至誠一貫
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第一部
第三章 ~洛陽篇~
三十一 ~伝説の名医~
前書き
9/5 会話文の一部を修正しました。
結局、一人が吐くと、他の二人も観念したようであった。
最初の虚勢も何処へやら、洗いざらい吐いた。
無論、黒幕の正体も含めて。
「……どうやら、偽りではないようだな。では、命だけは助けてとらそう」
「はは……ひへ」
安心したのか、三人揃って、気を失った。
さて、手当してやるとするか。
そう思ったところに。
「土方殿、宜しいか?」
卑弥呼が、入口に立っていた。
「何用かな?」
「うむ、尋問は終わったと見えるな。奴等の怪我を手当せねばならんのだろう?」
「そうだ。これから取り掛かるところだが」
「実は、だぁりんが戻ってきているのじゃ」
「だぁりん?」
「そうじゃ。腕の立つ医者でな」
なるほど、此処は医者の屋敷であったのか。
「それは有り難いのだが、十分な謝礼は出来ぬ。それでも構わぬ、と?」
「だぁりんは謝礼など受け取らぬわ。では、連れて来よう」
そして、卑弥呼に連れて来られたのは、一人の若者。
眼に宿る光の強さ、そして全身から漂う気迫。
……幸いというか、異形の相ではない。
だが、只者ではないな。
「俺は五斗米道に身を置く医者、華陀だ」
「華陀? この時代きっての名医と言われるのは、貴殿か」
「名医? 卑弥呼、俺はそんな呼ばれ方をしているのか?」
華陀と名乗る若者は、頻りに首を傾げる。
「だぁりんは有名人だからな。無理もなかろう」
「そうか。で、アンタは?」
「私は土方と申す。貴殿の屋敷とは知らず、穢してしまった事はお詫びする」
「いや、あらましは二人から聞いた。だが、病人だろうが怪我人だろうが、医者を求めるところあらば駆けつける、それが俺の信条だ。任せて貰おう」
「では、お願い致す」
三人の縛めを解き、私は部屋の外に出た。
「卑弥呼、頼みがある」
「聞こう」
「尋問の事、皆には黙っていて貰いたい。あの者達には、あまりにも残酷に過ぎる光景だろうからな」
「うむ、それが良かろう。貂蝉にも、そう申しておく」
私は頷いてから、井戸を借りた。
少しでも、血の臭いを消しておかねばな……。
半刻ほど過ぎ、皆が揃った。
疾風を除き、貂蝉と卑弥呼の異形さには流石に引いたようだ。
とは申せ、少なくとも敵方ではない事は、すぐに理解できたらしい。
刻が惜しいので、屋敷の別室を借り、尋問で得た情報を皆に話した。
「……黒幕は十常侍、とは予想していましたが」
「筆頭のお二人ではなかったのですねー」
十常侍。
皇帝に仕える宦官の事であり、外戚の何進とは対立関係にある。
筆頭は張譲と趙忠であり、二人を中心に固く結束している……そう、聞いていたのだが。
「疾風、夏惲とはどのような奴なんだ?」
「いや、私はそもそも、十常侍との関わりがなかったのだ。官吏と言えども、皆が皆、把握し切れる訳ではないのだよ、星」
「そうか……」
「それと、歳三様と知って後を尾けた訳ではない……。つまりは、見張られていたのは何進殿、となります」
「そのお屋敷から、見慣れないお兄さんが出てきたので、尾行したと言う訳ですね」
「しかし、相手が悪かったとしか申せませぬな。主も疾風も、並の間諜では敵う筈もありませぬからな」
「此度は手練れではなかっただけの事。個人の武では、皆に敵わぬ」
「歳三殿のは、ただの謙遜としか受け取られませぬぞ? だからこそ、私もお任せしたのです」
「……それは良い。さて、早急に決めねばならぬ事がいくつかある」
私の言葉に、まず風が反応した。
「そうですね。やはり、夏惲さんの事を調べる必要がありますねー」
星が続く。
「あの者どもの処分も決めなければなりますまい。他にも仲間がいると考えた方が良いかと」
「それから、この事は何進殿にも知らせるべきかと。屋敷が監視されていた事もあります」
何やら、不毛な争いに巻き込まれかけているのかも知れぬな。
相手は魑魅魍魎の世界に救う妖怪ども。
迂闊な真似も出来ぬ、難儀な事だ。
「まずは、夏惲に関する調査は風と疾風に任せる。些細な事でも構わぬ、情報は出来る限り集めよ」
「御意ですー」
「畏まりました」
