空を駆ける姫御子
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第二十五話 ~Mother&Children or Family【暁 Ver】
前書き
『暁』移転版の二十五話です。
────── ママ
「スバル?」
一向に口を開こうとしないスバルを見兼ねたあたしが名前を呼ぶと、スバルは夢から醒めた少女のような表情をした。それは、とても──── 儚くて。その時のあたしは、どんな顔をしていたのだろう。
「ごめん。少し、昔を思い出してた。……大丈夫だよ」
スバルの独白。それは決して、独裁者が人心を魅了するような演説ではなく。訥々と語られるスバル自身の『言葉』は、深々とした部隊長室の空気と。あたしたちの心へと染みこんでいく。自分と姉の出自。両親との出会い、思い出。魔導師を目指すことになった切掛け。信念。あたし達との出会い────
部隊長室に集められたあたし達の中で誰一人、余計な口を挟む者などなく。誰一人、スバルに対して痛ましい視線を向ける者もいなかった。
「……あたしの話は以上です。あたし達からレリックのケースを奪っていった子と、フェイトさんの前から消えた子達も……ISと呼ばれる能力を使っていたと思われます」
IS……先天性固有技能。戦闘機人が持っている魔法とは異なるエネルギーを源とした能力。スバルの説明をあたしなりに解釈したものだけれど、間違ってはいない筈だ。アスナの能力もどちらかと言えば、ISに近いのかも知れない。
「なるほど……魔力反応が無かったのはその所為か。と言う事は、スバルにもあるのか?」
やはり、シグナム副隊長は冷静だ。
「はい。ですが……あたしのISは制御が難しくて、まだ戦闘に使えるレベルにはありません」
「そうか……」
それでいい。他所からのスパイが堂々と潜り込んでいる状況を考えれば、手の内を明かしてやる必要はない。他の戦闘機人がどうなのかはわからないが、スバルは『魔導師』と『戦闘機人』を意識的に切り替える。アスナが普段と戦闘とで、別人のようになるのと一緒だ。
戦闘機人モード……スバルは『バーストモード』と呼んでいるが、その状態で使えるのがスバルのIS『振動拳』。ストレートなネーミングは実にスバルらしい。拳などから振動波を発生させ、接触させることにより対象物を破壊する。内部にまでダメージが通る為に、決まれば必殺と言って良いだろう。
以前、アスナがこれをまともに喰らった。あの、アスナを──── 昏倒させたのだ。全身強化を使っていた上に、物理防御に特化したフラッターの守りを抜いた威力は折り紙付き。文字通りの切札。余談だが、アスナは頑に少し寝ていただけだと言い張っている。
「はやてちゃんは、知っていたんだね」
なのはさんが、若干咎めるような視線を八神部隊長へと送る。
「ごめんなぁ。ティアナとアスナちゃんも知っとった。私が口止めしとったんや。二人は悪くないで」
「もう。……スバルの訓練メニューを考えなおさなきゃだよ。もう少し厳しくてもいいよね」
そう言って、なのはさんはスバルに柔らかく微笑んだ。誰が見ても優しい笑顔だが、スバルには違うものに見えているだろう。その証拠に、この世の終わりのような顔をしている。また余談になってしまうけれど、あたし達の訓練メニューも少しずつ変化してきている。基礎訓練中心のメニューから『セカンドモード』を使いこなすための訓練メニューへ。……アスナ以外は。
アスナが使う魔力と気(あたしは未だに気がよくわかっていないが)による『全身強化』は恐ろしく燃費がいい反面、一つの問題を抱えていた──── アスナ自身の体力だ。アスナによると、パワーとスピードは上がるが、体力が増えるわけじゃないと言う話だ。スピードにしても移動速度が速くなるわけではなく、反応速度が上がる。
アスナ自身の基礎体力は高くはあるが、無限ではない。魔力と気に余裕があっても、体力が尽きてしまえば動けなくなってしまう。それを……あのキャンプ場での一件で証明してしまった。ベストなコンディションではなかったとは言え、三十分程度走り続けただけで疲弊してしまったのだ。そこでなのはさんは、アスナの訓練メニューをスタミナ増強を目的としたものへと切り替えた。元々戦闘技術は完成されているし、アスナの魔力運用はミッドの魔導師とは、かけ離れている為に手が出せない。
