渦巻く滄海 紅き空 【上】
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六十二 和解
前書き
捏造多数です。ご注意ください。
また、原作のイタチさんが好きな方には申し訳ないです。原作とは別人と捉えてくださるほうがよろしいかと思われます。
ご不満な点が多いでしょうが、なにとぞお付き合いお願い致します。
夢に見る前兆を夢の徴という。徴とは、ある事柄が原因となって生じた結果。
だがその夢は前兆でもなく、前触れでもなく。
かつての記憶―――あの夜の情景を再現している証に過ぎなかった。
正直、サスケは一族が滅んだあの夜の事をはっきり憶えていない。
優しい兄と共に過ごした日々と、あの夜以降の孤独な日常。その差は激しく、後者が夢なのではないかと現状を否定したくなる。だが皆が口々に語る、同族殺しのイタチという言葉を聞く度に、現実がサスケに重く圧し掛かる。
また、暫くは天涯孤独となった身を俄かには信じられなかった。
あの夜の記憶は断片的な情景としか残っていない。だからだろうか。混濁した記憶を補うように、ほぼ毎日のように夢を見る。だがその夢を以ってしても、どうしても思い出せないものがあった。
最後に見た、兄の顔。
今朝見た夢で現れた兄の顔はいつものように真っ黒だった。墨で塗り潰されたかの如き闇はサスケを復讐へと駆り立てる。
それが今、イタチの話を聞くうちに、まるで魚の鱗のように、ぽろぽろ剥れていったのだ。兄の顔が露になるにつれ、かつての幼い自分自身が夢同様脳裏で囁く。
〈かわってなんかいないんだよ〉
目を閉ざせば、夢の内容が鮮明に思い出される。決してこちらを見ようとしなかった、イタチがゆっくり振り返った。明らかになる、その全貌。
〈にいさんは…〉
瞼の裏で、満月を背に佇むイタチ。その顔に浮かべる表情は、サスケが今まで見た事もない顔だった。
〈にいさんのままなんだ〉
それは、涙一つ見せた事のない気丈な、兄の泣き顔だった。
「…くそ…ッ」
失われる生き甲斐。粉々に砕かれた野望。
それらが全て偽りだったという真実は、今のサスケを形作る世界を崩壊させた。
もっともサスケとてイタチの話をすぐに信じたわけではなかった。それでも心の奥底では兄を信じたいと思う節が常日頃あったのだ。同時に思い出したのは、失われた記憶。
最初に彼の胸中を占めたのは、がらんどうの空虚。今まで信じてきた、積み上げてきたモノがあっという間に瓦解する。放心した矢先に待っていたのは、兄を蔑ろにした里への憤り。
しかしながら、沸々と湧き上がる怒りを押し止めたのは、他でもないイタチ自身だった。
「サスケ。木ノ葉を憎むのはお門違いだ」
「…っ!何故だ!!」
己に課せられた罪を平然と受け止める。むしろ里を庇う兄の心情がサスケには理解出来なかった。
「木ノ葉が何をした!?国を想い、里の平和を望んで…結果、あんたの手元には何が残った!?」
「どんな国でもどんな里でも、必ず闇や矛盾を抱えている。その上で平和は成り立っているんだ」
「裏切り者の烙印を押されてもか!?汚名を被せ、不名誉を着せられてもか!?」
「そうだ」
「…っ、どうして恨まない!?こんな…、こんな理不尽な扱いを受けておきながら…ッ!」
「それは俺が木ノ葉に生まれた事を誇りに思うからだ」
淡々と語るイタチの口調は淀みない。反してサスケは変わらぬ押し問答が歯痒くて仕方が無かった。
何も知らずに兄を責めていた自身が腹立たしい。同様に、兄を罪人とした里が恨めしい。兄の苦悩も功績も知らず、のうのうと暮らしている里人が憎い。
