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真・恋姫†無双~現代若人の歩み、佇み~

作者:Duegion
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第三章:蒼天は黄巾を平らげること その4



 天幕の下の切れ目より、僅かに日の出前の太陽の光が差し込む。その眩さに目を細めながらのっそりと、仁ノ助は起き上がった。何の衣類も着けられておらず、薄い布団がその逞しき体を隠すのみであった。
 仁ノ助は小さく欠伸を漏らしながら、隣で気持ちよさ気に眠る女性を見る。この女性が昨晩から数刻に渡って、自分の体に組み伏せられて快楽のために喘いでいた事が記憶に新しい。最後に男を受け入れてから数年は経っていると言う彼女の体は、彼の欲望を受け入れたときに違和感を感じるほどであった。しかし人生で初めて味わう女性の躰に自制が利かなくなった彼は、獣欲と本能が滾るままに彼女を強引に攻め立てた。
 瑞々しさを未だ失くさぬ女性の躰は久方ぶりの雄の臭いで火照り、情交の滴りをさらに妖艶なものとし、彼の攻めをより激しくするよう触発した。よく見ると、情事の残滓が彼女の美しい裸体に付着しており、饐えたような匂いを放ちながら乾いていた。発情しきった雌として雄をいきり立たせたこの女性、孫堅はその行為の最中、ずっと自らの名前を呼んでいた事が思い起こされる。その魅惑的な声色を聞けば、男であればそそられるものを感じずにはいられなかった。

(それにしても・・・ダルいなぁ)

 どうにも身体の節々に凝りのようなものを感じてしまう。寝違えた訳では無い。ただ単に、昨晩は頑張り過ぎただけであった。
 自分のだらしなさに呆れるようなものを覚えながら、仁ノ助は改めて孫堅を見詰めた。記憶に残る現代的な知識によれば、彼女はこれから皇甫嵩軍と別れて、別方面へと向かう筈であった。何処に向かうかについてはわざわざ記憶を頼らずとも、直近の周辺地域の情勢から推測できる。

(確か・・・宛っていう場所だっけ)

 史実では、この後孫堅は宛城攻略戦に参加し、これの落城に大きく貢献する事となる。包囲戦から一転し、一気呵成の攻撃を行うのである。後に知る由となるが、この攻勢は大勝利によって飾られる事となった。
 敵の大将である趙弘は包囲戦の初戦にて斬り捨てられてしまい、新たに韓忠が将軍となって篭城した。これに対して官軍はニ正面作戦を敢行、一方の部隊によて賊の注意を引き寄せ、もう一方に精鋭を集めて一気に城内に突撃する戦術を取ろうとする。補給線遮断・包囲戦の構えで、逃げた賊も徹底的に叩き潰さんとしたのだ。だがこれに対して孫堅が『拙速である』と反発し、孫策・黄蓋などというありえないほどに武力の高い者達を従えて、反対を述べたその日のうちに敵城を陥落させてしまうのである。彼女等勇将にとって人員の数的優位とは、地の利とは何なのであろうか。
 
(まぁ、人の心配なんてしてないで、俺も自分の事を考えなくちゃ。これから広宗に行くんだから)

 自らがこれから向かう先に待ち受けるであろう大量の賊軍を想像して、仁ノ助は心中穏やかになる訳にはいかなかった。最終決戦というものは何時だって激戦なのである。まして生活の糧となりつつある略奪活動を阻止されて、大地に首を晒す運命を押し付けられる賊達は必死の抵抗を見せるだろう。一事が万事という事もあり得る。油断だけはしないようにと、仁ノ助は静かに決意を固めた。 

「ん・・・んっ・・・なんだ、朝か」 

 その時、彼の隣から呻き声が聞こえてくる。孫堅が目覚めたのだ。

「おはよう、嵩蓮」
「ああ、おはよう。・・・凄かったな、昨日は。若い頃の自分を思い出したよ」

 身体を許した者にしか聞かせぬ甘い声で、孫堅は身体を起こした。起きた際に布団が肌蹴て彼女の豊満な裸体が露となった。想いの熱烈さを想起させるかのうように、つんとした香りが漂っている。娘を産んだ女性の躰とは思えぬほど綺麗で、一軍を率いるに相応しい逞しさのある肌には、まるで丸い樹皮を流れる雨水のように寝汗が光っていた。
 孫堅は目を擦って意識をはっきりとさせ、隣に横たわる男の変化に気付いてくすりと笑みを零してしまう。昨晩の興奮を覚えたままでいるのか、彼女の頬が欲望に駆られた時の赤みを湛えた。