懇切丁寧に説明したなのはさんに対して、アスナは訓練メニューを素直に受け入れた。口を開けば、死ねと殺すが口癖だった昔のアスナは、もういない。……今から考えれば酷い口癖だ。
「まぁ、そう言う事や。さて、スバルの恥ずかしい過去話も聞けたことやし、今度は聖王教会本部での報告やな。……ちょう長くなるで。その前に、アスナちゃん起こしてくれるか」
幾人かが、驚愕の眼差しでアスナを見る。お察しの通り、ソファへ横になってからすぐ夢の中でした。
「なんか、拍子抜けだったなぁ」
「スバル……」
「うん、わかってるよ。……みんな、優しいから。それは、取敢えず置いとくとして。八神部隊長の話。ティアは、どう思った?」
「肝心なことを話していない。そんな感じがするわ。……六課設立の動機が、ちょっと弱いような気がする。でも、構わないわ。全部話していないのはお互い様だしね。ところで、アスナは?」
あたしは、キーをタイプする手を暫し休めるとスバルへそう問いかける。
「この時間だと、自主訓練中じゃないかな。訓練場で」
スバルの予想通り、アスナは訓練場に──── は、いなかった。彼女の姿は中庭にあった。爽やかに頬を撫でる風が緑の芝生を波間のように揺らす。その中央に桐生アスナは静かに佇んでいた。彼女の服装は見慣れた黒のタンクトップに、グレーカーキのカーゴパンツ。無骨な編上げブーツが、少々不釣り合いのような気もするが、彼女にはよく似合っていた。彼女の姿を見ようと、雲から太陽が顔を出した瞬間──── 彼女は踊る。
シグナムが、一人寡黙に剣を振る姿が『剣舞』だとするならば──── 桐生アスナの姿は『拳舞』だ。その姿は決して洗練されているわけではなく。見る人を虜にするような演舞でもない。無骨で力強く。ただ、愚直なまでに高みを目指していた。観客は太陽と雲。大勢の向日葵。そして────
中庭に設置されたベンチには高町なのはと、フェイト・T・ハラオウンの姿があった。なのはの膝にはヴィヴィオが座っており、子供らしい素直な言葉と黄色い歓声を上げている。今の彼女は見窄らしい布きれ一枚の姿でも簡素な病院着でもなく、白いワンピース姿であった。恐らく、なのはかフェイトが買い与えたものであろう。
<ねぇ、フェイトちゃんなら、どう戦うかな>
<あまり、考えたくないけど……アスナのスタイルなら間合いには入らず、距離を取りながら魔法による攻撃が定石だけど……>
<うん、わたしなんかが特にそう。だけど>
<アスナには、それが使えない。魔法はキャンセルされるし、距離をとってもあれがあるから>
<強化とマジックキャンセルが付加された投擲。しかも、300キロ近くのスピードで飛んでくる……実は凄く厄介なんだよね>
<私のスピードなら躱すことは簡単だけど……>
念話の内容が些か物騒ではあるが、やはり二人とも魔導師なのだ。今は人を育てる立場であるが、二人とも魔導師としての本分を決して忘れてはいない。そんな念話が交わされているとは夢にも思っていない当の本人は、なのはの膝に座りながら手を振っている小さな少女を視界に収めると、唐突に動きを止める。そして再度動き出した時には雰囲気が一変していた。
「わぁ。おさるさんだぁ」
一転して、コミカルな動き。手足を使い走りまわったかと思えば、毛繕いをする仕草。
「なんか、映画で観たことあるね」
「猿拳、かな。わたしも詳しくないけど」
相手を油断させるようなコミカルな動きの合間に、鋭く撃ち出される拳と蹴擊。トリッキーな動きで虚をつき、敵を倒す技。だが、形意拳の一つであるそれをアスナが実戦で使った事は無い。それを敢えて使うメリットを見いだせなかったからだ。しかし、今は関係ない。今は……一人の少女を笑わせるために。
──── ティアナ・ランスター二等陸士。及び、アスナ・桐生三等陸士は至急部隊長室まで────
唐突に中庭へ流れた呼び出しアナウンスにアスナは動きを止める。少々不機嫌そうだ。だがこのアナウンスがアスナに新たな出会いを齎すことになる。
「本局、ですか」
「うん」
