魔法少女リリカルなのはStrikerS ~困った時の機械ネコ~
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第2章 『ネコは三月を』
第33話 『なにか変か』
アドヴァンスドグレイザー――以降AG――が、人の命を無視した戦闘手段でないという情報は、調べれば直ぐに分かった。元々はフロントアタッカー――以降FA――であり、その人たちのなかで特に魔力の少ない人間が使いだしたのが切欠らしい。
ティアナは、おそらく敵や周りの自分より多く魔力を保持する人たちに対抗するための手段だったのだろうと考えながらモニターに目を走らせた。
危険性は確かに、FAの上をゆく。だが、戦闘をする以上は危険と隣り合わせなのは武装局員の誰でもが知っている。それを実力を持ってFAと同じ危険性まで低下させているのだ。高魔力保持者もこのAGを使用していたという記載はあったが、擦過現象――相互の魔力量と結合力差を利用した平衡現象――で相手の魔力を利用するのは低魔力保持者あるいは、魔力放出を可能な限り抑えた人にしかない。
もちろん自分も六課内では魔力は低いが局内の平均以上なのはよく知っているため、擦過現象を扱う場合は魔力の出力を抑えなければならない。年々高魔力保持者による犯罪が増加している今、近いうちに敵に圧倒させる場面に出くわすかもしれない。これを習得していれば、戦局はかなり有利に進めることが可能だ。
そして習得したいと考えたのはもうひとつ、
(昔はもっと頻繁に感じてたはずだ。自分と他の人との魔力差を……)
共感である。ティアナはつい先日のフェイトと模擬戦をした男を思い出した。
その時の映像を見直せば見直すほど、言葉にすることができなかった。
実際に見たときの印象としては、彼女と彼の魔力差は圧倒的で、彼の方は微々たるものだった。ただ、魔力結合の精度の高さと結合された物質の魔力密度は、誰もが認める最上位の魔導師である彼女を霞ませるほど確実且つ精密だった
さらに彼は魔力量差を実力差としないということを、体現してくれた。
(映像資料だ……っと、記録日は……30年前!?)
読み進めながら、ティアナはAGの模擬戦記録を見つけ、息を呑んだ。
異様に古い。近年ではあるが、最近ではない記録だ。
ティアナはそこに並べてある『中長距離戦』『近距離戦』『零距離』を1つ1つ確認することにした。
(中長距離戦は……)
少し乱れた無音映像の中に映し出されたのは距離を置いた2人が対峙しているところから始まっていた。両方が構え一方が魔力を集束させている。見た限りではAクラス魔道師が砲撃を放とうとしているようだ。
そして、放つ。
受ける側はそれに対して右手を前に出し、左手を右側の耳元へ沿えると、
(……嘘でしょ)
砲撃を右肩あたりで掠めながら、その集束砲が放つ魔力を両手で擦り落としていた。
その後、そのまま擦り落とした魔力に自分の魔力を繋ぎ、結合してカウンターで相手に集束砲を撃ち放ち、相手が分かっているかのように防御をして映像は終了していた。
あらかじめこの映像を映すための台本戦なのだろう。事前に返すことが分からなければ、あのように始めに放った人間がカウンターを避けられるはずがない。
(あくまで防御は零距離、か)
次に近距離戦の映像を見る。
その映像はまさに、この前見たフェイトと男の戦いそのものだった。一方はその場所から動かず、一人が座標を変え、角度を変え攻撃する。しかし、相違点にティアナは気付いた。
(……相手の態勢が崩れた一瞬を狙って、攻撃を仕掛ける)
映像の中は徒手空拳で、相手が攻撃することによって生まれた隙を見逃すことなく迎撃していたのだ。
フェイトの模擬戦で、男は一切攻撃はしていない。
相手の耳を掠め、後頭部に手刀を打ち据えようとした時点で寸止めし、映像は終了する。
先日の模擬戦を見たが、今の映像を見て自身のダガーモードでも応用できそうだとティアナは確信した。
次に零距離戦の映像をティアナは確認する。
(…………)
一方は両手にダガー、もう一方は徒手で対峙していた。
ダガーを持つ人は、片方のダガーを逆手にもち、相手は左右で差はあるものの両手を喉の高さまで上げて、互いにゆっくり距離を縮め、互いが腕を伸ばせば接触する距離まで近づく。だが、お互いに動く変化は見られない。間合いを確認しているのだろうかと思った矢先、また彼女は気付いた。
