銀河英雄伝説~その海賊は銀河を駆け抜ける
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第三十八話 疑惑
帝国暦 490年 3月26日 ガンダルヴァ星系 ウルヴァシー 総旗艦ブリュンヒルト オスカー・フォン・ロイエンタール
輸送部隊を護ってウルヴァシーに着いた後、ブリュンヒルトに報告に行った俺達、俺の他に黒姫の頭領、メルカッツ上級大将、ミッターマイヤー、ケンプ、ルッツ、ワーレン提督をローエングラム公は上機嫌で迎えた。公の傍にはキルヒアイス提督、フロイライン・マリーンドルフが居る。ローエングラム公が黒姫の頭領を労った。
「御苦労だった、良くやってくれた」
「いえ、皆さんが協力してくれましたので何事も無く護衛の任を果たすことが出来ました。それに何と言っても頼りになる参謀長が居ます」
「うむ、そうか」
今度は嬉しそうに俺達に、そしてメルカッツ上級大将にローエングラム公が視線を向けて来た。皆がちょっと恐縮するような表情を見せた。俺もいささかバツが悪い、頭領を試す様な事をしたからな。こうなると頭領は俺が試した事を知っているのか、それとも知らないのかが気になるところだ……。
「反乱軍はやはり輸送部隊を狙ってきたようだな……。ヤン・ウェンリーを確認したそうだが奴だけではあるまい。増援が有ったはずだ。卿の進言が無ければ反乱軍にしてやられるところだった」
確かにその通りだ、危うく短期決戦を強いられるところだった……。負けるとは思わんが危うくは有る、補給は軽視できない。
「これで一年間は戦えるだけの態勢が整えられます。補給面から無理を強いられることは有りません」
「うむ、味方の士気も上がるだろう」
ローエングラム公は先程から上機嫌だ。補給が無事届いたという事も有るだろうがどうやら黒姫の頭領がはっきりと自分の指揮下で動いている事が嬉しいらしい。
まあこれまでは協力者なのか競争者なのか分からないところが有ったからな、公の気持ちは分からないでもない。おまけに役に立つ……。今回の護衛でも指揮に無理は無かった、慎重で用心深い……。敵に回せば厄介な相手だろう、反乱軍もそれが分かったはずだ。
「ところで御身体の具合は如何ですか? あの後、熱などは出ませんでしたか?」
黒姫の頭領の言葉にローエングラム公がキルヒアイス提督、総参謀長に視線を向け微かに苦笑を浮かべた。
「あの翌日、三十八度を超す熱が出た。卿の言う通り疲れが溜まっていたのだろう。医師からも過労の所為だから二日間ゆっくり休むようにと言われた」
「そうですか、やはり熱が……」
頭領は眉を顰めている。どうやら本心から心配しているらしい。ふむ、情に厚いところも有るようだ、意外ではある。
「一日で熱は下がったのだが、キルヒアイスとフロイラインに無理やりベッドに寝かし付けられた。二人とも優しそうに見えて本当は怖いのだ」
皆が公の冗談に笑った。なるほど、さっきのローエングラム公の苦笑はこの事が理由か……。今度はキルヒアイス提督とフロイライン・マリーンドルフが苦笑している。
「総参謀長にフロイラインを推薦したのは間違っていなかったようです」
「そうか、彼女を総参謀長にと推薦したのは卿だったな。またしても卿にしてやられたか」
口調とは裏腹にローエングラム公は楽しそうに笑っている。まあ悪くない、俺達も変に気を遣わずに済む。
「冗談はこの辺にしておこう。疲れているかもしれないが作戦会議を開きたい、どう思うか」
ローエングラム公が皆に視線を向ける。異存はない、暇を持て余すよりは遥かにましだ。皆も同感なのだろう、異議を唱える人間は居なかった。それを見て公が頷く。