呼出に応じて部隊長室へ来てみれば、本局への同行を命じられた。行くのは構わないが、理由がわからない。しかも、アスナと一緒だ。こんな触ったら弾けてしまう変な植物みたいな娘を連れて行くのか。
「実はな? クロノ・ハラオウン提督と会うんや。ロッサ……ヴェロッサ・アコース査察官もおる。クロノ君は、『クラウディア』の艦長さんにして執務官の資格持ちや。ティアナも執務官を目指しとるんなら参考になる話も聞けると思うし、偉い人に会う経験も積んどったほうが、ええやろ。どうかな」
なるほど。確かフェイトさんのお兄さんだったか。二十五歳という若さにして提督という階級もさることながら、XV級艦船『クラウディア』の艦長。考えてみれば、とんでもないエリートだ。……考えるまでもない。八神部隊長の言う事は尤もだし、あたしにデメリットはない。
「ありがとうございます。喜んで同行させて頂きます。ですが……この娘は?」
あたしは、そう言って。隣で先程から興味なさげにつっ立っているアスナのぼんやり顔を見つめた。
「うん、アスナちゃんはな。クロノ君が一度、会うてみたい言うとるんよ」
「なんでまた」
あたしは眉間に出来ているであろう皺を揉みほぐす。あれだろうか。動物園にやってきた凄い珍しい動物を一目見てみたいという感じなのだろうか。
「……お気持ちはありがたいですが、私にはすきなひとが」
「ちゃうわ。なに言うてんや、この娘。……あんな、私がアスナちゃんの事をカリムに話す。カリムが面白がって、クロノ君に話す。クロノ君が釣れる。OK?」
「わかりました。悪いのは八神部隊長だと言う事が」
「なんでや。まぁ、そう言う事や。だから、アスナちゃんも来て。かっこええで? クラウディア」
「……宇宙戦艦ヤマトと、どっちがかっこいい?」
宇宙……なに? 以前から思っていたが、アスナはお兄さんから仕入れた無駄知識が多すぎる。
「……どっこいやな」
「……じゃ、いく」
こうしてあたし達は、蓋が常時半開きのびっくり箱を抱えて本局へと赴くことに相成った。しかも中身がわからないと来た。何か失礼なことをしでかしたら、全て八神部隊長の責任にしようとランスターの名に誓った。
「八神さんも、随分と思い切ったことをしますね」
『正直なことを言えば、アスナにはあまり深く関わって欲くはない。だが』
「六課にいる以上、無理な話ですよ。……管理局員ですからね。こういった場合もあるでしょう」
桐生の声色は普段と変わりは無かった。彼が言うように以前から予期していたのだろう。
『ところで……桐生は先程から何をしているんだい? 時計?』
「ええ。……私を便利屋か何かと勘違いしている方がいまして。修理を頼まれました」
桐生はボブと会話を交わしながらも手元から顔を上げない。接眼鏡を掛けながら作業をする姿は雑多な工房の雰囲気と相まって、デバイスマイスターと言うよりも時計職人と言った風情であった。
『断ればいいじゃないか』
「そうもいきません。これが縁で新たな顧客が獲得出来る可能性もありますしね。必要労働ですよ」
『フリーのデバイスマイスターというのも大変だな』
まるで人ごとのように言うボブに、桐生は苦笑いを零す。皮肉も多分に含まれてはいるが。
「あなたは、どうしてこんな感じに育ってしまったんでしょうか」
『アスナの御蔭だ』
「アスナの所為ですね」
桐生はそう言って接眼レンズを額に上げると、椅子の背もたれへ体を預ける。ぼんやりとした瞳は煤けた工房の天井を見上げていた。聖王協会、騎士カリム。今度は、クロノ・ハラオウン提督にヴェロッサ・アコース査察官。どうも、我が妹は自分と違って、偉い人との縁があるらしい。
「……まぁ、いいことなのでしょうね。きっと」
義母と養父を亡くしてから家族以外には決して、心を開かなかった桐生アスナと言う名の少女。それが、今や最前線で仲間と一緒に仕事をしている事実を、桐生は驚くと同時に──── 喜びを感じていた。それを成し遂げたのは間違いなく、あの二人なのだ。
「ティアナさんと、スバルさんには頭が上がりませんね」
『大きな力には、大きな責任が伴う』。現代日本で言えば、銃器の類いがそうだろうか。所持するには資格が必要で、目的以外で使用すれば罪に問われる。『力』は子供の玩具ではないのだから。だから、桐生は──── この『世界』へ来た時に、アスナを助ける時以外は『力』を使わないと決めたのだ。現に、そんな力は一人の少女を変えることすら出来なかった事が証明された。それを、ティアナとスバルはやったのだ。天の岩戸をこじ開けるように。
