空を駆ける姫御子
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プロローグ ~始まりのお話【暁 Ver】
前書き
『暁』移転版プロローグ
───────── 風が、頬を撫でる。
随分と暖かい季節のようだった。都心部から幾分離れた緑が美しい丘に『彼』と『小女』は所在無さげに立っていた。彼は十代前半であろうか。これといった特徴の無い風貌と、小さな丸眼鏡を鼻先に乗せるように掛けている。少しばかり寝癖の付いた黒髪と肌の色は定型的な日本人を彷彿とさせた。服装は今の気候に似わない黒のタートルネックのセーターに黒のジーンズ、黒のスニーカー。スニーカーの靴紐だけが赤いのが印象的だ。挙げ句の果てに黒のハーフコートを羽織っていて全身黒ずくめな姿はまるで──── 烏のようだった。
彼は自分の居場所を確認するように辺りを見渡していたが、やがて僅かに眉を寄せた。『あの世界』と比べても遜色のない魔力を感じたからだ。……少しばかり性質が違うのが気にはなったが、気にするべきは今の現状だろう。彼は心の中で溜息をつく。彼にとってこれは予想外だった。チラリと隣に佇んでいる少女を見る。少女はこの場所に現れてから一歩も動かず、眉一つ動かしてはいなかった。
今もどこを見ているかわからないような視線をして人形のように立っている。年齢は五、六歳だろうか。少女と称するには僅かばかり色々と足りないが。彼とは違い、十人中十人が愛らしいと答えるであろう容姿。栗色よりも明るめの綺麗な髪を左右で結わえ空色の膝丈ワンピースに白いタイツ。小さな足下には赤い靴を履いていた。彼のコートを小さな左手で握りしめている姿は、親と逸れないようにしている子供のようで大変可愛らしい。
彼が声をかける。少女は小さく肩を揺らすと小首を傾げ暫し考え込んでいたが、自分の名が呼ばれたのだと理解するとゆっくりと顔を動かし、その神秘的な──── 『虹彩異色症』、一般的にはオッドアイと呼ばれる瞳で彼を見つめた。
「大丈夫ですか? 疲れていませんか?」
「……へいき」
小女は視線を逸らすこと無く一言だけを彼に返す。彼も意地になったわけではなかろうが、負けじと見つめ返した。傍から見ると犬も食わないような光景ではあるが、見ているのは草原に雄々しく立つ大樹だけであり咎める者など誰もいない。風に揺れる葉音が二人の異邦人を歓迎しているかのようだった。
このまま勝負のつかない睨めっこが続くと思われたが、それを終わらせたのは小女のお腹から発せられた小さな音だった。小女の表情にはまったく変化は無いが良く見ると顔が少し赤い。その姿を愛らしいと思いつつ、彼は穏やかな笑みを浮かべた。
「そういえば朝から何も食べてはいませんでしたね。私もお腹が空きました。まずは何か食べることにしましょう。それでいいですか?」
「……オムライス」
「……オムライスですか。『ここ』にもあるといいんですが」
思わず苦笑する。彼は『この世界』を『知らない』。緑色した丘から遠く見える近代的な街並みは、彼が知っている姿だったがそれだけだ。食文化や風習が同じとは限らないのだ。尤も──── 『彼女』がおかしな世界へ自分達を放り込むとも思えないと彼は考えていた。出来の悪いSFに出てくる火星人のような生き物が出てこない事を祈りつつ、自分のコートを握りしめていた小女の小さな手を握った。
「それでは行きましょうか。──── アスナ」
アスナと呼ばれた少女は小さく──── それでも確かに嬉しそうに微笑んだ。
~始まりのお話 了
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