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アンドレア=シェニエ

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第二幕その二


第二幕その二

「許されることと許されざるものがあるとすれば」
 彼はまた呟いた。
「そうした破廉恥漢達だ。国王や王妃ではない」
 彼の耳にあの言葉が甦ってきた。
「フランスの民達よ、私は罪なくして死んでいく!」
 国王の最後の言葉であった。そして彼は死んだ。
「罪はあっただろう。しかし」
 彼はふと顔を上げた。その先には議会がある。
「死に至る罪ではなかった。死に至る罪を負うべき者達は」
 その目の光が強くなった。
「言うまでもない」
 そして彼はテュイルリーの公園の方へ向かった。
「おい、掃除はちゃんとしとけよ」
 ペロネ橋である。セーヌ川の上にかかるパリ市民の貴重な場所である。
 ここには今一つの胸像があった。革命の英雄マラーの像だ。
 人々はその像を敬っていた。そして汚れはないか気にしていたのである。
 そこを様々な人々が行き交う。キザな伊達男や学者と見受けられる男が。その中の一人が新聞を読みながら得意になっている。
「ほれみろ、また勝ったぞ」
 見ればフランス軍勝利の記事である。
「我が革命軍は無敵だ。こうして頭の固い貴族達を皆殺しにしてやるのさ」
 彼は得意気になって周りを見回した。
 見れば道の端には物乞いや娼婦達がいる。彼はそちらの方へ歩いて行った。
「あんた達も嬉しいだろう」
 彼等を侮蔑しきった顔で侮蔑しきった声をかけた。
 彼等はかっての貴族達である。没落し断頭台は避けられたものの生きる術を知らず今はこうして生きているのである。
「いずれ御前達も断頭台行きだ。それまで精々その落ちぶれた生活を楽しんでおくんだな」
 それを聞いて周りの者もせせら笑う。
「どうせなら今ここで成敗してやってもいいんだぜ。そっちの方が楽かもな」
 かっては貴族だった物乞い達は身体を屈める。その言葉と嘲笑に何も言えずただうずくまるだけである。
「そうやって惨めに生き恥を曝してな」
 彼はそう言うと手に持つ新聞を彼等に投げ付けた。
「そのうち生きていた頃が懐かしくなるからな。断頭台の上でな」
 そう言うとまた下品な笑い声をたてた。そして彼はその場を立った。
「何て奴なの。ああした男が大手を振って歩いているなんて」
 そこにやって来た娼婦の一人が悔しさに唇を噛みながら言った。見ればベルシである。
「かっては私達に賛辞を送っていた口で今は嘲笑する。人間なんてそうしたものなのね。本当に嫌になるわ」
 彼女もまた革命後生きる糧をこうして稼いでいるのであった。
「けれどいいわ。少なくとも私はあそこにいる人達のようなことはしない」
 そう言うと上を見上げた。そこには一つの宮殿があった。
 五百宮殿。今は議会が置かれているところである。表向きには革命と平等、そして自由の為の公平な話し合いが行なわれている場所である。
 しかし実際は違っていた。そこでは血生臭い権力闘争が行なわれ敗者は断頭台へ送られた。貴族達の処刑が決められ流血の匂いが充満していたのである。
「私は少なくとも人々の血を見て喜ぶようなことはしなかった。今でも」
 彼女はそう言うとかっての仲間達に顔を向けた。
「行きましょう、皆。こんなところにいても何にもならないわ。貴方達だって嘲笑を受けたくはないでしょう?」
「・・・・・・ああ」
「・・・・・・ええ」
 彼等はそれを聞いて立ち上がった。
「私今あるお金持ちの愛人になっているの。それでお金を稼いでいるわ」
 娼婦からそうした者に囲われるのはよくある話である。かってはローマ法皇もそうしていた。
「そのお金で少しばかりの宴を開きましょう。皆でお金を出し合って」
「そうだな」
 彼等はその言葉に頷いた。
「あの人達はあの宮殿で、戦場で血を楽しんでいるわ。けれどね」
 ベルシは宮殿を見たあと仲間達に顔を戻した。
「私達は葡萄のお酒で楽しみましょう。赤いあのお酒で」
「そうだな、今日は久々に宴を楽しもう」
「ダンスをしながら」
 彼等は次第に元気を取り戻していた。
「そうと決まれば話は早いわ。じゃあこんなところから早く立ち去りましょう」
「ああ」
 こうして彼等はその場をあとにした。
 彼等は幸いであった。その後ろを一台の運搬車が進んでいた。
「殺せ!殺せ!」
 その車に罵声が浴びせられている。だが彼等はそれを聞くことはなかった。既に橋のあたりから姿を消していた。
「正義の裁きを受けろ!とっとと死んじまえ!」
 また処刑される貴族達であった。彼等は黙って民衆の罵声を受けていた。
 中にはジロンド派やジャコバン派もいる。彼等もまた宮殿の血生臭い戦いに敗れた者達であった。
「君達もいずれわかる」
 その中の一人がポツリと呟いた。
「だがその時には」
 誰にも聞こえない声だった。だが彼は言わずにはおれなかった。
「君達はこの世には生きてはいないだろう」
 そう言うと口を開くのを止めた。車は馬に引かれその場を去っていく。
「また断頭台がその喉を潤すのか」
 それを見ていた一人の男が呟いた。
「あれだけの血を飲み干しているというのに」
 彼はベンチに座っていた。そしてそれを見ていた。
 そこへ誰かがやって来た。
「濃い茶色の服とコートを着て黒のズボンを着た銀色の髪の男か」
 何やらこそこそとした様子である。
「あいつか」
 彼はベンチに座るその男を認めると懐から何かを取り出した。見れば人相書きである。
「間違いないな、あいつだ」
 彼はそう呟くと物陰へ隠れた。
「アンドレア=シェニエ。要注意人物だな」
 そして物陰に隠れながら辺りを見回した。
「見たところベルシはここにはいないか。少し遅かったかもな」
 残念がったがそれはほんの一瞬であった。彼はシェニエに視線を戻した。
「見ていろ、絶対に尻尾を掴んでやる」
 彼は密偵であった。ジャコバン派はこうした者達をパリに放って革命の敵とみなし得る者達を監視し探し出していたのだ。これが平等と自由を謳った革命の実態であった。
 シェニエは彼に気付いているのかいないのか。ただベンチに座っているだけであった。誰かを待っているのであろうか。密偵がそう思った時であった。
「む!?」
 誰かがシェニエに近付いてきた。
「あれは」
 見れば若い男である。品のいい顔立ちをした長身の持ち主である。地味なコートに身を包んでいる。
「シェニエ」 
 彼はシェニエを認めるとその側へ来た。
「やあ」
 彼はそれを聞くと顔を上げた。
「ルーシェ、久し振りだね」
「挨拶はいいよ」
 だが彼はそれに対し首を横に振った。
「今はそんな時じゃない」
 ルーシェはそう言うとシェニエに顔を戻した。
「今の君の立場を考えるとね」
 彼はシェニエの友人だった。今はこの街に密かに潜伏していたのだ。
「あれはルーシェか?また大物が来たな」
 密偵はルーシェの姿を認めて呟いた。彼もまたジャコバン派に目をつけられていたのだ。
 
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