失われし記憶、追憶の日々【精霊使いの剣舞編】
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第四話「乙女の学び舎」
「まさか俺が契約する破目になるとは思わなかったな」
赤い絨毯が敷き詰められた廊下を歩きながら、俺は独りごちた。
ここはアレシイシア精霊学院。漸く件の用事を思い出した俺は急いでグレイワースの元に向かった。別れるときクレアが何か喚いていたが、どうせまた後で再開することになるんだ。今は気にしない方向でいこう。
「しかし、広いな。この校舎は……」
アレイシア精霊学院は帝国各地から集めた姫巫女たちを、一人前の精霊使いにするための養成校だ。前世で言うところの専門学校の様なものだな。
城壁の内側には庭園があり、校舎はさながら姫君たちの住まう宮殿のような造りをしている。事実、貴族令嬢が多く通うため、あながち宮殿というのも外れではない。
学院長室に着き扉に手を掛けると、中から甲高い声が聞こえた。
「学院長、私は納得できません!」
どうやら、お取り込み中のようだ。話が終わるまで外で時間を潰そうと、扉の戸ってから手を離そうとして――、
「なぜ、神聖なる姫巫女の学舎に、お、男などを迎え入れなくてはならないのですか!」
うん? 男?
興味深い単語が出てきたので、そのまま聞き耳を立てる。
「この私が必要だと判断したからだ。理由はそれで十分だろう?」
婆さんの声。抑制された声は相手をすくみ上げる程の凄みがある。
「わ、私たちでは力不足だと、そうおっしゃるのですか?」
「無論、騎士団の力を軽んじているわけではない。が、あいつは特別でね」
「何が特別なんですか?」
「それは君が知るべきことじゃない」
ふむ、なんか押し問答になっているな。ここは顔を出した方がいいかな?
気負いのない動作で扉を開ける。
「入るぞ」
「何者だ!」
扉を開けた途端、誰何の声とともに視線が集まる。
その場にいたのは婆さんと青髪のポニーテールの少女。腰に剣をぶら下げ、銀の胸当てを身に付けた少女は切れ長の瞳で親の仇とでも言わんばかりにキッと俺を睨み付けている。
――この子は確かエ、エ、エ……エルス、だったかな? 原作ではカミトを毛嫌いしていた少女だったような。
「不審者か!」
こちらが何か言う前に自己完結してしまった女子はスラリと長い足をしならせ蹴りを叩き込んだ。
一歩、後退して避けた俺は少女の脇をスッと通り抜け、婆さんの前に立つ。
「なっ!?」
避けられるとは思っていなかったのか目を見開く少女を背にして、婆さんに片手を上げてみせた。
「よう。来たぞ、婆さん」
「ふん、ずいぶん遅かったじゃないか。リシャルト・ファルファー」
婆さんはいつものように不機嫌そうな声を出す。
「三年ぶりだな、クー。何やら知らぬ名を名乗っているようだが」
「まあ、色々と事情があってな。今はリシャルトだ。さっき俺の名を口にしていたんだから婆さんも知っているだろう?」
黄昏の魔女はフッと微笑む。
「リシャルト・ファルファー!? では、こやつが例の――」
「で、いきなり蹴りを見舞ってきたこちらの嬢さんは誰かな?」
「ぶ、無礼者め! なんたるものの言い方だ!」
「無礼? 初対面で問答無用で攻撃をしてきた君の方が無礼なのではないかな? それにここは学院長室、しかも学院長の前だ。礼を失するのはどちらかな」
「くっ……」
腰の剣に手をかけ、悔しそうに歯噛みをする少女を見て大人気なかったかなと、今更ながら思う。
少しフォローする気持ちで微笑んだ。
「だがまあ、良い蹴りだったぞ。体重と下半身のバネがしっかりと活かされていた」
「な……よ、余計なお世話だっ! ふ、不審者に誉めらても嬉しくないわっ! ペペロンチーノにするぞ!」
剣を抜く少女。その姿に俺は内心、感嘆の息を洩らした。
切っ先は真っ直ぐ俺を向き、少しのブレもない。剣を構えるその姿勢は多少の気負いはあるもののある種の美しさがあり、相当の研鑽を積んでいることが窺えた。
「剣を納めろエリス。リシャルトの言う通り、この場での私闘は禁じられているはずだ」
「が、学院長……ですが――」
「私に二度も同じことをいわせるつもりか? エリス・ファーレンガルト」
「……いえ、も、申し訳ありません」
エルスじゃなくてエリスだったか。それにファーレンガルト? どこか聞き覚えがあるような……。
首を捻っていると、少女――エリスは俺をキッと睨み付けてから、しぶしぶ剣を納めた。
「ふむ、しかしお前が男に興味を持つとは。そういう年頃になったのだな」
「が、学院長!? 何を急に!」
「ん? そのもて余した肢体の火照りをその男に鎮めてほしいのだろう? 先程も急に飛び掛かったではないか」
「なっ――」
羞恥で真っ赤になるエリスを尻目にジトッとした目で婆さんを見る。
「おいおい、あまりからかうなよ。俺は兎も角、こっちの嬢さんはそういう話しに耐性がないようだ」
「だが良い体をしているだろう?」
