空を駆ける姫御子
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第二十七話 ~夜に舞う喋 中編【暁 Ver】
前書き
『暁』移転版の二十七話。移転完了まであと少し。
────── さよなら
誰も、何も。何も告げず、何も語らず。静謐と言う名の招かれざる客だけが、空間を支配していた。やがて、スバルが沈黙に耐えかねたかのように口を開こうとした時。いつもの聞き慣れた蚊の鳴くようなソプラノが、あたしの耳を打った。
「……私をつかまえる?」
スバルの肩が、ビクリと跳ね上がる。アスナの表情からは、何も読み取れない。おかしい。何もかもが。
「ボブ? 一体あなたは何をしていたの?」
そう、あたしの疑問はそれだ。どうしてこいつは、アスナを止めなかったんだ。喉からやっとの思いで絞り出したあたしの問い掛けに、彼はこう答えた。
『ティアナもスバルも忘れているようなら何度でも言わせてもらうよ。私はアスナの為だけに存在している。アスナの取った行動が管理局法に違反していたとしても、私は問題ないと判断した』
違法だとしても問題、ない? ボブという人格AIは確かにアスナを守る為に存在していると言ってもいい。その行動原理は全てアスナの為だ。だからこそ、アスナの不利益になるような行動を黙って阿呆のように見ているわけがない。
あたしは得体の知れない違和感を憶えながら、窓際で物悲しい月明かりを背中に受けながら人形のように立っているアスナを見た。……窓際?
「スバルっ」
それだけであたしの意図を察したスバルが、アスナへ走り出す。だが、アスナは素早く体を翻すと頭部を両腕で庇うようにして、窓ガラスを叩き割りながら外へと飛び出した。風通しの良くなった窓へ縋りつくように辿り着いたあたし達は。バリアジャケットを身に纏い、あたし達からどんどん遠ざかっていくアスナの背中を──── 見ているだけだった。
深夜にも拘わらず隊舎にはまだ幾人か残っていた。中でも八神部隊長が残っていたのは幸いだった。寮で起こった出来事を誇張も脚色もせずに、ありのままを八神部隊長へと報告する。最初こそ驚いていたようだったが、次第に纏う空気が変わっていく。この人は危機に陥るほど冷静になるタイプだ。
「状況は、把握できた。せやったら……なんでアスナちゃんは、そないなこと言い出したんやろ」
やはりこの人は凄い。あたしの話だけで理解した。十九歳という若さで二等陸佐まで上り詰めたのは伊達じゃないのだ。問いに答えようとしたあたしをスバルが困惑したように止める。それ相応の理由があって、あたしの言葉を遮ったんでしょうね? 言ってみなさい。
「何でそんなに威張ってるの。え? 言い出した?」
「あんた、まさか……アスナが本当に人を殺したなんて思ってたんじゃないでしょうね」
「思ってないよっ、これっぽっちも思ってないよっ」
「五月蝿いわ。話を続けます」
「え、何この酷い扱い」
部隊長室には、寮での騒ぎを聞いて駆けつけたなのはさん達と、八神部隊長と同様に隊舎に残っていたフェイトさんとシグナム副隊長がいた。あたしは夜の帳が落ちた窓を少しだけ見つめ。先程見た遠ざかっていくアスナの後ろ姿を幻視しながら──── 話し始めた。
「概要は……先程お話しした通りです。少し前からアスナの様子が変だったのに気づいていながら……何もしなかったのは、あたしのミスです」
「それは、ええよ。それを言うんやったら私なんか気づきもせんかった。……部隊長が聞いて呆れるわな」
そう言いながら、八神部隊長は自嘲気味に笑った。
「……アスナは犯人じゃない。それを前提として考えるとおかしな点が少し」
「蛾の種類、だね。なぜ、特定が困難な二枚の現場写真から、二人の被害者の口の中にあった蛾を同じ種類だと判断出来たのか」
冷静に口にするフェイトさんの瞳は、執務官のそれだった。
「はい……アスナが犯人だとすれば、それはおかしくはありません。ですが」
「犯人だからだろう」
