ソードアート・オンライン ~無刀の冒険者~
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番外編
再開のダイシー・カフェ
前書き
お気に入り登録数が、何時の間にやら500人という数に達しておりました。
たくさんの方々にご愛読いただき、本当にありがとうございます。
うれしくなってしまいましたので、ちょっと短編を投稿したしますね。
本編マザーズロザリオ編終了後、少ししてからのお話になります。
それは、カラリとよく晴れた日だった。
「はぁ……」
イラつくくらいに青々とした空を仰ぎ見ながら、俺は深々と一つ溜め息をつく。
別にその行為にさしたる理由はない。
今日もまた、何不自由ない一日だ。牡丹さんの作った栄養管理食を食わされ(もういい加減に体重も体調もあの春先の悲惨な状態からある程度は回復しているのだが……)、仕事でとあるVRMMO(全く、フリーライターってのも忙しい仕事だ)にダイブし、その原稿を書きあげているという、それなりに忙しく、それなりに楽しい一日。溜め息をつく要素など何もない。ない、はず。
(……はず、なんだけどなぁ……)
それでも、文字を打ち込みながら眉間に皺が寄るのが自覚できる。無理やりにでもあえて理由をあげるならば、それはやはり空がいやに晴れているせいだろう。どちらかといえば曇り空や夜が好きな俺としては、この煌々と照りつける太陽はどうにもつらい。日に日に長くなる昼間は、ひと月前はもう日暮れ時だったような今の時間までも浸食している。
喫茶店の中なので外の日差しを直接感じる訳ではないが、窓越しに見るだけでなんとなく暑苦しい様な、騒がしい様な、妙な気分になる。そのせいか、キーボードを打つ手も、やけに滞る。別の世界で例えるなら、まるでチビソラ達に邪魔されてるみたいだ。
(…そろそろ帰るか……)
原稿が一段落したところで、心の中で呟く。
気付けば既に喫茶店にコーヒーだけで三時間以上居座っている。
勿論この『ダイシー・カフェ』の店主とはその程度のことを気にするような間柄では無い。無い、のだが、流石に喫茶店兼バーのような位置づけであるこの店の掻き入れ時である夕食時まで一人で四人掛けテーブル席を占領するのも申し訳ない。
(お……)
カラン、といい音をさせて店のドアが開き、高校生くらいと見える少女が二人入ってくる。それを見ると同時に、俺は仕事用の端末を鞄に閉まって立ち上がった。この狭い店にテーブルは二つ。一つは空けておくほうがいいだろう。
「……ごちそうさま」
サングラスをかけて、いつもどおりに代金をテーブルに置いて低く一言告げる。それだけで十分なくらいには、この店はいきつけだ。そしていつもなら店主はそれに対しても無愛想でビジネスライクな返答を返す……のが、普通なのだが。
「毎度あり、……『シド』」
「……?」
見事な禿頭の黒人店主が、滑らかなバリトンで告げるセリフは、いつものそれにはないはずの俺の「名前」が後ろについていた。予想を裏切ったセリフに、俺の体が一瞬止まる。
その瞬間。
「……っ!?」
「シド?」
「シド、さん?」
テーブルに座ろうとしていた二人の女学生の訝しげな視線が、俺のサングラス越しの目線と交錯し、
「……っっ!!?」
俺は思わず目を見開いた。
◆
ソードアート・オンライン。
それはあらゆる意味で例外的なゲームであり、ほかの一般的なMMORPGと違う点を挙げようと思えばそれこそキリがない。その数ある特色の中の一つを上げるならそこには、「アバターと実プレイヤーの顔や体格が同じ」というものがあげられるだろう。
それは要するに金やツテでド派手な外見を手に入れることが不可能であり、過半数が日本人という状況の中で身長180オーバーのド金髪なガイジン野郎が目立たないようにするのも難しいということを意味する。ついでに言えば、道を歩けば振り返るような美人さんはゲームの中でも美人さんのままだということだ。
そんでもって。
外見が同じなのであればそれは、「現実世界でばったり会う」ことも、有り得なくはないのだ。
◆
ほんの数秒の硬直のあと、じろりと店主……エギルを見やる。
ダイシー・カフェの店主であり、俺とは比喩ではなく生死を共にしたこともある戦友でもある男、エギル…本名は確か、アンドリュー・ギルバート・ミルズ、だったか。うろ覚えなのは、俺は彼の本名を呼ぶことが無いからだ。そして『エギル』というその親しみ深いその名も、それがかの呪われたタイトルである「ソードアート・オンライン」で少なくないプレイヤーに知られた名前であるために俺は殆ど使わないことにしている。結果俺はエギルをただ「店主」とだけ呼ぶことが多い。そしてそれと似たような理由で(か、どうかは知らないが)エギルも俺の名を呼ぶことは無い。
