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アメフラシのがんじゅうろう

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プロローグ

 
前書き
 私の名前は、がんじゅうろう。それだけは記憶に残っている。自分の指先を見ると爪が少し伸びていた。他人事のように言ってしまうが、どうやら私は異世界にいるらしい。私は私が住んでいたところを覚えていないが、(とは言っても言葉はしっかり覚えているが)ここは元々いた場所ではないとすぐにわかった。すぐ足元には、ブリーフケースが横たわっていた。そして足元を見ると安っぽい黒のビニール靴で、やけに柔らかい地面をしっかり踏みしめていた。次の瞬間、地面が大きく揺れた。この世の終わりかと思うくらいの大きな揺れだった。妙なのは、地面がゴムのようにたるんでいることだ。崩れるどころか、私を上へ上へとピンボールのように跳ね返し、地面に叩きつけた。山という山は皆、陽炎かかったように揺れており、太陽ですら、楽しげに揺れていた。
 しばらくすると、揺れは収まった。目眩がする。これはたまらない。「私は一体どうなるんだ。」そう呟いて空を仰ぎ見た。
 こんな状態から奇妙な、しかし興味深い物語が始まってしまうのであった。 

 
 私は今、目の前にいる生物らしきものを観察している。その生き物の特徴は、まず丸っこいことだ。そして表面が光沢をもっており、緑色である。そして、頭部には少し尖った葉のようなものがくるんと巻かれた状態で付いている。私は思った。これはどう見てもトマトである。しかし、普通のトマトなんかではなかった。何しろ奇妙なことに、このトマト。耳が付いてるのである。私のような人間の耳ではないが、毛の生えていない猫の耳がピンと生えていた。
 私はどういうわけか、その生物を食せるのではないかと考えた。お腹も減っていることも助けて、手を伸ばしもぎ取ろうとした。この生物はやはりトマトの苗のような植物にくっついている。この世界の植物なのだろうか。丁寧にもぎ取れば良いのに、乱暴に引きちぎるように取ったためか、植物の本体ごと引き抜いてしまった。根っこも普通だ。やはり耳が付いている以外は普通の植物なのか。いささか不気味ではあるが、そのまま生物の耳を齧ってみた。すると―「なんだこの味は!」何かを連想させる味である。私はこの味を知っている。その時だった、私の頭に走馬灯が走る。記憶の氾濫が起きた。
 浮かんできた光景はマンションの一室のようだ。台所に女の人が立っていた。包丁を持って何やら刻んでいるらしかった。私はその場から感情のないままに覗き込んでいる。料理をしているのだろうか、鼻に匂いがかすめる。油で揚げたような匂いだ。思わず唾を飲み込んだ。女はくるりと向きを変えると、再び別の野菜を刻み始めた。突然、女は動きを止め、指を握り締めた。まもなくすると、それを口に含んだ。つまり私は血の味を思い出したのだ。
 「このトマトは・・・血の通った生物なんだ。」見た目こそ、あれだが、きちんとした生物だ。そう考えると私の胸にじんわりと罪悪感が染み込んできた。しかし、これを食べるような気持ちにはなれなかった。血の味がする野菜なんて誰が食べるものか。もっとまともな食物があるはずである。そう考えたものの、すぐにまた考え直した。この先まともなものがあるようには思えなかった。なぜなら、先ほどの大きな地震の時の周りの様子からして、土地全体がまともではないと判断していたからである。
 「しかし、腹が減ってはなんとやら。」
下手に何かを口にすれば最悪の場合死ぬかもしれない。ならばどこかに住人などがいないか探してみることにした。歩いて行けば、どこかしらに人くらいはいるだろう。そう安易に考えた。人はこういったとき、逆に前向きになるものである。無理していると言われればその通りだと思う。他に足掻くべき手段が得られない場合、そうなるのは仕方のないことだ。私は、しばらく途方もなく歩きまわることにした。 
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