その言葉に、全員が振り返る──── 最悪だ。なんでコイツまでいるんだ。
「罪を犯した者など、そんなものだ。自分が殺した人間の映像など見れば、少なからず動揺して口走ったとしてもおかしくはない……犯人しか知り得ないことをな。違うか?」
八神部隊長があからさまに渋い顔をする。六課は唯でさえ風当たりが強いのだ。厄介な奴に厄介なところを……という心境だろう。
「何より寮から逃亡したのが証拠だろう。そもそも、お前たちは何故あいつが犯人じゃないという前提で話をしているんだ? 仲間だからか? ……くだらんな。そんな一時の感傷でモノを言っていると、足元を掬われるぞ? ……人殺しは犯罪だ」
──── 人殺したぁ、穏やかじゃねぇな。
唐突に聞こえた新たな登場人物の声に入り口を振り返る。そこにいたのは、あたしも知っている人物だった。管理局の制服を普段着のように着こなしている。それを物語るように、年齢を感じさせる真白な髪が印象的だ。
「な、ナカジマ三佐っ、なぜこちらに」
八神部隊長が慌てて椅子から立上り敬礼をした。その場にいた人間も習うようにして敬礼をする。この男──── エイジ・タカムラは別だが。……どうにもこの男は他人へ敬意を払うと言う行為を知らないらしい。ナカジマ三佐は、よせよせとばかりに手を振りながら、八神部隊長へと歩を進めた。
「久しぶりだなぁ、八神。なに、少しばかり用事があってな。ついでだ。夜分遅くに失礼かとは思ったんだが……」
ナカジマ三佐は、そこまで言うとタカムラへと視線を移した。
「殺人は犯罪だと言ったか、若いの。……お宅も同じ穴の貉じゃあねぇのかい?」
タカムラの片眉がぴくりと反応した。……あたしも内査の噂は聞いたことがある。憶測の範囲を出ないものだけれど。
「……何の話だ」
「管理局に長くいるとな。色んな噂が耳に入ってくるもんだ」
「どんな噂か知らんが、唯の噂だ。根拠のない噂に踊らされるなど器が知れるぞ?」
激高しかけたシグナム副隊長を八神部隊長が手で制した。無礼な物言いにも、ナカジマ三佐は温和な表情を崩さない。
「昔から火のない所に煙は立たねぇって言ってな。『内偵』がお宅だけの十八番だと思ってると……足元を掬われるぜ」
ナカジマ三佐とタカムラは暫し睨み合っていたが、やがて。タカムラは舌打ちをすると、部隊長室を後にした。
「助かりました……ナカジマ三佐」
八神部隊長は、そう言いながら力が抜けたように椅子へと身を沈める。だが、少し不味い事態だ。
「まぁ、知られちまったもんは仕方ねぇな。お偉いさん連中には、いいネタを与える事になっちまうが……そうなる前に、アスナ坊を見つけてやらねぇとな」
「はい。せやけど、ナカジマ三佐。内偵って……彼を調べてはるんですか?」
八神部隊長にそう問われたナカジマ三佐は、少々ばつが悪い表情をしながら、スバルを見た。……なるほど。スバルが何か依頼したわけか。あたしに黙っているのは何か理由があるんだろう。
「いや、別件で少しな。にしても、アスナ坊がなぁ……身内だからといって、甘やかすのはいけねぇが……だからといって、これっぽっちも信じてやれねぇんじゃ寂しいからよ。ティアナ、こいつをアスナ坊が戻ってきたら渡してくれ」
そう言いながら右手に下げていた紙袋をあたしへと差し出す。中には、アスナが喜びそうなたくさんの──── 駄菓子。
スバルとギンガさんの父親であり、陸士108部隊長でもあるナカジマ三佐との出会いは、ドラマチックな事は何もなく、ごく有り触れたものだった。ギンガさんと同じように、スバルが心配だったのであろうナカジマ三佐が訓練校を何度か訪れた。唯、それだけの話だ。アスナとの出会いは……有り触れてはいなかったが。
──── ……おっちゃんの髪、まっしろですね。
──── はは。だろう?
──── ……おじいちゃん?
──── そのうち、おじいちゃんって呼ばれるんだろうがなぁ。実はな、この髪……三年周期で色が変わるんだぜ? この前は赤くなりやがった。その前は黄色だったか。
──── ……信号みたいな?
