至誠一貫
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第一部
第四章 ~魏郡太守篇~
四十九 ~新たなる告白~
凶報は、予期せずやって来るもの。
それは承知している筈ではあるが、まるで衝撃なし……とはいかぬようだ。
「陛下が、崩御されたとの事だ」
「とうとう、この日が来ましたか」
「時間の問題ではありましたけどねー」
その場に居合わせた稟と風は……冷静そのものだ。
尤も、無闇に取り乱す軍師など不要ではあるが、な。
「土方様。今一つ、お伝えしたい事がございます」
「聞こう」
「はっ」
陛下崩御の知らせをもたらした使者-何進麾下の者-は、声を潜める。
「実は陛下は、近衛軍の整備を進めていたところで。そこに、土方様や曹操様などが候補として入れられていたそうにございます」
「西園八校尉、か?」
「……ご存じでしたか。流石でございます」
これは、私が知る正史そのままであったらしい。
ただ、時期も顔触れも、まるで異なるが。
「私と華琳だけではあるまい。どのような者が任じられる予定であったのだ?」
「申し訳ありません、私もそこまで詳しくは。ただ、筆頭は蹇碩様であったとの事は、聞き及んでおります」
やはりそうか。
となれば、他にも袁紹や淳于瓊、張融らが名を連ねている筈だ。
「それを命じられた陛下ご自身は逝去されてしまったが、既に令は発せられているのか?」
「はい。追っつけ、勅使が到着するかと」
「……わかった。何進殿に、宜しく伝えていただきたい。まず、一休みなされよ」
「はっ! では御免!」
使者が下がった後で、二人から当然の質問をされた。
「歳三様。西園八校尉、とは?」
「近衛軍の役職という事はわかりましたけど、どうしてお兄さんがそれをご存じなのでしょうかー?」
「……うむ。前にも話した通り、これは私の知る歴史での出来事。ただ、な」
「ただ、何でしょうか?」
「順序が違うのだ。もともとは、黄巾党の首領である張角らが、将軍を自称した事に対抗して、陛下自らが将軍を名乗り、その下に近衛軍を率いる将を設けた、というものなのだ」
「でも、黄巾党は既になくなっちゃいましたしねー」
「そうだ。それに、華琳も袁紹も、既に地方に派遣された後だ。それ故、今後の展開は全く読めぬ」
「とにかく、勅使を待つしかありませんね。それまでに、情報を集めましょう」
「ですねー。早速、疾風(徐晃)ちゃんと相談しておきますね」
漸く、魏郡の経営が軌道に乗ってきた矢先だ。
課題も山積している中、此処を離れるべきではなかろうが。
……だが、月の事もある。
とにかく、座して待つ訳にはいかぬな。
巡検や調練、流民への農作指導など、各々に役目をこなしていた皆だが、急な知らせに集まってきた。
疾風と風も、可能な限りかき集めた情報を手に、戻っていた。
「では、始めてくれ」
「はい」
稟が頷き、軍議が始まる。
「既に全員承知とは思いますが……陛下が崩御なさいました」
「ついに、この日が来てしまいましたか」
愛紗の言葉は、この場にいる全員の思いだろう。
陛下が健在である限り、堕落と腐敗こそ止まらぬが、少なくとも乱世にはなるまい。
だが、それももう、望むべくもない。
「それで、お世継は結局、どうなったのでしょうか?」
「そこなんですよ、愛里(徐庶)ちゃん。いろいろ調べたんですが、陛下は何もご遺言されていないようなのですよ」
「……つまり、だ。次なる陛下を決める術は誰も持たぬ、と?」
「そうなるね、彩(張コウ)さん」
「両皇子ご自身はともかく、その背後におられる方々は、早速動いていると見ていいでしょう」
「待て、元皓(田豊)。それは、あまりにも不敬ではないか?」
「それが現実と言うものだぞ、愛紗よ」
「……くかー」
……寝ている鈴々はさておき。
早急に結論を出さねばならぬ事が、二つ。
皆、思いの丈をぶつけ合うのも良いが、今は一刻を争う事態。
「皆。もう一つ、知らせがある。この度、西園八校尉というものが定められた。一言で申せば、陛下直属の武官、つまり近衛軍の将だ」
「歳三様も、その一人に撰ばれたようなのです。……陛下崩御の前に出された勅令との事だとか」
「無論、お断りする事は出来ませんねー。出世には違いないんですが」
「……つまり、主も洛陽に赴く事になる、そうですな?」
「そうだ。……恐らくは、華琳と袁紹も、同時に招集される筈だ」
「こんな時に、地方の有力者を洛陽に集めるなんて、何考えてんだろうねぇ」
大仰に、嵐(沮授)が肩を竦めた。
