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至誠一貫

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第一部
第三章 ~洛陽篇~
  二十六 ~洛陽へ~

「ご主人様……」
 耳元で、囁く声がする。
 眼を開けると、そこには愛紗の顔があった。
「お目覚めですか?」
「……うむ」

 昨夜は疾風(徐晃)を見舞い、眠りにつくまでその傍にいた。
 その後で、愛紗に呼ばれ……そのまま、共に一夜を過ごした。
「はしたない女、と思わないで下さい。……ですが、ご主人様の事を思わぬ日はございませぬ」
 恥じらいながらも、素直に真情を吐露する愛紗は、とてもいじらしい。
 その想いに、私なりに応えたつもりだ。
 艶やかな黒髪を梳りながら、いつしか眠りに落ちたようだ。
「ご主人様の寝顔を拝見するのは、久しぶりでした」
「……そうだな。戦いの日々であった」
「はい。ですが、これでひとまずは解放されます。……ご主人様」
「何だ?」
「疾風の事……私は確かに認めました。ですが、以前我らと約束していただいた事、お忘れではありますまい?」
「無論だ。愛紗達の想いには応える、皆等しく……それは、今も変わらぬ」
「ご主人様。ふふ、安心しました」
 そう言って、愛紗は私に接吻する。
 そのまま、臥所から出て、着替えを始めた。
 真っ白な背を見て、改めて不思議さを感じる。
 あの華奢な身体のどこに、あれだけの武が秘められているのか。
 腕や脚が締まっているのはわかるのだが……。
「お兄さん、入りますよー」
 唐突に、風が入ってきた。
「ふ、風?」
「おやおや、愛紗ちゃんも一緒でしたか。昨夜はお楽しみでしたね?」
 ……確信犯だな、あれは。
 案の定、愛紗は耳まで真っ赤にしながら、慌てふためいている。
「それで風。何用か?」
「やれやれ、お兄さんはつまらないのです。少しは、愛紗ちゃんを見習うといいと思うのですよ」
「……良いから、用件を申せ」
「むー。本当につれないお兄さんですね。曹操さんがお見えですよ」
「わかった。仕度をして参る故、陣中にて待つように伝えよ」
「御意ですー。ではでは、お邪魔しましたー」
 はぁ、と愛紗が溜息をつく。
「気にしても仕方なかろう? 風はもともと、あのような性分だ」
「は、はい……」


 身支度を調え、華琳の待つ天幕へ向かう。
 今日は、夏侯惇も夏侯淵も連れてきておらぬようだ。
「おはよう。朝早くから悪いわね」
「気にするな。して、用向きは?」
 華琳は、片手を後頭部に当てながら、
「張角の事よ。広宗から脱出した、そう報告を受けたのだけど」
「うむ。我らもよもや取り逃がすとは……無念だ」
 天和達を捕らえた後、黄巾党に扮した兵に命じ、城内に噂を流した。
 張角一行は密かに広宗を脱し、行方が知れぬ、と。
 どういう訳か、天和達が張角である、という事は黄巾党の内部でも存外知られていない事が判明していた。
 賊徒としての指揮は、他の主立った者が当たっていたようだ。
、公演以外では、一切表に出なかった事もまた、功を奏していた。
 身の安全を図る為の措置であったようだが、それが幸いするとは、わからぬものだ。
「貴方のところには、優秀な細作がいたわね。その網にもかかっていないのかしら?」
「今のところは、な」
「そう。引き続き、行方を探らせるしかないわね。ところで、歳三。この後はどうするのかしら?」
「この後?」
「ええ。貴方が義勇軍を立ち上げ、戦ってきた黄巾党も、事実上これで壊滅したわ。勿論残党は残っているから、官軍との戦闘は各所で続くでしょうけどね」
 今後、か。
 まずは、北平に戻り、白蓮の兵を返さねばなるまい。
 然る後、晋陽に向かう事になるであろう。
 霞が率いている董卓軍の帰還もあるが、丁原から預かった印綬を、正式に朝廷に返上する必要がある。
 此度の功に対して、何らかの報いがあるやも知れぬが、それが并州に関わる、とは限らぬ。
 漢王朝の権威が未だ健在である以上、迂闊な真似は控えるべきだろう。
「貴方次第だけれど、一度、都へ行ってみない?」
「都……洛陽か?」
「そうよ。私も官軍として行動した以上、黄巾党との戦いを報告する義務があるわ。歳三、貴方の事もね」
 華琳の言葉は、尤もだ。
 勅令で討伐を命じられた黄巾党と、これまで我が軍は戦ってきた。
 如何に義勇軍とは申せ、朝廷がそれに気づかぬ……というのはあり得ぬだろう。
「いずれ、貴方にも呼び出しがあるでしょう。それならば、最初から出向いた方がいいわ」
「私に、お偉方のご機嫌取りをしろ、と?」
「それもあるわ。だって貴方自身、何らかの地位を必要としているのでしょう? 麾下の者の為に」
 私は、頷いた。
「けどね、歳三。私が都行きを勧める理由は、他にあるわ」
「ほう。聞かせて貰えるのであろうな?」
「だいたい、察しはついているのではなくて?」
 ふっ、華琳相手には通じぬか。
「当て推量でしかないのだぞ?」
「構わないわ。別に、正解を求めている訳じゃないもの」
「では申そう。まず、私に都と、漢王朝の現状を見せるつもりなのであろう?」
「流石ね。まだ洛陽の、そして朝廷の有様を見ていないのでしょう? その眼で、しっかりと確かめるといいわ。それから?」
「私に、会わせたい人物がいるのではないか?」
「…………」
 華琳は、答えない。
 が、その眼は、私の答えが誤りでない事を物語っていた。
「もう一度聞くけど」
「何だ?」
「本当に、私に仕える気はないのかしら? 貴方程の人材、みすみす見逃すにはあまりにも惜しいわ」
「何度乞われても、答えは変わらぬ」
「そう。なら、力尽くで跪かせるしかないわね」
「その話は止せ。それよりも、都行きの件だが」
「ええ。どうする気?」
「一度、皆に諮りたい。その上で、答えるとする」
「やれやれ。時には、独断で物事を進めるのも、主たる者の務めよ?」
「わかっているが。これが、私のやり方なのでな」
「いいわ。ならば今日中に、返事をなさい。それじゃ、私は陣に戻るから」
 華琳とて、暇な身ではない筈だ。
 その合間を縫って来た以上、私も引き留めるつもりはない。
 お互い、成すべき事は山積しているのだからな。

