戦国異伝

　　　　　　　　　　　　　　　　　　第百三十七話　　虎口を脱し
　信長が朽木家に守られそのうえで信行達が率いる二万の兵とも合流し都に戻っているという報はすぐに織田家の将兵達にも伝わった。
　林はその報を聞いて明るい声でこう言った。
「そうか、それは何よりじゃ」
「全くですな」
　通具も兄のその言葉に応える。
「殿さえ生きておられれば」
「うむ、織田家は安泰じゃ」
「では兄者、我等もですな」
「すぐに都に戻るぞ」　
　林は普段とはまた違う明るい顔で弟に告げた。
「よいな」
「はい、それでは」
「兵を急がせよ、殿は今にも都に入られる」
「皆に伝えます」
「そうせよ、よいな」
「さすれば」
「まずは都に戻ってからじゃ」
　やはり楽しそうに言う林だった。
「戻ってそれからじゃ」
「この退きの借りを返しますか」
「朝倉にな。しかし」
　ここでだ、林も彼については曇った顔でこう言うのだった。
「猿夜叉様は」
「あの方ですな」
「わからぬ」
　首を傾げさせての言葉だった。
「何故じゃ」
「そうですな、どうして裏切られたのでしょうか」
「あの方はとりわけ義理堅い方じゃ」
「はい、我等よりも遥かに」
「殿にもな」
　律儀だったというのだ。
「野心にあられぬし」
「それが何故でしょうか」
「やはりわからぬ」
　林にしてもどうしてもだというのだ。
「このことはな」
「兄上もですか」
「しかしこれで浅井家も敵となった」
「ですな、残念なことに」
「実にのう」
　林は弟の言葉に無念の顔で応えるばかりだった、普段は織田家の重鎮の一人、老臣として落ち着いた物腰で感情を出さない彼にしてはこれも珍しいことだった。
「どうしたものか」
「兄上は猿夜叉様が本心から裏切ったと思われますか」
　通具はその珍しい顔になっている兄に問うた。
「あの方が」
「その様な方ではない」
　それは断じてないというのだ。
「あの方は松永弾正とは違うぞ」
「ですな。どう考えても」
「あの方が裏切られるなら織田家には家臣はいなくなってしまうわ」
　長政の義はそこまで強いというのだ。
「あの方と徳川様程律儀な方がおられてこそ織田家は安心出来るのじゃ」
「左様ですな」
「操られでもせん限りない」
　そこまでだというのだ、長政の義は。
「断じてな」
「操られて、でありますか」
　二人のところに川尻が来た、そして難しい顔でこう言った。
「それは勘十郎様の時と同じではありませぬか」
「あの津々木か」
「あの者か」
「まさかあの者がまた動いているのでは」
　川尻は信長と共に津々木と対峙したことがある、それで今言うのだ。
「もしやと思いますが」
「あの者が近江に入っておるのか」
「そして浅井家において」
「そうではないでしょうか。若しくは」　
　川尻は怪訝な顔になり林兄弟に話していく、三人は馬の足は速くなり足軽達も急がせながら話しているのだ。