状にナルは苛立っていた。
結局修行開始から長時間が過ぎ、あっという間に夜となったので、すごすごと宿に戻ってきた次第である。
「…エロ仙人、帰って来ないのかなぁ」
修行疲れで重たい身体を無理に起こし、ナルは部屋の扉をそっと開けた。自来也の姿が見えないか、隙間から通路を覗き見る。
だが見えたのは人の足などではなく、動物の足だった。思わず目を瞬かせる。
「にゃーお」
鳴き声で合点が行ったナルは扉を僅かに開けた。その微々たる隙間をすり抜け、一匹の猫が部屋に入って来る。雪白の毛に茶の斑が雑ざった、可愛らしい猫。
「お前、この宿の猫?」
自来也が宿泊手続きをしていた際、ナルの目の前を横切って行った猫。確か宿の主人にシュウと呼ばれていた気がする。
元来動物好きのナルが嬉々として撫でると、猫の双眸が微かに細まった。そしてナルの手をすり抜け、転がったままの水風船へ駆けてゆく。
「お、おい!それってば、お前のおもちゃじゃねえってばよ」
器用に前足を交互に動かして、水風船を転がす猫。慌てて声を掛けたナルは、猫の前足に合わせて回転する水風船を目にして息を呑んだ。
前足で何度も弾く度に水風船の水が色んな方向に揺れている。
「こ、コレだ!!」
ナルの大声に驚いたのか、それとも爪が引っ掛かったのか。バシャッと音を立てて水風船が割れる。風船内の水が若干掛かり、頭を振る猫にナルは笑顔を向けた。
「ありがとだってば!お前のおかげだってばよ!!」
濡れたところを優しくタオルで拭いてやる。満面の笑みでお礼を言うナルを猫は不思議そうに見上げた。そのまま入って来た時同様、扉の隙間を通って部屋を出て行く。
「ありがとうだってばよぉ!!」
真夜中にも拘らず、通路を走る猫の後ろ姿に感謝の言葉を叫ぶ。直後、隣の部屋から「うるさいぞ!」と怒鳴られ、ナルは慌てて部屋に戻った。
その扉を猫がじっと見つめている事に気づかずに。
通路を通り、窓枠に飛び乗る。振り返ると、通路の向こう側から全く同じ模様の猫が歩いて来るのが見えた。
目を光らせ、窓から外に躍り出た猫はそのまま軽やかに屋根へ登る。天辺まで駆け登り、屋根板の上へ足を乗せた途端、白煙が立ち上った。
欠けた月の下、波風ナルが眠る部屋の灯りをじっと見下ろす。
「護衛じゃない。ただの監視だ」
ぽつりと呟かれた声。小さな呟きは風に攫われ、夜の闇へ溶けてゆく。
ドウッと一瞬、激しい風が吹いた。苛烈な風と共に、荒々しく揺れる木々。地鳴りの如き風音に調和したのか、ざわめく闇。
直後、静まり返る。
訪れた静寂の中、彼はどこか自分自身に言い聞かすように再度呟いた。
「ただの監視なんだ……」
深閑たる暗夜。
刹那のさざめきは、まるでこれから起こる嵐の前触れのようだった。
「何が目的だ?」
凄む再不斬に、水月は殊更ゆっくりと振り向いた。心なしか引き攣った顔には汗が伝っている。
重吾の家で戸口に立ち竦む水月に、周りの怪訝な視線が一身に注ぐ。唯一ナルトだけが双眸を閉ざし、鷹揚に黙していた。
「やだなぁ~…再不斬先輩ったら怖い顔して」
「ふざけるな。一度ならず二度も邪魔しやがって…」
ガッと突き立てる。首切り包丁の刃先が水月の頬を掠り、背後の扉に突き刺さる。
つうっと滴る血に青褪める水月を余所に、重吾が思わず「おいっ」と声を上げた。
「俺の家を壊さないでくれ!」
「それに一度目はその人の機転で助かったようなものですよ」
「う、うるせえ!」
重吾と白の非難に、再不斬は怒鳴った。若干冷や汗を掻いているのは気のせいだろう。
水月との最初の出会いは、自来也との対峙中。