「お前は本当に正直者だな?それに見た目の割には体力がある。底無し、といってもいいくらいだ」
「・・・仕方ないだろ。初めて女性がどういうものなのか知ったんだから。昂ぶらずにいられるかってんだ」
「そこで開き直るあたりお前はまだまだ青いな。風情が無い。もっと雰囲気を大事にするべきだ」
「・・・そう言いつつ手を伸ばしてくるのはなんでだ?」
「虎というのはな、目の前に無防備な餌をぶら下げれれば、それが罠かどうかなど気にしないのだ。強引に掴み取り、噛み切って、食らってしまう」

 そう零しながら孫堅は、仁ノ助に被さる布団の中へと滑り込み、彼の最大の弱点へと近づいていく。もぞもぞと布団が揺れる中、彼女の驚いたような呆れるような溜息が生まれた。そして徐々に響いてきたのは、思わず耳を傾けてしまうような水音であり、それが天幕に響く度に仁ノ助はびくりと肩を震わせてしまう。表情も恍惚としたものが見受けられ、布団の中で行われている甘美な奉仕に身を委ねているようであった。
 やがて布団の中の動きはより大胆さを増して、水音は露骨なものとなり始めた。払暁の光と涼しき朝風の風情を感じさせるものではない。人としての欲望をそそられて、仁ノ助は思わず布団の膨らみに手をやってしまい、それが上下するのを手助けしてしまう。硬い甘露を啜るような響きが走り、仁ノ助は思わず呻きを漏らしてしまう。その啜りが断続的に響いたかと思うと、仁ノ助は一際強く震えて、痙攣するかのように足腰を震わせ、ぶるぶるとした溜息を漏らした。
 もぞもぞと蠢いたのち、孫堅は先程よりも赤くなった顔を布団より覗かせて、艶やかな微笑を湛える。そして布団から這い出ると、脱ぎ捨てた己の衣服を掻き集めていく。

「ではそろそろお暇させてもらうとするか。着替えの時まで襲わないでくれよ?」
「そこまではがっつかないって。・・・まぁ、嵩蓮は魅力的だから、そそられたらやるかもしれないな」
「若いとは、素晴らしいものだ」

 皮肉めいた口調であるのに、孫堅は見せびらかすように立ちながら寝汗を拭いていく。仁ノ助が呆れかえるのは自分自身の欲求であった。彼女の豊満な躰を走る筋肉が伸縮し、肉体が落とす陰が変化して優美に肌を彩る様はとてもそそるものがあり、また桃色の気分がぶり返して来たのである。孫堅はその素直な反応に微笑を浮かべながら、まるで事を起こしてくれと言わんばかりに己を露わとし、見目麗しき裸体に清潔な白布を走らせていく。
 結局、彼女が天幕を後をしたのはそれより一時間も後の事であった。気分を高揚させた若人につられてそれに応えてしまい、心身健常にして節制の人物を嘆息させるような、倒錯的な運動に勤しんでしまったためであった。愉しむ時間すら惜しいと言わんばかりに、寝起きの辛苦をものともせず運動は激しく、しかし静かに行われ、仁ノ助が情けない呻きを上げるまで絶え間なく続いた。孫堅は終いに、泥濘のごとく執拗で気焔のごとく熱烈な接吻を交わすと、ようやく衣服を着て外に出た。誰ぞに疑われる事が無いよう、天幕の裏側からである。
 雄がつい先程まで責めてくれていた名残を感じつつ事後の独特の雰囲気を醸しながら歩いていくと、一人の赤髪の女性が別の天幕に寄り掛かっているのが見えた。溌剌とした印象を受けて此方を睨む様子に、孫堅は疑問を抱くが、彼女が仁ノ助がこれまで連れ添っていたという旅仲間ーーー昨夜、息を整えながら語ってくれたーーーであると思い出すと、同族の獣を見るような眼つきで近寄った。距離が縮むなり、錘琳から口火を切る。

