樹界の王
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14話
「ラウネシアの保有する防衛手段について知りたいんですが、構いませんか?」
ラウネシアの安全保障に関わる問題。
ボクは何気ない様子を努めて装って、そこに踏み込んだ。
予想とは裏腹に、ラウネシアはあっさりとそれを明かした。
『私は三層に分けて防御陣地を構築しています。一つ目は外殻。火力を集中させ、森への侵入を困難なものへとしています。二つ目は外層。森の外側に位置する層です。侵入した外敵に対し、その機動力を奪う為の罠を張り巡らせています。そして、内層。バリケードの中に積極的に敵を排除する隷下部隊を配置し、外敵を全て殲滅します』
ラウネシアのいる深部に辿り着くまでに見たトゲトゲの城壁のような植物を思い出す。あれが外層と内層を分けるバリケードだったのだろう。
まるで人工的な森の構造。強固な要塞のようで、そこに自然らしさは感じられない。
「……ラウネシアは、隷下の植物をある程度好きに配置することができるのですか? あるいは、群生する植物を好きに書き換える事ができる、ということですか?」
『ある程度のコントロールを行う事ができます。急激な変化を加える事は不可能ですが、段階的に隷下の植物を変異させ、私が望むままの姿と機能を施す事が可能です』
ラウネシアは統制を司ると同時に、工業能力をも司っているということなのだろう。
『一度見てみますか? 一時的に全ての罠を停止させます。好きに森を歩き回るといいでしょう』
ボクは思わず、周囲の森を見渡した。右も左も分からない広大な森。
ラウネシアの防衛能力をこの目で確認したかったが、リスクが高い。
「いえ、ここの地理はまだよくわかっていません。一度遠くまで行ってしまったら恐らく戻る事ができなくなります」
『大丈夫ですよ』
ラウネシアは美しい笑みを浮かべると、そう言った。
『私は、この森に偏在します』
ボクは深い森の中を進みながら、周囲の植物を注意深く見渡した。夜を超え、周囲は明るくなり始めている。
バリケードの外。そこを、ボクはラウネシアの案内に従って散策していた。
『これ以降が外殻になります。上空、そして地上に対する長距離射程の攻撃手段を数多く保有しています』
近くの樹木から、ラウネシアの思考が流れてくる。
ラウネシアは森全体に地下根を共有した樹体を点在させているらしかった。この森全体がラウネシアの身体であり、それらは感覚器官のようなものなのだろう。そしてラウネシア本体は中枢神経系の役割を果たしている。ラウネシアは外敵に対して免疫能力を高め、それを排除しようとする。それは一個体としての働きそのものだった。
「ボクがこの森に迷い込んだ時、ラウネシアは既にそれを感知していたのですか?」
『それらしい気配は。ただし、当時の私は寄生植物、シメコロシ植物の攻撃を受け、他の点在樹の情報を正確に受け取る事ができませんでした。情報の交換、そして点在樹の維持には莫大なエネルギーを要するのです。常に全ての点在樹が稼働しているわけではありません』
通信能力を有するが、その使用には制約が存在するらしい。
ラウネシアは森の中枢神経系であり、森の女王ではあるが、森そのものではない。森に対する支配能力にはいくらかの制約と限界が存在し、それは彼女の弱点と言える。亡蟲の知能がどれほどのものかはわからないが、ラウネシアの死角とも言える支配能力の限界点を恐らくは突いてくる事になるだろう。
森を進んでいると、見た事がない植物が増え始めた。樹冠に複数の小さな実が点在し、それらはいくつかが固まって群れをなしている。ラウネシア近辺に存在した対空砲と似ている。
「この樹は、上空を攻撃する為のものですか?」
『ええ。これによって基本的には亡蟲に航空優勢を与える事はありません。それに、彼らの持つ航空生物の繁殖力はとても低い。彼らの侵攻手段は殆どが地上に限定されています』
頷きながら、更に森を進む。点在樹を中心に地面を這うようなツル性の植物が目立つようになる。
「これらのツルは、罠のような役割を果たすんですか?」
ボクの問いに、ラウネシアは一瞬の間を置いて肯定した。
『ええ。侵入者に対して積極的な攻撃を行います』
警戒の感情。ラウネシアの点在樹から放たれたその心に、ボクはそれ以上の言及を避けた。
このツル性の植物たちには別の目的があるのだろう。そして、ラウネシアにはそれを明らかにするつもりがない。これ以上踏み込むのはまだ早い、と判断する。
他の植物について、ラウネシアは隠すことなくその機能を説明してくれた。迎撃手段は多岐に渡り、この森を落とす事を困難にしている。
『そろそろ外殻の最端に辿り着きます』
ラウネシア本体から歩いて一日近くが経過した。ラウネシアのナビゲートを受けて真っ直ぐと進んだせいか、意外と早く森の終わりに辿り着く。
周囲には低い位置に実をならした樹木が多く存在し、隊列を組むように威圧的に並んでいる。幹に奇妙な穴が開いたものもあり、ラウネシアが最前線の樹体群に念入りな改良を施した事がわかった。
