ソードアート・オンライン ~無刀の冒険者~
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マザーズロザリオ編
episode5 『勇者』
ゆっくりと、目を開く。
Mobのそれと化した俺の瞳が、迷宮区の闇の奥から近づく彼らの姿をしっかりと捉えていた。その全員が、嫌というほどに見覚えがある顔。ユウキ、シウネー、ジュン、テッチ、ノリ、タルケン。アスナ、リズベット、クライン、シリカ、エギル、リーファ、シノン。
そして……。
最後の一人をその目で見る直前、頭が、ぐらりと揺らいだ。
連日夜通しこの迷宮区に張り付いているせいで、まともに寝れていないせいだろう。
現実での俺の体に、既にもう限界が間近まで迫っていることを示していた。
けれど。
(まだ、だ……)
まだ、眠るわけにはいかない。
俺には、為すべきことが、あと一つだけ、残っている。
歯を……いや、Mobのものとなった牙を食いしばり、必死に目を凝らす。
(…………っ……)
その先に映るのは、黒髪の影妖精。
ぼんやりとしか見えないその顔がなぜか、こちらを向いているかのように俺は思った。
それを感じた瞬間。
俺の体は闇を払って、一気にその姿へと突進した。
◆
俺は、ずっと不思議に思っていた。
この『二十九層の魔物』についてのことだ。
いくつかのオカルトじみた伝説をもつそのネームドMobに、俺は是非一度一度会ってみたかった。今回ボス部屋前までの同行を買って出たのは、もちろんアスナやユウキ達に万全の状態で挑んでほしいからというのもある……が、そこにはその《グラン・ダークリザード》と手合わせしてみたかった、という自分の都合が少なからず入っているだろう。
まるで狙ったかのようにメイジ……それも詠唱中のメイジを狙い打つ頭脳。一瞬で背後に回りこみ、その命を絶つ超高レベルの《体術》。《挑発》系の特技を無効化……いや、壁戦士自体を掻い潜る様にしての移動。そして、大技ソードスキルはおろか単発の通常攻撃をもかわす回避能力。そんなものがAIに可能なのか、見てみたかった。
そして、今。
「っっっ!!!」
闇から突進してきた、漆黒の鱗を持つ怪人。
その鋭い牙を、尖った爪を、そして憎悪に燃える目を見て、分かった。
(……知ってる……っ!?)
俺は、そいつを知っていた。
勘だけで咄嗟に構えた剣がその鋭い爪と噛みあって火花を散らす。
「キリト君!?」「出たかっ!?」「は、速いっ!?」
瞬間、理解した。
その、まるで宙を舞うかのような動作。
一切の無駄のない、卓越した身のこなし。
そして何より、その血走った目から感じる、隠し得ない恨み。
こんな目が、Mobに出来るはずがなかった。
こいつは。この男は。
「……アスナ。先に、行っててくれ」
「っ、あ、き、キリト君!?」
一瞬遅れて動揺が走ったメンバーに、俺は呼びかけた。ユウキ達七人パーティーが一瞬で構えた武器を、空いている左手で制する。こいつが俺の知るアイツなら、力はそこまで強くは無いはず。このまま拮抗状態に持ち込める。
「き、キリト、無茶よ! コイツ、大ギルドのレイド潰すボスなのよ!?」
「一端全員で戦うべきよ、お兄ちゃん!」
なおも悲鳴を上げる二人を横目に見ながら、裂帛の気合を込めて剣を押し返す。
飛び退る、トカゲ男。
俺の予想が正しければ。
―――キシャアアアッ!!!
怪物は、奇声を発してこちらを睨みつけ……予想通り、襲いかかってこない。
今までこのMobについて聞いていたAIなら、近くにいるメイジのシウネーさんやアスナに襲いかかっているはずだ。それなのに、その目はひたすらに俺を……俺だけを睨みつける。ありったけの、憎しみの感情をこめて。
やはり。
「俺は、コイツに、用があるんだ」
この男に俺は、正面から向き合わなければならないのだ。
◆
見抜かれた。
確かに、俺にも隙があったことは認めよう。隊後方を行く軽戦士であるキリトに真っ先に襲いかかったのは少々不自然だったし、そのあとの拮抗状態は完全に我を忘れての愚行であったが、それがあったとしても。
(……たったのそれだけで、俺の正体を見抜きやがった……)
名前も出ず、単身迷宮区をうろつくこの《グラン・ダークリザード》が、Mobではなくプレイヤーであることを見破りやがった。
「……俺は、コイツに、用があるんだ」
キリトの、食いしばった歯から洩れるような、呟き声。ありがたい。こちらも、用があるのはお前だけだ。他の面々は先に行って、ボスでも倒しててくれ。
納得したのか、それとも俺の奇声での威嚇が効いたのか、他のメンバーがキリトを置いて奥地へと駆けていく。ユウキが力強く頷き、シウネーが会釈して走り抜ける。最後まで残ったアスナが、心配そうにキリトを見つめ……困ったように笑って、去って行った。
離れ、徐々に小さくなっていく足音。
その響きが完全に消え去り、訪れる、静寂。
そうして、どれほどの時間が経ったのか。
先に口を開いたのは、キリトだった。
「もう、いいだろ?解けよ、Mob化」
知られているなら、意味は無い。
おとなしく、幻属性の呪文を解除する。
現れるアバターは、『ラッシー』のそれ。ということは、ネックウォーマーで顔は隠しているとはいえ、その目と髪はキリトにも見覚えがあるだろう。いや、たとえ姿形が違おうとも、奴は俺を見分けたかもしれない。俺が、あの世界とは異なる姿を持つ彼を、キリトだと確信できたように。
無言のまま、その姿を現す。
そんな俺に、なおもキリトが続ける。
「……久しぶりだな。……なんていうか、凄く、お前らしいよ。これが、」
その言葉を、俺は遮った。
無言で伸ばす、銀色の右手で。
それだけで、キリトには伝わるだろう。
「っ、……」
「………」
取るのは、両手をだらりと下げて、膝を曲げる、独特の構え。その構えは、あのころからずっと変わらない、俺の本気の戦闘態勢。そして、右手に嵌る《カタストロフ》は、デュエルや模擬戦ではない、本気の戦いでのみ持ち出した、俺の相棒。
「……シド……本気、なんだな」
それを見たキリトの目が、悲しそうに揺らぎ……そして、鋭く光った。
瞬間、右手がストレージを操作したのか、背中に流麗な長剣が出現した。左手がゆっくりと動く。澄み切った音を立てて抜き放たれて構えられるのは、黄金に輝く刀身を持つ豪華な片手用直剣。この世界で間違いなく最強の剣である伝説級武器、《聖剣エクスキャリバー》。
いつもは見せない、奴の二本の愛剣の片割れ。
《カタストロフ》と同じように、強すぎる故に封印されている武器。
その、いかにも「勇者の剣」といった、俺では気後れするような剣を構える目の前の男は、どこから見ても立派な『勇者』だった。憎らしいほどに、腹立たしいほどに、『勇者』だった。
だから。
(……相手にとって、不足は無し、か)
この『勇者』こそが、俺が一発ぶん殴ってやるべき相手だ。
構えて、一秒。
二秒。
三秒。
「おおおっ!!!」
「はああっ!!!」
響いた絶叫は、同時だった。
石造りの地面を吹き飛ばさんばかりに地を蹴っての突進。
瞬間、俺の銀色の光と、キリトの金色の光が、激しく火花を散らした。
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