あわや三忍と戦闘になる寸前に突然現れ、ある意味再不斬の危地を救った一度目。だが直後の「お礼はその首切り包丁でいいよ」という発言は頂けなかった。
そして二度目の鬼鮫との戦闘時。
優勢だった戦況に水を差し、あまつさえ鬼鮫を逃がした水月を再不斬は根に持っていた。なぜならジャングルの奥地にあるアジトでの修行は、鬼鮫との来たる闘いの為だったからだ。
かつて神農を始め空忍の本拠地だった要塞についての話をナルトから聞いた際、再不斬が口にした『アイツ』とは干柿鬼鮫を指していたのである。
初めて出会った時、「お礼は首切り包丁で」と無邪気に笑った水月。執拗に首切り包丁を狙う相手に再不斬はずいっと詰め寄った。首切り包丁を見せびらかすように掲げる。
「なぜコイツが欲しいんだ?」
唇を噛み締めた水月が顔を逸らす。口を噤んだままの彼に、再不斬はわざとらしく大きな溜息をついた。すると、それまで黙視していたナルトが出し抜けに口を開く。
「大方、『霧の忍刀七人衆』の忍刀が目当てなのだろう」
ハッと水月が顔を上げる。動揺に揺れる彼の瞳を目の端でちらりと捉え、「どういう事だ」と再不斬はナルトに訊ねた。
「確かにこの野郎は最初から俺の刀を狙っていたが、別に『七人衆』とは関係ないんじゃないか?ただの刀収集癖野郎だろ」
「刀を収集したいだけで、『根』の包囲網を掻い潜ってくるか?名刀欲しさだけであれだけの警備の目を潜るのは容易ではない。それに、鬼鮫を目にして歓喜の声を上げたところからも、『霧の忍刀七人衆』に対する敬意が感じ取れる。再不斬と鬼鮫を先輩と呼ぶ事も、同じ里の出身だからと言えばそれまでだが、元々鬼鮫の愛刀『鮫肌』は本来の七人衆から奪った代物。ただ七人衆を尊敬しているだけなら、鬼鮫まで先輩呼ばわりしないだろう」
淡々と語っていたナルトはそこで言葉を切った。心中を見透かすかのような口調に水月の顔が徐々に強張ってゆく。
ダンゾウとの取り引きにおいて、うちはイタチと干柿鬼鮫との対処を任されたナルト。
その際、周囲への被害を危惧したダンゾウにより橋の周辺は『根』の忍び達が包囲していた。勿論イタチとの会話などはナルトの術の効果で聞かれていないが、再不斬と鬼鮫の戦闘にはわざと何も術をかけていない。
即ち、彼ら二人の激しい闘いは周囲に筒抜けだったのだ。
通常、苛烈な戦闘を目の当たりにした者は巻き込まれまいと遠ざかるが、逆に水月は飛び込んで来た。イタチとサスケの会話を見守りつつ、再不斬と白にも意識を向けていたナルトは水月の介入をその眼に捉えていた。
また、首切り包丁だけではなく鮫肌も興味津々に見つめていた水月の所作をも、しっかりと見届けていたのである。
「つまり彼は七人衆が所有する刀に並々ならぬ興味があり、且つ七本全て揃える事が目的だ。違うか?」
あっさり水月の目論みを破ったナルトが涼しげな顔で訊ねる。質問というよりほとんど確認に近い言葉に、水月は恨めしげにナルトを睨んだ。
話に耳を傾けていた再不斬は得心がいったとばかりに大きく頷くと、やにわに水月の胸ぐらを掴む。
「悪いけどな、コイツは俺の愛刀なんだよ。他をあたりな」
「……そうはいかない。絶対その首切り包丁をボクのモノにしてみせるよ」
開き直ったのか、水月は生意気にも宣言してみせた。「てめえ…」と今にも殴りかかろうとする再不斬の耳に、ナルトの思いもよらぬ一言が届く。
「それじゃ、俺達と共に来ないか?」
「はあ!?」
聞き捨てならないと、再不斬は鋭くナルトを見返した。
「何言ってやがる!?コイツは俺の刀を狙ってるんだぞ!」