初対面でアスナにペースを引っ掛き回されなかったのは、ナカジマ三佐が初めてだった。それ以来、回数としてはそれほど多くはなかったが、ナカジマ三佐は色取り取りのお菓子を携えて訓練校へと訪れた。
──── あんまり器用な方じゃなくてなぁ。娘が二人いるってのに情けない話だが、子供が喜びそうなものってぇと、おもちゃと菓子くらいしか思い浮かばねぇ。
そう言いながら困ったように笑っていたのが、記憶に残っている。あたしには家族と呼べる人は兄以外にはいなかった。亡くなった両親に関しても殆ど記憶に残っていない。だからかも知れない。『父親』というのは、こんな人のことを言うのだろうと漠然と考えていた。もしかしたら、アスナも。そんな父性をナカジマ三佐に感じていたのかも知れない──── だからこそ。
「はい、必ず」
思い人に繋がらないラブコール。……実際はそんなロマンチックなシチュエーションではないところが悲しいところだ。
「やっぱり連絡取れない? お兄さんと」
「えぇ」
「アスナと一緒にいるのかな……ちょっとマズくない?」
「何がよ」
「だって、お兄さんって管理局にあまりいい印象は持ってないよね」
「それは、違うわスバル。いい印象を持っていないんじゃなくて、何とも思ってないのよ。興味がないと言っても良い」
そう。あの人は……管理局云々ではなく、アスナに害するものと、そうでないもの。それが全てなのだ。以前からずっと気になっていた一つの疑問──── アスナとお兄さんのあの信頼、いや依存はどこからきているのか。兄弟愛とも家族愛とも……況してや恋人同士の愛情とも違う。正直に言えば、時々恐くなるほどだ。あの二人の過去に。一体何があったのだろう──── そうか。
「どうしたの? ティア」
アスナは犯人じゃない。アスナは人なんか殺さない。これは大前提だ。だとするならば……アスナがあんな事を言い出した理由は一つしかない──── 誰かを庇ってるんだ。そして、アスナが庇う人間なんか。一人しかいない。……最悪だ。いや、ちょっと待て。
──── おにいちゃんは、人なんかころさない。ころしたこともない。
いつだったか、アスナが口にした言葉。大抵の人間は人など殺したことは無いと思うが、何故敢えてそれを口にしたのか理由はわからない。その時のアスナはどこか遠くを見ているような瞳で、それが強く脳裏に焼き付いていた。だとしたらいったい誰を……わからない。あたしの知っている人物なのか、それとも物語に登場していない人物がいるのか。
「何かわかった?」
スバルの問いにあたしは首を振るしかなかった。ピースが致命的に足りない。
「そっか……ちょっと寂しいね」
「何がよ」
「どうして相談してくれなかったのかな……あたし達ってアスナにとって、その程度なの?」
スバルの悲しみを帯びたその言葉を、あたしは──── 返すことも受け止めることも出来ずに。唯、聞くことしか出来なかった。意思のない木偶のように押し黙ったまま。
「そうか、ご苦労」
恰幅のいい男は──── 言葉短くそれだけを告げると、通信を切る。豊かな顎鬚に手をやりながら何事か思案するその姿は熊を連想させた。椅子に座る男の側らには秘書のように──── もしかしたら秘書なのかも知れない。一人の女が立っていた。ショートヘアと切れ長の瞳に眼鏡をかけたその姿は十二分に綺麗だと言えたが、変化に乏しい表情がマネキンのような印象を受ける。
「朗報ですか」
女が透き通るような声色で男へと尋ねた。男は鼻を鳴らす。
「さて、な。儂が六課へ送り込んだ男が良い仕事をしてくれた。突き上げる材料には持って来いだ。……忌々しい。犯罪者が立ち上げた部隊など、他の誰が認めようとも儂が認めん」
──── おまえが、それを言うのか
「どうかしたか?」
「いえ……何でもありません。会食のスケジュール調整をしておりますので、何かありましたらお呼びください」
女は背筋を伸ばしたまま、足音も立てずにオフィスを後にする。だが、何かを思案するように立ち止まると、男がいるオフィスの扉へ視線を送り──── ほくそ笑んだ。
「つまらない男。同じ穴の狢って言葉を知ってるのかしら……六課は面白いことになってるみたいだけど、どう切り抜けるのかしらね。さて、ばれないうちに退散しましょうか」
そう呟きながら女は、妖艶な笑みを顔へ貼り付けたまま……再び廊下を歩き出した。ヒールの音を、誰もいない廊下へと響かせながら。
その日。あたしの一日の始まりは、来るとは思っていなかった待ち人からのコールで始まった。
「お兄さんっ、今までどこにいたんですかっ!」
自分でも驚くほどの怒鳴り声に、スクリーンの中のお兄さんは露骨に顔を顰める。