──── いつか、借りを返せるといいんですが。いや、お礼ですかね
『桐生。アスナに伝えることはあるかい?』
「いえ、特には。あ、そうそう」
『どうかしたかい?』
「アスナがクロノ・ハラオウン提督や、ヴェロッサ・アコース査察官と知り合いになれば、新規の顧客を紹介」
『それじゃ』
「最近、冷たいですね。みんな」
そう呟いた桐生の顔は。言葉とは裏腹に楽しそうに──── 笑っていた。
本局へと出向いたあたし達は、クラウディアへ行くため転送ルームへと向かっていた。どこか機械的で冷たい印象のある長い廊下に、靴底が床を叩く音だけが響いている。……アスナが、制服を着崩していないのは新鮮だ。少し窮屈そうなのは気の所為じゃないだろう。
「これが、普通なんやで? ……ティアナは緊張しとる?」
「いえ、特には」
「おもろない娘やな」
面白くないって言われたわ。
「アスナちゃんは……しとらんな」
軽い機械音をあたし達へ聞かせながら、転送ルームの扉が開く。緊張はしていない。していないが……あたしは先程から隙を見ては、ネクタイを外そうとするアスナと、それを阻止している八神部隊長の攻防を横目で伺う。これから会う事になるクロノ・ハラオウン提督とヴェロッサ・アコース査察官の人となりは、八神部隊長から聞いている。アスナがへそを曲げるような事態には、ならないはずだ。恐らく。
助けを求めるように天井を仰いでも、そこに女神がいて微笑んでくれるわけでもなく。あたし達は一抹の不安を抱えながら、クラウディアへ『跳んだ』。
「綺麗ですね」
「新造艦やからな。あれ、アスナちゃんは?」
「あそこです」
転送ルームから、真新しい廊下へと足を踏み出す。土足でいいのかと躊躇してしまうほど綺麗だ。肝心のアスナは物珍しさも手伝って、大きなガラスへ張り付くようにして外を見ていた。外とは言っても次元航行船なのだから、景色が見えるわけじゃないのに。ガラスへ一体化するのではないかと思うくらいだったアスナを八神部隊長が引き剥がすことに成功した頃。廊下の先から二人の男性が歩いてくる。
一人は白のスーツを普段着のように着こなした男性。新緑を思わせる爽やかな緑色した髪が印象的だ。あたし的には背中まで伸ばされているであろう長髪がNGだけれど。人懐っこい笑顔を浮かべながら手を振る姿に悪意は感じられない。恐らくこちらが、ヴェロッサ・アコース査察官だろう。
もう一人の男性は対照的に黒の制服姿。恐らく普段着なのだろう。一瞬、バリアジャケットかとも思ったが、どうやら違うらしい。少年のような黒髪と童顔な所為だろうか、聞いていた年齢よりも若く見える。だが、それとは裏腹に鋼のような強い瞳が印象的だった。この人が──── クロノ・ハラオウン提督。
「よく来たな、はやて。クラウディアへようこそ」
「うん。新造艦は綺麗やな。あ、紹介するな? この娘がウチのフォワードリーダー」
「ティアナ・ランスター二等陸士です」
あたしは自分の名を告げながら、最上級の敬礼を返す。
「そんで、この娘が……フロントアタッカーの一人。厳密には違うんやけど」
「……桐生アスナ。三等陸士」
アスナは自分の名と階級だけを告げると、貝のように押し黙る。敬礼もしない。アスナが初めて六課へ来た時を思い出していた。だが、ハラオウン提督は特に気分を害した様子もなく口を開く。
「君が桐生アスナか。騎士カリムや、はやてからよく聞いているよ」
「……カリムと、おともだち?」
ハラオウン提督は少しだけ考える仕草を見せた。だが、それも本当に少しだけだった。
「あぁ。騎士カリムは、僕の友人だよ」
「……あっちの、みどりは」
八神部隊長が、凄い勢いで横を向く。肩が震えてますよ。
「緑って言われたのは初めてだよ。君のことは以前から知っている。はじめまして、ヴェロッサ・アコースだ」
「あぁ、そう言えば名乗っていなかったな。クロノ・ハラオウンだ」
「……はやてが、いつもお世話になっております」
「えっ。あぁ、うん。こちらこそ」
「面白い娘だねぇ」
概ね同意します。それにしても……以前から知っていた?
