トリスタンとイゾルデ
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第一幕その三
第一幕その三
「あのモロルト卿は我がコーンウォールから貢物を得ようと海を渡って来られたがトリスタン様に倒された」
このことを話しだした。いささか挑発する顔で。
「イングランドの勇士、アイルランドに誓った姫様がいたこの方はトリスタン様の納められた貢物を受け取られたのです」
「モロルトはアイルランドで倒れた」
ここで船員達もクルヴェナールに続いて言う。
「これがイングランドに納めた貢物。トリスタン様の納められた素晴らしい貢物」
これが返礼だった。ブランゲーネは止むを得なくその場を後にしイゾルデの側に戻った。そうしてこのことをイゾルデに対して話すのだった。
「コーンウォールの者達はそのようなことを」
「はい」
痛々しい声でイゾルデに答えた。
「そうです。トリスタン様も」
「何ということ」
イゾルデはブランゲーネにもたれかかるようにして嘆きの言葉を出した。やはりブランゲーネはその彼女を支えている。
「そして私はアイルランドからの貢物だと」
「あのクルヴェナール殿が」
「従者の言葉は主の言葉も同じ」
当時の欧州ではそれが常識だ。
「彼等が私に嘲りの言葉をかけたからには私もそれで返しましょう」
「嘲りでですか?」
「みすぼらしい小舟がアイルランドの岸に辿り着きその中から一人の傷付いた男が現われた。このイゾルデの術で傷を癒す為に」
この言葉をさらに続ける。
「タントリス。けれどその素性はその壊れた剣でわかった。素晴らしい剣が壊れたのはあの方との勝負の結果であるとわかったから」
「おわかりになられたと」
「白刃で消そうとしたけれど私は慈悲によりそれを止めた。傷付いた者を害することはしなかった」
思い詰めた顔での言葉であった。
「モロルト様がつけられた傷口を治してやり帰した。あの時は」
「そうです」
またブランゲーネに答えた。
「あの時の騎士こそが」
「貴女も先程聞いたようにあのトリスタンこそが」
イゾルデは衰弱しきった顔だったが目の光は強かった。
「あの時の男です」
「まさかそうだったとは」
「あの時は何度も感謝と忠誠を誓ったというのに今ではこうです」
忌々しげに語る。
「タントリスとして帰したのにトリスタンとして現われ」
忌々しげな言葉はさらに続く。
「しかも誇らしげに船を操り己の伯父の為にアイルランドの世継ぎの姫たる私を運ぶ」
何故かこの言葉には屈辱はなかった。あるのは何かしらの迷いや腹立たしさ、そういったものであった。だがブランゲーネはこの不思議な言葉の色には気付かなかった。
「イングランドの勇士にして私と将来を誓ったモロルト様がおられれば」
この言葉にも迷いがあった。
「コーンウォールの方が貢物を差し出したでしょうに。しかしこれも」
「これも?」
「全て私の撒いた種」
忌々しさは健在だった。
「全て。私の撒いた種」
「どうしてそこまで」
「思わずにはいられません」
その黒い瞳は下の、船の甲板を見ている。しかし甲板は見えてはいなかった。
「どうしても」
「そこまで思い詰められていたとは」
ブランゲーネはそれに気付かなかった己の迂闊さを呪った。
「申し訳ありません」
「謝る必要はありません」
イゾルデはそれはよいとした。
「ただ」
「ただ?」
「この目は盲目で心は愚かで」
思い詰めた言葉は変わらなかった。
「そして躊躇い沈黙していた私」
「姫様・・・・・・」
「その私が秘めていたことをあの男は誇らしげに言う」
「トリスタン様が」
「黙って私に助けを求め一言も言わず。私がモロルト様の仇を討つことを諦めたことも意に介さず。そして王にも意気揚々と語ったのでしょう」
「それは考え過ぎでは?」
「考え過ぎではありません」
イゾルデはそう確信していた。
「私を貶めそのうえでアイルランドからの捧げものにすると。あの破廉恥な男が」
「落ち着いて下さい」
ブランゲーネはそのイゾルデに告げる。
「お気持ちはわかりますが」
「だから何だというの?」
「ですがトリスタン様も貴方に恩義を感じておられるからこそコーンウォールの冠を貴女に捧げるのではありませんか?」
こうイゾルデに言うのだった。励ます為に。
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