弟の心中を推し量り、眉をひっそりと顰めたイタチが「それに」と続ける。
「里を恨む権利がお前にあるのか」
「里の無知な連中を裁くのに何の問題がある!?」
「……それをお前が言うのか」
イタチの眉間に深い皺が刻まれる。思わず後ずさったサスケを彼は低く抑えた声で、しかしきっぱりと非難した。
「では聞くが、お前も先ほどまでその一人ではなかったか」
「……ッ、」
サスケは反論出来ない。現に自身も世論の評価と同じく、イタチを罪人として見てきたのだから。
唇を噛み締める。俯いた弟をイタチはじっと見つめていた。やがてふっと苦笑する。
「…すまない。俺はお前にどうこう言える立場ではないのに…」
イタチの謝罪に、サスケは弾かれたように顔を上げた。兄の言葉の端々から弱さが感じ取られ、目を瞬かせる。
「俺はお前を生かす事で、お前を守ったと自負していた。独り残されたお前の気持ちを考えようとも思わなかった…」
イタチは、一族に拘る同胞を器が浅いと軽んじ、己の器はうちはには測れぬほど深いと矜持を抱いていた。それこそが自惚れだと、当時は気づかなかった。
木ノ葉の平和を想い、うちは一族の粛清を選んだ。戦争を回避する為の正義だと、己に言い聞かせた。
だがサスケは、里の平和と引き換えに、父を母を、家族を失ったのだ。同時に思い描いていた兄との未来をも。
里と一族を天秤に掛けられたイタチはあの夜間際まで迷っていた。混迷した心境の中、微かに過ったのは弟のあどけない一言。
『兄さんと一緒に、俺も木ノ葉の里を守るんだ!!』
イタチはその夢に縋りついた。弟の言葉を鵜呑みにしてしまった。
サスケは勿論、うちは一族を含めての木ノ葉を守りたかったのだろう。それを理解していながらも、イタチはその一つの単語に、里という一語に、後押しされた。そうする事で己の行為を正当化したかった。
情けないとも、ズルイ人間だとも十分に理解している。それでも彼は弟の夢を掲げる事で救われたかった。己がこれから起こす惨劇を正義という名の許で許されたかった。
「……今となっては…」
突如独り言のように呟いたイタチが空を仰ぐ。暫し瞳を閉ざして、次にサスケへ顔を向けた時には、自嘲染みた笑みが口許に浮かんでいた。
「今となっては思うよ。サスケ…お前に言っておけばよかったと…。お前なら父を母を…うちはを変える事が出来たかもしれない…」
サスケは驚いて目を見張った。あの完全無欠の兄が弱音を吐くなど信じられなかった。こんな自虐的な態度をとるなどとは思わなかった。
全てを手にし、何でも成せる。己にとって理想的な、完璧な存在。サスケにとってイタチはいつだって英雄だったのだ。
だからこそ目を疑う。今目の前にいるのは、本当にあの、強くて優しくて頼りになる、サスケの自慢の兄なのかと。
「俺はいつもお前を子ども扱いしていた。守るべき対象としか見ていなかった。お前を…信用していなかった」
そこでイタチは口を噤んだ。静かに瞳を閉ざしているナルトに視線を向ける。
サスケは忍びなのだとイタチに気づかせた張本人。彼を一端視界に捉えてから、イタチは改めてサスケを見た。
「俺は何事も全部己の手で成そうとした。全てを手に入れたつもりで、自分の思い通りに信念を貫こうとした。だがそれは結局、ただの盲信だ。何でも成せると完璧を装っていただけだったんだ…」
「……あんたはいつも完璧だったじゃないか!」
サスケが思わず漏らした一言に、イタチは軽く頭を振った。俯き様に呟く。
「俺を完璧だったなんて言ってくれるな」
その声音は酷く切なく、そして哀しげな響きがあった。