「さて、立ち話もなんだからな。案内するよ、こっちだ」
提督自ら案内してくれたのは、落ち着いた雰囲気がある応接室だった。応接室と言うよりも、ラウンジと言った方がいいかも知れない。品のいいソファとテーブル。これで窓から見える風景が絶景ならば、言う事はないんだけど。
八神部隊長が嫋やかにソファへと腰をおろし、対面にはハラオウン提督が座る。アコース査察官は手ずからお茶の用意を始めた。驚いたあたしは慌てて駆け寄った。
「アコース査察官。お茶の用意なら自分が」
「ん? いや、気にしなくていいよ。君たちはゲストなんだから。ケーキ食べるだろう? 僕の手作りなんだけどね」
「いえ、自分は」
「……たべる」
あたしの慌てた様子など知ったことではないと言わんばかりに、アスナは八神部隊長の隣へと座る。
「君も座ったら?」
アコース査察官に促されるものの、どうしたら良いか暫し悩む。査察官にお茶の用意などさせてしまって良いのだろうか。
「しかし」
「ティアナのそういうところは、ええところやと思う。せやけど、遠慮しすぎは却って相手に失礼やで?」
「……『自分』とか、いつものティアナとちがう」
こいつ、帰ったら絶対泣かしてやる。八神部隊長の言うことも一理あるかも知れない。そう考えたあたしは観念することに決めた。
「……わかりました」
あたしは誰にも悟られないように溜息を一つ零すと、アスナの隣へと腰を降ろした。アスナは、自分の目の前に並べられた苺のショートケーキを子供のように頬張っている。
「どうかな?」
「……おいしいです。だけど、せんせいのとこのほうが、おいしい」
この娘は一言多い。それを聞いた八神部隊長は破顔した。
「なのはちゃんのとこと比べたら、ロッサが可愛相や」
「そんなに美味しいのかい? 一度食べてみたいなぁ」
「先生?」
あたし達の様子を楽しげに見ていたハラオウン提督が訝し気にアスナを見つめる。そして答えを求めるように八神部隊長へと視線を移した。八神部隊長は苦笑いだ。
「アスナちゃんは、なのはちゃんを先生呼ぶんよ」
「なるほど。教導官であるわけだし、間違いではないな。それにしても、なのはが先生か」
「びっくりやろ? どっちかって言うと鬼教官やな?」
「噂は聞いている。教導を受けた人間から押し並べて、悪魔と言われていると」
その時、あたしはアスナの胸に留められているフラッターが怪しげに点滅しているのを見逃さなかった。こいつ──── 録音してやがる。あたしは戸惑うことなくその事実を八神部隊長へ念話で伝えた。八神部隊長の笑顔が固まったかと思うと、一瞬で真顔になる。アスナの横顔をたっぷりと見つめた八神部隊長はアスナへこう切り出した。
「アスナちゃん今の会話、消して。お願いやから」
アスナは何も答えない
「ほんま勘弁して。ほら、クロノ君見てみ? お地蔵さんみたいになっとるやろ。なのはちゃんは、シャレにならん」
「……せんせいは、とっても優しいですよ?」
「アスナちゃんは、なのはちゃんの本性を知らんから、そないなこと言えるんやっ」
「八神部隊長、今のも録音されてます」
お腹を抑えて笑い声を上げているアコース査察官と、ティーカップを手にしたまま微動だにしないハラオウン提督。ソファの背もたれへ顔を埋めてしまった八神部隊長と、八神部隊長のショートケーキから何食わぬ顔をして苺を掠め取っているアスナ。あたしはそんな光景を見ながら、どうやって事態の収拾を図ろうかとティーカップへと口をつけた。
午前中に仕上げなければならない書類を何とか仕上げたスバルは、凝り固まった体を解すように伸びをすると同時に文字通り一息ついた。目の前に展開されているスクリーンをぼんやりと見つめながら、八神はやてと一緒に本局へ出向いたティアナとアスナのことを考えていた。
──── アスナ、失礼なことしてないよね