「フロイライン、三十分後にブリュンヒルトの会議室で作戦会議を開く。全員に通知して欲しい」
「承知しました」
さて、こんどこそ方針が決まるだろう。短期決戦か、長期戦か……。
帝国暦 490年 3月26日 ガンダルヴァ星系 ウルヴァシー 総旗艦ブリュンヒルト アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト
会議室には諸将が集まっている。ここにまだ来ていないのはローエングラム公、キルヒアイス提督、総参謀長、あとは副官のシュトライト少将、リュッケ大尉だけだ。補給が無事に届いたせいだろう、会議室の雰囲気は悪くない、時々笑い声が聞こえる時も有る。
危うい所だった、黒姫の頭領が六個艦隊を動かしたから輸送部隊は無事だったがもしそうでなければどうなっていたか……。多分我々は補給を断たれ短期決戦を強いられていただろう。会議室は重苦しい雰囲気で到底笑い声など起きる状態では無かったはずだ。
頭領の功績は大きい、だがその事を認められずにいる連中も居る。あれだけの艦隊を動かしたのだから守れたのは当然だの、何故ヤン艦隊を撃破しなかっただの難癖を付けたいだけとしか思えない非難をする。余りの聞き苦しさにビッテンフェルト提督が“黙れ! 馬鹿どもが!”と怒鳴りつけた程だ。
まあ頭領なら“出来る男がやっかまれるのは仕方がないからね”と言って笑い飛ばすだろう。俺がその事を言うと皆が苦笑した、ビッテンフェルト提督もだ。もっとも彼は苦笑した後で溜息を吐いた。“出来る男はやっかまれるか……、俺もそうなりたいものだ”と言いながら……。皆の苦笑はさらに大きくなった。
ローエングラム公が会議室に入ってきた。皆が起立して公を迎えた。公の後ろにはキルヒアイス提督、総参謀長、シュトライト少将、リュッケ大尉が続いている。皆が所定の位置に着くと艦隊司令官達がローエングラム公に対して敬礼した、頭領も敬礼している。それを見て公が答礼を返した。
礼の交換が終わり皆が着席するとローエングラム公が
「会議を始めよう、我々は今後反乱軍にどのように対応すべきか、再度確認したい」
と言った。うん、前回よりはかなり良いようだ。公自ら決めようという意志が見える。前回はそれが無かった。
「前回の会議では急進してハイネセンを突くべしという意見と周辺を押さえつつゆっくり進むべきという意見が出た。幸い輸送部隊が届いた事で補給態勢は万全と言って良いだろう、どちらの案でも採る事が可能だ。我らにとって最善の案を選びたい」
公が周囲を見回す、討議を始めろという事だろう。しかし皆が口を開くのを躊躇った。前回の会議でかなり激しく遣り合っている。あれをもう一度と言うのは気が引けるのだろう。皆が戸惑っていると黒姫の頭領が”宜しいでしょうか?“と公に発言を求めた。珍しい事だ、皆が頭領に注目した。
「急進してハイネセンを突く、周辺を固めつつじっくり進む。どちらもハイネセン付近での決戦が前提になっていると思います」
「うむ」
彼方此方で頷く姿が見えた。
「ハイネセンに同盟軍が居ないという事は考えられないでしょうか」
「……」
どういう事だ? 同盟軍が居ない? 頭領は何を言っている? 皆の顔を見たが皆も困惑している、ローエングラム公も困惑している。俺だけが理解できないという事ではないらしい。
「しかし、それではハイネセンは占領されてしまいます。反乱軍は降伏と言う事になりますが……」
キルヒアイス提督が困惑混じりの声を出した。その通りだ、反乱軍は降伏という事になる。頭領がそれを分からないとも思えない、一体頭領は何を考えているのだ?