(……動いてないんじゃない)
始めは静止していると思ったのだが、映像速度を遅くしてみると、互いが互いの攻撃を虚実、フェイントを織り交ぜながら、仕掛けては軌道を逸らし合っていたのだ。動きが速くて一瞬目で追いきれなかった。その証拠に地面が互いの鬩ぎ合い耐えきれず、僅かにヒビが入りへこみ始めている。
しばらくその位置で激戦を繰り返した後、さらに互いは緩緩と距離を縮める。互いの肘が当たる距離まで来ると、頭を動かし、回り込みあい重心を変えたりと、熾烈を極める戦いになる。
速度を遅くして、やっと捉えられるくらいである。通常に戻せば、まず目で追うことはできないだろう。
戦闘は一方が喉元にダガーを突きつけ、もう一方が相手のこめかみに足を打ち下ろそうとするところで膠着し、互いがまた距離をとったところで映像は終了した。
「レベルが今と比較にならない」
始めにティアナが抱いた感想は口からこぼれた。
魔力量で補えない部分を、体術を持って制する。
理には適っているが、ここまでとは思いにもよらなかった。あれだけの技術を持てば魔力制御は当たり前、もし相応の魔力を持っていれば、現代では相当の実力者であっただろう。
では、今で言う一魔導師は相手から魔力、擦過現象を利用しなくても自分の魔力を最大限に使い、AGとして戦わなかったのか。という疑問がわいた。
さらに資料を読み進めているうちに、
(……そうか)
1つの結論にティアナは至る。
(通用するのは、AG以外……AGには防御でしか役に立たないんだ)
魔力を実にするためには結合が必須だ。その結合は使用する魔力が大きければ大きいほど労力を費やす。AG同士の戦いの場合、結合する瞬間を見出すことは極僅かしかないため、大きな魔力を使えばそれだけ戦いの危険性は高まる。それは同時に、その結合する瞬間を見出し実行することができる人間、そんな相手と戦うのであれば、戦う前から実力差が圧倒的であることを表している。
時限式をとりいれたゲリラ戦であれば、元々結合された魔法を使うため通用するかもしれないが、その場で瞬時に結合、出力を行なうことができるのは相手がAG以外である。
(魔力戦に持ち込んだ時点で、AGが有利。そして、AG同士は実力……絶対的な白兵戦有利者……それが彼ら、なんだ)
それはおそらく、一対多の場合も変わらないのだろう。確実に一対一に持ち込んで、打ち倒していくのだ。戦闘中は他の人間は仲間に当てる可能性があるため手が出せない。多は余程のコンビネーションが要求される。
(でも、一対多になったとしても、AGはほとんど全方向からの攻撃におそらく対応できる)
フェイトと男の模擬戦で把握済みだ。彼は全方向からの攻撃で自分に当たるものだけを捌いていた。
(崩せるとすれば、仲間を切り捨て、仲間ごとAGを倒す広範囲魔力攻撃)
しかし、それはFAにも言える危険性だ。だから、そのようなことにならないよう、他のポジションが存在する。
危険性はFAと同じ。そう思うところで、ティアナは違和感を覚えた。
先ほどの各距離の模擬戦映像だ。
(AGはどの距離からの攻撃でも受けるときは必ず零距離……ちょっとまって、ということは……)
もう一度今度は、3つの映像を同時に再生させながら、内容を整理する。
(高魔力保持者でも魔力を抑えて、堅固かつ精密な制御を行なえば、迎撃のときには余計な魔力は使わずに相手の魔力を利用して、どの距離でもカウンターができて……どのポジションの防御もできる……逆に進撃に転じたときは、相手の魔力弾を擦らせながら力を蓄え、自分の攻撃範囲に入れば……打ち倒す……)
相手の近付かせないようにする弾幕が寧ろ、相手に力を与える結果になり、攻め込まれたとき、本人にはフィールド、バリア、シールドの防御手段をもって対応するしかない。
しかもだ。おそらくそのバリアも削り落とされるだろう。
じとりと冷や汗が出た。
(零距離を制するAGはすなわち全距離対応可能なFA)
FAであるスバルに適したものだと思う。だが、ダガーを使うティアナ自身にも適した能力であることも間違いない。
彼女は一度モニターから目を話し、背凭れに寄り掛かった。