「しかも、それをお決めになった陛下ご自身は、既におられませんよね」
「うむ。元皓の言う通り、今更何の意味もない話だが……」
「彩、それを言っても仕方あるまい。歳三殿、西園八校尉の詳細、調べておきます」
「頼むぞ、疾風」
……そして、もう一つ。
「嵐、元皓、愛里、そして彩」
「何だい、旦那?」
「私が洛陽に赴くとなっても、魏郡太守の役目が解かれた訳ではない。……お前達は、その留守を任せたいのだ」
「…………」
四人共に、複雑な顔だ。
「私とて、お前達がいればこそ、ここまで郡の経営を軌道に乗せられた、そう確信している。仮に、郡太守の役目御免となった場合は、共に洛陽に連れて参る。それはこの場で約定しよう」
「歳三さん。私……」
「愛里。文官志望で、見事にその役目を果たしているお前は、今此処を離れる訳にはいくまい?」
「はい……」
「元皓、嵐。お前達は何より、この冀州の事に通じている。そうであろう?」
「太守様の、仰る通りです」
「まぁ……ね」
「そして、彩。今すぐに何者かに攻め入られる懸念はないが、お前ならば火急の事態にも対応出来よう」
「殿……」
「四人とも……良いな?」
納得はしておらぬようだが、それでも四人は不揃いに頷いてみせた。
その夜。
私室で書物を読んでいると、
「殿。少し、宜しいか?」
「彩か。入れ」
「はっ、失礼致す」
珍しく緊張した表情の彩が、入ってきた。
「どうかしたか?」
「いえ……。殿に、伺いたい事があります」
「うむ。申してみよ」
「……ゴホン。と、殿は……その……」
何故か、顔を赤らめる彩。
「皆に、し、慕われている事は承知ですが……。だ、誰が一番なのかと?」
「それは、星や稟らの事を申しているのか?」
「そ、そうだ」
ふむ、彩にはまだ話してなかったか。
「その事なら、優劣はない。皆、等しく想っているが」
「等しく?」
「ああ。優柔不断、と思うか?」
彩は、激しく頭を振る。
「そんな事はありませぬ。皆、一角の人物で、器量も良い。それを相手に、誰からも愛想を尽かされぬ男が、優柔不断な筈がありませぬ」
「想いを告げられた者全てとの約定でもある。誰かを特別扱いはせぬ、とな」
「…………」
何やら考え込んでいるようだが。
「……で、では、今一つお伺いする。か、仮にだが……他の女が、言い寄ってきたとしたら、どうなされる?」
「仮に、か?」
「そ、そうだ」
……なるほど。
彩の言わんとしている事は、察する事が出来た。
だが、あまり率直に指摘しては、彩が傷つくやも知れぬな。
「そうだな。繰り返すが、私は誰か一人を特別扱いはせぬ。他の者と同じ立場、そう見るが」
「そ、それが、例え女らしからぬ者だったとしても?」
「大事なのは心根、ではないかな。女子は容貌や雰囲気も問われるのやも知れぬが、私は互いを想う心根、それを重んじているつもりだ」
「互いを想う……か」
「そうだ。世の男全てがそうとは申さぬが、私はそのように信じている」
ふう、と彩は大きく息を吐く。
「やはり、殿は……」
「私がどうかしたか?」
「……いや。で、では、私の話も聞いていただきたい」
「わかった、聞こう」
彩は居住まいを正し、私に向き合う。
「殿。……わ、私を」
「彩を?」
「そ、その……。いや、そうではなく……ええと」
これ以上、言わせるのは酷というものか。
そう思った私は、腰を上げた。
そして、
「えっ?」
驚く彩を、腕の中に。
「厭ならば申すが良い。私は、お前が嫌がる真似をするつもりはない」
「…………」
「どうだ?」
「……殿。狡いですぞ」
「狡いか?」
「そ、そうです。このようにされて、否と言える訳がないではありませぬか」
「それは、私が主人だからか?」
「ち、違う!……殿、気付いておられたのですな?」
彩が、私の胸に手を置いた。
「ふっ、そこまで私は鈍感ではないつもりだ。だが、彩自身の言葉が聞きたかったのだ」
「……私の負けです。殿には全てお見通しでは……な」
そう言って、彩は顔を上げた。
「殿……お慕い申しております。私も、傍に置いていただきたい」
「良かろう。お前の心根、私にも愛すべきものだ」
「嬉しい……。殿と、やっと……」
眼を閉じた彩に、私はそっと、顔を近づけた。
そして。
彩は布団の中に潜ってしまっている。
その隙間から除く肌は、真っ赤になっているようだが。
「彩、辛くないか?」
「へ、平気です。この程度の痛み、物の数ではありませぬ」
強がってはいるが……そっとしておくべきだな。
「一つだけ、聞かせよ」
「……はっ」
漸く、布団から顔を覗かせた。
「いつから、私の事を?」