「その通りです、同盟政府は降伏するでしょう。そして帝国軍は或る程度の兵力を同盟領に残して大部分が帝国に引き上げる事になる……」
会議室がざわめいた。何となくだが頭領が何を考えているのか理解出来た様な気がする。しかし……。
「つまり卿は帝国軍が引き上げた後、無傷の反乱軍が何処からか現れ帝国の残存部隊を追い払い同盟を再建すると言うのか?」
ローエングラム公の声は厳しい、無理も無いだろう、頭領の指摘通りなら極めて厄介な事態になる。
「急進してもじっくり攻めても帝国軍が勝つ。帝国軍と決戦すれば必ず負ける、同盟軍がそう判断したとすれば決戦という概念その物を放棄する可能性が有るのではないか、それを指摘しています」
「……正規艦隊によるゲリラ戦か……」
ローエングラム公が呟くと彼方此方から呻き声が上がった。
ゲリラ戦か……。少数あるいは劣勢となった側が地の利や住民の支持を背景に小規模な戦闘を効果的・反復的に実施することによって優勢な敵に対して消耗戦や神経戦を強い、占領の長期継続を困難にさせる事を目的として行われる……。確かに現状はゲリラ戦を誘発しやすい状況に有る……。
「しかし、……反乱軍がゲリラ戦を展開すると言う確証が有るでしょうか、状況としては有り得るとは思いますが、正規艦隊を使ってのゲリラ戦など……」
ミッターマイヤー提督が困惑を浮かべながら頭領に問いかけると皆が頷いた。出来れば正面決戦をという願望も有るだろう。相手が頭領でなければ“馬鹿げている”、“有り得ない”と否定する人間も出たかもしれない。視線が頭領に集中した。
「有るのか?」
公が問いかけると頭領が首を横に振った。
「確証は有りません。しかし気になる点が有ります」
嫌な予感がする。俺だけではあるまい、皆が不安そうな表情をしている。頭領の読みの鋭さは十二分に味わってきた……。
「無防備都市宣言、あれの持つ意味を過小評価したのかもしれません」
「過小評価? どういうことだ? 抵抗する力が無ければ無防備都市宣言はおかしなことではあるまい」
「……」
ローエングラム公が訝しげに問いかけたが黒姫の頭領は厳しい表情をして沈黙している。会議室の空気が重くなった。
「頭領……」
総参謀長が声をかけた。頭領がチラッと視線を総参謀長に向け、そしてローエングラム公に向けた。そして深い溜息を吐いた。
「自由惑星同盟では主権は同盟市民に有ります。帝国で言えば平民に有るのと同じです。統治者は彼らによって選ばれる。それだけにハイネセンの同盟政府は同盟市民の動向に敏感にならざるを得ません」
「……」
「同盟軍がハイネセン付近での決戦を考えるとすればそれ以外の星系は見捨てられることになります。彼らの間から政府は自分達だけ助かろうとし我々を見捨てようとしている……。そう非難が出てもおかしくは有りません。場合によっては同盟から離脱し中立、或いは帝国に降伏してもおかしくは無い。そうなれば自由惑星同盟という国家は崩壊する事になります……」
「なるほど」
公が頷いた。確かに帝国と反乱軍では国体が違う。反乱軍では星系の支配者は平民達を守るために動くと言う事か。帝国ならどうだろう、領主は逃げ出し平民達は侵略者を新たな支配者として受け入れるに違いない。侵略者を追いだした後領主は何食わぬ顔で領地に戻るだろう。平民達も同じように迎え入れるに違いない。周りを見渡した、頷いている人間が何人か居る。
「以前、作戦会議でミッターマイヤー提督が言った事は間違っていないのです。同盟政府がハイネセン以外の有人惑星を守る姿勢を見せるとすればランテマリオでの決戦しかない。しかし現実には同盟軍は決戦をしていません。それなのに各星系は無防備都市宣言のみで同盟に留まっています……」
「……余りにも整然とし過ぎている、頭領はそうお考えなのですね」
