Fate/stay night -the last fencer-
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第一部
それぞれのマスターたち
穂群原学園(Ⅰ) 〜夢跡〜
太陽が昇り始める時刻。
意識が覚醒した瞬間、俺は思わず飛び起きた。
「はぁ、はぁっ…………ゆ、夢?」
軽い息切れ、早鐘のような動悸。
夢での出来事だっていうのに、心臓は今にも破れんばかりに鼓動を打つ。
寝汗も尋常ではなく、この寒い時期にシャツは水を浴びたように濡れていた。
「生々しい……まだ感触が残ってるみたいだ……」
とにかく現実をハッキリと認識するために、顔を洗いに洗面所に行く。
冷水を手で掬い、叩きつけるように顔にかける。
「はぁ。もう、マジで自己嫌悪…………」
鏡の前で項垂れる。
まさか同級生とのあんな夢を見るなんて、最低にも程がある。
盛った思春期男子でもあるまいし、欲求不満だったわけでもないのに。
本能的欲求は、優れた理性で制御できる。
自己制御に長けている魔術師であれば尚更で、こんな欲に振り回されるようなことがあってはならない。
しかし夢に見るということは、無意識下で少なからずソレを望んでいるということで、自身で把握しきれない欲望に振り回されているということだ。
だからあんな夢を見たのは、やはり自分が未熟に過ぎるからで────
誰も居ない夜の弓道場。
上気し赤く染まった頬。
入り混じる彼女らの香りと汗の匂い。
理性が蕩けるような交わりは、微熱のように頭をクラクラさせて。
友人として接しているときとは違う、普段見せることのない女の表情。
月明かりが照らし出す少女たちの肌は青白く、だがそれとは逆に身体は熱を持ってその興奮を示してくる。
どこか夢見心地のまま、甘い誘惑に流されるように、俺は自身の猛りを彼女たちにぶつけて──────
(くっ……!? バカ、思い出すな思い出すな!)
必死に夢の記憶を振り払う。
着ている物を脱いで洗濯機に叩き込む。
頭に残る微熱の残滓を流し落とすために、シャワーを浴びることにした。
(はあ…………)
頭から冷水を浴びる。
滴る雫が火照った身体から熱を奪いながら流れ落ちて、排水口へと消えていく。
簡単にはやめず、ひたすらに体温を下げ続ける。
昨夜の夢さえも冷めてくれるよう考えながら、しばらくそのままでいた。
下着のシャツと学生服に身を包みながら、朝食の用意をする。
簡単にトーストとハムエッグだけ作って席に着く。
「よし、いただきま」
「マスター」
「うぉっ! 居たのかおまえ!?」
突如実体化して目の前に現れたフェンサー。
昨晩自由行動をさせていたのだが、既に戻ってきていたらしい。
気にせずトーストをかじりながら、フェンサーからの報告を聴く。
「で、どうだった?」
「ダメね。他のマスターたちの痕跡も何もなかったわ。あ、リンとアーチャーは見かけたけど」
「あの二人はいつでも会いに行けるだろ。まぁ、まだ焦る必要もないさ」
聖杯戦争は始まったばかり。
他のマスターもサーヴァントも、大きな動きは控えているだろう。
戦争である以上、こちらがそれなりに動いていれば自然と出会うはずだ。
篭城なんて戦法は機能しづらいし、それができるのはキャスターのみ、条件付きでアーチャーもか。
「そうね。ところで、私の朝食は?」
「欲しけりゃ自分で用意しろ。晩飯は作ってやるが、それ以外は余裕がない」
「ふーん。朝からシャワーを浴びる余裕はあるのに」
「………………いつから、戻ってきていたんですか?」
「んー、寝汗をかいて悶々としながら飛び起きたあたりには居たかな」
「最初じゃん! 思いっ切り最初っからじゃん!!」
あんな情けない様を見られていたというのか。
霊体化されていては意識しないと何処に居るのか正確にはわからない。
ラインの認識や状態把握は出来るが、向こうに黙られていては知ろうとしない限り、知らせようとしない限り知覚できないのだ。
あからさまに不満な顔をして抗議する。
「夢見が悪かったんだよ。そうでなきゃ誰が朝っぱらから冷や水浴びたりするか」
「────マスター」
「ん?」
スッとこちらに移動し、正面に座る。
一体なんだと言うのか。口論でもするつもりか?
