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シンクロニシティ10

作者:ミジンコ
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第十六章

 男は暗闇で声をかけられ、一瞬たじろいた。榊原はサングラスをかけている。太い眉を毛抜きで抜いて細く切り揃え顔を変えた。サングラスはその容貌を隠すためだ。男は眼を凝らしじっと見詰めていたが、その風貌から相手が榊原と分かって顔をこわばらせた。
「榊原警部補。」
と言ったきり固まった。
「どうする、犬山君。ワシを逮捕するかね。」
犬山は顔を引きつらせ、何か言おうしたが思うように口が回らない。大卒、27歳、巡査部長だ。最近、小心な警察官が多くなってきたが、犬山もそうした警官のひとりだ。犬山がやっとの思いで声を発した。
「榊原さんの事件は、何かの間違いだと思っています。」
「そう、何かの間違いだ。あの日、例のマンションの男達が動いた。君が休んだ日だ。瀬川は後を追った。ワシも坂本警部に連絡して追跡に加わった。」
ここまで言って、榊原はポケットをまさぐり煙草を取り出すと火をつけた。
「それで、どうなったんです。」
「ワシのおんぼろ車では二人に追いつけず、それが災いした。先に倉庫に着いた二人は敵に遭遇し殺されてしまったんだ。ワシはその直後に現場に到着した。そして、そこには妙な男がいた。残念ながら、ワシは声も聞いていないし、姿もみていない。しかし…」
「しかし、何なんですか?」
「男達に警部って呼ばれていた。」
「何ですって!」
「その後、すぐに千葉県警に知らせてた。恐らく検問が敷かれたはずだが、それに引っかからなかった。手の内を知っているその警部が先導して検問を逃れたのかもしれない。ところで、君は高嶋方面部長以外に任務のことを誰かに漏らしたか。」
「いいえ、高嶋方面部長から秘密の任務だと聞いていましたから。ただ、」
「ただ、何だ。」
「警視庁内部で変な動きは感じていました。つまり、その、何て言うか、榊原警部補を取り巻く変な噂が流れていましたから。そんな中、高嶋方面部長から極秘で榊原さんと瀬川さんに合流するよう指示をうけました。でも、もしかしたらそれが漏れていたんじゃないかと思うんです。」
「つまり二課の誰かが知っていたと?」
「いえ、課内とは限りません。警視庁内部という意味です。ふと視線を感じることがありました。だから、尾久駅前のセブンイレブンに行く時、付けられたんじゃないかと思ったことがあります。」
「確かにその通りだ。でなければその警部が俺達に罠を仕掛けることなど出来ない。」
「ええ、そうとしか考えられません。我々は裏をかかれたんです。尾久でも見張られていたように思います。勘でしかありませんが。」
「そうか、いずれにせよ、もう後の祭りだ。ところで、犬山君にお願いしたいことがある。ワシの拳銃を持ち出した奴がいる。そいつが、男達から警部と呼ばれた男だ。ワシを罠に嵌めた奴だ。そいつは間違いなく警視庁内部にいる。」
「それを調べろというわけですね。分かりました。」
「ワシはその日、非番で家にいた。持ち出せるわけはない。だからそいつを特定出来ればワシの容疑も晴れる。12日か13日に例の金庫に入った奴の名前を知りたい。そいつはワシの拳銃と弾の保管場所の周辺に指紋を残しているかもしれない。」
「分かりました。やってみます。」
 榊原は随分と迷って犬山に決めた。父親は警視庁関係者との接触は危険だと言う。しかし、自分の無実を証明しなければならない。最初は高嶋方面部長を考えたのだが、彼の立場上榊原と接触があったことを秘密にしておくことは難しい。犬山であれば秘密は保たれると判断したのだ。

 江東区の健康ランドに移って二日目、三人は昼過ぎ近くに目覚めた。コヒーをいれながら、親父さんが昨日までの調査の詳細を語った。手に入れた石田の携帯の通話記録を見詰め、何度も首をひねっている。
「いったい、これはどういうことなんだ。」
