隣神おりますかー?
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隣神おりますかー?
前書き
ふと思いついた一発ネタ。
暇つぶしにどうぞ。
どうしようもないこと、というのが世の中にはある。
努力しても叶わず、足掻けば足掻くほど泥沼にハマる。
それは才能だったり、神罰というものだったり、はたまた性分であったり。
共通する点は自分ではどうしようもないという事だ。
見えぬ大きな力、というものがそこには存在するのである。
そしてそれは思ひ寄らぬ瞬間にその芽を出すのだ。
私こと袴織叶芽にとってのそれは今この瞬間であり、向かい来る大きなそれは睡魔という魔物であった。
魔物の尖兵は小さな声で呪文を唱える白髭教師「仙人」であり、それが現れる時間は授業という一時間の修行空間。
目をあたりに逸らせば様々な仲間がいる。教科書を立て早弁している「スピーダー」、前衛の背に隠れ携帯を操りネットの海に繰り出した「ダイバー」、魔物に抗いきれず机に崩れ落ちている「スリーパー」、そして洗脳されてしまった真面目君。決して名前が思いつかなかったのではない。
我は抗いきってみせると頬をつねり、効果がなかったので筆箱から出したシャーペンで腿を一突き。あ、これ凄く痛い。
気を紛らわそうと視界を右にずらした先にあるのは青空とその下のグラウンド。どこのクラスかは知らぬがサッカーをしているのを憎しみの目で私は睨む。和を乱し調子に乗ったサッカー部のボールが顔に突き刺さったことを私は決して忘れぬ。部活でやってるから上手いの当然だろ威張ってんじゃねーよこのくらいしか目立てなくて可哀想ですねクソ野郎という思いで背中にボールを蹴り込んでやったのもいい思い出である。
花の女子高生がサッカーを親の敵を見る目で睨んでいるというのも如何なものか。視線の戻った先は手元の教科書であり、気づけばページは大分先に進んでいる模様。板書を見る限りノートは二ページほど書き逃したようだ。これは友人であるクーちゃんに後で助力を得るほかないらしい。
「汝隣人を愛せよ、だっけ。許しだよね許し。クーちゃん優しいし頼りになるぅ」
『汝自身を愛するように、汝の隣人を愛せよ。己への理解と愛、そして許しへの問いかけです。叶芽は利用するだけです。愛がありませんよ。‐1』
「違いますー愛してますー。クーちゃん大好きですー。今度アイス奢るからいいんですー。うちのニャーと遊ばせるんですー」
『畜生を大事にするというのは良きかな良きかな。ガハハ』
「ですよねー」
『今朝の餌やり忘れの-1を消してやろう。0じゃ』
そこは+1しろよーと思いつつも消えただけいいかと流す。最近意外と危ないのだ。座禅とか滝行とかはゴメンである。
特に辛いのは食の制限だったなーなどと思いつつ頭がうつらうつらとしてくる。やはり眠い。
脱落者を何人も出す中これだけ頑張ったのだ。もうそろそろゴールしても責められないんじゃなかろうか。そんな思いがぐるぐると脳裏を巡る。
「はい、では前講釈はこの辺にしておきましょう。ここからが本題です。実際の規律、概念についての説明に移りたいと思います。選択外の人は今のうちに出て行くように」
仙人の言葉に閉じかけていた瞼が開く。選択していない人たちが出ていくのを眺めながら意識を覚醒させていく。前講釈が長すぎて罠だが、ここからが本題である。流石に聞き逃すわけにも行かない。自分の身に直接関係することなのだ。
教科書を一気に半分まで飛ばし、ノートを構える。まだ眠いが、まあ何とかなるだろう。
仙人は眼鏡を吹きつつプロジェクターが降りきるのを待つ。他の教師は銀の差し棒だが細い白木の杖?を使うあたりやはり仙人だなぁと私は再確認する。
眠っていた同級生も起き始めている。やはりこの授業はみんなにとって大事なのだ。何せ――
「はい、ではこれより神学の授業を始めます」
『しっかり学んでくださいねー』
神についての授業なのだから。
今から十五年ほど前、神が現れた。
思考の中にのみある概念、空想の像としての存在ではない。姿かたちは無い概念だが、確かな存在を持って現れた。
現れた理由は未だに明確にはなっていない。自然破壊を繰り返す人間への罰、争いをなくさない人間に呆れがさした、神の暇つぶし、信仰が神を生んだ、等など。説だけはたくさん出たがどれも確証はなく仮説の域を出ていない。
だが確かな現実として神はその存在を表し、人々にポイントをつけ始めた。