(じゃあ、どうして現在では使用されていないのか……考えるだけ無駄ね。そんな実力者がそう簡単にいるはずがない。エース級集まるこの六課でも、1人しかいないんだから)
実質その通りだった。再び、書かれている電子書類に目を通していくと、管理局システムが安定してくると共に減少し、当時――30年前――以降AGが確認されないことから自然と新しいものの中に埋もれ、消えていったらしい。
(今いるとすれば、ネコさんだけ、か……いや、トラガホルン両二等陸佐が知らないはずがない……けど)
彼の親友であるトラガホルン夫妻は優秀すぎる人たちだ。もしかしたらと意気込むが、諦めた。
彼らと接触するためには彼を仲介しなければならないし、なにより将校クラスの人間が自分に気安く話してくれるとも限らない。もちろん、彼が関係すればあの夫婦は快く話してくれるであろうが、そんなコネのようなものは使いたくなかった。
ティアナは項垂れ、途中でAGについての調べごとに好奇心という比重が高くなっていることが分かり、自分を戒める。
知りたいのは誰がAGを知り、使いこなしているかではなく、自分がそれを身に付けることができるか、或いは身に付けたいかどうかである。
(少なくとも、私はこのAGを使いこなせるものなら使いこなしたい……そのためには、きちんとその危険性を把握して、なのはさんに相談することだ)
彼女は一度気持ちと思考を入れ替えて、AGの、特に危険性や弊害について再び調べ始めた。
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第33話 『なにか変か』
なのはたちが日中訓練と並行して六課の警備や出動に備えるため、はやての守護騎士であるシグナムとザフィーラは彼等の時間に合わせて行動するのは必然的であった。同時に2人が出会う確率も多く、シグナムが外へ足を運んだとき、四足で歩くザフィーラと何度目かのすれ違いをみせた。
「異常は?」
「無しだ」
彼女は軽く目線で「気分転換でもしないか?」と合図すると、ザフィーラは頷いて彼女の隣に付き、揃って外に出る。
隊舎の外は日が昇る前と曇天なこともあり、若干気温は低く、眠気を覚ますのには丁度良かった。
「随分と雲が低いな」
「あぁ」
シグナムは目を細めながら上を見上げると、鼠色の雲が直ぐにでも重さに耐えきれずに雨を降らせようとしているのが窺えた。そのまま彼女は一度身体を強張らせたあと、肺の奥まで空気を入れて大きく深呼吸し、六課の隊舎と寮を一周しようと歩きはじめる。
そして、まずは寮へ向かうために角を曲がったとき、ザフィーラが何気なしに口を開いた。
「先ほど、カギネ三士に会った」
「……そうか」
彼はあくびをかみ殺し頭を振る。
「何か、準備をしていたな」
「準備? 新人たちのか?」
シグナムが語尾を上げて、右耳をひょこりと動かす彼に視線を下げる。
「いや、違う」
「……要領を得ないな」
「む。木の周りを縄と杭で囲って敷地をつくろうとしていたな」
自分で話題を彼女に振っても、話の終着をさせることはできず、2人の間で無言が続いた後、シグナムはザフィーラをやや前にして、あとに歩調をあわせた。
コタロウがいるのはどうやら寮の近くらしく、そちらへ歩みを進めていく。
そして、寮の入り口を正面に右側面にある、日の出の影になる場所に生えている一本の木の見えると、その下には片手で十分握れるほどの細い杭が打たれ、人が入らないように縄で杭と杭の間を結んで柵をつくり、その中にコタロウはいた。
彼は両膝をつき、一見正座のように見えるが、つま先は立て、即座に動けるように構えている。作業帽は深く被り表情を窺えず、手は足の付け根に添えられている状態で座り込んでいた。
2人がその柵の外、彼の正面に立っていても相手は動く様子はなく、微動だにしない。
「『訓練中です。 命令、指令の際は念話あるいは通信でお願いいたします』……と書かれているな」
「ふむ」
ザフィーラが柵に貼り付けられている注意書きに気が付いて読み上げると、ぽつりと
シグナムの肩に雨粒が当たる。
(……訓練中、か)
座りながらも動ける姿勢と、その張り紙の内容から訓練中ということは間違いないだろう。しかし、訓練内容が分からない。普段彼とともにある傘は彼の背後にある木に立てかけてあり、構えとは別に使う様子は無い。