「大将軍への知らせは星が良かろう。疾風は顔を覚えられている可能性もある」
「はっ、お任せあれ」
風と疾風には費えとして金を与え、星には紹介状のみを持たせた。
万が一を考え、用向きは書状ではなく口頭とした。
星が不覚を取るとも思えぬが、用心に越した事はあるまい。
「後は、あの三名ですが」
残った稟と二人、手立てを考える。
「一番確かなのは、口封じだが……」
「手当てをされた華陀殿が反対されるかと。それに、命は助けると、一度は約束された事もあります」
「うむ。だが、このまま解き放つ訳には参らぬ」
「はい。彼らは安堵から、何を口にするかわかりません。何進殿だけでなく、華陀殿にも累が及びかねません」
「口止めは無意味か。然りとて、このまま此処に留めておく訳にもいくまい」
「連絡がなければ、彼らの仲間が探索に動きましょう。目撃者はいなくとも、この洛陽にいる限り、隠し通せる保証はありませぬ」
存外、処置に困る事態になった。
「立て込んでいるところ済まんが、手当てが終わったぞ」
華陀が、顔を覗かせた。
「歳三様、彼らと少し、話をされては如何でしょう?」
「ふむ。理由は?」
「処置が決められないのであれば、彼らの人となりを確かめるのも手かと。それに、今は歳三様を恐れているでしょう。話をするならこの機かと」
「……その通りだな。よし、行くとしよう。それから華陀、今一つ頼みがあるのだが」
「俺に?」
「ああ。この稟の身体、診てやってくれぬか?」
「と、歳三様?」
突然の事に驚く稟。
「お前の鼻血、あれは流石に尋常ではない。放置しておいては命に障るぞ?」
「……面目次第もありません」
「鼻血? どういう事だ?」
「稟。……良いな?」
「……はい」
俯いたまま、稟は頷いた。
診て貰うにも、症状を説明せねば始まるまい。
私の話を黙って聞いた華佗は、少し考えてから
「なるほど。病、とは少し違うようだが……。だが、体質であれば確かに俺の分野でもある。いいだろう、引き受けよう」
そう、言い放った。
「頼む。稟は、私には掛け替えのない軍師だ、失う訳にはいかぬ」
「歳三様……」
稟の目が、潤んでいるように見えた。
「では、私は外している。頼んだぞ、華陀」
「ああ、任されよう」
部屋を出て、庭にいる卑弥呼に声をかけた。
「少し、良いか?」
「おお、土方殿。私に用か?」
「些か、尋ねたい事がある」
「良かろう」
大きめの石に、並んで腰掛ける。
「貴殿は、確かに卑弥呼なのだな?」
「どういう意味かはわからんが、私は間違いなく卑弥呼だ」
「ならば、倭の邪馬台国は存じているな?」
「無論だ。あれは私が造った国。……そうか、土方殿も倭から参ったのだな」
「正確には異なるが、倭の地である事は確かだ」
「…………」
卑弥呼は、一瞬押し黙る。
「土方殿は、己が知る歴史との違和感について……それを聞きたいのかな?」
「然様。私が知る限り、邪馬台国は女王卑弥呼が治めていた、と。だが、貴殿は違うようだ」
「私はこれでも漢女のつもりだが?」
……発音が微妙に異なるような気がする。
あまり、深く追求しない方が良いのだろう。
そう、私の勘が告げている。
「そして、此処はこのように女子ばかりだ。衣装といい、食物といい、大凡私の知識や想像とはかけ離れている」
「ふむ。それで違和感、か」
「如何にも。無論、私がこの世界にやって来たのは、何かしらの天命と心得るが」
「なるほど。それなれば、一つ教えて進ぜよう。この世界は、『外史』と呼ばれておる」
「外史?」
「うむ。土方殿が知る邪馬台国や三国の事。それは、全て『正史』での出来事だ。この世界に来るまでに土方殿が体験した事も全て、正史での事」
「では、この世界は、全く異なる……そういう事か」
「そうなるな。土方殿は、平行世界、という言葉を知っているか?」
「いや。だが、そう説明されれば合点がいく」
「ただし、平行世界と言えども、肉体や精神はそのまま。無論、命を落とせばそこまでだ」
「……肝に銘じよう」
「私からはこれ以上の事は言えぬのじゃよ。後は、貂蝉の奴に尋ねるが良かろう」
「……相わかった」
やはり、奴もただの変態ではなかったか。
少しして、華佗と稟が姿を見せた。
「済んだぞ」
「して、どうか?」
「うむ。確かに、体内の氣の巡りが良くなかった。何度か治療を施せば、それは改善するだろう」