「随分手の早い事で。そんなに誰かと寝たかったの?」
「私は気に入った男としか寝ないよ。それも選びに選び抜いた精悍な男としかな。やきもちを焼くためにここに来た訳じゃないのだろう?あいつならもう起きているから、弛んだ頬を引っ叩いてやるといい」
「ふん、言われるまでもないわよ。私はやるべき事をやるだけだから。あんたみたいな雌猫と馬鹿を言い合うなんて、私の誇りが許さないし」
「中々に吼えるな?自分の相方が寝取られてしまうのがそんなに悔しいのか、生娘。手の早い私を恨むよりも、行動に移せなった自分自身を責めるのだな。あいつは迫ってしまえば絶対に断らない男だ。お前でも落とせる」
「落とっ・・・ちっ!精々ほざいているがいいわ。次の戦場じゃ碌な躰で帰ってこられるか分からないんだからね、江東の雌猪さん?」
「私の事よりも、自分の心配をするがいい。どこぞの誰か、顔も合わせた事の無い粗暴な輩に処女を奪わないか、自分こそが先に死んでしまうのではないか、とな」

 年配者の余裕を吹かせながら孫堅は立ち去っていく。錘琳は気にする素振りを見せなかったが、しかし孫堅に声が届かないであろう距離まで離れた時、ぽつりと漏らす。 

「大人って、だらしない・・・」

 その言葉は穿った捉え方でなくとも悟る事の出来る、孫堅が先んじて獲得した同衾の喜びに対する妬みが含まれていた。ただ一度の戦場を共にしただけでこうもあっさりと互いに悦びを得んとするのは、貞淑観念のある錘琳にはあまり感心のいかぬ所であった。襲う方もそうであるが、それをあっさりと受け入れる方も問題である。
 錘琳はつかつかと軍靴を鳴らして仁ノ助の天幕に入っていく。鶏が甲高く囀りそうな朝焼けの中、鋭い蹴打の唸りと、痛々しい男の悲鳴が響いた。 


ーーーその頃、黄巾党の本拠地にてーーー



 丁儀は頭を深く悩まされる事態に直面していた。自称大陸一の占い師と一蓮托生の身となったのが運の尽きか。最近彼の近辺では、まるで時の大河がうねりを上げたかのように物事が急に進み始めたのである。
 かんからと晴れた陽射しを受けて、猪の全長ですら凌駕するほどの大きさを誇る鈍色の盃が、人の腰ほどの高さのある台座に置かれた。労働力である党員たちは安堵の息を漏らして、自らを睥睨するかのような得体の知れぬ盃に気圧されていた。このような大きな盃自体はじめて見る代物であるが、その用途、目的すら告げられぬまま彼らはこれを設置しているのである。平凡な人生を歩んできた者達にとっては不気味なものを感じずにはいられない。
 「あ、あの、盃を設置しましたが・・・」という党員に、「よくやった。これで全部が設置し終わったな。次はこれに火を燈すのだ」と丁儀。党員らは神妙な顔つきのまま種火を中に入れた。

「火を点けよ」

 松明が一本投げられて、種火の上に落ちたと思った瞬間、まるで火山の噴煙のように炎が勢いよく立ち上った。どよめく党員らの前で炎は七色に色彩を変えて、やがて夕闇を思わせる薄紫に落ち着いた。だがそれとても時折背筋をぞっとさせる紫紺の火花を散らす有様。人為というにはまがまがしさが過ぎるものであった。

「・・・あの、丁儀様。オラたちはこれで大丈夫なのでしょうか?」
「仕方あるまい。頭領が仰せの事だ。従わぬわけにはいかんだろう?」
「ですけど、オラ、こんなやばいものを見たのは初めてです。見るだけでブルってきちまいます。張角様は、何を考えてらっしゃるんでしょうか」

 彼の疑問に答える事はできず、丁儀は全ての盃の火が確りと燃えているかを再度確認して居城へ戻らんとした。大通りを抜けんとした時、露天を開いた占い屋の爺を見ると、丁儀はその者に向かって問うた。

「見逃していいのか。あれはどうみたって妖術の類だぞ」
「わしを信用しろ。じきにその時は訪れる」
「ここから無事に逃げられる、と?だが俺はあのやり方は好かん。人の心を弄ぶような鬼畜な真似は」
「ならばわしを斬捨てるがいい。わしとて、この年になるまで人を誑かし、未来を好き勝手に予測してそれを押し付けて生きおおせた者だ。お前が嫌うであろう、鬼畜な人間だぞ」