だが今、エギルは俺を『シド』と呼んだ。これ見よがしに。
なぜ? 聞くまでもなかった。……というか、嫌が応にも思い知らされた。
「…シド、さん?」
「って、あの、シド?」
理由が俺の腕を掴んでやがるから。テーブルの横を通り過ぎようとしていた俺の体が、エギルの呼びかけで止まった。その時を逃がさずにテーブルから伸びた一本の細い腕が、俺の手首をしっかりと握りしめているから。
(おいおい……)
俺が見開いた目を恨みの色に変えると、視線の端でエギルがにやりと笑う。
(こいつ……知ってやがったな……)
今日、この二人が学校帰りにこの店に来ることを。俺がこの二人……正確にはとある男を含む彼女ら周辺の友人関係を避け続けていることを、知らないわけじゃあなかろうに。
(……それにしても、ね……)
咄嗟にこの状況で、店主としても友人としてもおかしくない態度をとりつつ俺の正体を暴露しやがるとは、流石は商売人、言葉の使い方にはそれなりに心得があるのか。そして、その一言に驚異的な勢いで反応したこの二人も、只者ではない。
まあ、俺の知るこの二人なら、それくらいは出来るだろうが。
(あーあ、また帰りが遅くなるな……)
俺はこれから始まるであろう途方も無く長く面倒な会話に思いを馳せて、深々と溜め息をついた。
◆
シド。
その名前は言うまでもなくリズベットにとって特別な意味を持つ名前だった。それは、キリトやアスナ、エギルといった仲間たちと同じ重みをもち、……更に言えば、彼らよりも暗くのしかかる影を宿したプレイヤー名。
職人クラスであった自分は、本当の意味でのSAOの地獄を知ってはいないのだと、リズベットは自覚している。事実、自分の目の前で同じプレイヤーが、仲間が、恋人が死んでいく姿を直接目にするという機会は、あのデスゲームの中でも無かったのだ。しかしそんなリズベットでさえも、時折あの世界のことを悪夢に見る。あの呪われたゲームは、キリトやアスナといったかけがえのない友人を得させてくれたのと同時に、幾人ものプレイヤーの命を奪っていった。
……彼女の、「親友」の一人も。
一度、『彼女』が夢に出た朝、リズベットはぼろぼろと泣きながら目を覚ました。眠ったまま零れ落ちた涙は枕のカバーをぐっしょりと濡らし、起きてなお止まることのない滴は寝間着の襟元までを湿らせるほどに流れ続けた。
それと同時に、シドのことを思った。
忘れたことなんてなかったが、強く強く思い描いた。
自分と同じ…いや、それ以上に深い悲しみを抱いたであろう、『彼女』の最愛の夫。
その名を最後に聞いたのは、デスゲーム最後の日の精鋭三十二名の討伐隊の名簿…キリトやアスナの話では多数の死者がでたと聞くその決戦に赴いた一人としてだった。
多大な死者が出たと聞くあの決戦を、彼は生き抜けたのか。
それ以前に、彼は『彼女』の死を受け止めることが出来たのか。
(…アイツ…今、どうしてるかな…)
その、確かめようのない不安と辛さを、リズはずっと抱えてきた。
だが今日、この日。
―――ダイシー・カフェに行こう。会わせたい人がいるんだ。
「毎度あり、『シド』」
キリトのお誘いで向かった、もうリズベットにとっても行きつけの店となったダイシー・カフェ。その、いい意味でSAOに戻ったような錯覚をもたらす店内で、懐かしくて、けれどチクリとした痛みを彼女の胸に宿し続けたその名を、彼女は再び耳にした。
◆
『どうしたのかな、御嬢さんがた?』
咄嗟に逃げに走ってしまうのは、SAO時代からずっと変わらない俺の癖だ。知らない輩に声をかけられた際に最も有効な「英語で話しかける」という対応で腕を掴んできた少女を迎撃する。俺の金髪碧眼、ゲルマン系の外国人顔のを生かした特技。
もっとも、彼女らのことを俺はよく知っている。
だが、向こうは俺のことを(少なくとも外見は)知らないはず。
しかしそんな俺の対応に、
『英語がお上手なんですね。でも、日本語も喋れるのでしょう?』
手を掴んできた方とは別の、ロングヘアーの少女……アスナが英語で対応してきやがった。あの世界でいた頃から頭はいいと思っていたが、どうやら勉強のほうも英語が咄嗟に喋れるくらいにはできるらしい。あのSAO世界と同じ……いや少し成長した、美少女をそのまま描いたような顔ににっこりとした笑みを浮かべて、美人特有の迫力で俺を見据える。