善行をすれば+、悪行をすれば-。その基準は神を掲げる各宗教における聖書や慣習を元にして付けられる。各々の宗教にそった神がその信徒の元に現れた。過激派か穏健派か、などでも違ったりするらしい。
+が一定値に達すればご褒美(奇跡、という人もいる)が、-が一定値に達すればお仕置き(神罰とry)が与えられた。
この出現は大きな問題になった、らしい。何せ法とは違った別の基準が強制的に設けられたのだから。
法的に問題がなくとも宗教としては問題があり、法的に問題はあっても宗教としては問題がない。そんな場合もあって、その上で法を守ろうとしたら様々な障害が出てくるのも当然だろう。
仏教家には仏教の、キリスト教にはキリスト教の、神道には神道の。教えが違えば慣習も違い何もかもが違う。成立の理由や辿ってきた過程も違う。すり合わせも大変で問題が出ないほうがおかしかった。
無論、良い点もあった。治安の向上だ。
バレなければいい、見つからなければ犯罪ではない、という考えが根こそぎ無くなった。何せお天道様(これは日本的な考えだが似たようなものだ)が現実になったのだ。また、頑張る人が増えた。何せ+を貯めれば神直々のご褒美が貰えるのだ。才能などではなく、努力すれば努力するだけ成果が出るのならば頑張る人は増える。
+の集め方や元の善行の種類によって得られるもの(勿論も罰も)は違うが、中には本物の奇跡もある。生まれた時から目が見えなかった人が物を見ることができた。事故で治らないと言われていた膝が治って走れるようになった。植物状態の夫が目を覚ました。等等。
良い点を上げればたくさんあるが、良いだけで終わるものなんてこの世にはない。悪い点もたくさん現れた。その中の一つに戦争の勃発が挙げられる。
どことは言わないが聖書を紐解けば敵対存在に対する攻撃を肯定しているところがある。ある土地を指してそこは神によって与え与えられた地であり、既にそこにいるものを排除(殺)して取り返せ、何てお話もある。しかもそれが神の宣託だったりするのだ。
そういった話は意外と多く、そういった宗教間で戦争が起こった。荒事になるため見て見ぬふりしてきた、穏便に解決しようとされた問題の早期解決が強制された。逆らえば極大の-だ。地獄行き、というのが現実の話となり文字通りの死に物狂い。地獄か自爆特攻か、何て選ばされたら荒れるのもしょうがない。
政治家が宗教家の地域は時間における慣習で国家機能が止まるところも出た。国際化が進んだ今の時勢じゃそれも大問題である。ネットの世界は一秒で動くのだ。
そんなこんなで大荒れしたそれは数年ほどで停止した。神が強制をやめたのだ。通説はこのまま続けると信徒がなくなるという酷く即物的な理由。神様も意外と身が大事らしかった。
荒っぽい問題は一時的な停戦に。国家機能の辺りは周辺国家の理解を得て復帰。
神という強制力が出て国は法を整備。一部特例を除き、公共の福祉に反しない範囲でなら神憲(神様による法。権とかけている)は現行の法に優越する、何て法が制定された。
知らなければ損をする、と神学の授業も必修となった。もっとも無宗教家もいるので一応は選択性である。無宗教家には神は語らず、罰もない。ある種の絶滅危惧種であるツッパリヤンキーも探せばいる。中には神の罰なんぞテヤンでぇなツッパリもいるそうだがただの馬鹿な気もする。
世界的に見れば日本は無宗教家が結構いる。宗教、と聞くと胡散臭がる人が結構多い。明確な神を信じている人などほとんどいないだろう。けれど初詣にバレンタインにお盆にハロウィンにクリスマスに除夜の鐘。信じてないくせに行事は欠かさずしかも多数の宗教がごっちゃ。お守りや神社への合格祈願など、超常的な存在や力を信じる土壌は元々あるがゆえの事だろう。
特に神道。元を自然崇拝による呪術的祈願に発するこれが大きいとされている。五穀豊穣や安産など、生活の上での事を神に祈るこれは日常の中に浸透し、精神性道徳性の中にまで入り宗教行事だと思われないレベルにまで行ってしまっていた。神なんぞいねぇという人でもお賽銭は出すしお地蔵さんを蹴ったりはしない。当然である。お守り切れと言われれば罰当たりだなんて言いもする。そんな価値観らしい。
「まあ、全部授業の受け売りだけどねー」
放課後の帰り道、現実逃避ながらに説明じみた回想から帰ってきた私はコンビニで買ったアイスに齧り付く。こんがらがった頭に冷たいものの刺激が実に染み込んでいく。ゴリゴリくんがやはり最強なのは明らかである。