 爺は祭祀用の毛織の箒を弄びながら飄々と返す。その者、管輅は大通りの広場の中央に焚かれた紫の炎を見詰める。彼の言によれば、あれは太平要術の書に記載されている、天変地異を起こすための道具であるらしい。
 四神の方角に大盃を置いて火を焚き、麒麟の位置にて儀式を執り行う。そうすれば陽炎のようにおぼろげな存在でありながら実態を持った剣を扱う、幻の兵達が生まれてくるという。これを使って兵力差を引っ繰り返さんとするのが、黄巾党首脳部の企む所であった。たかが書物の讒言ごときを盲信する彼らに丁儀はかなりの不満を募らせていたが、自分一人でどうこうする事もできず、それの実行を執り行っていたのだ。
 官軍が来た時、首脳部は儀式を初め、彼らに大打撃を与える腹づもりでいるようだ。だが管輅いわく、その儀式というのは不完全なものらしい。

「太平要術を使いこなせるほどあやつらは賢くない。一流の術士は何にも頼らずに幻を作れるが、やつらは三流以下の素人。祭器が壊れれば、すぐに術は解ける。その時こそ、お前達は計画を起こせるし、彼女たちは自由の身となれるぞ」
「・・・計画は委細承知している。俺の命令に従ってくれる古参兵たちも、一応理解は示してくれた。三姉妹を無事に生かすためなら、彼らは喜んで命を投じてくれるだろう。だがそれは、お前が予測した通りの未来が訪れなければ何の意味も持たない。もしそれが来なかったらーーー」
「信じぬ信じないかは勝手にせよ。わしは確信しておる。必ずこの広宗に官軍は訪れる。外にいる奴等とは桁違いの練度を誇る、本物の将兵がな」

 「時が来れば私は手を貸してやろう」という言葉に思わず舌打ちが漏れる。仲間を暗殺されながらも屈折せず、耐えに耐え抜いて練り上げた計画は、風に運ばれたかのようにいきなり現れたこの胡散臭い爺のやる気次第によって左右されるのだ。これまで全くの蚊帳の外だったくせに、いざ現れたら自分達の根幹をがっしりと握ってくる。この抜け目の無さと、この者に頼らなくてはならない自分達の無力さに、丁儀は腹立たしい思いを抱えた。
 精一杯の反抗というべきか、彼は管輅の予言にけちをつける。子供染みた事だとは分かっているのだが。

「・・・なんでそんな事が分かるんだ。そんな不確定の、有り得るのかどうかも知らん未来なんかを」
「前も言っただろう。わしは大陸一の占い師ぞ?たかが二つや三つの、将星が向かう先など・・・」

 言葉を濁しながらにやりと邪な笑みを浮かべる管輅に、丁儀はさらに苛立つものを、そして同時に、薄ら寒い思いを感じた。皺だらけの顔に浮かぶ表情が、人外魔境を覗き見た者なら浮かべるであろう独特の陰惨な覇気を漂わせ、心身健常でまともな生活をしていると自負する丁儀に、怯えを抱かせたのであった。



ーーーエン州東群東阿県、居城にてーーー


 
 川辺で漱がれてようやく姿を現す砂金のような黄金と、柑橘の表皮の色をそのまま塗りたくったような赤がない交ぜとなりながら、風靡く空を支配しており、それを背景として諸人の二つの雄叫びがぶつかり合う。喧騒は大地をどかどかと揺るがし、瞬く間にそこには血生臭いものが漂い始めた。流星のように一瞬で、しかし見るものすべてにそれを知らせたいと言わんばかりに命が散っていく。無情な光景であった。
 それら人間の営みを目の当たりにして、しかしどこか醒めた眼差しで見下ろしている二人の少女がいた。二人は城壁に登っていた。眼鏡をかけた背の高い女性は手摺に手を置いて、怜悧にも感じられる瞳を戦場に向け、時折その動向を探るように思案しているようだ。また、頭に小動物のような人形を置いた少女は、興味なさげに欠伸をし、柔らかな長い金髪を風のままに靡かせていた。
 人形を頭に乗せた少女は言う。「何事もうまくいかないものですね。私達の実力を示せば、あの分からず屋も従ってくれると思ったのですが」と。彼女にとっては、戦いそのものが望んだ未来ではなかったという事なのだろうか。眼鏡をかけた女性は返す。