不意に、森が途切れる。ある地点を境に樹々が消え、その先には荒廃した赤い大地が広がっていた。二つの太陽が地平線から上ったところで、強い風が赤い土を巻き上げた。轟々と風が唸り、赤い大地が削れていく。
「……亡蟲は、この大地に住んでいるんですか?」
『正確には、この先に存在する世界からです。先に霧のようなものが見えますか? 彼らはそこから侵攻してきます』
目を凝らすと、風で巻き上げられた砂の先、随分と離れたところに霧のようなものが広がっていた。遠目からは雲のようにも見える。
『あの霧が、彼らの世界と私の世界を繋げているのです』
「……ボクがここに迷い込んだ時、霧のようなものはありませんでした。ただ、落ちるような感覚だけがあって、気がつけば森の中に倒れていました」
『ええ。カナメの場合はここに落ちたのでしょう。それもまた、珍しい事ではありません。世界が交差する方法には、いくつかのパターンがあります。あのような霧が長期間、二つの世界を繋ぐ事もあります。私にとって最も脅威的な繋がり方の一つです』
ボクはじっと、亡蟲の世界に繋がる霧を見つめた。
あの霧のようなものがあれば、ボクもまた同じ世界に帰還する事ができるのだろうか。
『帰りたいですか?』
ボクの心を読み取ったように、ラウネシアが言う。
少しだけ考えた後、いえ、と否定した。本心だった。不思議と帰還願望はなかった。あの中の人間関係にそれほどの執着はなかったし、物質に対する執着も湧かなかった。そして、どの道都合よく帰る手段もないのだろう、という思いもあった。
「ただ、一人だけ会いたい人がいます。言い残した事がありました。それだけが、心残りです」
ラウネシアは何も言わなかった。
ボクは赤い大地に足を踏み出すと、地平線に広がる霧を観察した。
「あの霧は、どこまで広がっているんですか? 亡蟲の侵攻可能なルートは、この方面だけですか?」
『霧はこの森の四方に広がっていますが、亡蟲が侵攻してくるのはこの方面だけです。他の方面は別の世界に繋がっているのだと私は推測しています。そして、それらの世界からの接触を未だに私は知覚していません。侵攻する意識がないか、そもそも生命体が存在しないのかもしれません』
「ラウネシアは、向こうの世界を偵察したりはしないのですか?」
言ってから、馬鹿らしくなった。
植物はそこに根を生やして生き残る事に特化した生物だ。動物と違い、自ら餌を探し求める必要はない。植物はそのように成長し、地球全体を覆い尽くすまでに繁殖した。彼らは動く必要がないように、調整されている。
そして、ラウネシアの回答もまた、その通りのものだった。
『原型種は待つ種族です。私の目的は侵攻でもないし、交戦でもありません。私はただこの世界が交差する地点で、待ち続けていました。カナメのような人間が来訪することをずっと、待っていた。気の遠くなるような時の中、数多くの外敵からこの地を守り、あなたを待っていた』
纏わりつくような、ラウネシアの感情が発露される。
執着。それに近しいものが感じられた。
ボクは適切な言葉を考えながら、赤い大地に目を向けた。その時、地平線の向こうに何かが見えた。
「ラウネシア」
自然と、硬い声が出た。
「霧の向こうから、何かがきます」
一人ではない。地平線を覆い尽くすまでの軍勢。
『まさか。侵攻からまだ日が経っていません。これほど短期間で亡蟲が侵攻を繰り返した事はありません』
ラウネシアは、まだ敵を知覚していない。
彼女の知覚能力は、森の外では人の目よりも精度が低いようだった。
ボクは手近な樹に登り、地平線を再び確認した。見間違いではない。砂埃をあげ、軍勢が侵攻してきている。
ここが地球と同じように球形の惑星で、惑星の直径が同じであると仮定するならば、地平線に現れた時点で敵との距離は三キロメートルを切っていると判断できる。
「ラウネシア! 外敵です。衝突まで、それほど時間がありません。戦闘準備を!」
『本当に亡蟲が?』
半信半疑のラウネシア。異例の事なのだろう。
ボクは木に登ったまま周囲の地形を見渡す。輸送に使える水路は見られない。略奪するような村も穀倉地帯も存在しない。機械化されていない軍ならば、その兵站能力に大きな負担を強いる事になる。加えて大型の兵器も持ち運びができない。
地理的には、ラウネシアに大きな利がある。なるほど。ラウネシアが亡蟲の攻勢を退けてきた理由の一つがこれか。
『戦闘準備は既に完了しています』
ラウネシアに動揺は見られない。彼女にとって、亡蟲の侵攻は日常的なものなのだろう。
『カナメ。心配ありません。私の外殻は、亡蟲の侵攻に合わせて最適に調整しています。簡単に破られる事はありません』
ボクは何も言わず、遠くの軍勢を見つめた。
簡単に破られる事はない。ラウネシアが言う通り、これまでラウネシアは多くの亡蟲の侵攻を退けてきたのだろう。しかしそれと同じく、ラウネシアもまた亡蟲の防衛線を打ち破った事はないに違いない。
嫌な汗が、額に滲んだ。
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