ならば瞑想かと考えるが、それならばそもそもこのような体勢はとらないと考えが初めに戻る。
やがて、身体に当たる雨粒の間隔が短くなるのとは無関係に、シグナムは思考を打ち切った。
「……やめておこう」
「どうした?」
「いや、強さに関する情報は極力避けようと思ってな」
「……ん」
ザフィーラが首を傾げると、彼女が機会があれば交えようとしていることを話す。自分が相手の魔力量だけで実力を判断し、本当ならあの場に立っていたのは私であったこともそれとなく付け加えると彼は苦笑し、息を漏らした。
「それなら、これ以上ここにいる必要もあるまい。戻るか。雨も降り始めたしな」
「……そうだな」
そう言って、ザフィーラとシグナムは雨が本格的になる前に、引き上げた。
そろそろ、スバルたちの天候に左右されない屋外での訓練が始まる時間だ。
シグナムが息を呑んだのは、それから数時間後のことである。
ザフィーラと仮眠をとった後、シグナムは1人で新人たちの訓練の様子を見に行くことにした。
雨は依然として降り続いており、日中は晴れないという予報者の予報はどうやら間違いなさそうである。
そのなか、シグナムは隊舎の入り口付近に備えられている廉価の傘を使用して屋上から訓練場を見渡すと、そこでは新人たちが息を乱しながら訓練に励んでいた。今日は雨のせいか、踏み込むべき地盤に思うように力を入れることができず、そこを隊長たちに厳しく指摘されている。
モニターを使用して切り出した映像では、さらにそれが如実に表れていた。コタロウが以前口にした『気象に左右されない』というのは、どの立場の人間にも当てはまる言葉であることがよく分かる。
「……む」
ふと気になって、いつも全員を見渡せる位置にいる彼が訓練場内にいないことに気付く。再度見渡しても、視界に入ってこない。
[なのは]
[あ、えと、シグナムさん? 珍しいですね、どうかしました?]
[あぁ、いや、カギネ三士が見当たらないのでな]
彼女はそっけないのを装って訊ねる。
[コタロウさんは午後からなんです。午前中は自由待機です]
[そうか]
普通、自由待機というと休息、自由時間と等しい扱いだが、彼の場合は少々異なる。彼にとって自由待機とは、六課内の機器類を点検、修理する時間になるのだ。もちろん、休憩も自由に取る私用時間として構わない。ただ、コタロウが自由待機を自堕落なものにしないことは誰もが良く知っているので、注視すること、懸念することはしなかった。彼の自由待機は実質、務め以外の何ものでもない場合が多い。
彼を戦力としての実力をみると、夜明けにみた訓練も務めの1つと認識できる。
なのはとの念話を終わらせたシグナムは、あのとき見た彼が脳裏をよぎった。彼女にとってコタロウは決して気になる人物ではない。だが、つい数時間前に見た人物であれば気にはなる。
シグナムは傘にかかる雫が数滴流れ落ちるのを見た後、踵を返して屋上を後にした。
「…………」
もし、シグナムが自分の記憶力を自負しているのであれば、この目の前にいる人物は夜明け前から換算しおよそ6時間以上、その姿勢を維持していた。そのなかで違いがあるとすれば、彼の周りに展開している気圧の変化から、雨粒が凝固し、氷の粒となって付近に転がっているくらいだ。
彼が目を離してから姿勢を変えずにいたという証拠はないが、シグナムは自分の考えを疑いはせず、驚きというよりも寧ろ、不可解かつ異様であることに息を呑んだ。
既に知っているあまりにも静か過ぎる呼吸は、肩や胸の動きを見せず無呼吸に見え、深く被った帽子は普段から読むことを困難にさせる雰囲気を完全に消失させていた。
一言で言うのであれば、
(気配がない)
というものである。
目視できているのに気配がないという感覚が彼を異様と思わせている原因であった。
「カギネ三士、そこで何をしている」
故に、シグナムが思わず彼に向かって話しかけたのは、その雰囲気を一蹴したかったのかもしれない。だが、すぐに彼女は彼に横槍を入れたことを後悔した。何をしているにせよ、彼の訓練の邪魔をしたのは間違いないのだ。長時間一定の姿勢を維持しているということは、等しく真剣な証拠である。
「…………」
しかし、相手は反応することはなかった。