食事の手を止め、フェンサーと向かい合う。
「ん」
「!?!?」
コツン、と額と額を接触させられる。
え、何だ、新手のイジメか!?
とんでもない美人のくせにいきなり無防備にそんな至近距離に近づくんじゃねぇよバカ!
「近ぇぞフェンサー!」
「少し大人しくして」
「っ…………はい」
くっそ、こんな距離で真っ正面から見つめられながら囁かれたら、誰だって大人しくなるに決まってんだろ!
そんな俺の内心まで窺うかのように、紅い眼が俺の眼を捉えている。
まるで魅惑の呪にでも掛かったかのように、俺は身動ぎ一つできない。
彼女の吐息が間近に感じられる。
同じように、俺の呼吸もあちらには伝わっているだろう。
もしかしたら、今俺が尋常じゃなくドキドキしちまってることまでバレやしないかと────
「……吸精魔術の跡があるわ」
「────────は?」
「だからサキュバスの痕跡があるの。マスター、魔力大丈夫?」
「あー、えー……あぁ、何か中途半端に抜けた感があるのはそのせいか」
「私が離れてる間に仕込まれたんでしょうね。明確な敵意や殺意があったら気づいたでしょうから、きっと魔力吸いだけが目的だったのね」
今日で魔力は全快すると見込んでいたのだが、まだ1、2割ほど回復し切っていない。
俺の魔力抵抗が高いから思ったように吸収は出来なかったようだが、淫夢自体は見させられたということか。
いやもう、朝から凄いものを見せられたおかげでそんな可能性を考えることにまで頭が回らなかった。
よくよく考えてみればそうか。 何の理由も無しにあんな夢を見るほうがどうかしてる。
疑問がストンと腑に落ちたので、止めていた食事を再開する。
「相手は誰だったの?」
「んっぐ!?」
そして飛び出る一言。
あまりの驚愕に俺は口に含んだパンの欠片を、ほとんど噛まずに丸飲みしてしまった。
普通そんなことを平然とストレートに豪速球で聞いてくるか!?
昨日から思っていたが、このサーヴァントどっかおかしいんじゃなかろうか。
「おまえには関係ねぇだろっ! 人のプライベートに踏み込んで来るんじゃねぇ!」
「ふふ、その様子だと私じゃなかったみたいね」
「あったりまえだバカ、誰がおまえの夢なんか見るか!」
「……ええ、そうね。私も惰欲の捌け口にされなくて良かったわ」
いや、確かにその通りなんですがね。
そのしかめっ面はどう見ても良かったって言ってる人の顔じゃありませんよ?
あれか、夢に見られるのは嫌だが、可能性皆無と断じられるのもプライドが云々って感じか。
ただそんな面倒くさい心情にまで気を遣ってやれるほど俺も優しくはない。
「で、その吸精魔術はもう消えてるのか?」
「ええ。元々持続性のあるものでもないし」
「ならいい。これから学校だが、近場の巡察くらいなら許可するから」
「常時待機じゃなくていいの?」
「昼間から人の多い場所で仕掛けてはこないだろうし、少しくらい離れても問題ないだろ」
呼べば即座に駆けつけられる範囲内であれば、いつでもどこでも傍で待機なんてさせなくてもいい。
いざとなったら令呪で強制召喚も可能だし、無防備に不意打ちされるほど気を抜くつもりもない。
俺を餌に敵が釣れるなら願ったりだし、そんな不用意な行動を起こす相手ならその場で始末出来るだろう。
「じゃ、行くか」
聖杯戦争中でも学校はある。
いつもと変わらない時刻に俺は家を出た。
「……やられたな」
学園の敷地内に入った瞬間、それを感知した。
つい一昨日にほとんどの基点を潰したはずの結界が、ものの見事に復活している。
俺も凛も昨日は人が少ないから発動はないと踏んでいたのだが。
それを見越してか、結界を張った魔術師は基点をいちいち修復したらしい。
もしかしたらまた新たな場所に呪を刻まれたかもしれない。
こちらの考えの裏を掻く、感心するほどの手際だ。
本来なら敵地にわざわざ結界を修復しに来るリスクを考えると、少しの間は放置をすると思ったが間違いだったらしい。
想像するに難くないが、さぞかし凛もご立腹なさることだろう。
「今は仕方がない……朝練行くか」
(何か指示はある、マスター?)
