失われし記憶、追憶の日々【精霊使いの剣舞編】
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第二十話「壮絶料理対決 前編」
前書き
今回のエストはいい具合に仕上がったと思います。
では、お楽しみください!
アレイシア精霊学院の学生寮には各部屋にキッチンと食材が用意されている。
料理を作るというのは精霊に奉納する〈剣舞〉と同じくらい重要であり、修行の一環として自炊する生徒が少なくないからだ。
しかしその反面、多くの生徒は修行としてではなく乙女として料理の一つや二つ作れなければならないという、ある種の強迫観念にも似た考えが流行しているらしい。
貴族の令嬢とはいえ女として最低限のことは出来なくてはならないという、前学園長の思想が元だとか。
料理対決はあっという間に開催された。
制限時間は一時間。参加者はクレア、フィア、エストの三名。
審査員は人間代表の俺、そして精霊代表のスカーレットの一名と一匹だ。
最初に動いたのはクレアだった。
食材が詰められている冷蔵庫――ではなく、キッチンの下に備え付けられている収納スペースから缶詰をいくつか取り出した。
「ふんふんふ~ん♪ ツナ缶にサバ缶にー、奮発してカニミソ缶も開けちゃうわ。あっ、肝心の桃缶も忘れちゃダメね」
もうこの時点でなにを作る気なのか皆目見当がつかない。
とりあえずあるもの全部入れちゃえばいいやみたいなノリでお皿に盛るのはやめてほしい。缶詰の中身をそのまま皿に盛っているだけだから食べられないことはないだろうが。
「フルーツは切った方がいいわよね。その方が食べやすいだろうし。……月刊メロメロのバニラ先生も言ってたわ。料理に大切なのはおもてなしだって!」
その気配りは嬉しいが、普段料理しないクレアが果たして包丁を扱うことが出来るだろうか?
邪魔にならないように眺めるだけだったが、流石に不安になってきたため声をかけた。
「包丁の扱いには気をつけろ。指切らないようにな」
「大丈夫よ。いつもリシャルトが作ってるところ見てるもの」
「だとしても、見るのと行動に移すのとはまったく違うものだからな。……それにしても、いつの間に見てたんだ?」
「……っ! ば、馬鹿じゃないの! 一瞬よ一瞬っ! そんなジッとなんて見てないわ! そんな意味じゃ――」
「うぉぉおお!?」
顔を真っ赤にして勢いよく振り回した包丁がクレアの手から離れ、一直線に顔面に向かってきた。目先一センチのところで白羽取りできたから良いものの、危うく永遠に左目の光を失うところだったぞ!
「あ、危ないだろ! 包丁の扱いには気をつけろ!」
「ふ、ふん! リシャルトが変なこと言うからよ!」
赤くなった顔を隠すようにそっぽを向くクレア。
まあ、いつものことかと溜め息とともに気持ちを切り替えた。
「それで、なにを作るんだ?」
「シーフードカレーよ。得意料理なの」
驚愕のワードがクレアの口から飛び出る。
「シー、フード……カレー……だと?」
市販のルーを溶かし、よく煮えたところで皿に盛りつけた食材を一気に投入する。
「ん~、これだと辛すぎるかな。そうだ! チョコ入れたら甘くなるわよね!」
ドバドバー。
なにを考えたのか、大量に板チョコを入れるクレア。
「隠し味にサバ味噌缶も入れてっと……」
美味しくなーれ、と可愛いことを呟きながら鍋をかき回す。鍋からは美味しくなさそうな異臭を放ちボコボコと嫌な音を立てている。
前世で師匠と食べた闇鍋を彷彿させるカレーだ……。
(ここは指摘するべきか? ……いや、曲がりなりにも女子がわざわざ作ってくれているんだ。それを駄目出しすべきではないか)
これは覚悟を決める必要がありそうだな……。まあ、大丈夫。死にはしないだろう。……たぶん。
気を取り直して今度はフィアのところに向かう。
水色のエプロンをつけたフィアはリズムよくニンジンを刻んでいた。慣れているだけ流石に手際が良い。
「なにを作っているんだ?」
「オルデシア王家特製、ビーフシチューよ」
「ビーフシチューか。自信ありそうだな」
「もちろんよ。〈神議院〉にいた頃は月に一度、高位の精霊に料理の御膳を奉納する儀式があったけど、みんな私の御膳に満足して元素精霊界に帰って行ったわ」
「ほう、それは期待できそうだな」
精霊に奉納する料理は味より見た目を重視するため、人間の食べる料理とは若干異なるだろう。だが、過去に数回彼女の手料理を食したことがあるからその辺りの心配はない。
徐に取り出した瓶の中身を豪快に投入するフィア。
赤い粉末と覚えのある匂いに頬が少し引き攣った。
「今のは何を入れたんだ?」
「唐辛子よ。隠し味に丁度いいの」
「……ほう、唐辛子……それも一瓶、か」
見れば鍋のスープは真っ赤に染まっている。
――隠し味って、一般的にこういう使い方をしたか……?