「いや……そんなことを言われましても。所用で外へ出ていたんですよ。……何かありましたか?」
「何かって……アスナは、そっちにいるんじゃないんですか?」
「は? いえ、帰ってきていませんが。お休みなんですか?」
帰って、いない? スクリーン越しに見るお兄さんの様子からは嘘をついているようには思えない。……この人に限っては、表情や様子からは判断できないけが。疑っていてはきりがないから知らないと仮定して話を進めることにした。それにしても、アスナが真っ先に頼るのはこの人だと思っていたのに。
「お兄さん。随分前……と言っても、一週間ちょっとくらい前に、アスナが有休を取得してそちらへ帰った事がありますよね?」
「ええ、覚えています。しかし、アスナはこちらではなく実家の方にいましたよ。生憎と私も仕事で外へ出ていたものですから」
そうだったのか。それじゃ、その日アスナはお兄さんとは会っていない……アスナの様子が少しおかしくなったのは、その日からだ。一体、その日に何が。
「……お兄さん。落ち着いてよく聞いてください」
言葉は慎重に選ばなければならない。一歩間違えば──── この人は敵になる。それだけは避けなければいけない。あたしは内心の緊張を悟られないように、努めて冷静を装いながら事の顛末を話し始めた。
「なるほど……困りましたね、アスナにも」
あたしの話を聞き終わったお兄さんは、そう言いながら苦笑いした。だが。その心中は穏やかではない筈だ。その証拠に──── 握りしめた拳が震えている。あたしはそれに気づかないふりをしながら、疑問を口にした。どうしても気になっていたことを。
「お兄さん、ボブは今どうしてます?」
そう。アスナのフラッターは、ボブにより遠隔で制御されている。お兄さんの『工房』から。だとしたら、アスナが置かれている今の状況にお兄さんが気づかない筈がないのだ。
「ボブはいますよ。……なるほど、ティアナさんの疑問はわかりました。ですが、フラッターは現在あるテストの検証中なんです」
「テスト、ですか」
「はい。フラッターはここからボブの手によって制御されているのはご存じですよね? ですが、そのデメリットとして、地球に代表される『管理外世界』まで行ってしまうと制御できません。そうなると、フラッターは機能制限されたストレージデバイスとなります」
それは知っている。初めて聞いた時は何故そんな面倒な真似をと思ったものだ。
「本来は管理外世界などへ行く前に、必要であればボブのコピーをインストールすることによって機能低下を防いでいたのですが……それでは、緊急の場合に対処できません。それを解消する為のテスト……遠隔によるインストールテストです。それと、他にもう一つ重要なテストが」
「その、テストの最中だったんですか? だったら今、フラッターにいるボブは、コピー?」
「え? あ、はい。コピーとは言っても、現段階ではフルコピーではありません。ボブの人格はそのままですが、今回はフラッターを一通り制御する為の機能しか持ち合わせていません。謂わば……簡易版ですね。今回のテストが問題なく終われば、フルコピーまで行きたいと考えていたんですが……」
「上手くいかなかったんですね?」
あたしがそう問うと、お兄さんは酷くばつが悪そうに顔を歪めた。当然の予想だ。そうでなければ、今の状況をお兄さんが把握していないわけがない。
「……向こうからコントロールを切られています。転送する段階で一部のデータが破損していました。その所為でボブの人格に何らかの影響が出ていると思われます」
やっと納得した。あの時の違和感。あの時のボブは既に──── 壊れていたんだ。
『ティアナ。私の役目は……いや、私の存在意義はアスナを守ることだ。それはアスナの肉体だけではなく、心も含まれる。その私が──── アスナが殺人を犯すのを容認するわけがない』
「それは、わかってるわ。あたしを含めて六課の人間は、アスナを疑っている者なんかいない」
『理解しているのならいい。ならば何故、アスナは』
「そこなのよ。あたしは最初、誰かを庇ってるんだと思ったのね。そしてその誰かは……」
そう言ってあたしは、お兄さんへ胡乱な視線を送る。見れば、ボブもお兄さんを見つめている……多分、だけど。お兄さんはあたし達の視線に気づくと、狼狽し始めた……怪しい。
「ちょ、ちょっと待ってください。私は今も昔も人を殺めたことなんてありませんよ? ……え、何で黙るんですか」
お兄さんの慌てぶりが可笑しくてもう少し見ていたい気もしたが、今はそれどころじゃない。優先順位を間違えてはいけない。
「お兄さんの犯罪歴は後で詳しく追求するとして……お兄さんは一刻も早く、アスナを探して保護してください。……出来ないとは言わせませんよ? あの時、あたしを探し出した能力……スバルから聞いています」
