トリスタンとイゾルデ
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第一幕その六
第一幕その六
「私達の間には血の罪があるのですから」
「アイルランドとコーンウォールの間のそれは償われました」
「私達の間ではまだです」
イゾルデの言葉はトリスタンにとってよくわかる言葉だった。
「違いますか?」
「それは皆のいる前で復讐を断つ誓いが為された筈です」
「私がタントリスという男を匿っていた時誓いは為されませんでした」
絶望しきり項垂れるブランゲーネを他所に言葉を続ける。
「あの時あの男は立派にも誓いましたが私は誓いませんでした。口をつぐむことにしたのです。あの何もできなくなっていたあの男に対して」
こう言ったうえでまた言う。
「ですが今」
「今?」
「今それを果たすのです」
声はやつれてはいても強くなってきていた。
「私は。今ここで」
「それが姫の誓いですか」
「そう。仇を取ること」
それを今言い切った。
「それこそが」
「左様ですか」
「その仇を取ることこそが私の願い」
イゾルデの声はさらに強いものになった。
「そう、今ここで」
「ではそうされるといいでしょう」
トリスタンもまた覚悟を決めたようにして言葉を返した。
「貴女が望まれるのなら」
「言いましたね」
イゾルデもその言葉を聞き逃さない。
「今確かに。ですが」
「ですが?」
「貴方は王の甥にして無二の忠臣」
コーンウォールにとっては柱そのものである。トリスタンあっての国とさえ言われている。
「その貴方が王信頼をどう思われているのか」
「王の」
トリスタンも王を話に出されると弱かった。
「それは」
「私は平和を愛します」
イゾルデは不意にという感じで言葉を変えてきた。
「怨みは平和を害するもの」
「それはその通りです」
「だからこそ」
部屋の隅にいたブランゲーネに顔を向けた。
「私は今この償いの美酒を共に」
「償いの美酒を?」
「そうです」
ブランゲーネに目を向けながらまた言うのだった。
「だからこそ。貴方と共に」
「私もまたなのですね」
「そうです」
トリスタンに対して有無を言わせない声を投げ掛けた。
「何か言うことはありますか?」
「貴女には」
だがトリスタンは言うのだった。
「沈黙があります」
「それがどうかしましたか?」
「貴女の沈黙は私も沈黙せよという意味」
こう言うのである。
「私は貴女の沈黙を理解し、貴女の理解しないことを沈黙します」
「それは償いをすることを恐れているということですか?」
イゾルデはあえて皮肉を込めてみせた。
「そうではないのですか?」
「違います」
「船乗り達の声が聞こえます」
間も無く上陸なので機嫌よくしているのだ。
「王の御前も間も無くです。そして私を王に捧げるといいでしょう。私の過去を話しながら」
「私はそのことには沈黙を守ります」
先程の己の言葉を受けての言葉である。
ページ上へ戻る