「……大丈夫なのか?」
「――? 平気よ。ほら、綺麗な色をしているじゃない」
確かに、綺麗な緋色ですね。
不安が募るばかりの俺を置いてきぼりにし、マイペースに調理を進める。
トントンとリズミカルな音を耳にしながら、まな板に視線を落とす彼女の横顔を眺めた。
切れ長の鋭い目に雪のように白い肌。
調理の邪魔にならないように結い上げた漆黒の髪。覗く白いうなじはなんとも言えない色っぽさを醸し出している。
一年前にはなかった大人びた横顔に心臓が強く胸を叩いた。
(――って、おいおい何を考えているんだ俺は)
女性慣れしていない自分の単純さに苦笑する。これではちょっと甘い言葉をささやかれただけで舞い上がる思春期男子ではないか。
(いや、まさに思春期真っ只中だったな……)
そんな風にフィアを眺めていると。
「あの、リシャルト君? そうやって視姦されると落ち着かないんだけど」
フィアがちょっと困ったような表情を浮かべていた。
「女の子が視姦なんて言うな」
「あら、頭の中で凋落した王女をめちゃくちゃにしたいとか、裸エプロンが見たいとか、奴隷のように調教したいと思うのはリシャルト君の勝手だけど、まだ私たちには早すぎると思うの」
「お前は俺をなんだと思っているんだ……」
「煩悩を抱えた男の子でしょ? 男の子だから仕方ないと思うけど……そうね、正直妄想とはいえ欲望の赴くままに使われるのは気持ちのいいものではないわね」
「……一度、じっくり語り合う必要があるみたいだな」
我が家に招待してじっくり夜を明かして語り合わねば。フフフフ……説教フルコースは何年振りだろうか。
暗い笑い声を胸中で漏らす俺に構わず、フィアは自信満々の顔で言う。
「あら、精霊王に仕える〈神議院〉の姫巫女をあまり甘く見ないでもらいたいわね。その気になればリシャルト君の考えていることなんてお見通しなんだから」
「ほう、なら今何を考えているか当ててもらおうか」
いいわよ、とフィアは俺の額に手を当てた。
ひんやりとして気持ちいい。
「……え? やだ、裸メイドだなんて、そんなはしたない……」
「はしたないのはお前の頭だ!」
ぺちんと頭をひっぱたく。
というか、裸メイドってなんだ!? カチューシャだけつけたメイドか? そんな発想を生み出すお前の頭が余程はしたないわっ!