「逆にムキになっていますね、あの考えなしの凡愚。馬鹿が考える事は無鉄砲すぎて恐ろしいですよ。『少なければ(すなわ)ちこれを逃れ、()からざればこれを避く』という言葉を知る機会があった筈なのに」
「それに費やす暇を手前勝手な欲求の充足に当てたのだから仕方ありません。ここで討ち果たして、漢室の御世に安寧を齎すとしましょう」
「老人のようにいずれ滅び行く王朝に対する奉公、ですか。私には似合いませんね」
「付き合ってたらこっちまで体臭が酷くなりそうですからね」
「腐敗というなの体臭ですからね。まともな女子がいるような場所ではありませんよ、宮廷なんて」
「ではそこにいるのは一体どんな女性なんでしょうか」
「豚の腸で身を清めるような筆舌のし難い嫌悪感の塊のような女性です。いずれはどうにかしないといけませんね」

 やがて彼女の言葉に応えるかのように、城壁を背にした一軍ーーー以降は自軍と称する事とするーーーが、相手の軍の行く手を遮るような形で包囲していく。鶴が翼を広げるような格好だ。二つの軍が交わる所で、相手はどうにか離れようとしていたが、しかしうまくいかずに退路一つを残して包囲されてしまった。
 それを機として、多少の軍学を諳んじる事ができる書生にとっても、見るに耐えない退屈な嬲りが始まっていく。自軍の雑兵がまるで蠅でも叩くように槍を振り下ろしては、相手を殴り、切裂いていく。そして自軍の中で一際目立つのが、戦場の最前線で嵐のように暴れ回る荒くれ者であった。両刃の十文字槍をぶんぶんと振り回しては、紙切れでも千切るように敵陣を切り裂いていく。
 感心の溜息を吐きながら、人形を頭に乗せた少女は言う。

「さすがは稟ちゃんの策です。見事に敵さんを封じ込めました」
「仮にも民を守るのですから、奮起せざるを得ませんよ。ですが真の立役者は彼でしょうね。あの激しい武・・・さすがと言わざるを得ません。雑兵ごときではどうにもならんでしょう」
「あれでも猪武者ですから扱いには注意しないといけませんけどね。昔、あの人もそうだったでしょう?」
「ああ、そういえばそうでした。『時の趨勢は徐々に確たるものとなってきた。私の身の振り方を弁えんと、大河の流れから外れて川辺に打ち付けられる小石となってしまいかねない』と言って幽州で別れた彼女も、武芸が達者で、一途な人でした」
「その言葉ももとはといえば、メンマの大量買いで路銀が無くなったからなんですけど。今頃なにをやっているんでしょう。槍一本で川の流れを変えたりしているんですかね。・・・あっ」
「?どうしました」
「あの愚かな人もどきが討たれたようです。酒豪のくせにやりますね、あの人」

 稟、と真名を呼ばれた知的な女性は戦場から響き渡る鬨の声と、その中心で十文字槍を高々と突き上げる男、そして不意に少しだけ舞い上がってはすぐに人並みに飲まれてしまった、哀れな敗者の首に目を向けた。憐憫以外の何者をも、その表情から感じる事ができなかった。

「馬鹿な人。自分の役割を放棄するから殺されるのよ」

 かつては県丞であったが、賊兵の襲来に恐れ、あまつさえ自ら私兵を率いて街を略奪した男の最期。たった二人の少女によって持っていたものを全て奪われた男の末路。首から下の部分は誰かに踏み均され、野草よりも平べったい姿になっても、その所業ゆえにきっと誰からも赦される事はないだろう。
 頭首を失った軍は音も立てずに瓦解していく。蜂の巣を突いたかのように、あるいは一石を投じられた小魚の群れのように、わっという勢いで兵達が逃げ出していく。追撃のために戦線を指揮する者達は浮かれた顔を隠せず、余裕たっぷりに敗者を蹂躙していく。日頃の鬱憤を晴らすためともいわんばかりの容赦のない攻撃だ。 
 趨勢を決した戦場から完全に興味を失くしたのか、金髪の少女はうんと背伸びをして、「あぁ」と前置きして手を叩いた。稟はまたかと言いたげに彼女を見た。