 直ちに、疾風を除く皆を集めた。
「洛陽ですと? 確かに、いずれにせよ歳三殿に呼び出しがあるのは確実ですな」
「せやけど、ウチらの実態は連合軍やしな。総大将の歳っちだけ別行動っちゅう訳にもいかへんで?」
「それに、いくら黄巾党が壊滅したとは言え、まだまだ治安は悪化したまま。ご主人様、曹操殿は他に何か申されていたのですか?」
「いや。それだけだ」
「それでお兄さん、どうするおつもりですかー?」
「本当に行くとなれば、手筈を整えなければなりませんし。勿論、歳三様のお心のままに決めて下さい。私達は、それに従うまでです」
「……恋は、歳三がいいなら、それでいい」
 どうやら、私次第、という結論のようだ。
 華琳の言うように、洛陽を見ておく事は必要だろう。
 それに、会わせたいという人物。
 取るに足らない人物、という事はあり得まい。
「私は、行くつもりでいる。無論、皆で、とは参らぬが」
「御意!」
 愛紗の返事に、全員が頷いた。
「それで、振り分けはどうしましょうか?」
「うむ。まず、愛紗は形式上、公孫賛軍を率いている。これを連れ、北平に戻れ。その上、鈴々と共に晋陽に向かうように。星には、愛紗が戻り次第、洛陽に来るように申し伝える」
「はっ!」
「霞、恋、ねねはそのまま晋陽に戻れ」
「まぁ、ウチらも目的は果たしたんや、一旦月のところに戻らなアカンやろな。恋も、ええな?」
「……わかった」
「ねねは、恋殿とどこまでもご一緒しますぞ!」
「稟と風は、共に参れ。二人の知恵を借りる場も、少なからずあるだろう」
「御意です」
「わかりましたー。お兄さん、疾風ちゃんはどうしましょうか?」
「……その事だが。愛紗、北平まで同行せよ。白蓮に頼み、暫し養生させようと思う」
「は。しかしご主人様、洛陽には二人だけをお連れになるのですか?」
「いや。兵も少しばかり連れて行くつもりだ。如何に華琳と同行とは申せ、多少の備えは必要だろう」
「ほな、ウチらに兵の選抜は任せとき。歳っちには指一本触れさせへん精兵、つけたるからな」
「頼む。その代わり、私は二人を守り抜こう」