俺はそれには答えず、チラッとエリスの体に視線を向ける。
まあ、確かに均等の取れた体はしているな。
凹凸のある体はメリハリがあり、色白の長い足は美脚とも言える美しさがある。
俺も男だ。当然そこらの男と同様、女には興味ある。が、マナーも弁えているつもりだ。どこぞのエロ小僧のように鼻の下を伸ばしてジロジロ見る趣味はない。
早々に視線を反らした俺は婆さんに用件を聞く。
「で、なんの用だ? 俺を呼び出したりして」
「うむ、それなんだがな。――エリス、君はもう下がれ」
「なっ、こんな得体の知れない男と同じ部屋で二人きりになど……この男が、その、ふ、不埒な欲望を抱くことも――」
まあ、それが普通の反応か。襲うだなんてありえないが。
しかし、婆さんは犬を追い出すかのように、シッシッと手を払った。
「問題ない。こいつにそんな意思はないさ。さっさと出ていけ」
「ですが――」
「エリス・ファーレンガルト」
婆さんから強いプレッシャーが放たれる。その静かな声にエリスの肩がビクッと震えた。
「お前はいつから、私に意見できるようになった?」
「も、申し訳ありませんっ」
余程、婆さんが恐ろしいのか青い顔で頭を下げたエリスは早足で部屋を出た。
婆さんがやれやれと首を振る。
「彼女はエリス・ファーレンガルト。ファーレンガルト公爵家の娘だ。騎士としては優秀だが、どうにも融通が利かんのが玉に傷でな」
「あの子もここの学院生なのか? 甲冑なんて着ていたが」
「ああ、風王騎士団の団長だよ。学会陰の秩序を乱す輩を取り締まるのが彼女らの仕事だ」
風紀委員会のようなものか。
「ところで、ずいぶんと面白いものを身に付けているじゃないか」
婆さんの視線は俺の左手に向けられている。手の甲のソレをそっととなぞった。
「成り行きでね。不思議な出会いを得たものさ」
「フッ、なるほど。しかし《精霊の森》の最奥部にある封印精霊を手懐けるとはな。あれに告白してフラれた者は後を絶たないというのに」
「確かに、少々じゃじゃ馬だったな」
「あれをじゃじゃ馬で済ませるか、君は相変わらずだな。取りあえず、おめでとうと言っておこうか。これで君も晴れて精霊使いの仲間入りだな。気分はどうだ? 『謎の精霊使い』」
「その名で呼ぶのは止めてくれ。むず痒くなる」
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる婆さん。俺は肩を竦めることで応えた。
婆さんには俺が精霊契約が行えることを教えてある。普通は戯言として捉えられるが、なぜか婆さんは俺の話を無条件で受け入れた。一度だけ、なぜこんな荒唐無稽の話を信じたのか聞いてみたが、見事に煙にまかれた。侮れない婆さんである。
「さて、いい加減本題に入ろうか。俺に用があるのだろう?」
「ふむ、それもそうだな」
婆さんが机の引き出しから引っ張り出したのはクリップで束ねられた書類。そこには俺の写真とプロフィールが書かれていた。
「今日から君にはこの学院に編入してもらう。各種手続きは既に済ませてある」
「うん? 編入って、それはまたどうして」
俺のプロフィールが書かれた書類をペラペラ捲りながら、婆さんに聞く。よくもまあここまで調べたものだ。
「お前が必要だ。以上」
「簡潔過ぎだ」
はあ、とため息を吐き、書類をテーブルに置く。
「それで、俺に何をしてほしいんだ?」
「ほう。分かるか?」
「当たり前だ、何年の付き合いだと思っている」
それはすまなかったな、と苦笑した婆さんは表情を真剣なものに戻す。
「二か月後に元素精霊界で《精霊剣舞際》が開催される。少々気になることがあるのでな、それに出場しろ」
《精霊剣舞際》。三年前、フローレン・アズベルトで出場し、目当ての人物がいなかったため決勝戦で早々に敗退した。その大会に婆さんは再び出場しろと言う。
「ふむ……まあ、婆さんには恩があるからな。わかった、その話、引き受けよう」
婆さんには前回の《精霊剣舞際》に出場させてもらったという恩がある。婆さんの後押しが無ければ出場することは叶わなかっただろう。俺はその恩を返さなければならない。
「それで、出場するのはリシャルトでいいんだな?」
それはフローレン・アズベルトとして出場しなくても良いのかという意味。リシャルトの名で名指しされたのだから返答は目に見えているが、一応の確認はしておこう。
「ああ、リシャルトに出場してもらいたい」
「わかった。それと俺が男の精霊使いだと知っているのは?」
「私と君の担任となるフレイヤ先生だけだ。別にバラしても構わんぞ? いずれ知れ渡ることだしな」
「それもそうだな」
「学院と宿舎の案内はエリスに任せている。これがお前の制服だ。本物のお姫様が集まる乙女の学び舎に男が一人。精々、愉しめ」
四つ折りに畳んである制服を手渡した婆さんはニヤッと笑った。
後書き
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