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銀河英雄伝説~その海賊は銀河を駆け抜ける

作者:azuraiiru
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第三十五話 帝国暦四百九十年の始まり


帝国暦 489年  12月31日   フェザーン  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



フェザーンパレスホテル、これからこのホテルの最上階にある大広間で新年を迎えてのパーティが行われる。参加者は高級士官だけなんだがもう既にちらほらと大広間には人影が有る。まあ時刻は二十三時四十分を過ぎたからな、後五分もすればどっと人が押し寄せるだろう。

フェザーンパレスホテルはホテルの格としては中の上といったところらしい。オーディンに有るホテル・ヴォルフスシャンツェに比べればかなり格下のはずだがそれほど悪いとは思えない。俺が一般庶民だからかな、それともフェザーンのホテルは全体的にレベルが高いのか……。

「黒姫の頭領、一人ですか」
声をかけてきたのはヒルダだった。軍服を着ている、下はタイトスカートじゃない、ズボンだ。元々ボーイッシュな容姿だから結構似合っている。中将を表す軍服を身に着けていた。総参謀長だからな、そのくらいの待遇は必要だろう。

「一人ですよ、総参謀長閣下。皆には適当に楽しんでくれと言ってあります。上位者の傍で酒を飲むなんて気詰まりなだけでしょう。私もしゃちほこばった軍人に囲まれていても楽しくありません。一人の方が気が楽です」
ヒルダが苦笑を浮かべた。冗談だと思ったかな、全くの本心なのだが。

「またそのような事を……。それにしても慌ただしいパーティになりそうですわ、パーティの最中に出撃する方もいますし」
「同感です、戦争なんか何時でも出来ますが新年のパーティは一年に一度きりです。どちらが大事か分かりそうなものですがローエングラム公は無粋だから……。困ったものですね」

笑いかけたがヒルダは困った様な表情を浮かべた。やれやれ、お嬢様には洒落が通じないらしい。シェーンコップやポプランなら大声で賛同しただろう。少しは奴らを見習った方が良いんだがな。真面目なだけじゃ疲れるだろう、自分だけじゃない周囲もだ。

「冗談ですよ、総参謀長閣下。そのような表情をされては困りますね」
ヒルダは表情を変えなかった。そして溜息を一つ吐いた。
「冗談なのは分かっています。ですが、それが分からない人も居るのです」
「……」
妙な事を言うな。

「頭領の事を危険視している人間も居ます、そういう人間には頭領がローエングラム公に不満を持っていると取られかねません。少し発言には注意してください」
おいおい、随分と物騒な話だな。俺の事を気に入らないという奴が居る事は分かるが俺がラインハルトに不満を持っている? 何か勘違いしてないか? 俺くらい協力している人間は居ないし今回の遠征にも参加してるんだが……。

「不満を持っている? 何の冗談です、それは? たかがパーティの事でしょう?」
「……」
「憲兵総監ですか、疑っているのは。人を疑う事と陥れる事しか取り柄のない人間ですからね。益よりも害の方が多い、犯罪者じゃないのが不思議なくらいだ」

ヒルダは苦笑すら浮かべない。面白くなかったか? 会場には徐々に人が増えてきた。俺とヒルダを注視している人間も居る。総参謀長と海賊の会話か、気になるのだろうな。
「改革派の文官達の中には頭領の事を高く評価している人物もいます。それこそローエングラム公よりもです。その事で頭領を危険視する人間が居るのです。お分かりになりませんか?」
「……」

改革派の文官達か……、リヒターやブラッケだな。まあ連中はどちらかといえばラインハルトには批判的だった。改革は自分の野心のための人気取りだと。原作では他に人が居なかったから従っていたがこの世界では俺が居る。俺の方が純粋に平民達の事を考えていると判断したか、有り得ない話じゃないな……。

それを見て改革派の連中が俺を担ぎ上げるんじゃないかと危険視した人間が居るという事か。皇帝にじゃないな、精々宰相といったところだろう。ラインハルトを棚上げして実権を握るか。オーベルシュタインだけとは限らない、誰かは分からないが俺を危険視している人間が居るらしい。