「歳三殿。私も、お連れ下さいませ」
 天幕の入り口から、声がした。
「は、疾風? あなた、まだ起きては……」
 剣を杖代わりにしながらも、気丈にも疾風は自力でここまで来たらしい。
 慌てて稟が駆け寄り、その体を支えた。
「無理をするでない。お前はまだ養生が必要であろう?」
「あまり、見縊っていただいては困りますぞ? 私はこれでも武官、これしきの事でいつまでも寝こんではいられませぬ」
「疾風。気持ちは分かるけど、無理しては」
「ありがとう、稟。もう、大丈夫だ」
 そう言って、疾風は剣を脇に置き、私の前で跪礼を取る。
「お願いです。私を、お連れ下さりませ」
「…………」
「足手まといになるとお思いですか?」
「そうではない。私はただ、お前に無理をさせたくないのだ」
「お気遣いには感謝します。ですが、過分なお心配りは、武人としての誇りを傷つけるもの」
「……うむ」
「それに、洛陽の事は、この中で誰よりも詳しい筈です。歳三殿、如何に?」
 疾風の眼には、何の迷いも見えぬ。
 武人の誇り……それを穢す訳にはいくまいな。
「だが、疾風。お前は確か、官職を捨てて洛陽を出たのであろう? 咎め立ての恐れはないのか?」
「ふふ、ご案じなさいますな。手立ては、考えてございます故」
「そうか……よかろう。疾風も参れ」
「ははっ!」
 安堵の笑みを浮かべる疾風を見て、皆も笑顔で頷いている。
「良かったですねー。ではでは、これで決定という事で」
「早速、準備にかかります」
 さて、華琳に受諾の返事をして参るか。