「……そうか。忝い」
「だが、妄想癖だけは治せないぞ? そればかりは、本人次第だ」
「わかった。稟、気分はどうか?」
「ええ。身体の何処かが重いような感じが、今はだいぶ楽になった気がします。……申し訳ありません」
「何故謝る?」
「いえ。度々あのような醜態をお目にかけて、歳三様に無用なご心配をおかけしましたから」
「仕方あるまい。だが、氣の巡りとは気がつかなかったな」
「私も、華佗殿に指摘されるまでは、体質なのだとばかり思っていました」
華佗は、両手を水桶でバシャバシャと洗いながら、
「氣の流れは、見える者はごく一部だ。土方は、氣の流れが良いようだ」
「ほう。診察せずともわかるものなのか?」
「ある程度はな。だからこそ、俺はこうして医者として人々を救える訳だ」
そう話す華佗は、自信に満ち溢れている。
だが、決して傲岸に見えぬのは、流石と言うべきか。
「華佗。では稟の事、頼んだぞ?」
「任せて貰おう。俺は、信頼には全力で応える事にしている」
「おお、流石はだぁりん。このようなイイオノコ、そうはおらんぞ」
「あら~ん。じゃ、私からもご褒美のちゅーを」
「む? 貂蝉、私のだぁりんに何をする?」
「いいじゃない。卑弥呼ったら欲張りねん」
「い、いや、そういうのはいいから。二人とも、な?」
後ずさりを始める華佗。
「遠慮は無用だぞ、だぁりん」
「そうよん。こんないい漢女が二人もいるのよ?」
「だ、だから要らん!」
脱兎の如く駆け出す華佗。
「おお、どこへ行くのだ。だぁりん!」
「まってぇ!」
そして、後を追う筋肉達磨達。
「……歳三様。私、少し吐き気が」
「……私も、些か気分が悪い」
性根は悪くない、が……。
「稟はそのまま休んでいるがよい」
「はい。歳三様は?」
「私は、あの三人と話をして参る」
「……では、私も同席させていただきます」
毅然と、稟が言った。
「話をするように提案したのは私です。それに、私も問い質したい事があります」
「無理はしておらぬな?」
「お気遣いなく。流石に、そこまで脆弱ではありませんよ」
「ならば、参れ」
「はい」
手当ては受けたものの、まだ歩き回るのは困難なのだろう。
縛めは解いたままにも関わらず、男達はぐったりと身体を横たえている。
……が、私を見ると、途端に怯えの色を見せた。
「も、もう喋る事なんかないぞ!」
「それは、承知している。尋問するつもりはないが、一つだけ、聞かせて貰いたい」
「…………」
そうは言うものの、やはり警戒を解くつもりはないようだ。
「そう身構えずとも良い。命は助けると言った約束は違えるつもりはない」
些か、三人の緊張が緩んだようだ。
「何故、宦官の手先など務めているのだ?」
「……仕方ないだろうが。俺達だって生活がある」
「ふむ。では、好き好んで、という訳ではないのか」
「当然だ。誰があんなタマなし野郎にへこへこしたいかよ」
一人が、吐き捨てるように言う。
「連中は私腹を肥やす事、権力欲を満たす事しか眼中にないんだ。だが、今の外戚は目障り……だから、屋敷を見張り、不審な奴は正体を確かめたり、場合によっては始末しろ。そう、指示されているだけさ」
別の男は、嘲るように言った。
「今の洛陽の有り様、あんたも見ただろう? 仮にも天子様のお膝元で、惨めな暮らしを送るしかない人間が大勢いるんだ。はした金で殺人も厭わない、いや、やるしかない奴も少なくない。俺達みたいに、な」
「…………」
稟は、そんな男達の言葉に、ジッと聞き入っている。
どうやら三人とも、心まで腐りきった連中ではないようだな。
「やむに止まれぬ、お前達の事情はわかった。剣を向けた事も、主命故仕方なかろう」
「…………」
「だが、そのまま解き放つ訳には参らぬぞ?」
「命は助ける、その約束だぞ?……まさか、此処に閉じ込めておくつもりじゃないだろうな?」
「そのつもりはない。気がかりは、お前達自身の事だ」
「俺達だと?」
「そうだ。このまま解き放てば、いずれにせよ不幸な結末を迎えるだろう」
「意味がわからんな。俺達が戻れば、アンタの事を報告するだけ。拙い事になるのは、アンタの方じゃないのか?」
「私達は確かにそうだろうな。尤も、降りかかる火の粉は払いのけてみせるが。だが、お前達はどうなる?」
