カウボーイ
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第一章
カウボーイ
イワン=コルチェンコはロシア系アメリカ人だ、仕事は映画の脚本家をしている。薄い色の金髪にがっしりとした身体と黒い目が特徴的な彫りのある顔立ちの男だ。
その彼が友人である映画監督のリチャード=ロフティングにこんなことを言われた。名前はイギリス系だが浅黒い肌に明るい感じの目鼻立ちに表情、縮れた黒髪とラテン系の感じである。
「リアルな西部劇ねえ」
「それを作ってみたいんだ」
ロフティングはコルチェンコの自宅に来てこう話す、彼の家のリビングにおいてコーヒーを飲みながら話す。
「それをね」
「西部劇自体がね」
どうかとだ、サルチェンコは難しい顔で返した。
「もうね」
「流行りじゃないっていうんだね」
「うん、そう思うんだけれどね」
こうロフティングに話す。
「インディアンを倒すとかいうのは」
「若しくはギャングとかだね」
「そういうのはもう流行らないだろ」
今のアメリカでは、というのだ。インディアンにしてもこの呼び名ではなくネイティブアメリカンとなっている。
「騎兵隊や保安官が正義で荒野の決闘とかいうのは」
「違うよ、僕が考えているのはそういうのじゃないんだ」
「そういうのじゃない?」
「騎兵隊も保安官も出さないよ」
そのどちらもだというのだ。
「勿論インディアンもギャングもね」
「じゃあ何を出すんだい?」
「カウボーイさ」
それだというのだ、西部劇のもう一つの要素だ。
「それを出したいんだよ」
「カウボーイねえ」
「テキサスを舞台としたね」
具体的な場所の話もする。
「そうしたのをね」
「正義とかそういうのは映像にしないんだね」
「リアルな西部劇を考えてるんだ」
これがロフティングの考えだった。
「それをね」
「リアルだね」
「そう、実際の西部劇をね」
「だから正義とかを出さないで」
「ありのままの西部劇だよ、十九世紀のテキサスのね」
騎兵隊やそういうものから離れた、というのだ。
「そういうのがいいかなってね」
「リアルね、そうなんだ」
「それでどうかな」
ロフティングはコーヒーを飲みながらコルチェンコに問うた。
「脚本を書いてくれるかな」
「ありきたりの騎兵隊なの保安官だのだったら乗らなかったよ」
そうしたチープな正義を扱ったものならばというのだ。
「僕もね」
「けれどだね」
「うん、正義は扱わないんだね」
「リアルだよ」
その当時の、だというのだ。
「まあカウボーイと牧場の娘の恋愛かな」
「それだったら乗るよ、西部劇は子供の頃から散々見たよ」
それでだと、コルチェンコはここでは眉を顰めさせて語る。
「いい加減飽きていたんだよ」
「本当にそうした西部劇が多かったからね」
「その騎兵隊だの保安官だの」
「デビー=クロケットとかね」
ワイアット=ホープだったりする、尚デビー=クロケットが死んだアラモはテキサスにあった。テキサスはかつてはメキシコ領だった。
「そういうのばかりだったね」
「食傷する位あったね」
「実際に食傷したよ、正義の大安売りで」
「正義は必要にしてもね」
「大安売りされると飽きるよ」
だからだというのあ。
「荒野のロマンスといくんだね」
「リアルのね」
「じゃあ乗るよ、書かせてもらうよ」
「よし、じゃあ打ち合わせに入ろうか」
ロフティングは微笑んだ、そのうえで早速仕事の話に入った。
二人は撮影現場に使い栄華の舞台でもあるテキサスにも向かった、その赤い荒野、岩山が連なるその中にいてだ。
コルチェンコは隣にいるロフティングにこう問うた。
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