考え始めると、どんどん怖い方へ考えがいってしまうのを振り払うように頭を振る。自分がここで考えたところで何か出来るわけでもなし、何よりティアナが一緒に行っているのだから大丈夫だろうと、無理やり納得させた。
時計に視線を走らせると、そろそろ昼に差し掛かる頃合い。スバルが、さてどうしようかと考えた時に端末の警告音が聞こえた。自分のものではない。音の発生源を探るようにして首を巡らせると、聞こえていたのは高町なのはの端末からであった。
スバルがなのはの席へと近づいていくと、彼女は心ここにあらずと言った様子で、スクリーンを見つめている。スバルが声を掛けるが反応がない。今度は少々大きめに声をかけると、高町なのはは夢から醒めたようにスバルを見つめた。
「え、えっと。どうしたの? スバル」
「データの処理、終わってますよ」
「え? あ。ご、ごめんね」
なのはは流れるような手つきで、端末を操作し開かれていたウィンドウを瞬く間に閉じていく。スバルはスクリーンに表示されていたヴィヴィオの姿を見逃さなかったが、敢えて何も聞かなかった。なのはが端末を操作し終えるのを待っていたかのように、オフィスに休憩を告げるチャイムが響き渡る。
「お昼かぁ。わたしは女子寮に戻ってヴィヴィオと一緒に食べるんだけど……スバルもどうかな」
「はい、御一緒させていただきます」
「そうか……それじゃ、全てを話したわけじゃないんだな」
「うん。カリムの『予言』の部分はぼかしとる。飽くまで、襲撃を受ける可能性がある。っていう感じで。隠し事はあまりしたくないんやけどな」
応接室には既にティアナ達の姿はなく、八神はやてとクロノ・ハラオウンだけが残っていた。二人の表情は決して明るいものではなかった。
「苦労をかけるな」
「ううん、ええよ。……査察を回避できたのも、クロノ君が手を回してくれたんやろ? 十分や」
「理由が言い掛かりに近かったからな。彼は随分と六課が嫌いらしい」
「仕方ないわ。結果的にとんでもない戦力を保有しとるからな。危険視するのは当然や。ところで、どうやった? ティアナとアスナちゃんは」
「ティアナは年齢よりも大人びた印象だったな。普通、新人は僕の前に来ると緊張するんだが……受け答えもはっきりしていたし、肝が座ってる。言い方は悪いが、腹の探り合いに慣れている感じだった。大物になるぞ。……アスナは」
クロノ・ハラオウンはそこまで言うと黙りこむ。言葉を探している。そんな風情だった。
「頭がいいな。あの娘は」
クロノの言葉を聞いたはやてが、目を丸くする。驚いたのも無理はない──── 自分と同じ印象を抱いたのだから。
「言動や行動は、突拍子もないが……それも、どこか計算されているような……そんな感じがした。初対面である僕たちに対する最初の受け答えも、相手の反応を伺っているような節があったな。現に彼女は相手が不快になるような事を口にしなかった」
「彼女の処世術なのかも知れへん。そんな物をどうして身に付けなければいかんかったのかは、わからへんけどな。時々わかってやってるんやないかって思うことがあるんよ。そういう時は大抵……誰かの為だったりするんやけどな」
「不思議な娘だな。騎士カリムの気持ちがわかる」
「手、出したらあかんで?」
「勘弁してくれ、二児の父親だぞ」
「冗談やて」
ソファで向かい合わせになり軽口を言い合いながら、笑う二人にはもう暗い影は落ちていなかった。その姿は部隊長と提督という堅苦しい間柄ではなく──── 幼い頃からの友人。そんな姿だった。
「えっ。それじゃ、なのはさん……ヴィヴィオを引きとるんですか」
「仮、だけどね」
六課女子寮へと続く並木道を、なのはとスバルが肩を並べて歩く。他愛のない世間話からヴィヴィオへ話題が移った時。スバルが驚きの声を上げた。
「ヴィヴィオは……引き取り手を探すのが難しいと思うんだ」
「あ……」