「どうなる、とは?」
「決まっているだろう。如何に拷問にかけたとは申せ、洗いざらいを吐いた事、よもや夏惲に知られずに済む、とは思うまい?」
三人の顔が、一様に青ざめる。
「……まさか、俺達の事を、告げ口するつもりか?」
「そうではない。稟、説明してやれ」
「はい」
クイクイと眼鏡を持ち上げてから、稟は話し始めた。
「まず、こうしている間にも、刻は過ぎています。あなた方のやり方は知りませんが、これだけの間連絡を絶やす事は、常識で考えれば取り決めに反しているのでしょう? となれば、誰しも何か起きたと考えるのが自然です」
「…………」
男達は、黙って稟の言葉を聞いている。
「それから、その怪我をどう説明するつもりですか? 捕らえられたが逃げ出した、と説明して果たして信じるでしょうか?」
「それは……」
「そうでなくても、宦官は猜疑心が強く、他人を信用しない傾向があります。そんな人物が、あなた方の事を、容易に赦すでしょうか?」
「……何故、そう言える? タマなし野郎だって、中には違う奴がいるかも知れないじゃないか」
「そうかも知れません。ですが、十常侍の結束の固さはよく知られている話です。それは裏を返せば、全員が多少の差違があったとしても、基本は似た者同士。だからこそ、手を結ぶ事はあっても、相争う事はあり得ない。私は、そう見ています」
「つまり、戻ったところで俺達は始末される……そう言いたいんだな?」
「そうです」
稟は、きっぱりと言った。
「なら、俺達はどうすればいい? いくらアンタに助けられても、何の意味もないぜ」
助かる方法、か。
それが思い浮かばぬ故に、先程まで苦慮していたのだ。
「……一つだけ、手立てがあります」
稟に、全員の視線が集まる。
「どんな手立てだ?」
「この洛陽を出る事です。そして、十常侍の目の届かない場所まで行く事です」
「そんな場所が、都合よくある訳がない!」
「いいえ。今の朝廷が実効支配しているのは、司隷と雍州の一部のみ。例えば、涼州などは、まず手は及ばないでしょうね」
「涼州だと? あんな辺境に……」
呻くように、男が言う。
「だからこそ、です。それに、涼州は元々人の往来が活発な土地です。余所者が紛れ込んでも、不審に思われる事はないでしょう」
「稟。だが、伝手はあるのか?」
「はい。涼州刺史の馬騰殿とは、些か面識がありますので。義に厚い御仁ですし、頼る者を突き放す事はしません」
男達は、顔を見合わせる。
「……なぁ、アンタ、一体何者なんだ? そっちの姉ちゃんもだが、二人とも只者とは思えないぜ?」
「さて、な。それより、どうするのだ? 懸念しているであろう妻子ならば、何とか連れて参っても良い」
「ほ、本当か?」
最初に口を割った男の眼に、希望が宿る。
「確約は出来ぬが、お前達が疑われ始めれば、直ちに累が及ぼう。よって、決断は今この場でせよ。躊躇している刻はないぞ?」
一瞬の沈黙の後。
「……俺は、アンタを信じる。それしか、道はなさそうだからな」
その男が、真っ先に同意する。
残る二人は暫し逡巡していたが、
「……仕方ねぇ。タマなし野郎にむざむざ殺されるのも癪だからな」
「ああ。……だが、アンタの名を聞かせて欲しい。俺達にそこまでしようとする相手が、正体不明のままじゃ気味が悪いからな」
……そうだな、もう良かろう。
「我が名は土方歳三。この者は私の軍師、郭嘉だ」
男達の顔が、驚愕に変わる。
「あ、アンタが鬼の土方か!」
うむ、どうも妙な二つ名が広まってしまっているようだな……。
「ははは、相手が悪過ぎたな。俺達が敵う訳がない筈だ」
「最初からそう言って貰えば、俺達も無駄な抵抗はしなかったぜ?」
「……随分、恐れられてしまっていますね」
「……そのようだ」
尤も、手加減ぬきで痛めつけた故、今更相手の感情が和らぐとは期待できぬが、な。
暫くして、華佗達が戻ってきた。
心なしか、華佗が窶れて、その分貂蝉と卑弥呼が艶々している気がするが。
……触らぬ神に祟りなし、だな。
ともかく、今は華佗らに頼むしかない。
「……わかった。どのみち、今はまだ、安静にすべきだからな」
「頼む」
三人を託し、私は宿舎へと向かった。
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