その人物は平民達の支持が有れば改革派が俺を担ぎ上げる事が可能だと考えた……。改革派を疎ましく思い俺と連中の繋がりを危険視する者……、まさかとは思うが貴族? ……可能性は有るな。

ローエングラム体制になっても貴族はいる。連中の中にこれ以上の貴族勢力の衰退を望まない人間が居たとしたら……。ラインハルト以上に積極的に平民達の力を向上させようとしている、俺の事がそう見えたのかもしれない。当然だが面白くないと思っただろう。

文官との繋がりという意味では軍人の中にも俺を危険視する人間が居てもおかしくは無い。同盟との戦争は終わりつつある、もうすぐ軍事より内政が優先される平和な時代が到来するだろう。文官の地位が上がればそれだけ軍人の地位は下がる……。

ラインハルトは軍人だ、どうしても発想は武断的、軍人寄りになる。軍人にとっては理想の主君だろう。しかしそれだけに文官達にとっては不満に違いない。新時代のリーダーには相応しくないと思ったか……。連中が俺を評価するのはそれも有るのかもしれんな。となるとヒルダの心配は杞憂とは言えない、十分にあり得る事だろう……。

やれやれだ、世の中阿呆ばかりだな、余計な事をして混乱させてばかりいる。もっとも気付かない俺も阿呆の同類か……。何時の間にか火薬庫の上に飛び乗って火遊びをしていたらしい。溜息が出た。

「特に黒姫の頭領がフェザーンを占領してからはその傾向がさらに強くなりました。もちろんローエングラム公は黒姫の頭領に権力への野心が有るとは思っていません。頭領を御自身の後ろに配したのも周囲に頭領を信頼していると理解させるためです」

つまりヒルダの俺に対する評価はロイエンタールよりはまし、そんなところかな。いや待て、ミュラーを俺の後ろに置いたのはこの女だった。という事は彼女も俺を疑っているという事か……。これは忠告なのか、それとも警告なのか、確認する必要が有るな、間違うと命取りになる。

「総参謀長閣下も私を疑っておいでですか。ナイトハルトを私の後ろに置いたのは総参謀長の配慮だと聞きましたが」
「いいえ、疑ってはいません。しかし彼らにも配慮しなければならないのです。御理解頂けませんか?」
「……」

御理解か、どうやら警告では無く忠告という事か。敵ではないと見て良いのかな……。
「黒姫の頭領から艦隊の順番を変えて欲しいと要望が有った時には頭領は全てご存知かと思ったのですが、そういうわけではないのですね」
「部下を唆す者が居るとすれば地球教かと思っていました。後は憲兵総監ですね。まさか帝国内の権力争いが絡んでいるとは……、面倒な……」

ヒルダが頭を下げた。
「頭領には申し訳ないと思います。ですがどうか御自愛下さい。帝国には、ローエングラム公には黒姫の頭領の協力が必要です」
「……御厚意感謝します、気を付けましょう」
俺が謝意を表するともう一度丁寧に頭を下げてヒルダは立ち去った。

やれやれだ。とんでもない状況だな。敵と戦う前に味方の内部で勢力争いが生じている。まあそれだけ同盟に比べれば帝国が有利だということだろう。勝つ事よりも勝った後の事を考えているというわけだ。しかしな、有利では有るが楽に勝てるとは限らん。それが分かっているかな。

「エーリッヒ」
考え込んでいると声をかけてきたのはミュラーだった。一人じゃない、周囲にはミュラー艦隊の人間が何人か居る。オルラウ、ヴァルヒ、シュナーベル、ハウシリド、ドレウェンツ……。軍人ってのはどういうわけか直ぐ固まる。パーティなんだから自由にすればよいだろうに。

「随分と総参謀長と話していたようだが」
「見ていたのか」
「ああ、深刻そうだったんでね。声はかけなかったんだが……」
「遠慮しなくてよかったんだ、大した話はしていないんだから」
「……そうか」