総参謀長の問いかけに頭領が頷いた。
「各星系が無防備都市宣言のみで同盟に留まっているのはハイネセンが自分達だけを守ろうとしているのではないと知っているからではないでしょうか? このまま帝国軍が進めば、同盟軍がゲリラ戦を展開するとすれば、同盟政府は我々の前に為す術も無く降伏する事になるでしょう。その時、同盟政府首班は叛徒共の首魁として扱われる事になります。一番厳しい処罰を受ける事になる……」
「だから各星系は政府に対して文句を言えない、反乱軍を離脱する事も無く大人しくしている……」
「自らを犠牲にする事で反乱軍を一つにまとめている……」
ローエングラム公、そしてキルヒアイス提督の言葉に彼方此方から呻き声が起きた。黒姫の頭領の懸念は十分に根拠が有る。厄介な事態になったのかもしれない。
沈黙が落ちた、皆考え込んでいる。天井を見る者、目を閉じる者、腕を組む者、そして時折太い息が漏れた……。
「閣下、頭領の推測が正しいかどうか、確認をすることは出来ないのでしょうか? それなしでは今後の方針を決められないと思いますが……」
総参謀長の進言にローエングラム公が“ウム”と唸った、しかし後が続かない。難しいのだ、場合によってはハイネセンまで行って初めて分かるという事も有るだろう。
そしてもう一つ問題が有る、ゲリラ戦ではゲリラの位置を捕捉し攻撃場所を予想することが極めて難しいのだ。ゲリラに前線は無い、どこから現れるか、どんな手段で攻撃するかの選択肢は常にゲリラ側が持つ。つまり反乱軍がゲリラ戦を仕掛けてくればこの戦争における主導権は反乱軍が持つことになる……。
皆が沈黙する中、案を出したのは黒姫の頭領だった。
「閣下、艦隊を動かしてみては如何でしょう」
「艦隊を動かす? ハイネセンにか?」
公が訝しげに問い掛けると頭領は首を横に振った。
「いえ、ガンダルヴァ星域の周辺を哨戒させてはどうかと……。ライガール、トリプラ、タッシリ、バーミリオン、ランテマリオ、五個艦隊を動かし哨戒させるのです。此処には一年分の補給物資が有ります。哨戒活動はおかしなことではありません」
公が大きく息を吐いた。
「喰い付いて来るかな?」
「分かりません。しかしこのウルヴァシーの補給物資は同盟軍にとって目障りな存在のはず、出来れば破壊したいと思っているはずです、注視はしているでしょう。こちらが動いた時、相手はどう動くか……」
頭領の言葉にローエングラム公が頷いた。
「なるほど、石を投じてみるか……」
「はい、同盟軍がゲリラ戦を仕掛けてくるつもりならこの機会を逃がすとは思えません。向こうとしても出来る事ならハイネセン陥落は避けたいでしょう」
「……良いだろう、艦隊を動かしてみよう。ハイネセンに行かずとも反乱軍の狙いが確かめられればそれに越した事はない」
出撃か……、会議室に声にならないざわめきが起きた。皆が顔を見合わせている。
「戦闘は避けさせてください、同盟軍を発見した場合はすみやかに撤退するべきかと思います」
「我らが負けると頭領はお考えかな」
頭領の言葉にケンプ提督が反応した。幾分声がきつい、戦うなと言うのが不満なのだろう。頭領が苦笑を浮かべた。
「もし同盟軍がゲリラ戦を仕掛けてくるとすれば、こちらからは遭遇戦に見えても実際は遭遇戦ではない可能性が有ります」
「しかし……」
なおも言い募ろうとするケンプ提督を頭領が手を上げて制した。
「先ずは同盟軍の動きを見定めましょう」
「……」
「焦る必要は有りません、いずれ戦う時は来ます。必ず……」
五個艦隊の哨戒活動が決まった。指揮官はビッテンフェルト、アイゼナッハ、レンネンカンプ、シュタインメッツ、ミュラーの五人。さて、反乱軍はどう出て来るか……。
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