三人はじっと、通話記録の日付に見入った。
「昭和57年7月18日、ってことは…ワシが50代前半の頃だ。つまりおおよそ18~9年前に掛けられたってことになる。まあ、コンピュ-ターの誤作動か何かに違いないのだろうけど、IT時代にもこういうことがあるわけか。」
「いや、IT時代だからこそ、こういうことが起こるんだ。」
 榊原親子の会話はそこで途切れた。しかし、黙って、食い入るように見詰める石田には、それは忘れようにも忘れられない日付だった。その日付はまさに妹が殺された日なのだ。石田がぽつりと言った。
「いや、18~9年前ではない。ちょうど20年前になる。」
榊原がすぐに反応した。
「そうか、しかし、不思議なこともあるものだな。20年前と言えば、俺達が出会った頃頃だ。」
榊原はふっと何かを思い出したらしく、一瞬顔を曇らせた。そう、榊原はこれまでも石田の妹の死について一言も触れることはなかった。石田がそのことを打ち明けた時でさえ、無言で、石田の肩に手を添えただけだ。その後もその話題を避けた。
「で、晴美が俺に掛けてきた携帯の持ち主は分かったのですか。」
この一声で、榊原の抱いた不安は遠のいた。まさか石田の妹の命日?それが榊原の不安であった。言葉を差し挟もうと思った時、親父さんが答えた。
「分かったことは分かったんだ。契約書に書かれた住所を訪ねたんだが、ごく普通のサラリーマンで、持っている携帯の番号は全く違っていた。恐らく偽造の免許証で携帯のナンバーを取得したんだろう。」
榊原が、不安を振り払うようにいつになく饒舌になって説明した。
「いわゆる免許証なんて、いくらでも偽造が可能なんだ。最近はかなり精巧なやつが出まわっている。特に不法入国者が後を断たんだろう。こういう奴に偽造免許を供給する組織が存在する。」
「ってことは、晴美がとっさに手にした携帯電話は誰の物なのか分からないってことですか?」
「そうだ、誰のものか全く分からない。」
 石田は押し黙った。そうであれば、親父さんが調べたナンバーに電話を掛けてみるしかない。和代は、そのナンバーから石田の携帯電話に掛けたきたのだ。親父さんも同じことを考えていたようだ。
「つまり、このナンバーに掛けてみるのが一番手っ取り早い。電電公社の野郎もこれ以上の協力は警察からの正式な要請がなければ出来んと言っている。しかし、これには危険が伴う。何故なら晴美さんが掛けた携帯は、晴海さんを誘拐した奴等の持ち物とも考えられるからだ。」
 石田はそうは思わなかった。和代がその携帯を選んだのだのには訳があるはずなのだ。和代は晴美を救いたかった。だとすれば晴美を危険に陥れるような真似はしない。何かしら和代に縁のある人物の携帯であるか、或はこの番号に連絡しろという意味なのかもしれない。石田は決心した。
「その番号に電話してみましょう。どちらにしろ晴美の危険に変わりがないような気がする。」
「おい、石田、それはまだ早い。その番号の動きを探るように、電電公社じゃなくてNTTの親父の知り合いに掛け合うことも出来る。」
「いや、時間がない。」
こう言うと、あっけにとられる二人を尻目に、石田は携帯を取り上げ、番号を素早くなぞると、耳に当てた。
「おい、待て、万が一ってこともある。やめろ、おい、石田。」
榊原の声を石田は無視した。親子は呆然と見ていただけだ。
呼び出し音が響く。ルルルル、ルルルル、呼び出してはいるがなかなかでない。胸が締めつけられるような緊張を覚えながら、石田は待った。20回を越えて漸く呼び出し音が途切れ、相手が出た。沈黙が流れた。石田がごくりと生唾を飲み込み漸く声を発した。
「もしもし、もしもし、電話を切らずに聞いてください。私は怪しい人間ではありません。名前は石田仁と申します。何故、あなたの番号に電話を掛けたのか、理由を言います。少し驚くような内容ですが、これは真実です。」
二人も緊張して石田を見詰めている。相手が電話を切らずに聞く意思があることを感じて、石田は一呼吸してゆっくりと続けた。