「力を手にした者は己の力を慢心し、自惚れる。孤立し、傲慢になる。それと同時に、決して失敗を認めようとしない。誤ちを犯しても自分に嘘をつき、誤魔化して…。そうするうちに他人を信用しなくなっていく…」
淡々と並べる口調はどこか他人事のようでいて。それでいて己を責めているかのような風情のイタチをサスケは戸惑いながらも見上げた。
「俺は俺自身に嘘をつき、皆に嘘をつき、お前に嘘をつき続けた。そしてこれからも嘘をつき続ける。………だが今俺は、お前に会った。会ってしまった」
そこで言葉を切る。一時の沈黙の後、イタチは顔を上げた。逡巡の色を浮かべた瞳がゆらゆらと揺れている。唇を歪め、彼は口許に自嘲的な笑みを浮かべた。
「やはり俺は……罪人として死ぬべきだった。裏切り者としてお前に殺されるべきだった」
「違う!!」
叫ぶ。
その言葉を真っ先に否定し、サスケはキッと兄を睨み据えた。
「俺はそんなもの望んでいない!俺はあんたが……兄さんが、」
言葉が詰まる。続けようとするが、次に話す言葉が見つからない。上手く言えずにいるサスケに対し、イタチは久方ぶりに聞いた「兄さん」という呼称に驚いていた。
イタチは嘘をつき通す事で、己の信念を貫くつもりだった。偽りの自分を演じ続ける事が木ノ葉の平和に繋がると考えていた。どんなに汚名を着せられようと、どれほどの罪を課せられようと。忍びとは耐え忍ぶものであり、陰から平和を支える自己犠牲こそが美徳だと信じてやまなかった。
だから今、サスケに真実を語った事を彼は少なからず後悔していた。やはりこのまま偽り続ける事が弟の幸せになるのではないかと。最期まで嘘吐きのまま独り死んでゆく事が最善だったのではないかと。
しかしながら当の本人はイタチの考えを一刀両断した。
「俺は…真実を語ってくれて嬉しかった!兄さんが俺の事を想って、考えてくれていた事が!兄さんが昔の……兄さんのままだった事が嬉しかった!!」
自分でも何を言っているのかわからない。それでもサスケは叫ぶのを止めなかった。止められなかった。
「だけど、俺は……っ!兄さんの思い通りにはならない!俺は…俺は自分の意志で、」
次第に小さくなってゆく叫び声を、イタチは静かに聞いていた。連呼される兄さんという一語に擽ったくなるのと同時に、弟の成長に感銘を受ける。
再び言葉に詰まってしまったサスケは、直後挑むようにイタチを見据えた。
「兄さんが認めてくれるような、忍びになる…っ!!」
イタチの瞳が大きくなる。ややあって彼は眩しげに目を細めた。
嘘で塗り固めた偽りの世界を、独り、歩く。
自身の行為に、迷いがあったのは確かだった。駆け抜けた己の道程を何度も振り返ろうとした。何が正しくて何が間違っているのか、判断出来ぬ事もあった。
嘘と偽りを纏い、ただひたすら信念を貫こうとする様は正に模範的な忍び。
それでも彼は忍びである前に、兄であった。唯一無二の弟を想う、心優しき兄だった。
「お前の越えるべき壁として、俺はお前と共に在り続ける。そしていつか…俺を越えてみせろ」
だからこそイタチは応えた。内心では既に認めていようとも、兄として、彼はサスケの前に立ちはだかる壁として佇む事を選んだ。
「その瞬間、俺はお前を立派な忍びだと認めよう」
「必ず、なってみせるよ…兄さんと対等の立場に」
同様にサスケもまた、復讐の道ではなく、共に歩み続ける道を望んだのだった。
嘘と偽りを纏い、本心さえも包み隠す孤独な鞘と復讐の炎に燃える抜き身の刀。仲違いした兄弟はこの時ようやく旧の鞘へ収まった。
「み~つけた!」