ちなみに考えていたことは『辛いものは苦手なんだが』である。
「リシャルト。お肉の焼き加減はミディアムがいい? それともウェルダン?」
「どちらかというとレアかな――って、おい」
振り返ると掌に火球を浮かべたクレアの姿が。
にっこり笑顔なのに悪寒を感じる。
「あ、あんたってば……最低。裸エプロン、最低!」
「おい落ち着けクレア。それは人に向けるものじゃないぞ? そして裸エプロンは俺じゃない」
「あんたなんか……不埒な妄想ごとお星さまになっちゃえばいいんだー!」
――ああ……故郷の妹よ。よく覚えておけ。これが、理不尽だ。
朗らかな笑みを浮かべながら迫りくる火球を迎え入れた。
† † †
魔力障壁を展開して難を逃れた俺は、キシャーとフィアを威嚇するクレアを宥めた。
心労を感じながらも今度はエストの元に向かう。
「ようこそ、リシャルト。エストのお料理空間へ」
「いきなり何を言ってるんだ?」
「……」
「口を菱形にしない」
最近、我が契約精霊は情緒豊かになってきているようだ。時たまこのように冗談も口にする。
「冗談はさておき、エストが最後なんですね」
「それは見学の順番か? まあ他意はないんだが――」
「エストが最後なんですね」
……どこか不満げの様子。こういうときは頭を撫でると機嫌が直るんだ。
口を菱形にして無言で抗議するエストの頭を優しく撫でる。
「ふぁ、リシャルト……」
「機嫌を直せ。本当に他意はないんだ。……ところで、エストって料理できたのか?」
まな板の上には鯛のような魚がある。包丁を片手に今にも捌こうとしていたのだろう。
「もちろんです。前契約者から料理の『さしすせそ』を教わりました。これでも美味しいと言われていたんですよ?」
「へぇ、それは初耳だな。今度、エストが契約していた人の話を聞かしてくれないか?」
「はい……必ず」
エストは一瞬遠い目になるが、すぐに気を取り直した。
「それで、何を作るんだ?」
「はい。東方伝統のお料理――オサシミです」
まさかの刺身がきましたか。
日本発祥の伝統料理の一つ。生魚に醤油という調味料をつけて食べるという発想は斬新で、瞬く間に海外でも広く知られるようになった料理だ。
俺も前世で師匠に食べさせてもらったことがある。
あの時はマグロの切り身だったが、すごく美味だったのを覚えている。特にうわさに聞いていたスシは最高だった。
しかし、そうか。エストがサシミを……。これは楽しみだな。
サシミなら一口サイズに切り分ければいいだけだから、見栄えはともかく味の方は問題ないはずだ。変なことをしなければ……。
「ですが、リシャルト。困った事態が発生しました」
表情を変えずに困ったというエスト。
「どうした?」
「お魚さんがこっちを見ています」
それは、あれか? 斬れないと?
確かにまな板に置かれた鯖らしき魚はエストの方を見つめている――ように見えなくもない。
錯覚なのは分かっているが、何か訴えかけているように思えなくもない。
「……困りました。これではオサシミが作れません」
まさかエストがここまで可愛い子だったとは。いや、原作知識で可愛いというのは識っていたけれども。
しかし、実際に目の当たりにすると何とも言えない感情が込み上げてくる。日本で言うところの『萌え』に近しいものだ。
ふと、本棚にある料理本が目に入った。料理を作らないクレアの部屋になぜこれがあるのかは不思議だが、今はエストの助けになるだろう。
「これに色々な料理が載ってるから参考にしてみたらどうだ?」
「……乙女の料理レシピ一○○? わかりました、参考にさせてもらいます」
「ああ」
「――色々な料理があるんですね……これは東方の料理ですか。オサシミと同じ東方伝来のものなのですね…………肉じゃが? お嫁さんに振る舞ってほしい料理ナンバー一……」
真剣に本を読み始める。エストの邪魔にならないように早々に立ち去った。
後書き
今更ながら気が付きました。主人公の前世、外人は無理があると……。
まことに勝手ながら前世を日本人に修正します。それに関連するものも随時修正していきますので、お願いします。
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