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占術師速水丈太郎  横須賀の海にて

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第二章


第二章

 どういうわけかこの救助から艦に異変が起こるようになったのだ。例えば人員の数であった。
「おい、またか」
「ああ」
 先任海曹達が外出簿や外出札を見ながら首を傾げていた。先任海曹とは下士官の中でもベテランの者達であり言うならば艦の本当の意味での主達である。彼等が実際に艦を動かしていると言っても過言ではない。そうした意味で非常に力のある者達だ。その彼等が首を傾げていたのである。
 ここは先任海曹室である。そこで彼等は皆首を傾げていたのだ。
「数が合わない。やっぱり一人多い」
「今日は皆出ているな」
「間違いない」
 一人が外出簿を見て言った。
「きっちり全員出ている」
「入って来ている奴もいない。やっぱりおかしいぞ」
「いないというのならわかるんだけれどな。どういうことなんだ」
 最近この艦では人が一人多いとされているのだ。少ないのではない。人員点呼をすれば全員いる。だが一人多いのである。しかし知らない顔はいない。実に不思議なことであった。
 不思議なことはそれだけではなかった。深夜消灯した後のことである。
 食堂の灯りが点いている。だがそれが急に消えるのだ。
 その逆もある。電気員達が調べても異常はない。だがそれがしょっちゅうあるのである。
 米が減っていたりすることもあった。これはまず給養員達が疑われた。横流しをしているのではないかと。
「じゃあ調べてみればいい」
 それを聞いた給養員長の言葉であった。彼はそんなことは有り得ないとさえ言った。
「もしそんなことがあったら自衛隊を辞めてやる」
 彼は自分の部下達を信じていた。それに維持もあった。だからこそこう言ったのである。
 結果は白だった。やはり何もなかった。だが米がなくなったのは事実であった。その他にも多くの食糧がなくなっていた。だがこれも白であった。
 怪異はさらに続いた。士官室の書類が風もないのに突如として浮かび上がる。そして左右に舞う。所謂ポルターガイスト現象である。
 海上自衛隊という組織は案外狭いものである。従って噂が広まるのも早い。これが横須賀、いや舞鶴や呉、佐世保等にまで話が伝わるのにそう時間はかからなかった。何時の間にかこの艦は客船を救助した英雄ではなく怪奇現象ばかり起こる無気味な艦となってしまっていた。
「それで私が呼ばれたわけですね」
 この艦が停泊している横須賀の海上自衛隊の港に一人の男が来ていた。
「はい」
 それを若い女性自衛官が応対する。黒いスーツの制服に膝が隠れるスカートを身に纏っている。腕のところには太い線が二本ある。それを見ると彼女が一等海尉であることがわかる。細長い卵型の顔に後ろで束ねた黒い髪がよく似合っている。少し垂れていて切れ長の目が印象的である。
「何しろ我々はこうしたことは対象外でして」
「でしょうね」
 男はその言葉に対して頷いた。
「自衛隊の仕事はあくまで物理的なものを対象していますから」
「はい」
 その女性自衛官は彼の言葉に頷いた。なお海上自衛隊では女性自衛官のことをウェーブと呼ぶ。陸上自衛隊ではワック、航空自衛隊ではワッフとなっている。
「こうしたことは話だけは多いのですが」
「そうらしいですね」
「御存知でしたか」
「ええ、まあ」
 男はそれに対して頷いた。見れば鮮やかな青いスーツとネクタイを着ている。そしてその上からその青いスーツと映える丈の長い白いコートを羽織っている。だがそれは裏地は深紅であり何処かマントを思わせる。
 顔も白く何処か日本人離れした色であった。雪か雲の様に白い。
 だが髪は黒くそれで顔の左半分を完全に覆っていた。その黒い二重の少し小さな目でウェーブを見ていた。そしてその薄い唇で話をしていた。整ってはいるが何処か謎めいた男であった。
「昔から自衛隊にはこうした話はつきものですからね」
 男は答えた。
「軍の頃から」
「よく御存知のようですね」
「職業柄ね」
 男はこう答えた。
「こういう仕事をしていると。よく聞くことになります」
「占い師でしたね」
「はい」
 男はここでうっすらと笑った。本人はにこやかに笑ったつもりだったのかも知れないがその笑みは何処か謎を含んだものであった。
「タロットで」
「タロット」
「トランプに似たものです」
 聞き慣れない単語を聞いて目をパチクリさせるウェーブにこう答えた。
「カードを使って占うのですよ」
「そうなのですか」
「今度貴女も占って差し上げましょうか」
「時間があれば」
「占い方も色々でしてね。一枚で占うこともできます」
「一枚で」
「何でしたら今ここで占って差し上げても宜しいですよ」
 彼はコンクリートの波止場を歩きながらこう言った。見れば左右には停泊している船舶が並んでいる。後ろには自衛隊の建物があった。どれもかなり大きい。その大きさと数からここがかなり大きい基地であるとわかる。事実ここは海上自衛隊の基地の中でも最大規模のところの一つである。
「何が宜しいですか」
「何と急に言われましても」
 彼女は少し戸惑った。
「そうですね」
「当然恋占いもできますが」
「恋占い」
 それを聞いたウェーブの表情が少し変わった。
「はい。占いの定番ですから」
「それじゃあ」
 彼女はそれを聞いて占ってもらう気持ちになった。彼に頼んできた。
「今の交際について」
「わかりました。それでは」