彼女が後悔した前後で姿勢、雰囲気に違いはない。変わらず正座をし、身に降りかかる氷の粒にも反応することはなく、無言を貫いている。
雨脚は強くなり、彼女の傘に降り注ぐ雨粒の音が大きくなる中、すこし見下ろすかたちで彼を見ていた彼女は訓練内容より、今正面にいる彼の状態が知りたくなった。この訓練が何を鍛えるものかは分からないが、正面に立ち、声に出しても全く反応がないのであれば、表情も気にはなるところである。
まして彼は敢えて無視をする、気付かないふりをする人間でもない。真面目で丁寧な人間であることは人間関係に疎いシグナムでさえ知っている。
目を瞑り耳でも塞いでいるのだろうかと、彼女は正面よりやや右に移動し、膝を折って彼と同じ視点に立ち、覗き込んだ。
「――ッ!!」
彼女の呼吸が止まった。身体が硬直し、少し声が漏れてしまったことに気付くまで、数秒を要し、そしてすぐに上体を起こし、呼吸を整えた。
彼はいつもの寝ぼけ眼ではなかったのだ。『いつもの』ではなかった分、すぐに顔を上げたのにもかかわらず、容易にその表情を思い出すことができる。
彼は正面を炯眼していたのだ。
帽子のつばによって顔上半分を覆うように影ができ、その中で黒曜石のような黒い瞳が白目によって強調され、圧倒せんばかりに鈍く炯炯としていた。
ただそれだけのことであるが、普段の彼からは決して想像することのできない表情であった。今まで――約2ヶ月弱――確認できた表情のうち、どれをとっても寝ぼけ眼が付随していたため、本来の本人と疑わしくなるほど真剣な目つきであるコタロウに彼女は驚いた。目つきが変わるだけでこうも人の印象が変わるのかと思うのはシグナムにとって初めての体験だ。
彼がフェイトと戦ったときもこんな表情はしていなかった。
ふりなのではない。本当に気付いていないのだ。自分の存在だけでなく、降り注ぐ雨の感覚も、その雨が奏でる音も、腿の上に積もっていく氷の粒の重さでさえ、彼からしてみれば存在を許されていないように思えた。
乱れる心境の中、また少し雨脚が強まった。
△▽△▽△▽△▽△▽
シグナムという女性は自分が騎士であることは自覚していたし、余程の切欠がない限り他人に関心を示さない人間であることも自覚していた。もちろん、アルトやヴァイスといった自分に踏み込んでくる人間に対しては、例外である。
――『あれ? なのはさん、コタロウさんはお昼も自分の部屋ですかい?』
――『うん。さっき聞いたらそう言ってたよ』
気付けば彼の部屋のブザーを押そうとしているのは、些《いささ》か自分でも首を傾げた。
押す前に一度躊躇い、
(あの時のことを『訊く』のではない、こちらから一方的に『頼む』のだ)
と言い聞かせ、ブザーを押した。
数秒後、ドアが開くと見覚えのある寝ぼけ目をした男が自分の正面に立っていた。
「はい」
「…………」
「何かございましたか、シグナム二等空尉?」
「あ、いや……」
彼女の言葉が出なかったのは、地球へ訪れたときの銭湯で一緒に入浴したヴィータたちと同じ理由だ。コタロウは着替えの途中で、つなぎの上半身だけ脱いだ状態であり、腰の部分を折り目に生地がだらりと下がっていた。いくら彼女といってもその覚悟や緊張感がなければ――彼の表情も助長している――服の上からでない非対称な彼の両肩を見れば、言い淀んでしまう。その男は左肩から先がないのだ。
「ひとまず、服を着たらどうだ?」
「……はい」
振り返ったときの彼の背中にある火傷も彼女の目に留まった。
心に隙があったせいか、「部屋でお茶でも召し上がりになりますか?」という彼の言葉にシグナムは首肯していた。彼は新しい黒のインナーを着込み、つなぎのファスナーを上げると、それほど時間を掛けることなく、部屋に置かれているテーブルに座るシグナムの前にお茶を出した。
シグナムはカップの面に映る自分をみて、二三度瞬きをし、
「何故誘った」
「まだ時刻的に休憩中で着替える時間を頂きましたし、呼び出しではなく上官自ら下官の部屋に訪れるほどのご用件であれば、公的な命令よりも寧ろ、何か個人的な命令、或いはご要望の類であるかと考えたためです」
正面に座っている彼は、表情から思惑は読めずとも行動から判断することができるのかと思い、再びカップに目を落として一口含んだ。
(……どこまで観察眼がはたらく?)