「鬼人ともあろう者が己の得物をみすみす奪われるのか?」
「んなわけねえだろ!返り討ちにしてやらぁ!!」
上手くナルトの口車に乗せられているとも知らず、憤慨する再不斬。彼の怒りを軽くあしらって、ナルトは水月と顔を合わせた。
「首切り包丁と鮫肌以外の刀は行方知れずだ。独りより情報は集めやすいと思うが?」
「…………」
「多くは聞かない。たとえ君の本来の目的が別にあったとしてもね」
一瞬水月が目を見張る。まじまじと見つめてくる視線にナルトは肩を竦めてみせた。
『霧の忍刀七人衆』の特殊な忍刀は代々受け継ぐ習わしとなっており、刀を受け継ぐ度に襲名されてきたが、今や霧隠れの里が所有する忍刀は双刀のみ。
相次ぐ内乱等で再不斬のように所有者が刀ごと次々離反していったからである。故に忍刀の一振りである双刀以外は現在消失している有様なのだ。
霧隠れが唯一所有している双刀『ヒラメカレイ』は霧隠れの忍びにおいて周知の事実なので除外する。
「だが目下の目標は首切り包丁だろう?これを機に再不斬と接触しなければ、これから先会う機会もないかもしれないよ」
暫し考えを巡らせる水月の隣で再不斬が諦めたように溜息をついた。チッと舌打ちし、投げ捨てるように水月から手を離す。
「こんなクソガキが刀の扱い方を知っているのかも疑問だがな」
再不斬の挑発に水月がムッと顔を顰める。ジロリと再不斬を睨みつけた後、彼はにこやかな笑顔をナルトに向けた。
「そこまで言うなら、ついて行くよ。首切り包丁の主人としてね」
「無理だな。テメエなんざ、コイツを持ち上げるのも不可能だ」
ナルト達と行動を共にする旨を水月が口にするや否や、再不斬が即答する。再び不満顔になった水月がふんっと鼻を鳴らした。口許に嘲笑を湛える。
「ボクは諦めが悪いんでね。必ず手に入れてみせるよ!」
「ハッ!ちょっとでも隙を見せてみな。真っ先にこの刀で刻んでやるぜ」
「先輩こそ寝首を掻かれないよう、せいぜい気をつけるんだね」
額を小突き合わせて言い争う。両者の剣幕に唖然とする面々の中で、ナルトは苦笑を漏らした。
刹那、一転する表情。
一切音を立てずに、ナルトは静かに外へ出た。人知れず家から遠ざかる。
何時の間にか外界は一面真っ白な霧に覆われていた。動物からでさえも視力を奪う白き霞は樹木の間を密やかに漂っている。
だがナルトはまるで見えているかのようなしっかりとした足取りで濃霧の海を泳いでゆく。
悠々と木立の間を歩いていたその足がぴたりと動きを止めた。重吾達からある程度離れた場所で、粛然と囁く。
「何か用か?」
霧に溶け込みそうなほどの問いに応えたのは傍らの大木からだった。
『……緊急ダ……』
片言の返答を耳にして、ナルトは眉を顰めた。木と同化している者を仰ぐ。
蒼き双眸に見据えられ、相手の左半身がヒッと怯えた声を上げた。潜む木の幹にナルトがそっと手を触れると、慌てて脱け出す。ナルトが触れた箇所から腐ってゆく大木を見て、彼は顔を引き攣らせた。
地鳴りを上げて倒れゆく大木に冷や汗を浮かべながら、右半身と左半身が交互に言葉を紡ぐ。
『急イデ来テクレ』
『よ、呼んでいるよ』
鬱金色の瞳に深緑の髪を持ち、左右の肌が異なる風貌。巨大な食虫植物に身を包む、実に人間離れした外見の男は口早にナルトに告げた。
『…マダラガ呼ンデイル…』
周囲で渦巻く霧がナルトの全身を覆うように取り捲き、木々の梢が低く低く騒めいていた。
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