「実を申しますと、私の娘が、娘と申しましても前妻の娘なのですが、事件に巻き込まれました。誘拐されたのです。そして7月18日。私の携帯に一本の電話がありました。助けを呼ぶ電話です。その電話はあなたの携帯から掛かってきたのです。」
「………」
「電話は、助けを求める女性の声でした。ですが、その声は、失踪した娘の声ではありません。私は何度も娘に会いその声を知っていますし、記憶に残っております。でも、娘の声ではなかったのです。もし、娘の声であれば、私はこの電話番号に掛けたりしません。その声は、私の記憶にしかない声だったのっです。」
「………」
「それは20年前に柏崎で殺された、妹、和代の声だったのです。あなたは、」
突然電話が切れた。
「もしもし、もしもし」
石田の叫びに答える者はいない。何度かリダイアルしてみたがすでに電源が切られている。
 親子は呆然と石田を見詰めていた。二人とも同じように口をあんぐりと開け放ったままだ。息子の唇にかろうじて貼り付いていた煙草がぽとりと落ちた。しばらくして、親父さんの方が「あちちち、あちちち」と声を発し、屈み込みながら、足元の煙草を拾い上げた。それを口に咥えて言った。
「今言ったことは、それは…本当のことなのか?」
「ええ、本当です。晴美の声ではありません。妹の声だったんです。聞き間違いではありません。」
榊原はまだ口を閉じようとはしない。目は驚きと恐怖に囚われたままだ。親父の方はすぐさま現実を見詰め始めていた。暫くの沈黙の後、唐突に口を開いた。
「相手は、最初のうち、話を聞く態度を示していた。切らなかったんだからな。それが妹さんのことに触れた途端電話を切った。ってことは妹さんのゆかりの人、妹さんの死に関わりのある人ってことだ。つまり妹さんはその人に助けを求めた。」
「ええ、そう思いました。ですから直接電話してみたんです。もしかしたら、晴美のことを、つまり居場所を知っている人かもしれない。」
榊原がごくりと生唾を飲み込み、話に加わった。
「二人ともどうかしているんじゃないか。妹さんは死んでいるんだ。死んだ人間が電話できるはずがない。石田は晴美さんを思うあまり、幻聴を聞いたんだ、そうだ、それならありうる。」
親父さんがそれに答えた。
「馬鹿か、お前は。現にこうしてコンピューターに記録されてる。日付つきでな。石田さん、この日付は、つまり?」
「ええ、和代が殺された日です。」
「ってことは間違い無く妹さんが石田君に掛けてきたってことだ。」
榊原が大きく首を横に振って叫んだ。
「そんなこと考えられん。二人ともどうかしたんじゃないのか。ワシは信じない。そんな馬鹿な話は信じないからな。何かしら科学的に説明のゆく理由があるはずだ。」
哀れむような視線を息子に向け、親父さんが言った。
「ワシは人の死を何度もまじかに見てきた。その経験から言えることは、世の中には説明のつかない不思議に満ちているってことだ。もしかしたら死ってのは終わりではないのかもしれないと思うことが何度もあった。」
親父さんは、ふと、顔をあげて息子を見た。
「そういうお前は、そんな風に感じたことはないのか。不思議な出来事に遭遇したことはないのか。」
「ある訳はない。ワシはいつだって正常な世界の人間だ。」
「そうだった、お前は死んだお袋似だったな。あいつも、お前のように常に現実的で、常識の殻の中に納まっておった。だから、今ごろは、お前の横に腰掛けて、自分が間違っていたことを、うんうんと首を縦に振りながら、認めているかもしれん。」
 榊原が、一瞬、たじろぎ、辺りを見回した。親父さんがその様子を見て言った。
「馬鹿か、自分のお袋を怖がってどうする。」
「とにかく、ワシは信じない。そんな話なんて溝に捨ててしまえ、ワシは信じないぞ。」
 その後、石田は一時間ごとに電話を入れたが通じなかった。その日、榊原親子が寝入ってから、石田は眠れずにうつらうつらと時間を過ごした。不思議な夢が幾つも通り過ぎた。和代が枕元に現れ、石田に何かを訴えている。しかし、何を訴えているのか分からない。両親も現れた。必死の形相で晴美を助けろという。
 