ヴィヴィオは出生記録を含めた戸籍が存在しない。この世には存在しない人間なのだ。管理局で用意することも出来るが、様々な問題をクリアする必要がある。スバルは改めて、父と今はもういない母に感謝した。
「それを考えると、わたしが引き取ったほうがいいのかなって。一般家庭を探すよりも、わたしの方が色々と融通が効くしね」
「義務感、ですか」
「違うよ」
スバルの問に即座に答えた高町なのはは。真っ直ぐにスバルの瞳を見つめる。
「さっき言った理由なんて唯のいいわけ。わたしがそうしたいって思ったから。……ヴィヴィオの傍にいてあげたいって思ったから。理由なんてそれだけで十分なんだよ、たぶんね」
そう言って、なのはは柔らかく笑う。再び歩き出したなのはの背中を、スバルは足を止め暫し見つめる。その後ろ姿に──── 母が重なった。
「ん? どうしたの、スバル」
──── どうしたの? ギンガ、スバル
「いえ、何でもありませんっ」
スバルは慌てたように走りだす。その背中へ。
──── 母さんも。なのはさんみたいな気持ちだったのかな
それは最早、スバルが知ることは叶わない。だけど、きっと。
「これが、メモリーチップ。重要なデータだから気をつけてね」
「はい」
アコース査察官の男性にしては細い指先から、メモリーチップを受け取る。今回は、これを受け取るのも目的の一つだった。
八神部隊長とハラオウン提督は、少し話すことがあると言うので、あたし達は一足先に離席した。清潔ではあるが、無機質なクラウディアの長い廊下をアコース査察官と歩く。アスナは先程から餌を探すシマリスのように、ちょろちょろと動き回っている。アコース査察官は、そんなアスナの姿を微笑ましげに見ていた。
今回の同行は、純粋に来てよかったと思わせるものだった。ハラオウン提督からの執務官試験へ向けてのアドバイスや、実践的な捜査方法のノウハウ。ちょっと表には出せないような裏話。あたしにとってはどれも新鮮で、糧となったのは間違いない。時折、こちらを探るような質問があったが、無難に答えておいた。場数を踏んでいるのは伊達ではないらしい。
アコース査察官は、専ら聞き手に徹していたが、合いの手のように入れてくるアドバイスは的確なものだった。軽薄そうに見える印象も地の部分はあるだろうが、何かしら理由があるのかも知れない。決して悪意がある人ではないが、油断ならない人。そんな印象だ。受け取ったメモリーチップを、アタッシュケースへ仕舞ったところで、こんな質問をされた。
「君は……ティアナ、だっけ。はやてをどう思う」
随分と抽象的な質問だ。……どんな答えを期待しているのだろう。
「優秀な、方だと思います。魔導師としての実力も人柄も」
優等生染みた答えだと我ながら思ったが、これはあたしの本心だ。
「そうだね……その通りだ。だけど、大きすぎる力は、孤独を呼ぶんだ」
あたしは、その言葉を聞いて。アスナの昔を思い出した。動く者がいなくなった訓練場にぽつりと立っているアスナの後ろ姿────
「だから、出来れば……上司と部下というだけではなく、友人として仲間として接して欲しいんだ。他の隊長陣も同じく。難しいと思うし、強請することでもない。だから、これは僕の願いだ。どうかな?」
「はい、勿論です」
今も殆どそんな感じですという言葉は飲み込んだ。あたしはアスナとは違うのだ。
「そうか、よかった。カリムと僕とはやては昔からの付き合いでね。はやては妹みたいなものなんだ」
どうやら、この人も。お兄さんに近い人種らしい。兄さんも……そうだったんだろうか。
「アスナちゃんは……お願いするまでもないかな」
アコース査察官と一緒に、廊下の隅にしゃがんで床に視線を落としているアスナを見る。
「それじゃ、アスナちゃんには『別』のお願いをしようかな」
別? アコース査察官がアスナに声を掛けると、アスナは子供のような足取りで近づいてきた。
「……なに」
「うん。アスナちゃんにお願いがあるんだけどな」