「……実を申せば、初対面の時だ。韓馥殿もそうだが、それまで出会った男は、軟弱者ばかりであった」
「お前の父親はどうなのだ?」
「……父は、物心がつく前に……」
「そうか。……済まぬ」
「お気になされますな。だが、殿は違いました。凛々しく、堂々とされていた。……ですが、その時はまだ、殿という人物を理解していなかった上、好いた男もおらぬ。恋など、私には無縁……そう思っていたのです」
彩程の武人ならば、尚更であろうな。
「だから、殿にお仕えする事になった時は、嬉しさ半分、戸惑い半分でした。……主としての才や人物には申し分ないが、私自身の気持ちに整理がついていなかったのです」
「…………」
「……だが、殿が洛陽に赴くとなり……このままでは後悔する、そう思った。だから……」
「そうか」
そんな彩が、いじらしかった。
布団の上から、そっと身体を撫でてやる。
「殿」
「何だ?」
「……本当に、宜しいのですか? 私はこの通り武骨者。稟や風のような才知もなければ、疾風のように身軽でもない。星や愛紗とて……」
「止せ」
腕を布団の中に入れ、彩を抱き寄せた。
「殿……」
「申した筈だ。お前の心根は、好ましいものだ。それに、この時代、お前のような者は欠かせぬ。他の者と比べてどうとか、そのような事で己を卑下するな」
「……わかり申した……殿が、そう仰せならば」
彩が、私の首に手を回してきた。
何度目かの、接吻を交わす。
「殿。今一つ、お願いがあります」
「申してみよ」
「……今宵はこのまま、眠らせていただきたいのです。宜しいでうか?」
「否……と申すとでも思うか?」
「ふふ……。では殿、お休みなさいませ」
翌朝。
衣擦れの音で、目が覚めた。
「あ、殿……。起こしてしまったか?」
「いや。身体の方は、大丈夫か?」
少し頬を染めながら、彩は頷く。
「お気遣い、痛み入ります。では殿、また後で」
そして、部屋を出て行った。
……さて、皆に話をせねばならぬな。
その前に、水でも被るとしよう。
そう思い、私は臥所を出た。
「ふう……」
冷たい水を浴びると、心身が引き締まる気がする。
湯も良いが、ここギョウには温泉がなく、この時代の薪炭は貴重品。
贅沢は慎まねばならぬ。
「主。お使い下され」
と、手拭いが差し出された。
「星か。早いな」
「……昨夜」
やや、拗ねたような口調だな。
「彩の事か?」
「然様。主の事、隠すおつもりはないでしょうが……」
「無論だ。他の者にも、包み隠さず話すつもりだ」
「ならば結構……と言いたいところですが」
そう言いながら、星は私の背を拭い始めた。
「……私とて、主を慕う気持ちは負けておりませぬぞ。今宵は、傍に参りますぞ?」
「ふむ……。それも、あの者らに話した上で、だな。そうであろう、稟、風、それに愛紗」
私が声をかけると、ぞろぞろと三人が姿を見せた。
「だから言ったのです。隠れるだけ無駄だと」
「むー。そう言いながら、稟ちゃんだって乗り気だったじゃないですかー?」
「全く……。何も、私まで巻き添えにしなくても良いではないか」
私は濡れた手拭いを絞りながら、立ち上がった。
「疾風が戻ったら、皆にも改めて話す。それで良いな?」
朝食に向うと、食堂では衝撃の事実が待ち構えていた。
「うわぁ……」
「これは……」
全員が、その光景に呆然と立ち尽くす。
食卓の上が、凄まじい事になっていたからだが。
……ただし、良い意味でだが。
「あの、まさかこれ全部を……?」
「そうだぞ、愛里。何か問題でも?」
「い、いえ……。ちょっと、意外でしたので」
彩は、少しばかり、胸を張った。
「武骨者だが、料理の心得ぐらいはあるぞ。殿、席に」
「……うむ」
私も内心では、少々驚いていたりするのだが。
品数もそうだが、盛りつけも豪快どころか、繊細さすら感じさせる物が、並べられていた。
「彩、食べていいのか?」
「ああ」
「じゃ、いっただきまーす!」
早速、鈴々が箸を取る。
そして、満面の笑顔で、
「すっごく、美味しいのだ!」
次々に平らげていく。
その様を見て、皆も箸を取り、口に運んだ。
「む。美味い」
「むう。これはなかなか……」
「ちょっと、彩さん。これ本当に彩さんが……?」
誰もが、唸っている。
彩の奴、取り柄がないなどと……全く、どの口が申すのやら。
「見事だぞ、彩」
「……は」
顔を赤らめながらも、良い笑顔を見せた。
その日から暫く、皆の指が妙に傷だらけであった事は、敢えて触れるまい。
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