突如降ってきた無邪気な声。
再不斬と鬼鮫の戦闘に押し入った不届き者は、悪びれもせずに、にやりと笑った。
「やっぱ、再不斬先輩だ!お、鬼鮫先輩も!『霧の忍刀七人衆』の二人と会えるなんて光栄だなぁ!!」
以前、自来也と一触即発時、再不斬の前に現れた少年。生意気にも己の愛刀『首切り包丁』を狙ってきた輩が、戦闘の最中のこのこやって来たのである。
「……おい、こら…」
自分に優勢だった闘いに水をさされ、再不斬は青筋を立てた。
再不斬の地を這うような低い声と憤怒の形相を見て、己の失態に気づいた水月が冷や汗を掻く。反して、水月の出現により窮地を脱した鬼鮫は、逆に口角を吊り上げた。
「興が削がれましたねぇ…。この続きはまた後日、ということで…」
「あ!待て、てめえ…っ!!」
罵声を振り切って、鬼鮫は身を翻した。瞬時に印を結ぶ。追い駆けようとする再不斬の顔面目掛け、水鮫が口を開いて襲い掛かった。
それを首切り包丁で一蹴する。水飛沫が跳ねる最中、急ぎ再不斬は目を凝らした。鬼鮫の姿を探す。
しかしながら既に其処には、相手の足を拘束していた包帯しか残っていなかった。
ゆらゆらと水と戯れる帯を拾い上げる。
込めていたチャクラは既に尽くしたのだろう。ただの物言わぬ包帯と化したそれを、再不斬は握り締めた。鬼鮫が立ち去った方向を睨みつける。
台無しだ。何もかもが。
普段何も考えず単騎敵陣に乗り込むような自分が珍しく策を練ったのに、無駄に終わった。
鬼鮫の愛刀『鮫肌』の気を逸らす為に、ナルトに頼んでチャクラを包帯に込めてもらったというのに、それすらも水の泡。
後一歩というところまで追い詰めた。それなのに…。
再不斬は素早く視線を走らせた。逃げようとしていた水月を視界に捉える。
「ぶっ殺す!!」
叫ぶや否や、再不斬の全身から殺気が一気に迸った。その濃厚な殺意にあてられたのか、水面下を泳いでいた魚が一斉に気絶する。すぐさま逃走しようとしていた水月でさえも、再不斬の凄まじい殺気に身体が硬直してしまった。
身が竦んで動けぬ水月を再不斬は冷やかな眼で見下ろす。その剣呑な瞳が、対戦者を取り逃がした罪を償えと告げていた。
気を失い、ぷかりと浮かび上がった魚を踏み越える。目の前まで近づくと、少年がひゅっと息を呑んだ。怯えを見せる水月を、再不斬はただ冷酷に見つめる。
そのまま激情のままに首切り包丁を振り被り……―――――――。
瞬間、心臓が止まるほどの冷たき視線が再不斬を射抜いた。
止める。勢いを削がれた首切り包丁は、水月の首の皮一枚で押し止まった。
ギリギリで間に合った事に内心ほっと息をつく。顔を上げると、自身より遙かに強い視線の持ち主と目が合った。
青い双眸。
橋上で佇むナルトの姿を目にした途端、再不斬は頭に上った血がゆっくり下降してゆくのがわかった。落ち着きを取り戻した彼は、自身を咎めるような目で見てくるナルトに肩を竦めてみせる。冷や汗が背中を伝ってゆくのを感じた。
互いの視線が一瞬絡み合う。
やがて興味を失ったかのように顔を逸らしたナルトの所作を見送ってから、ようやく再不斬は水月の首元から刃物を離した。
白い首筋に流れる一筋の血を何の感慨もなく一瞥する。
「…さぁて」
寸前まで生命の危機に陥っていた水月が再不斬の声にビクリと身を震わせた。ゆるゆると顔を上げる。
獰猛な獣が獲物を狩る際に垣間見せる瞳。正しくその瞳と同じ色を湛えて、再不斬は眼を細めた。
「今度は逃がしゃしねえよ」
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