シグナムがお茶のときのみ砂糖を匙半分入れることを知っているのか、ほんのりと甘かった。砂糖やミルクが出ていないのはそれが理由らしい。
(いや、言わずもがな、か)
その教育を施したのが誰なのかすぐに想像がつき、カップを置いた。
「確かに、要件というのは私事だ」
「はい」
「おまえと一戦したい。もちろん私のときはおまえも攻撃して構わない」
「…………」
単刀直入にこたえる彼女に対し、コタロウは目線を落としてこつこつと人差し指を叩く。シグナムがもう一口含むまでそれは続き、最後に顎に手を当てたあと、彼は口を開いた。
「1つ、確認をさせていただいても構いませんか?」
「ん、なんだ?」
「それはシグナム二等空尉はレヴァンテインを使い、私はこの傘を使用したデバイス戦ということでよろしいですか?」
「ん、そうだが?」
「分かりました。でしたら、申し訳ありませんがお断わりさせていただきます」
ぺこりと頭を下げる。
「……理由を聞いても構わないか?」
「確かに、この傘は戦う上で『持たば太刀、振らば薙刀、突かば槍、隠さば懐剣、狙わば銃』という特性を持っています」
さらに続ける。
「ですが、『差せば傘』がそれ以前の、傘そのものであり、『翳せば盾』が本質なのです。九天鞭は鞭としていますが、役目としては盾です」
「あの鞭が盾?」
コタロウは頷き、
「はい。シグナム二等空尉や高町一等空尉、そのほかの方々は『何かを護る為に戦う人』であると考えています」
今度はシグナムが頷いた。
「私は『何かを護る為に護る人』でありたいのです」
私の場合はそのほとんどが機械になりますが、とそこで初めてコタロウはカップに口をつける。
戦うという言葉は何も、武力を持っての戦いだけではないが、彼の場合はそれに言及していた。戦いたくないと言っているようである。
「戦いたくはない。ということか?」
「いえ、違います」
だが、彼は否定する。
「私が局員である以上、戦うことはあります。ただ私は、この傘を『武器』として使いたくはないだけです」
「……なるほど」
考え方が違う。とシグナムは素直にそう思った。彼女の場合、彼とは逆でデバイスを武器をして使用する。今までもそうであったし、これからも何も疑問に思うことなく武器として使用するだろう。極論、それが故に自分が存在すると言ってもいい。
「トラガホルン二等陸佐やロマノワ二等陸佐もシグナム二等空尉と同じ考えです。『全員が私のような考えであれば、管理局はとっくに自壊を始めている』と自嘲していましたが」
「そうか……であれば、仕方がないな」
「申し訳ありません」
「ん。構うことはない」
またカップを手に取とうとしたところで、はたと顔を上げる。
「……む、ということはお前がデバイスを使わなければ私と戦えると?」
「はい。それは構いません。先程の両二佐より、最低限の攻めは学んでいます」
武器対無手か。と考え込むも、ヴィータから無手で敵を退けたということを聞いたこともあり――その時は無手対無手だが――湯が煮立つより早く彼に対する興味がわいた。
ならば時間ができたときにと、シグナムはコタロウに約束を取り付ける。
そうして心が切り替わると余裕も生まれ、自分はやはり深く考えるような人間ではないなと再確認する。思考に重さをおいていたせいか、周りを見ることもできなくなっていたが、今は部屋の回りを見る余裕ができた。
コタロウの部屋は、おそらくほとんどの部屋も同じであるが、寝具と幾つかの私物で構成されているのがわかる。私物というのは今使っているこのティーセットと、
「……あれは?」
「資料集です。私は学がないため、機械を修理するときはその歴史や経緯を学ぶようにしているのです」
『古代~近代 ベルカの歴史 (武器・武具) 』と書かれた書物が目に入った。厚さは指2本程度で、大きさはポケットに入るぐらい。他にも同じ系統の本が棚に並べられている。
「ご覧になられますか?」
彼女が頷くと、コタロウは立ち上がって机の脇にある本棚から本を取り出し、手渡した。
「こちらもどうぞ」
「私は目、悪くないぞ」
カップの横に置かれた細い銀縁眼鏡を取らずに本を開くと、そこには何も書かれていなかった。ぱらぱらと数頁めくってみても同様に文字一つ書かれていない。
「何も書かれていないが」