うん、怒ってるな。
流行のジャパニーズでいうなら、「おこ」だな。
そして。
「あ、ア・ン・タね~!? ふざけてんじゃないわよ!!!」
もう一方……リズベットのほうはもっと直接的に感情爆発、激おこプンプン丸もかくやという勢いで叫んできやがった。SAO時代のベビーピンクのショートヘアでこそないものの、その顔は紛れもなく『彼女』行きつけの鍛冶屋の店主のものだ。顔にみるみる赤みが差し、その目が湿り気を帯び、掴まれた腕に力が籠り、
(あ、やべっ)
と思った直後、パンっ、という小気味のいい音。
直後に走る、頬に軽い痛み。
「バカッ!!!」
同時に、涙交じりの声が店内に響く。
(ああ、懐かしいな……)
そういえばリズベットとは、初対面もこうだったな。訳も分からず胸元引っ掴まれて引っ張り上げられ、そのまま頬を引っ叩かれたんだった。覚えてはいるが、それをもう随分昔のことのように感じることに、自分のことながら苦笑が漏れる。
「い、生きてるなら生きてるってっ、そ、それにっ、コンバートにも名前は無いしっ!!!」
「いや、連絡のとりようがないだろそれは…」
「必死に探した『シド』ってプレイヤーはっ、外見違うしっ、」
「ああ、あれサブアカでな……」
「あーっ! もーっ! なんなのよアンタはーっ!」
「ちょ、ちょっとリズっ!」
再びビンタしようと動いたリズの手を、アスナが慌てて抑える……が、苦笑交じりのその表情はどうにも真剣味に欠けている。そもそも本気で止めようと思っているなら最初の一発から止めてくれていただろうに。まあ、仕方ないか。『彼女』の親友でもあったリズベットに対して一言も連絡を取ろうとしなかったどころか、逃げ回っていたのだ。怒られて殴られるくらいされても文句は言えない。
だが、救いは意外なところから現れた。
「そのへんにしといてやれよ、リズ。俺も一発だったからさ」
やれやれと思って顔をしかめた俺に、後ろの入り口から声が響いたのだ。どことなく希薄な空気……SAO生還者独特の気配を纏った少年。言うまでも無くこの場のセッティングに一枚噛んでいただろう男、キリトだ。ゲーム内で見慣れた黒服とは違う、SAO事件の生徒の通っているウワサの学校の学生服を着た姿だが、その独特の雰囲気はそのままだ。
「エギル、忙しくなる直前に悪いな」
「別に構わんさ。四人ならテーブル一つで済むしな。注文は?」
にやりと笑いながらエギルに「いつもの」と言ったキリトが、じろりとこちらを見る。
その口元に浮かんだ笑みが「ざまあみろ」の意味を多分に含むのは、俺にははっきり伝わった。
(んにゃろ……)
あいつが例の「マザーズロザリオ」の件で俺から一発ぶん殴られるのが仕方ないと分かっていたように、リズベットに対しては俺は一発ぶん殴られても仕方ないと分かっている。それを利用しやがったわけだ。
……随分手の込んだ仕返しだな、キリト。覚えてやがれ。
「参ったね…」
俺は苦笑する。声が漏れてしまうほどの、ガチの苦笑だ。
「まあ、そういうことだよ、シド」
「私は、ずっと会いたかったですよ、シドさん。本当に、久しぶりですね……」
「いつか会うなら、今日でもいいだろう?」
それを見て、キリトの笑いの質が変わる。アスナの困ったような苦笑も、目を細めた微笑に変わる。カウンターを見やれば、エギルも笑っていた。
「……全くっ……心配したんだからねっ……!」
リズベットも、泣きながら怒りながらも、その心が笑っていることが、俺には分かった。
「……やれやれ、だな……」
諦めて腕を引き摺られるままにテーブルについて、そのまま注文を出す。
今日はまた、長くて賑やかな夕方になりそうだった。
ふと見やると、窓の外の日は傾き始めて、世界は赤く色付き始めていた。
だが空には色付く雲すらなく、俺の苦手な快晴のまま。だが。
(まあそれも、たまには悪くない、かもな……)
苦手と思っていた、晴れ渡る空。 けれどもそんな空も、付き合ってみれば悪くないかもしれないものなのかもしれない。きっと自分はこれからも、そういった食わず嫌いを知っていくのだろう。そしていつかは、自分の苦手な賑やかさも、嫌いな言葉も役割も、案外悪くないと言えるようになるのかもしれない。
ただ旧友と会っただけで大袈裟かもしれないが、そんなことをふと思った。
空は相変わらず、カラリとよく晴れたものだった。
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