(いや、特にはないよ。作戦会議も学校終わってからにしよう。自由行動で構わん)
最低限の方針だけ告げて、俺は部活に向かった。
早々に切り上げて、校舎内へ。
ぼちぼちと教室に向かっていると、見知った顔があった。
(う……美綴と凛。今は顔を合わせたくないなぁ)
廊下で立ち話をしている。
二人の仲が良いのは知られたことなので問題ないのだが…………
個人的な事情から、今日はあのみつりんコンビとニアミスするのはちょっと避けたかった。
しかし昨日の今日で登校してきている美綴の体調は心配だし、凛と結界について話したいこともある。
どうしたものか──────
「あ、クロじゃない。そんなとこで突っ立って何してんの?」
何をどうすることもなく、俺は見つかってしまいました。
そういえば廊下には障害物が何もありませんでしたね。
それは実に誤算でした。
「いや、穂群原学園二年が誇る美女コンビが、何やってんだろーと思いまして」
「なんでもない世間話よ。黒守くんも混ざる?」
「うん、混ざって問題ないのなら」
ここで無碍に断るのもおかしいので、自然と会話に加わる。
視線だけは必死にずらしながら。
そして美女コンビという揶揄に何の反応も示さないあたり、二人の恐ろしさが垣間見える。
「美綴、体は大丈夫なのか?」
「ん? ああ、普通に動いてる分には問題ないよ。さすがに朝練は休ませてもらったけどね」
「そうか。体調管理には気を付けろよ」
「いつも気を付けてるつもりなんだけどねぇ。季節の変わり目に少し気を抜いたかな」
話をしている限りでは、身体に異常はなさそうだ。
これで心配の種は一つ減った。
顔が少し赤いのは弱った体を回復すべく、代謝が活発化しているからか。
だがその朱が差した表情を見ていると、いやでも夢の内容が思い出されてしまう。
極力、彼女の顔を見ないようにする。
「遠坂はそのへん、大丈夫なのか?」
「えぇ。生憎と、簡単に風邪をひくような柔な鍛え方はしていませんので」
「待ちな遠坂。それだと体調崩してる私が軟弱みたいじゃないか」
「あら、そう言ったつもりはありませんでしたけど、そう聞こえちゃいました?」
「いい度胸ね。体が治ったら一勝負いくかい?」
「あー待ちたまえよチミたち。俺の前で決闘の取り付けなんかしないでね」
証人になるのも見届け人になるのも真っ平ごめんだ。
だけど、出来ればダブルKOというか、共倒れしてくれればこちらの都合がいいというかですね。
「それなら、早く元気になりなさい。今だってちょっとしんどそうだし」
「まあね、認めたくないけどちょっとキツいわ」
「話はまたいくらでも出来るんだから、今日のところはお開きにしましょ」
言って、教室に帰るよう促す凛。
逆らっても仕方ないと判断したか、美綴も大人しく教室に戻っていった。
「ねえ、綾子に何かあったの?」
美綴が教室に入ってから、凛は静かに問いかけてきた。
状況的に見て美綴の様子がおかしいのと、俺が何か知っているであろうことを察知したのだろう。
その洞察力と観察眼はさすがだ。
「ちょっとな。どっかのサーヴァントにライフドレイン食らったみたいで、衰弱してたのさ」
「そのマスター、一般人に手を出したのね……それで、相手は?」
「逃げられた。美綴を放置していけば追跡できたかもしれんがな」
「そう。それじゃあ、貴方を責められないわね。私も同じ判断をしたでしょうし」
「そりゃどうも」