「アイスはやっぱりICEPOXデース」
クーちゃんは果汁付きの氷を口に含み美味しそうに噛み砕く。
クーちゃんことクリスは外人さんである。綺麗な金髪セミロングで瞳はブロンズ。細い体で抱きしめると柔らかくて最高ですはい。普段胸元に隠れてるちっちゃな十字架のネックレスは純銀らしく、そんな子を抱きすくめてると神秘的を背徳的というか素晴らしい事この上ないのがグヘヘヘ。
「いかんいかん」
毒されかけていた思考を無理矢理に戻す。小さい頃に兄と喧嘩ばかりしてきたせいか我ながら思考がガサツというか何というか。兄にオヤジ臭いと言われたのは心外だが表に出さないようにせねばなるまい。
「また変なコト考えてマス?」
「違うよー。そんな何時も変なこと考えてるみたいで酷いなぁ」
「自覚大事ヨー」
うーむ。やはり心外である。心外であるが事実なので黙ってゴリゴリくんを私は舐め続ける。
――ニャー
ほっぺ膨らんでるクーちゃん可愛いなーと思いつつ下を向くと猫が足元でこちらを見上げていた。野良にしてはそこそこ毛並みがいいが飼い猫だろうか。何かよこせとばかりに見上げていて逃げる気配がない。
「つぶらな瞳で見上げたら何でも貰えると思ったら大間違いなのさ」
いやまあ可愛いからあげるけど。
アイスと一緒に買ったサンドイッチを出す。ツナサンドである。そら好物だろうとちぎって投げてやるとその場で猫は食い始める。ふはは畜生めとばかりに私はもう少しちぎって落としてやる。
『ポイ捨てしましたね。マイナス1』
『生き物を大切にしていて実にいい。餌で+1』
「お前らうるせぇ」
聞こえてきた声に毒づきながら頭の中でスイッチを切り替える。音声のON/OFFが聞くのだこれが。
何でも五感の外の第六感や第七感といったところに働きかけられているらしく、あくまでも声で聞こえるのは脳が聴覚だと錯覚しているからとか。OFFにすれば声は聞こえなくなり、ポイントの上下だけが知覚の外で感じられるだけになる。
「ナニか減点デスか?」
「そうだよ。五月蝿いからOFFにした」
いつの間にか猫の背を撫でていたクーちゃんにそう答える。うむ、可愛い。今の立ち位置を答えるならば立っている私、しゃがんでいるクーちゃんである。上から視線で下から目線である。屈んでいる隙間が空いた制服の胸元に視線が行くのは自然であろうそうであろう。ジリジリと、猫に近づく風を装って近くへ。狙撃ポイントへ移動である。あとちょっと―――
――-1
「……」
ワタシワルクナイヨ?
心の中で軽く舌打ちし、諦めて私もしゃがみ猫を撫でる。ツナの匂いでもついているのか指を齧られ舐められる。ザラザラしてて痛い。
もっと撫でろとばかりに尻尾をゆったりと振る猫のお腹を掻きながら存分にモフモフを味わう。うちのニャーには劣るがいい毛並みではないか。うりうり。
「素敵デス。こんな時間、ワタシ大好きデス」
「いいよねー何かさ。穏やかっていうか」
肉球をぷねりながら私は答える。それにしてもお腹を晒すなどこの猫野生はどこにったのだろう。お前生きていけるのかと喉を撫でてやる。
「カナメには感謝してマス。友だちとヨリ道って、憧れてました」
そう言ってクーちゃんは楽しげに微笑む。うむ、可愛い。
クーちゃんは小さな頃に親の都合で日本に来たらしい。母方が日系ハーフらしくクーちゃんにも四分の一日本人の血が流れているらしい。小さな頃から日本にいるから多少カタコトな点はあるが日本語はしゃべれる。だが容姿の為か余り仲の良い友達が出来なかったという。まあ、敷居が高いところはあるだろう。
かく言う私もクーちゃんが日本語をこのレベルで喋れなかったらそこまで仲良くなっていなかっただろう。生憎日本語以外は諦めているのだ私は。
そんなせいかクーちゃんは遊びに誘うと楽しそうに付いてくる。ご飯食べようと誘うと笑みを浮かべる。家に誘うとホイホイついてくる。宿題見せてというと快く見せて……いやこれは何か違うか。
私が悪堕ちしたらクーちゃんも悪堕ちするんだろうなーと思うと気軽に駄目になれないのが困った点ではある。
猫はクーちゃんの十字架に猫パンチを繰り出す。ワンツーワンツー。だが傷をつけるわけにもいかないので途中で私の手でガードする。不満そうな猫が動けぬよう抱き上げると腕の中で暴れだす。爪が痛くなって離すと一目散に猫は逃げていった。
「ああ……むぅ」