 突然、胸の携帯が鳴り響いた。すぐに飛び起き、携帯を握った。画面を見ると、やはり非通知設定だ。あの男からだ。それは確かだった。親子も飛び起き二段ベッドの上と下で石田を見詰めた。石田はゆっくりと通話ボタンを押した。
「もしもし、どうか切らないで下さい。あなたからの電話を待っていました。娘は今危険な状態にあります。でも、和代が電話してきたってことは、まだ晴美は生きていると思うのです。何故、和代が貴方の電話を使ったのか分かりません。でも、和代は貴方の助けを求めたのだとおもいます。どうか、私を助けて下さい。」
「……」
「お願いします。晴美は私にとってかけがえのない娘なのです。」
「……」
沈黙が微かに揺れている。相手が何か話そうとしている。
「お願いします。何かを言ってください。」
空気が動いた。石田は緊張した。果して、受話器の向こうから声が響いた。
「晴美はまだ生きている。しかし、残念ながら、洋介君は死んだ。」
衝撃が走った。石田は洋介君を電話のやり取りでしか知らない。しかし、晴美は心から洋介を愛していた。その洋介君が死んだ。信じられなかった。何故、このような現実が、この日本で起こるのだ。
「洋介君は何故死んだのです。」
「逃げようとして殺された。」
「何故拉致されたんです。」
「そんなことは知らん。」
痛ましい事実に暗澹として身震いした。晴美の陥った世界は尋常の世界ではない。ぜいぜいという男の吐息が不安を呼び起こす。石田はすがるような声で言った。
「なんとしても晴美を救い出したいのです。協力してもらえませんか。お願いします。」
「私は、和代さんを知っていた。何とか助けたかった。だから、こうしてあんたに電話を入れた。石田さんが言うことが真実なら、和代さんは晴美を助けたがっている。」
「あなたは、晴美と呼び捨てにしている。あなたは誰なのですか。」
「私が誰であろうと関係ない。余計な詮索はするな。この電話を切ってもいいんだぞ。」
男の張り上げる声は呂律がまわっていない。そうとう酔っている。普通の精神状態ではない。
「待ってください。私は貴方が和代の意思を継いでくれる人だと信じています。晴美を救いたいのです。」
「分かっている。何とかしなければならない。」
「どうすればいいのですか。私は命も惜しみません。死んでもいいのです。」
「……」
長い沈黙が続いた。男が溜息をついた。そして、言葉を発した・
「あんたは、死んでも良いと言った。しかし私にはそこまで覚悟が出来ていない。」
「私は、覚悟は出来ています。和代がついているのです。私は怖くありません。たとえ、命を失うことになっても、何もしないでいるよりましです。」
「私は怖い。殺されることが心底怖い。石田さん、晴美を救うとはそういうことなんです。」
「私は死を恐れません。晴美を救えるのなら、この身など、失っても何の後悔もありません。どうか、お願いします。晴美を助けたいのです。貴方の助けがいります。」
「……」
 暫く沈黙が続き、石田は自分の言葉を反芻した。なにかまずいことを言ってしまったのではないか。だから、相手が黙っているのではないか。不安がよぎった。しかし、その不安は杞憂だった。相手は、尋常な声を取り戻していた。
「分かった、あんたの言いたいことは分かった。私も覚悟を決めよう。殺されることも含めて、自分の運命として受けとめなければならないのかもしれない。」
「貴方を、何と呼んだらいいのかわからないが、和代との関わりを教えて下さい。お願いします。20年前に殺された和代の最後を知りたいのです。真実をしりたいのです。どんなに惨い事実も受け止めます。聞かせてください。」
「……」
やはり、沈黙が続いた。相手は冷たい反応を示した。
「あんたは、晴美を救いたいんだろう。それを第一に考えろ。今、午前2時だ。明日13時に電話する。」
そこで電話は切れた。 
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