敵を追うより人命救助に手を尽くす。
既に手遅れだったならまだしも、助かる命を放棄してまで戦いを優先させる理由はないはずだ。
またいずれ戦う機会がある相手と、今その時にしか助けられない命なら後者を選ぶというだけ。
けれども助けるべき相手とそうじゃない相手、助けるべきときとそうじゃないときはある。
時には見捨てたり、放っておくことも必要で、その判断にシビアさを持てなければ戦うことなどできない。
俺と程度の違いはあっても、そういった線引きは凛もしているのだろう。
「ねえ、何でさっきからそんなに挙動不審なの?」
「え゛?」
「綾子が居たときからだけど、一度も目を合わせようとしないじゃない」
あはー、やっぱりバレてますよねー。
人と話すときは相手の目を見て話すというごく普通の礼儀。
それが一度も目を合わせていなかったら、不審に思うのも無理ないことだ。
怪訝な目をしながら、こちらの顔を覗き込もうとする。
「…………ちょっと、何で顔を背けるの」
「いや、凛のそんな可愛い顔に見つめられたら緊張するだろ」
「冗談は顔だけにして。いつもはちゃんと向き合ってるでしょ」
「テメェ、顔が冗談ってなんだよ。自画自賛覚悟で言うなら、中の上くらいの顔はしてるだろ」
「だったら、ちょっと確認させてもらうわね」
途端、ガシッと顔を掴まれる。
そのままギギギと万力のような圧力で首を曲げられた。
まさかこうすることを考えて、俺の反応も踏まえてのさっきの発言か?
鮮やかな手並みだ。
見事に作戦に嵌まっちまったよ。
「ちょっ、ばッ…………」
ガッチリとホールドされた顔。
そのまま凛の瞳が俺の瞳をロックする。
間近で見る凛の顔に、今朝夢で見た彼女の快楽に蕩けた表情が想起される。
頭に血が昇っていくのを感じる。
きっと俺は誰の目にも明らかなほどに、顔を赤らめてしまっていることだろう。
「なんだか顔が赤いけど……あんたも体調崩してるの?」
「違ぇよ。朝練してきたから、まだ体が温まってるだけだろ」
「ふぅん」
しかしそこはそれ。
今までの経験と学習から、サラッと対処するだけの技術は身に付けている。
けどキレイに受け流したはいいが、この状態はマズイのではないだろうか。
周りに人目はないし実際に見られても問題はないが、ただ一点、俺の後ろから見た場合はきっと────
「よっ。黎慈、とおさ、か────」
背後から士郎の声。
俺を見つけて挨拶したら凛の姿も見えて挨拶しようとして。
俺の身体で隠れる凛が何をしているのか、連想ゲームばりにそのことに思い至ったのだろう。
こちらを見る士郎は時が止まったかのように石化している。
「………………」
そんな士郎を睨み付ける凛。
恐らく素人のくせにサーヴァントも連れずに出歩いていること。
暢気に敵であるはずの自分達に声をかけてきたことに憤っているのだろうが、たぶん士郎からすれば…………
(俺とのある行為を邪魔されて怒ってるように見えてるんだろうな)
なんという悲しい、認識の擦れ違い。
しかも二人とも誤解し合ったまま、各々の教室に入っていく。
まさかとは思うが、この誤解を解くのは俺の仕事だというのだろうか。
「面倒にもほどがあるだろ…………」
廊下で一人項垂れたまま、俺は授業開始のチャイムを聞いていた。
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