MS Operative Theory
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統合整備計画③
——互換性と高性能を両立させた第2機生産型MS——
「全MSのザク化」と言っても本当にすべてのMSをザクにするわけにはいかない。ボルトやハーネスと言ったミニマムなパーツだけでなく、関節部品やスラスター、マニピュレーターやコックピットなど、比較的大きく、共有可能な部位をモジュラー化し、その組み合わせで各MSを生産しようというのが「統合整備計画」の目的であった(この過程をザクの生産ラインをベースに行うのである)。
これならば装甲や専用装備といった必要最低限のパーツのみを別個に生産するだけで、多様なMSを生産できる。逆を言えば、それまでの公国はMSに関する生産管理という発想が気薄だったのである(それまでは、事実上ザク系列のMSしか存在していなかったのだから当然なのだが)。
連邦軍がジム・タイプMSにその生産力の大半を投入したことで生産性を高めたように、公国軍はほとんどのMSを「統合整備計画」仕様とすることで、同様の効果を得ようとしたのである。
「統合整備計画」規格とでもいうべきモジュラーパーツは、多くの公国軍製MSにも採用され、MS06FZ(ザクⅡ改) 、MS09R-2(リック・ドム・ツヴァイ) 、MS14JG(ゲルググ・イェーガー)、 MS14F(ゲルググ・マリーネ)などの第2機生産型MSと呼ばれる機体が作られることとなった。これ以外にもMS06F-2(ザクⅡF2型)やMS09F⁄TROP(ドム・トローペン)、MS07B-3(グフ・カスタム)と言った「統合整備計画」に準拠して再設計された機体も存在している。
これらの機体の間では、小は部品レベルから大はコックピット=操縦システムまでも統一されており(グフ・カスタムのコックピットは第2機生産型ではない)、高いレベルでの互換性を実現している。
特にザクⅡ改やリック・ドムⅡ、ゲルググJは一年戦争末期に開発されたこともあって、MS14A(ゲルググ)の技術がフィードバックされ、原型機をはるかに上回る性能を持つに至った(ザクⅡ改などはジェネレーター以外のほとんどの部品がゲルググの物であった。最後期の第2機生産型MSは数こそ少ないが、ゲルググ級の性能を持つ機体であった)。
また、「統合整備計画」は規格のパーツの組み合わせによって新型MSを誕生させた。一年戦争末期の「ルビコン作戦」に投入されたMS18E(ケンプファー)がそれにあたる。
ケンプファーは多数の実弾兵器と大推力スラスターを装備する強襲用MSであり、その使用やスカート・アーマーを取りつけない独特のスタイルから、完全新規の機体と思われることも多い。しかし、その実態はザクⅡ(おそらくFZ型)のフレームを中核として、大出力ジェネレーターや大型スラスターを装備したMSであり、「統合整備計画」の派生機としての側面を持っていた(マニピュレーターやコックピットは第2機生産型であり、装備もリック・ドムⅡのジャイアント・バズーカとシュツルム・ファウスト=パンツァー・ファウストを流用していた)。
なお、ケンプファーには試作機のYMS-18(プロトタイプ・ケンプファー)とビーム兵器装備型のMS-18F(ケンプファービーム兵器装備型)が存在されたとする資料もあり、YMS-18はU.C.0080年代中期のゲリラ活動で使用されとの話(機動戦士ガンダム エコール・デュ・シエル 天空の学校)があるが、MS-18Fはペーパープランだった可能性が高いようだ
このように多数のMSの間に互換性をもたらした「統合整備計画」であったが、「計画」に準拠していないMSも多かった。実際、一年戦争末期の大規模会戦となったソロモン戦やア・バオア・クー戦に参加した公国製MSの大半は、通常のMS06F(ザクⅡ)やMS09R (リック・ドム)であり、結局「統合整備計画」仕様のMSは瀕死のジオン公国軍を救うことはできなかった。
確かに「統合整備計画」で整備されたMS群は高い互換性を持っていたが、前線に配備されるMSは雑多にならざるを得ず、現実には「統合」も「整備」も不完全な形となってしまった。これに「計画」非準拠型MSやMAが加わるのだから、現場の混乱は少なからむものであっただろう。
また、第2機生産型MSは確かに強力な機体であったが、他のMS都の性能さ、特に機動性が大きく異なり、共同戦線を張るのが難しいという一面もあった。スラスター推力は大幅に上昇していたが、推進剤量が原型機と変わっていないため、実質的な稼働時間が短くなりがちなのも問題であった。
結局、最高クラスの性能を誇ったはずの第2機生産型MSは、終戦間際の局地戦と限定的な繊維機でしかその力を発揮できず、次々と破壊、または部品の供給不足で稼働不能に陥った。
いかに高い互換性を持つMSであっても、国家規模のバックアップと部品供給がなければ長期的な運用は難しかったのだろう。
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