「特殊なインクを使っているので、肉眼では見えないようにしてあります。その『隠解鏡』を使わなければ見えないのです。内容は現代訳していますので、読めないことはないと思いますが」
「しています? というと、お前が作ったのかこの本」
「はい」
コタロウ曰く、無限書庫やトラガホルン夫妻が講義をしている大学の図書館からそれに類する本を電子化して送って貰い、まとめ上げたのだという。読めないようにしているのはその書物の中に、漏洩防止策としてのインク生成の項目があったので興味本位から作ったらしい。
眼鏡をかけると、先程まで何も書かれていなかった白いページに文字や挿絵が浮き上がってくる。内容は想像していたものと違い、文字は細い草書体で書かれ、挿絵は武器武具だけにとどまらず、魔法陣の構成、当時主流とされていた魔法原理、その構造に至った思想等が分かりやすく書かれている。
シグナムはしばらくの間、読み耽った。
「……そろそろ、私は仕事に戻りますが、お持ち帰りになられますか?」
余程没頭していたのか、コタロウが昼食を取っていたことにも気付かず、時刻をみるとそろそろ休憩も終わる時間に差し掛かっていた。
「その眼鏡はスペアがありますので、どうぞお持ちくださって構いません」
「……む、悪いな」
「構いません。私以外の方が読まれても問題がないことに、少し安心しました」
ぱたりと本を閉じ部屋を出ようとしたとき、ドアが開いたままの状態であることに彼女は気付いた。
「私は開けたままにしてしまったか?」
「いえ、女性を自室に入れる場合はドアは常に開けたままにしているのです。ロマノワ二等陸佐が言うには『異性と部屋で二人きりになる場合は四本の足が地につき、常にドアは開けておくこと』とのことで」
所謂、官位によらない異性間のマナーの1つだという。もちろん例外もあるが。
寮を出ると雨は幾分か弱まったものの、まだ降り続いており、お互いに傘を差して歩き出した。自分より背が低いせいか、彼の差す傘は持ち主の頭をかくし、胸から下しかシグナムは確認することができなかった。
不意に、彼女は首を傾げて傘の下を覗き込んだ。
「……雨粒が跳ね返りましたか?」
「あ、いや、大丈夫だ。問題ない」
近くを歩きすぎたかと眉を寄せる寝ぼけ目と目が合うと、シグナムは居た堪れない気持ちになり、ぎこちなくまた前を向いた。
僅かに緊張した心持を振り払い、落ち着きを取り戻す。
(いつもの目だな)
何故覗きこむようなことをしたのだろうかとは考えなかった。
ただ、普段の彼であることに安心したのはシグナム自身も気付いていた。
そして、隊舎と寮の中間地点まで来たとき、
「コタロウ」
「はい」
「二杯目に砂糖はいらない」
相手の返事を聞くことなく、シグナムは彼と別れた。
△▽△▽△▽△▽△▽
『…………』
夕食の後、小時間空けて夜間訓練を始める前、一番近くにいる隊長陣たちがシグナムの変化に気付く。
足を組み、銀縁の半月眼鏡をかけながら、テーブルの上に広げた小さな本に目を落とす彼女はいつもの気高さに若干の淑やかさを身に纏っていた。左手は本をやさしく固定し、右手は次の頁、或いは前のページをめくるために下のほうに添えられている。
はっきりいって、今まで見たことない仕草である。
「……どうかしたか?」
本の脇に置かれているカップに手をかけるために目線を上げたとき、シグナムは視線を感じそちらを向いた。
「シグナムが読書……?」
「そうだが?」
「それに、眼鏡」
「……ん」
人が普段の印象とはかけ離れた行動を取る場合、必ず原因がある。そして、その原因を探ることが自分の疑問を解消させる最も早い近道であることは、彼女の行動に気付いた人たちの誰もが知っていた。しかし、ヴィータたちはその原因を探る前に、根拠はないが多くの要因を持つ1人の人物が頭の中に思い浮かんだ。
おそらく、いや十中八九間違いはないだろう。
『(今度はコタロウさん (ネコ) 、何をしたの (んだ) ?)』
内心そのようなことを考えていると、表情に出ていたのだろう。シグナムは彼女たちの表情をみて微笑みをこぼし、やや挑戦的な目つきで、
「なにか変か?」
じっくりと彼女たちの挙動を楽しんだ後、砂糖の入っていないお茶に口をつけ、また続きを読み始めた。
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