まだ撫でていたかったのかクーちゃんは不満そうである。今度私の家に連れ込んだ時ニャーを触らせることで満足いただくとしよう。
歩きを再開して帰り道を辿る。道中にある店の中からテレビの音が聞こえてくる。
『――の地域紛争にで、過激派による自爆テロが敢行されました。少なくとも三人が死亡、重軽傷者が15人にのぼる模様です。自爆直前の被告の言動からこれは神託によるものと――』
「……平和が一番デス」
「だね」
辛そうに言うクーちゃんに答え、物騒だなぁと思いつつ私はそのまま通り過ぎる。あんなニュースは日常茶飯事である。余り普段は思わないが、ああいったニュースを聞くと日本に生まれて良かったと思える。
良いトコどりで緩やかにのほほんと。そもそもが八百万と言われる程の多神教。何でもオッケーな土壌で当人に意識がない。そんな日本では戦争などもなく、神が現れる前から余り変わってないレベルである。争いが嫌で逃げてくる人も増えたらしく、渡航規制や移住の審査が厳しくなった点では影響が出たくらいだとか。
ブッダとキリストが立川で同棲生活しちゃうぞー。そんなレベルである。
もしかしたらだが、クーちゃん一家もそのへんの理由で来たのだろうか。もしそうなら、と思うと聞く気にはなれない。いつも十字架を持っているクーちゃんと何もない私。生まれた環境の差はどうにか出来るものではない。
暫くしてクーちゃんと別れ、私は帰宅した。お出迎えのニャーを撫で付けようとしたがネコパンワンパンされてニャーは去っていった。どうやら他の猫の匂いが気に入らなかったようだ。石鹸で入念に洗わねばなるまい。
「おう、お帰り」
「ただいま」
居間で寝っ転がっていた兄に答えニャーを探す。ニャーは座布団の上で丸まり不機嫌そうに尻尾をフリフリしていた。というわけでツナサンドの残りを見せびらかしてみる。尻尾がゆっくりになった。これはイケル。
許してやるぜ、みたいにのっそりとやってきたニャーがツナサンドをパクつく。
「優しい妹よ、俺の分は?」
「あるわけ無い」
「次来た時クリスちゃんにあることないこと吹き込んでやるからなお前」
「ザッけんなよおい。うちの兄は変態だから近寄るなって言っとくから」
クーちゃんの貞操は私が守らねばなるまい。非情な決断も時には必要なのだ。
私は寝転がり、満足したらしいニャーを腕を伸ばして上に掲げる。
野良よりニャーの方が上だなと確信する。そして思うのはクーちゃんと猫をなでていたこと、その後のニュースのこと。
やはり平和が一番で、争いは嫌いだ。クーちゃんとダラダラした毎日が送れて、ニャーを撫でて兄と口喧嘩をして母の料理を食べて眠れればそれが一番だ。そしてそんな毎日は続いていくの だろう。テレビの向こうを見れば果はないが、この国ではその影はほとんど見えないのだから。
飽きたのか暴れて逃げていったニャーを見送り、私は座布団の上に寝転がる。襲ってきた眠気と戦いながら、ポイントを確認する。このままではまた罰があるかもしれない。前の罰は何だったろうか。二時間正座か坐禅か。それとも写経、神の教えについて書かれた本の感想文だったろうか。生みの親の手伝い三日というのも面倒だった。
だが、そんなものなのだ。体の奥まで浸透した、けれど薄い信仰心。それが信仰だとさえ認識できないまでのこの国の住人へのお仕置きは。テレビの向こうの世界とは、全く違う。
閉じていく視界に、私は思った。
こんな日々が続いて欲しいと。
閉じた視界に私は確信している。
こんな日常は続いていくのだと。
隣に神様がいる日常は、続いていく。
『おやすみなさい』
そんな声が聞こえた気がした
後書き
続きは気が向いたら書く。シリアス方面ではなく、ほのぼのかなその時は。
各宗教、特に神道における成り立ちや今日までの派生について私が知っている限りをつらつらと書く形になりそう。仏教交えて神仏習合とか。
主人公の性格は身近な人をモデルにしました。あんな性格の女性っているんよ。
クーちゃんはクリスちゃん。クリスチャン。名前ネタ。
タイトルはおりますかーで居ります、(神が)降ります、下ります。それと居りますからの派生で居ます(います)という重複した意味がというあります。
だから何?ってレベルですが。
そんな感じの一発ネタでした。読んでくれてありがとうございます。
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