 翌朝。
 皆の姿が次第に遠ざかり、私、稟、風、疾風、そして率いる三千の兵だけが残った。
「行っちゃいましたねー」
「一時の別れだ。感傷に浸るのは無用……さ、参りましょう」
「ふふ、疾風。張り切りすぎて皆に迷惑をかけないようにしなさいよ?」
「うむ」
 馬に跨がり、手を振り上げた。
「皆、出立だ!」
「応っ!」
 数は少ないが、激戦を潜り抜けてきた、選りすぐりの精鋭揃い。
 無論、何事もないに越したことはないが……。
「疾風」
「はっ」
「……諄いようだが、くれぐれも無理はするな。よいな?」
「歳三殿……」
「そうですよ、疾風ちゃん? ちゃんと大人しくしてないと、お兄さんの愛も冷めてしまいますよー」
「なっ?」
 途端に、疾風は真っ赤になった。
「風、止しなさい。病み上がりの人をからかうのは」
「おおー、稟ちゃん。余裕ですねー」
「戯れ言はその辺りにしておけ。……ほう、自らやって来たか」
 我が軍に先立ち、曹操軍は既に、洛陽に向けて進軍中。
 その殿に、華琳の姿があった。
 馬を止め、私を待ち構えていたようだ。
「いつもの二人はどうした?」
「春蘭は行軍の指揮を執っているし、秋蘭は、陳留に帰したわ。あまり、長く留守にする訳にもいかないから」
 そう言いながら、華琳は軽く溜め息をつく。
「あら、そっちは見かけない顔ね。私は曹孟徳、貴女は?」
「私は、徐公明と申します」
「ふ~ん」
 値踏みするように、疾風を無遠慮に眺める華琳。
「関羽もなかなかの武人だったけど、貴女も相当の遣い手のようね?」
「些か、腕に覚えはあります」
「なかなか言うじゃない。歳三」
「何だ?」
「人を募る事には、私は誰にも負けない熱意があるつもりだけれど。何故、貴方の下には、こう見所のある人材が集まるの?」
「さて、な。全てが偶然、と言ったところで信じぬであろう?」
「ええ、そうね。もし、貴方がいなければ、きっと私の覇道を支えるに足る人材揃いですもの」
「……曹操殿。よもやとは思いますが、我が殿に害を及ぼすおつもりならば、この身を賭して、お相手仕りますぞ?」
 疾風がそう言うと、稟と風も大きく頷いた。
「私も、そうなれば智の限りを尽くして、我が主を守らせていただきます」
「もちろん、風もですよー」
 三人に睨まれた華琳は、ただ苦笑するばかり。
「そうね。歳三が私の下に来てくれれば、万事丸く収まるのだけど?」
「その話なら、何度されても無駄だ。私に命を預けてくれた仲間の意志を無にするような真似は出来ぬ」
「まぁ、いいわ。ただ、貴方が羨ましいのは事実だけどね。私のところは、手が足りない有様だもの」
 私の知る曹操は、一族だけでも相当な人材が揃っていた筈。
 だが、この時代ではどうした事か、夏侯惇・夏侯淵以外の将がおらぬようだ。
「歳三。洛陽までの道中、いろいろと聞かせて貰うわよ」
「ふっ、何を聞きたいと言うのだ? かの曹孟徳に語るほどの物を、私は持ちあわせておらぬが?」
「それが真実取るに足らない話かどうかは、私が判断してあげるわ。それとも、貴女が代わりになってくれるのかしら、郭嘉?」
「わ、私ですか?」
 慌てる稟。
「そうよ。私は、見所のある人物と語るのが大好きなの。貴女は、歳三の軍師として立派に務めているし、その才も見せて貰ったわ。相手が歳三じゃなかったら、力づくでも私の下に置きたいぐらいよ」
「…………」
「勿論、貴女にその気があれば、いつでも歓迎するわよ?」
 仕える本人の面前で、よくも堂々と口説けるものだな。
 だが、そこに嫌らしさを感じさせないのは、流石というべきか。
「折角ですが、曹操殿。私は、今の処遇と立場に満足しています。ご期待に添える事はないかと」
「即答ね。それは、歳三を愛しているから?」
「……それも、否定はしません。ですが、私の才を思う存分発揮できるのは、歳三様の下だと。そう、確信しているからです」
「そう。程立も?」
「ぐー」
「寝るな!」
 すかさず、疾風が起こした。
「おおぅ、ついついお兄さんの傍が心地良くて寝てしまいましたよー」
「……歳三。聞きようによっては、とても不穏当な発言だと思うのは、私だけなのかしら?」
「…………」
「それで程立? どうなの?」
「寝ていた相手が、問いかけの内容を憶えているなんて、よく思いますねー?」
「貴女のは寝たふり、でしょう? その程度、わかるわよ」
「むー。それでは、本当に寝ていたらどうするのですか?」
「その時は初めから聞かないわよ。それで?」
「容赦ないお人ですねー。風は、お兄さんの傍にいると飽きませんし。それに、お兄さんが大好きですから」
「はっきり言うのね。私は、そんなに魅力がないのかしら?」
「曹操さんは、普通にお仕えするのなら申し分のない方でしょうねー。ただ、お兄さんと比較する自体、無理なのですよ」
「どういう事?」
「お兄さんは、風達を仲間、と言ってくれてますねー。曹操さんはどうですか?」
「仲間、ね。……私は、同じ事は言えないわ。勿論、私に従う以上、大切にはするけど」
「優劣をつける事ではないと思うのですよ。ただ、風も稟ちゃんも、他の皆も、お兄さんと一緒にいたいのです。だから、いくら誘っていただいても、心は動かないですねー」
「……そう。そこまで愛されるとは、歳三も果報者ね」
「そうかも知れぬ。なればこそ、私も微力を尽くす事にしている」
「微力、ねぇ。……本当、貴方には興味が尽きないわ。やはり洛陽までの道中、楽しみね」
「どういう意味だ?」
「決まってるじゃない。貴方という人物を、私がもっと知るために使わせなさい。否とは言わせないわよ?」
 ……それも十分、不穏当発言と受け取られかねないのだが。
「……曹操殿。それは、政略や軍略の話、という事でしょうね?」
「……殿。当然、わかっておられると思いまするが」
「……風は、お兄さんを信じているのですよ?」
 見よ、三人とも不穏な……。
 ほう、華琳の奴、ほくそ笑んでいるな。
 そうか、あれは確信犯の笑み……という事か。
 だが、やられる一方、というのは性分ではない。
「華琳。そんなに、私を知りたいか?」
「ええ。勿論」
「……そうか。ならば、男女の営みも、そこに含まれるのであろうな?」
「な……」
 途端に、華琳の顔が真っ赤になる。
 それを確かめながら、私は三人に目配せをする。
 驚いていた皆も、どうやらそれに気づいたらしい。
「と思いましたが、曹操さんに未知の体験をしていただくのも良いかも知れませんねー」
「ふふ、知的好奇心を満たすのは、何も会話ばかりではありませんからね」
「…………」
 疾風だけは、顔を赤くしているが……やむを得まい。
「あ、あ、貴方達ね!……あ」
 耳まで真っ赤になりながら、顔を上げた華琳。
 そこで、稟と風を見て、あっという顔つきになった。
「と、歳三! 謀ったわね!」
「何の事だ? わかるか、稟、風?」
「いえ、私には何の事だかさっぱり」
「風もですねー。曹操さん、宜しければ教えて下さいませんかー?」
「……お、覚えてなさいよっ!」
 脱兎の如く、自陣へと駆け戻っていく華琳。
「と、歳三殿。大胆過ぎますぞ」
「……済まぬ。疾風には、刺激が強すぎたやも知れぬな」

 こうして、私は洛陽へと向かい始めた。
 ……道中の平穏無事は、望むべくもなさそうだが、な。 
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