そう言われたアスナは何を答えるわけでもなく、アコース査察官を見ている。彼は少し困った様子を見せた。どうやって切りだそうか迷っている、そんな感じだ。だがやがて、意を決したように口を開く。
──── 隊舎にいる『緑色の犬』を消さないで欲しいな
アスナのぼんやりとした瞳が一瞬で鋭く細められる。それと同時に纏う空気が変わった。
「待って。話を聞いて欲しい」
アスナの瞳からは殺気が溢れ出している。話が見えない。緑色の犬? なんだ、それは。
「あれは、僕のレアスキル『無限の猟犬』。探査、偵察、捜査に特化したものなんだ。その……はやてが心配だったんだよ。内査が潜り込んでいると聞いていたしね」
内査……内部調査室か。なんとなく読めた。要するにアコース査察官のレアスキルを使って六課を監視していたということだろう。八神部隊長が心配なのはわかるが、あまりいい気分はしない。尤も、あたし達も似たような手を使って彼を監視してはいるが。
アスナの纏う空気が霧散していく。どうやら悪気はなかったと言うことは理解したらしい。アスナはアコース査察官の整った顔を見つめると、薄く笑った。……初対面の人間に対して珍しい。
「……どこのおにいちゃんも、心配性ですね」
アコース査察官は虚を疲れたように幾度か瞬きしたかと思うと、やがて子供のように笑った。
「なんや、楽しそうやな。私も混ぜてぇな。珍しいなぁ、ロッサともう仲良うなったんか」
「……このにーちゃんは、いいひとです」
アスナの言葉を聞いた八神部隊長は難しい顔をする。あぁ、いつものアレだ。
「それは……どうやろ。人は見かけによらん言うしな」
「どうしてそんなことを言うんだい? 折角、丸く収まったのに。……アスナちゃん、まず拳を下ろそうか」
アコース査察官に頼まれるまでもなく、六課にいる人間はこんな感じなのだ。アスナを六課へ勧誘する際に、八神部隊長がお兄さんへ語った言葉は、きっと。嘘ではないだろうから。何せ、あたし達を家族だと言う人なのだから。
「……マ、マ?」
「うん。ヴィヴィオの本当のママが見つかるまで。わたしが保護責任者で、フェイトちゃんが後見人。えぇっと、うん。二人共ヴィヴィオのママ。……どうかな」
ヴィヴィオは、その小さな手と腕を精一杯に伸ばし。縋りつくように。温もりを求めるように。高町なのはへ抱きつくと、声を上げて泣いた。それは、不自然かつ歪な関係なのかも知れない。だが、少なくとも。スバルの目に映った二人の姿は──── 母と、娘だった。
「やっぱ、そうかい」
「はい……いずれも、最新技術で作られた戦闘機人であると思われます」
「六課と情報の擦り合わせをする必要があるな……二人共頼まれてくれるかい?」
「了解しました」
白衣の女性が部隊長室から退出する。男は同じように退出しようとしていたもう一人の女性へと、声を掛けた。その音色には幾分、悪戯気な雰囲気が漂っている。
「ギンガ。あんまり喧嘩ふっかけるんじゃねぇぞ?」
「違いますっ、勝負です、勝負」
女性──── ギンガ・ナカジマは、いかにも心外だと言わんばかりに反論した。男はやれやれとばかりに苦笑する。
「まぁ、どっちでもいいけどよ。程々にな。アスナ坊は元気だったかい」
「相変わらず変でした」
「……そうかい、何よりだ」
男──── スバルとギンガの父親でもあり、陸上警備隊第108部隊の部隊長を務めるゲンヤ・ナカジマは、ギンガが退出するのを見届けると嘆息する。気怠げに椅子へ身を沈めると、年齢を感じさせる真白な髪が僅かに揺れた。デスクに飾ってある亡き妻の写真を見ながら、独りごちる。
「戦闘機人、か。……巡り合わせかね」
──── 二人を見守ってやってくれ
~Mother&Children or Family 了
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