正直に話そうかと思ったがオルラウ達が居る、ミュラーを困らせるのは止めた方が良いだろう。会場では何時の間にかシャンパン、ジュース等の飲み物が用意されていた。そして人も増えていた。気付かなかったな、どうやら俺は周囲に注意を向ける余裕を無くしていたらしい。

入口の方がざわめくとラインハルトが会場に入って来た。傍にはシュトライト、リュッケが居る。ヒルダがラインハルトに近付いていく。そうか、あれは偶然ではなかった。ヒルダは俺と話すために先に来たのだ……。無性に腹が立った、間抜けな自分に、そして馬鹿共に……。

音響システムを組み込んだ四方の壁から鐘の音が鳴り出した。帝国暦四百八十九年が終わり四百九十年が始まったというわけだ……。上座に居るラインハルトがテーブルに近付く、俺も傍に有るテーブルに近付き出来るだけ大きなグラスを取った。赤い液体が入っているが何でも良い、どうせ飲むつもりは無い。

ラインハルトがシャンパンを満たしたクリスタル・グラスを高く掲げると皆がそれに応じる。
「プロージット!」
「プロージット! 新たなる年に!」
「プロージット! もたらさるべき武勲に!」
「プロージット! 自由惑星同盟最後の年に!」

覇気に富んだ乾杯の声が上がる中、ガシャーンという音がしてグラスが砕けた。床に液体が流れる、綺麗な赤い液体だ。皆の視線が俺に集まった。
「失礼、手が滑りました」
俺が肩を竦めて答えると昂然とした空気は消え何処か白けた様な空気が会場に流れた。無粋な奴、間の悪い奴、そう思ったのだろう。

トゥルナイゼンが悔しそうな表情で俺を見ている。やはりこいつは“自由惑星同盟最後の年に”と叫んだ。ラインハルトの気を引こうとしたのだろうが残念だったな。少しだけだが気が晴れたよ。ウェイターが現れ砕けたガラスを片付け始めた。ヒルダが俺を見ている、目立つ事をするとでも思っているのかもしれない。悪いね、二人とも。でもどうしても我慢できなかったんだ……。



帝国暦 490年  1月 1日   フェザーン  ナイトハルト・ミュラー



会場では彼方此方のテーブルで談笑する軍人の姿が有る。新年を迎えてのパーティ、しかも出撃を控えている。本来なら会場はもっと荒々しい様な、昂然とした空気に満ちていて良いはずだが何処か白けた様な空気に支配されている。タンと音がした。エーリッヒがグラスをテーブルに置いたようだ。

「ナイトハルト、私は艦に戻る」
「戻る? 帰るのか」
始まってまだ十分も経っていない。俺の問いかけにエーリッヒが頷いた。
「出立前に少し休んでおきたいんだ。それに私はアルコールが駄目だからね。パーティは苦手だ」
「……そうか」

このパーティの終了と同時に帝国軍の一部はフェザーンを出立する。今日出立するのは四個艦隊だ。第一陣はミッターマイヤー提督、第二陣はロイエンタール提督、第三陣が俺、そしてエーリッヒは第四陣。ローエングラム公はアイゼナッハ、ルッツ提督と共に一月十九日にフェザーンを出立する。そしてその五日後、まだここには来ていないビッテンフェルト、ファーレンハイト提督がフェザーンを出立する。全軍の集結地はポレヴィト星域……。ミッターマイヤー提督が出立するのが大体二時頃になるだろう、エーリッヒの出立時間は四時頃になるはずだ。休みたいというのはおかしな話ではない……。