もっとも。アスナがこんな状況で、お兄さんに『やらない』という選択肢はないのだけれど。お兄さんは深々とため息をつくと、表情を苦笑いへと染める。
「わかりました。兎にも角にもアスナ本人から、事情を聞かなければいけませんしね。お任せください。……少々お時間を頂きます。あれは──── それほど万能ではありませんので」
「お願いします」
あたしは通信を切ると、着替えもそこそこに部屋を飛び出した。
夜──── 多くの生き物達にとっては、やすらぎと眠りの時間。この季節、休むことを知らないかのような、あの太陽でさえ……眠りに就く。だが、彼らは例外のようだった。ふわりふわり。ひらりひらり。風と遊ぶ花びらのように、それは舞う。羽を一打ちするたびに舞う鱗粉が、外灯に照らされ妖しく光る。
男はそれを見ていた──── 最早、物言わぬオブジェと成り果てたそれを見ていた。外灯にもたれかかるようにしていたそれは。ごとりと音を立てながら、冷たいアスファルトへと身を沈める。何も映さない瞳は虚しく空を見上げ、何も語らない口からは──── 二対の目が覗いていた。男はそれを見届けると、夜に溶け込んでしまうかのようなコートの裾を翻し、その場を立ち去った。
ふわりふわり。ひらりひらり。それの廻りを彼らは舞う。犠牲となった仲間を弔うように。仲間を助けだそうとするかのように。同じ種で殺しあう人間を嗤うかのように────
部隊長室の大きなガラス越しに見える月を八神はやては見上げていた。桐生アスナの居場所がわかるかも知れない。そんな吉報をティアナから聞いたのは昨日の朝だ。やれやれと肩の荷が下りたような安堵をしたのも束の間。クロノからの通信で、はやては再度肩を落とすことになる。
予想通り、エイジ・タカムラが情報をリークしたらしい。それは正しく、腹を空かせた野良犬の前に餌を放り投げる行為と等しく。六課を快く思っていない人間は、ここぞとばかりに噛み付いたのだ。その犬の群れを統率するかのように声を荒げたのが──── レジアス・ゲイズだった。
「……あの人は、ほんまにウチが嫌いなんやなぁ」
多少強引だったとはいえ、六課の設立は正規の手段を踏んでいる。クロノを初めとする多くの人たちの後ろ盾があったことも事実だ。だが、違法な手段など何一つ犯してはいない。
「そういうことやないんやろな、きっと」
自分の過去。それを全て清算出来たなどとは思っていない。はやては、きっとそれが原因なのだろうと結論づけた。だが、彼女は少し考え違いをしている。魔力と才能に溢れ、多くの人に支えられ、恵まれた彼女には理解し難い感情──── 嫉妬。ティアナでさえ、一時は身動きがとれないほどに囚われてしまっていた黒い感情。持っている者と持たざる者、その違い。
──── 彼は、はやての管理責任を追及している。勿論、僕もアスナがやったなどとは思っていない。唯……寮から逃亡したのは不味いな。犯人だと糾弾されても反論できない。早急に事態の収拾を図らなければ……査問委員会へかけると言っている。ある筈のない証拠まで揃えられたら目も当てられないな。
はやては、椅子へ腰を下ろすと、久しくお世話になっていなかったシャマル謹製の胃薬へと手を伸ばす。だが、ゆるゆると伸ばされたはやての白い指先は、突然飛び込んできた通信によって動きを止めた。ギンガからの凶報によって。
「三人目ってことは……『おんなじ』なんか?」
『はい……『同じ』です』
はやては一度天井を仰ぐと、今度こそ胃薬を口へと放り込み……親の敵の如く音をたてて噛み砕いた。
ティアナとスバルは寮の玄関を猪のように飛び出すと、ひたすらに六課の隊舎を目指す。二人とも寛いでいたのか、部屋着のままである。
「三、人目って、どういうことかな」
「どういうことも何、もっ。そのまんまでしょうが。ったく……アスナの行方がわからないのを見計らったように……これじゃ、益々アスナが疑われるじゃないっ、腹が立つわ」
隊舎へと続く並木道を駆け抜けながら、二人は悪態をつく。だが、ティアナはそこまで言うと急に立ち止まる。その表情からは──── 一切の感情が抜け落ちていた。スバルは息をつきながらもティアナへと声をかける。
「どうした、の? ティア」
「ううん……何でも、ないわ」
ティアナは再び、走り出す。スバルはそんなティアナの様子を訝しく思いながらも、背中を追いかけた。そんな二人の鼓膜を揺らしたのは、不意のコール音──── 桐生からだった。
──── ティアナさん、アスナの居場所がわかりました
~夜に舞う喋 中編 了
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