「どうしたのです、風」
「そういえば稟ちゃん。私、この前夢を見たんですよ」
「ふぅん?今日はどんな事を聞かされるのやら。この前のは、『出汁が沁みた鳥の骨を惜しむあまり、空から降ってきた豚に圧殺される』というものでしたね」
「今日は空に関係する事ですよ。私は夢の中でですね、大きな丸い光を掲げていたんです。目も眩むようなものなのに不思議と眩さを感じない。何処か高揚とした心で、私はそれを真ん丸な太陽なのだと直感しました。大地を照らす、母なる光です」

 長らく旅に付き合ってきた稟ならば分かる。真名を風といい、普段からおっとりとしてつかみどころのない少女は、時としてこのような詩的でありながら、確信に満ちた言葉を言い放つ。それは兵法書の編纂者すら驚愕させんほどの軍略の冴えから生まれ、あるいは現世の真実に気付いた時に漏れるものである。冷厳なまでに自分自身を客観視し、自らの定めを理解する。事の全体の流れを把握する事も稟の得意とする所であるが、風のそれはずば抜けて鋭きものであった。それがこの少女の鬼才たる所以であり、伊達に不義不徳の乱世を生き延びたわけでは無かった。
 彼女は地平線に沈みゆく燦然とした日を見詰めながら続ける。

「私の傍には稟ちゃんが立っていました。星ちゃんが立っていました。そして、黒い影に塗り潰された二つの人影が、私と同じように太陽を掲げていました。その人達を見た時に思ったんです。ああ、私が行く未来には、きっとこの人達が待っているのだろうと。この人達こそが大地を照らすに相応しい、自分の道を邁進できる人達なんだろうと」
「・・・それは、あなたが仕えるべきお人ですか?」
「稟ちゃんも一緒に御奉仕するんですよ。だって夢の中では、皆が自信に満ちた、かっこいい笑顔を浮かべていたんですから。もちろん、私もです」

 愛くるしい子猫のような笑みを浮かべる彼女に、稟は形だけとってみせた微笑みを返す。風の言葉が信用できないという心算はない。だが、果たして自分自身がその未知なる人物に心よりの忠誠を誓えるかどうか。旅すがら邂逅してきた豪族らはいずれも稟にとっては凡才の域を出ぬ、つまらぬ者達であった。此度の戦で下剋上をされたあの愚かな領主もその一人である。ひょっとしてこの大陸にはもうまともな人間がいないのではないかと考えていた頃に、風のこの発言である。
 きっと現れるであろう、風が本心から仕えられる御仁は。だが自分にとってそれが最良の主であるとは限らない。その者の実力と権謀術数、人を治める者としての器を試さずしていられないのだ。それが天下の神算を得た、郭奉孝がなさねばならぬ事であり、決して妥協のできぬものであった。自らが仕える以上、天下を得させないままでいるというのは誇りが赦さない。
 胸焦がすものを抱いていると、城壁に兵の一人が駆けあがってきて、分かり切った事を告げてきた。

「報告します。王度の兵たちが次々に敗走していきます!我々が勝ったんです!御二人の策の御蔭で!」
「・・・民に報せて下さい。危難は去ったと」「はっ」

 喜びを浮かべなあら兵は去っていく。稟は相方、程仲徳に顔を向けた。

「・・・風。あなたが見た太陽はどこから昇ってくるのですか」
「海原の果てから・・・それとも、遥か西方にあるといわれる、羅馬の方からでしょうか?見当もつきませんよ」
「・・・私も共に見たいですね。その太陽と、影とやらを」

 二人の背後、略奪の痕が散見される街中から無垢なる喝采が響き渡った。渾身の思いを込めて今ある生を感謝する機会はこれから訪れようとも、二人がそれに浸る事は決してないだろう。自らの智謀を最上の武器とした者は知る。一時の情に全てを掛ける愚は、利用こそすれ、自らそれに染まってはならない。最果てより迫る悪意を誰よりも敏く知り、それを分析するのが己の務めでもあるからだ。
 まだ見ぬ天下の英雄を夢見る者を照らしていた日は、ゆっくりと地平線の彼方に沈んでいき、空は紫紺に染まっていく。むせ返るような血臭を無視するように、やがて少女らは姿を消し、大地を駆けた戦士らは凱歌をあげて城へと戻っていく。夜闇に混じって獣達が現れて、硬直していく骸を貪り始めた。


 
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