エーリッヒが身体を寄せてきた、小声で話しかけてくる。
「それに卿の部下達も私が居ると窮屈そうだ」
「……済まんな」
「仕方ないさ、卿の所為じゃない」

「ローエングラム公への挨拶はどうする? しないのか」
エーリッヒがちょっと迷うそぶりを見せた。
「……止めておこう、引き留められてはかなわない。それにここは軍人が多すぎる、息が詰まるよ。済まないが卿から上手く伝えてくれ」
「分かった、そうしよう」
「頼む、……卿も適当に切り上げろよ」
エーリッヒがテーブルから離れた。出口へ向かう姿に不自然な所は無い、おそらく皆はトイレにでも行くのだと思うだろう。

何か有ったな……。さっき落としたグラスだがあれはわざとだ。エーリッヒは酒が飲めない、だが奴が落としたのはカクテルの入ったグラスだった。本来エーリッヒが手に取るグラスじゃない。それにパーティが苦手なのは事実だが付き合いが出来ない奴じゃない。何かが有った、多分総参謀長との話が原因だろう……。

かなり深刻そうな感じだった。そして総参謀長はエーリッヒに丁寧に頭を下げていた。明らかに総参謀長は下手に出ている。何かをエーリッヒに頼んだのだろう。だがエーリッヒにとってそれは必ずしも嬉しい事ではなかったという事だ。或いは何らかの譲歩を迫ったのかもしれない……。だがその事とグラスを落した事がどう繋がるのか……。

オルラウ達が寛いでいる。確かにこいつらにとってはエーリッヒは異物なのだろう。軍の階級では退役中尉、しかし帝国屈指の実力者でもある。無視は出来ないがどう対応して良いか分からない、緊張を強いられる相手なのだろうな。エーリッヒにしてみれば腫れ物に触るような扱いを受けていると感じるのかもしれない。やれやれだ……。



帝国暦 490年  1月 1日    マーナガルム  コンラート・フォン・モーデル



黒姫の頭領がマーナガルムに戻ってきた。何か忘れ物でもしたのかな、あれ? 指揮官席に座った。
「如何されたのですか、パーティは……」
「抜け出してきました。私はアルコールが駄目なのでね、パーティは苦手だ」

「ココアでもお持ちしましょうか」
「……出来れば水を貰いたいのだけど」
「分かりました」
水を用意すると頭領は“有難う”と言って一口飲んだ。そして何かを考えている、どうやら喉が渇いていたわけじゃない様だ。

「あの……」
僕が声をかけると頭領は“何か”というように視線を向けてきた。
「この艦隊は戦わないんですか?」
「……」
「勝ってる時には前に出ない、ローエングラム公が負けそうになったら出るって聞きましたけど」
「……」

頭領が僕を見ている。拙い事訊いちゃったかな、でも皆気にしてるんだ、武勲は立てられそうにないって……。頭領がまた一口水を飲んだ。
「戦力的には帝国軍が圧倒的に優位です。しかし戦力的に優位である事と戦争に勝つ事は別ですよ」
「……」

うーん、それはそうだけど……。頭領が僕を見てクスッと笑った。僕が納得してないと見たのかな。
「正面から戦えば帝国軍が勝ちます。一時的には不利になる局面は有るでしょうが最終的には物量の差で帝国軍が勝つ、それも圧倒的に……」

やっぱり出番は無いのかな……。
「自由惑星同盟もその事は分かっているでしょう。果たしてそれでも正面から戦いを挑んでくるかどうか……」
頭領がちょっと小首を傾げている。

「挑んでこない時は……」
「厄介な事になるでしょうね、非常に厄介な事になる」
頭領はまた一口水を飲むと出立まではまだ時間が有るから少し休みなさいと僕に言った。

自室に戻りながら思った。皆が反乱軍に簡単に勝てると考えているけど頭領はそうは思っていないみたいだ。予想外に苦戦する、そう思っている。この艦隊の出番が有るのかもしれない。でもその時は帝国軍にとっては良い状況じゃない……。

うーん、迷うな……。この艦隊が活躍するところは見たいけど帝国軍が苦戦するところは見たくない。でも多分、帝国軍は反乱軍に苦戦する事になると思った。そして黒姫の頭領が動く時が来る……。根拠は無いけど何故かそうなると思った……。




 
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