 それに頷くとサッと懐から何かを取り出した。彼はまずそれを見た。
「ふむ」
 見ればそれは一枚のカードであった。彼はそれを見て頷いていた。
「それがタロットですね」
「ええ」
 彼は答える。
「御覧になられますか」
「はい」
 彼女はその問いに答えた。すると彼はそれに頷いてカードを彼女に対して見せた。
「どうぞ」
 そこには太陽が描かれていた。そしてその周りには人がいる。見れば晴れやかな顔をしていた。
「太陽」
「そう、太陽です」
 彼はにこりと笑って答えた。
「これは非常にいいカードでして」
「そうなのですか」
「これは私の予想ですが」
「何でしょうか」
「貴女は最近今付き合っておられる方と喧嘩されましたね」
「はい、そうです」
 彼女はそれを認めた。
「ちょっと。詰まらないいざかいで」
「そうでしょうね。だからこのカードが出たのです」
 彼は目で頷きながらこう述べた。
「ですがこのカードが出たということは安心されていいです」
「何故ですか?」
「太陽は毎日昇りますね」
「ええ」
「沈んで浮き上がって。即ち復活です」
 彼は述べた。
「つまり仲直りできるということです」
「それは本当ですか!?」
 それを聞いた途端顔が明るくなった。
「はい」
 彼はそれにまた頷いて答えた。
「私の占いは外れたことがありません。そして今もまた」
「わかりました。それじゃあ今日仕事が終わったら会って来ます」
「早いですね、それはまた」
「思い立ったが吉日ですから」
 声まで明るくなっていた。
「何か元気が出て来ました。有り難うございます」
 そう言ってここで左手を見た。彼はそれを見てあることに気付いた。
「あの」
「何でしょうか」
 ウェーブの声はさらに明るさを増していた。
「今左手を御覧になられましたね」
「ええ、それが何か」
「いえ」
 この横須賀の基地の港のすぐ隣にとある球団の宿舎と二軍の練習場があるのである。同じ神奈川県にある横浜ベイスターズの宿舎でありその二軍である湘南シーレックスの練習場である。彼女は今そこを見て楽しそうに声をあげたのである。
 だが彼女はそれには気付いていなかった。彼はそれであえて話をぼかしてきた。
「昨日のベイスターズの試合はよかったですね」
「はい」
 やはり返事も元気のいいものであった。
「最後の最後で勝ちました」
「まあ今の巨人は最後がお粗末ですからね。いいことです」
「そうですね。やっぱり巨人は負けないと」
「はい」
 彼はそれには同意であった。実は彼も横浜ファンなのである。
「地元の球団が勝って嬉しいですか」
「実は私は金沢出身なんですか」
「そうですか」
 自衛隊は全国から人が集まる。だから何処に配属されるかわからないのである。
「それでも子供の頃から横浜ファンなんですよ」
「横浜大洋ホエールズの時代からですね」
「懐かしいですね」
「私もそうですから」
 彼も自分がファンであることをここで認めた。
「ここ数年あれでしたけれど今年は頑張ってますね」
「本当に。もうあの時は」
 どうしようもない程弱かったあの時を思い出して二人は話をしていた。
「もう笑うしかありませんでしたから」
「ええ」
「けれど今は違いますし。ほら、あの若いピッチャー」
「ええと」
 と言われても何人かいる。咄嗟には思い出せない。
 とりあえず見当をつけてみることにした。ふとした動作で口に出してみる。
「あのストッパーの」
「そう、彼です。彼がいるから勝てるんですよね」
「そうですね」
 誰が彼氏なのかここでわかった。だがやはり彼女は気付いていなかった。
 そんな話をしながら埠頭を進む。そしてある艦の横にやって来た。
「この艦です」
「この艦ですか」
 言われて顔を上げる。見ればかなり大きい艦であった。
「またえらく大きいですね」
「最新鋭で。今自衛隊で最も新しい艦です」
「はあ」
 近年海上自衛隊では艦艇は大型化している。その結果としてこの艦もまた大型なのである。だが見ればここにはこの艦よりも大きな艦があった。
「まあイージス艦よりは小さいですが」
「イージス艦」
「あそこに停泊している艦です」
 彼女はそう言ってその大きな艦を指差した。見ればかなり独特のシルエットを持っている。
「あれがイージス艦ですか」
「ええ。やはりあれが護衛艦の中では最も大きいですね」
「そうなのですか」
「それでもこの艦は大きいでしょう」
「はい」
 彼はその言葉に頷いた。
「ちょっとこんな大きな船はそうそう見たことがありませんね」
「でしょうね。中も凄いですよ」
 どうも海上自衛隊にとっては自慢の艦であるらしい。語る言葉が説明口調でありしかも誇らしげであった。先程の恋と野球の話とはまた別の意味で乗っていた。
「ただ、守秘義務は守って下さいね」
「はい」
 彼はその言葉に頷いた。
「確かに捜査としてかなり細かい部分まで見てもらうことになるでしょうが」
「はい」
「そのことについて他言なさらないで下さい。宜しいですね」
「わかっています。これも契約ですからね」
 彼は応えた。
「決して口外はしませんので。御安心下さい」
 実は彼はそういう約束でこの仕事を引き受けたのである。
 自衛隊は国防上止むを得ない理由でそうした守秘義務がとりわけ多く存在する。とりわけ兵器である艦艇にはそれが顕著である。だからこそ契約の際こうした約束が為されたのである。
「では」
「はい」
 彼は頷いた。そして案内されてラッタルを登る。入口の舷門で挨拶を受けそのまま艦内に案内される。そして艦橋まで導かれたのであった。



 
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